「お兄ちゃんがまた幼女を拾ってきた……」
癖のある尻尾のように伸びた二本の髪。百四十センチに満たない小さな身体。
少女――平田桜花はリビングで寛ぐ太老とアテナを見て、そう呟いた。
「誤解を招くような発言はやめてくれ」
「このくらい言う権利はあると思うけど?」
ジーッと桜花に半眼で睨まれ、太老は居心地が悪そうに頬を掻く。
約束の場所になかなかやって来ない太老を捜して街中を走り回ったのだ。
だと言うのに、その当人は見知らぬ幼女を連れて先にマンションに到着している始末。桜花でなくても文句の一つも言いたくなるだろう。
「お兄ちゃん、約束の場所に全然こないし……」
「それは俺が全面的に悪かった。色々とあって……」
口を尖らせて拗ねる桜花の機嫌を取ろうと太老は必死に弁明をする。
だが、何を言ったところで忘れていた言い訳にはならない。
ブスッと横を向いたまま反応しない桜花を見て、段々と太老の額に嫌な汗が滲み始める。
「あの……桜花? 桜花ちゃん? ……桜花様」
腰は低くなり、呼び方も少しずつ変わっていく。遂には額を床につけ、土下座へと発展する。
今回は全面的に太老が悪い。いや、いつもデリカシーに欠ける太老が悪いのだが、今日は特にまずかった。
約束をすっぽかしたばかりか、別の幼女を家に連れ込んでいれば、桜花が怒るのは当然だ。
「本当に反省してる?」
コクコクと高速で首を縦に振る太老。
幼女に土下座をする男。なんとも情けない話だが、もはや恥も外聞もなかった。
一応、誠意は伝わったようで、桜花も『仕方ない』と言った様子でため息を漏らす。
「その代わり、これは貸しだからね!」
「ああ、なんでも言ってくれ。出来る限りのことはするつもりだ」
きちんと言質は取ったとばかりに、桜花は満足げな笑みを浮かべた。
残りは、もう一つの問題だ。桜花はソファーに横になってテレビを眺めているアテナへと視線を移す。
綺麗な銀髪の少女だ。まるでアンティークドールのように整った美しい顔立ちをしている。
太老が連れてきた以上、何か事情があるのだろうと桜花は察するが、どこで彼女を拾ってきたかが一番の問題だった。
(嫌な予感しかしない)
桜花の勘は正しい。まずは事情を確認するのが先決だ。
人懐っこい笑みを浮かべ真相を確かめるべく桜花は少女の前に立った。
「私は平田桜花。あなた、名前は?」
「妾の名か? アテナだ。以後、見知りおくがいいい」
「そう、アテナ……」
そこまで口にして桜花の表情が固まった。
アテナ――その名は地球出身者なら誰もが知っている女神の名だ。
遠く離れた異世界に住む桜花でも、一度は耳にしたことがあるビックネームだった。
「――って、お兄ちゃん!?」
予想を遥かに超えたビックネームの登場に珍しく桜花は取り乱す。
この停電騒ぎが、まつろわぬ神の仕業だというのは明らかだ。
そこにアテナの名前を冠する少女が現れたとくれば、ただの偶然とは思えない。
「なんで、諸悪の根源を連れてきちゃうの!?」
「諸悪の根源って……怪我してたんだから仕方ないだろう? 他に行くところもないって言うし」
「だからって……。ああ、うん……お兄ちゃんだもんね」
何か悟った様子で、桜花はあっさりと引き下がった。
相手は神様とはいえ、怪我をしている幼女を太老が見捨てるはずもない。
太老がどう言う人間かをよく理解しているからこそ、これ以上は何を言っても無駄だと理解したのだ。
だからと言って釘を刺すことは忘れない。これ以上、変な物を拾って来られては困るからだ。
「お兄ちゃん、真面目にやってよね。あと、このマンションはペット禁止だから! 犬猫、神様禁止! これ以上、拾って来ないこと!」
これも、あの母にして樹雷の血筋がなせる業か?
アテナをペット扱いとは、桜花も太老に負けず劣らず大物のようだ。
部屋数は余っているとはいえ、太老と一緒に暮らすマンションに、これ以上お邪魔虫が増える方が桜花としては大問題だった。
「調査は真面目にやるよ」
「本当に? 私達の目的わかってる?」
「探し物を見つけて持って帰ることだろう? 大丈夫だ。忘れてないさ」
太老と桜花はこの世界の住人ではない。ある物を探しに平行世界と呼ばれる別の宇宙からやってきた異世界人だ。
その探し物がこの世界にあることまでは突き止めたのだが、何者かの手によって厳重に隠されているのか、何処かに封印されているのか、詳細な位置を特定するまでには至っていなかった。
ただ、この四年の調査で手掛かりはあった。
――千年以上も昔に起こった神と魔王の闘争。そこで目撃された光り輝く船。
有力な情報を得た二人は、その手掛かりをもとに現地調査へ赴くことにしたのだ。
そして今に至るわけだが、
「でも、あの二人から解放されると思うと、やっぱりなあ」
解放感に満たされた表情の太老を見て、桜花はやっぱりとため息を漏らす。
これが仕事だと言うことは太老も承知しているはずだ。しかし鷲羽と鬼姫の二大巨頭から解放された太老は、何にも代え難い解放感を味わっていた。
それでなくても女性関係で苦労しているのだ。たまにはそうしたしがらみを忘れて、ゆっくりと息抜きをしたいと考えるのはわからなくもない。桜花もその点に関して何も言うつもりはなかった。
ただ、このまま解放感に満たされた太老を野放しにするのは危険だ。そのことがよくわかっている桜花は無駄と知りつつも太老に釘を刺す。
「お願いだから羽目を外しすぎないでね!」
放って置いたら何をしでかすかわからない。それだけに桜花は心配する。勿論、太老の心配と言うよりは周囲への影響や被害を心配してのことだ。
太老は知らないことだが、桜花は太老の仕事を手伝うためだけに付いてきたわけではない。彼女の主な役割は、太老の行動の監視と監督にあった。
現に調査初日から少し目を放しただけで、アテナを拾ってくるという問題を起こしている。
猫や犬じゃあるまいし、気軽に神様を拾ってこないで欲しい。これ以上、問題が起きないことを桜花は心の底から願った。
その彼女の願いは早々と打ち砕かれるのだが、
『では、次のニュースです』
先程の停電に関するニュースがテレビで流れていた。
幸い停電による死者は出ていないとの話だが、問題はそこだけではなかった。
浜離宮恩賜庭園の崩壊に高層ビルの倒壊。そして首都高の崩落事故が報道され、テロの仕業ではないかと憶測が飛び交っていた。
自然とアテナの視線が太老に向くことで、桜花は疑惑に満ちた目を太老へと向ける。
「お、俺じゃないぞ!?」
二人の視線を感じ、冤罪だとばかりに太老は否定した。
異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第7話『七人目の魔王』
作者 193
事件から一晩経ち、護堂とエリカは連れだって七雄神社を訪れていた。万里谷祐理に話があると、電話で呼ばれたからだ。
余程大切な話なのか、人払いのされた神社はいつも以上に物静かで、荘厳な趣きさえ感じられた。
「本日は急なお誘いを受けて頂き、ありがとうございます。実は昨晩のことで草薙さんとエリカさんにお伝えしたいことがあり、お呼び立てしました」
二人が案内されたのは、境内の隅にある平屋造りの社務所の一室だった。
仕事で寝泊まりが可能なように社務所には和室の他にトイレやお風呂、それに台所もちゃんと完備されている。
だされたお茶に口をつけ一息を置くと、エリカは確認するように祐理へ言葉を返した。
「それは四年前の事件で存在が噂されていた七人目のカンピオーネのことかしら?」
話の内容に触れるより先にエリカに話の要点をつかれ、祐理は瞠目する。
「エリカさん気付いて……」
「悪いけど少し調べさせてもらったわ。そして、今のあなたの顔を見て確信した」
エリカは昨晩、護堂を家に送り届けた後、四年前の事件に関して夜遅くまで調べ物をしていた。
ヴォバン侯爵が執り行ったジークフリート招聘の儀式。一度は興味を持って調べたことのある事件だったので、詳細を知るのに然程の時間は掛からなかった。
そこで見つけたのが、万里谷祐理の名前だ。まつろわぬ神を招聘するその儀式に、彼女も参加していたことを突き止めたのだ。
「七人目? あれ? 俺が七人目じゃなかったっけ?」
護堂は腑に落ちないと言った様子で首を傾げる。バルカンの魔王、アイーシャ夫人、羅濠教主、ロサンゼルスの守護聖人、黒王子、そして剣の王。
このうち護堂は『剣の王』サルバトーレ・ドニと面識があり、他の魔王に関しても面識はないが大体の人物像は知っていた。
何れも魔王の名に恥じぬ危険人物だと、エリカから聞かされていたからだ。
しかし、これで六人。護堂を入れても七人しかいない。他に魔王がいたなんて話は、護堂からすれば初耳だった。
「あなたは正確には八人目のカンピオーネなの。現れたのよ。四年前に七人目がね」
エリカは四年前の事件を、護堂に話して聞かせる。
まつろわぬ神を招聘する儀式に介入し、ヴォバンを倒し、少女達を救った男の話を――
「なんか話だけを聞くと正義の味方っぽいな」
護堂の感想は的外れとは決して言えないものだった。
魔王から囚われの少女達を救いだし、名も告げずに立ち去った謎の男。確かにそれだけを聞けば、物語に登場する英雄そのものだ。
実際、儀式に参加した少女達に後遺症はなく、全員が無事だったというのだからハッピーエンドと言ってもいい。
そのヴォバンという爺さんは自業自得だろう――というのが護堂の素直な感想だった。
「呆れた。昨日やられたところなのに、よくそんなことが言えるわね」
「う、ううん……実はその辺りのこと、よく覚えてないんだよな」
男にロリコン扱いされたことはよく覚えている。
今度あったら、そこだけはきっちり訂正しないとダメだと護堂は思う。
だが無我夢中だったこともあるのか、肝心の戦闘の方はよく覚えていなかった。
「そういや『鳳』を使ったのに同じくらいのスピードで動かれて焦ったっけ……」
「護堂の他にも『黒王子』が似た権能を持っているわ。あのスピードもきっと同種の権能によるものね」
ウルスラグナの化身の一つ『鳳』は、雷を目視で避けるほどの超スピードと身軽さを使用者に与える神速の化身だ。
しかし相手が同じ神速で動けるのなら、大きな欠点を持つ護堂の方が不利。『鳳』の最大の長所であり欠点は、そのスピードにあるからだ。
その最大の欠点というのが、使用時間の制限。カンピオーネの身体と言えど、神速のスピードは肉体への負担が大きい。長時間使えば、しばらく動けなくなるといった弱点があった。
護堂が昨夜、あっさりと気絶したのも、太老から受けたダメージが大きかったという他に、『鳳』を使った後に『猪』を発動すると言った無茶をしたためだ。
そこで護堂は、ふとした疑問に気が付く。
「そう言えば、あいつはなんであんなに動き回って平気だったんだ?」
「もしかしたら身体強化の魔術をかけているか、そうした権能を所持しているのかもしれないわね」
「身体強化の魔術?」
「護堂も持っているじゃない。『雄牛』や『駱駝』がそれにあたるはずよ」
エリカも魔術で身体強化を行っていることから、ありえない話ではないと考えていた。
とはいえ、魔術の強化など少し力が強くなる程度のもので、骨は鋼鉄よりも硬く、筋肉はゴムのように弾力性に富み、普通の人間なら即死の傷も数日で回復するカンピオーネの非常識な身体に比べれば微々たる効果だ。
それにカンピオーネの身体には魔術が通用しない。だとしたら自分で魔術を使うか、なんらかの権能で肉体を強化していると考えるのが自然だ。
「そんなのと、どうやって戦えっていうんだよ……」
だが護堂からすれば、複数の化身を同時に使ってくる相手など反則としか思えなかった。
スピードでは『鳳』が相手より勝っていた。そう考えれば、『駱駝』や『雄牛』も特化している部分に関しては相手より上回っているのかもしれない。
しかし一つの能力が勝っていれば勝てるといった相手でないことは、昨夜の戦いからも明らかだ。
「まあ、なるようになるか」
「あなたのそう言う考えなしに突っ走る、行き当たりばったりなところって好きよ。護堂」
「……それ、褒めてないよな?」
また戦うと決まったわけではない。相手の出方次第だが、少なくとも護堂にその意思はない。
なら、そんな仮定をしても意味がないと護堂はきっぱり忘れることにした。
「でも、相手のことを知っておいて損はないはずよ。四年前の事件では東洋人という情報しかなかったけど……状況から察すると日本人だったのね。祐理、あなたはこのことを知っていたの?」
「いえ……ですが、七人目が日本人ではないかという噂はありました。正史編纂委員会の方でも、その方向で探っていたようです」
正史編纂委員会――日本の呪術界を統括する組織の名称だ。
日本で活動する呪術師や霊能者を統制し、呪術絡みの事件が起これば解決と調査を行い、必要であれば情報操作にも努める。
今回の事件も彼等の隠蔽工作により、表向きは首都を襲った大規模な停電事故として処理されていた。
「その爺さんとの会話で、言語とか判別できなかったのか?」
「はい、当然そのような話もあったのですが、残念ながら言葉から特定することは不可能でした。イタリアの方にはイタリア語に、私のように日本人には日本語に、あの方の言葉は耳にした者に馴染みのある言語へと変換されるようなのです」
カンピオーネや魔術師は卓越した言語習得能力を持つ。魔術師の間で『千の言語』と呼ばれるそれを用いれば、短期間で外国語も習得可能だ。
護堂もカンピオーネとなってからは、この能力のお陰で外国人との交流に困ったことがなかった。
しかしそれでも言語を完璧に習得するには、最低でも二日から三日と時間が掛かる。
ましてや、その場にいる全員に別の言語で伝わる言葉など『千の言語』では再現不可能なことだ。
「それも権能の一種なのか?」
「そんな魔術は聞いたことがないし、そう考えるのが自然よね。だとすると、どれほどの数の神々を倒してきたのか想像もつかないわ。それも魔術師に悟られることなく……」
――護堂の『鳳』に匹敵する神速と、そのデメリットを物ともしない人間離れした身体能力。
――『千の言語』を超える未知の言語能力に、カンピオーネにも通用する謎の神具。
――更に上位の魔術師の捕縛結界を物ともしない神業的な罠抜けの技術。
これらが権能によるものだと仮定すれば、最低でも三つから五つの権能を所持していると考えられる。
更には四年前、儀式によって衰弱した少女達を救ったという方法。何かの霊薬を用いたという話だが、そちらもエリカは気になっていた。
「カンピオーネであることを悟られないようにするって、そんなことって可能なのか?」
「ありえない話ではないわ。賢人議会が機能し始めたのは十九世紀の後半。実際、ヴォバン侯爵や羅濠教主のように古参の魔王の方々に関してはわかっていないことの方が多い。それに、アイーシャ夫人のような方もいるわ」
「ああ、百年以上、隠匿生活してる人だっけ?」
これはすべて判明している範囲の情報から推察してのことだ。他にどんな奥の手を隠し持っているのか想像もつかない。
何より恐ろしいのは、それだけの力を所持していながら、これまでずっと人間にその存在を悟られることなく隠匿していたことだ。
下手をすれば、見た目通りの年齢ではないのかもしれないとエリカは推察する。
七人目どころか、古参の魔王に匹敵する怪物ではないかと考えていた。
「いずれにせよ、私達も方針を考えておく必要があるわね」
「と、いうと?」
「わからない? 七人目の王はアテナを攫っていったのよ?」
「元凶を連れていってくれたなら、それでいいじゃないか。何が困るんだ?」
護堂の能天気な回答にエリカは嘆息する。そう、この男はこういう男だった。
自分と周囲に直接被害が及ばなければ好きにやってくれて構わないくらいに考えているのだろうが、それは甘い考えと言わざるを得ない。相手は護堂と同じカンピオーネと噂される人物なのだ。
騒動が起きるという前提で準備をしておくに越したことはない。ようするに心構えの問題だ。
「なら、もっと分かり易く言ってあげるわ。魔王が仇敵である神を連れ去った。これだけで何かよからぬことを企んでいると考えるのが普通でしょう?」
「あー。そう言われてみれば……」
自分はカンピオーネのなかでは常識人だと自負する護堂だが、嘗てイタリアで死闘を繰り広げたサルバトーレ・ドニや、話に聞く魔王達の傍若無人な振る舞いを考えるに、エリカの心配もわからないではないと考える。
魔王のいるところに事件ありというくらいに、彼等は騒動の火種となりやすい。
「エリカさんはこの日本でまた、昨日のような騒ぎが起きるとお考えなのですか?」
「当然よ。ここには息をする災厄が……いるでしょ」
「おい」
チラッと護堂の方を見て、そう話すエリカに護堂は不満を口にする。
聞き捨てならない話だ。言い掛かりも甚だしいというのが、護堂の心境だった。
もっとも昨夜も浜離宮恩賜庭園を崩壊に追い込み、高層ビルを破壊し、首都高にまで被害を及ぼした男が何を言っても説得力はない。
「とにかく警戒をしておくに越したことはないわ。護堂は軽はずみな行動を取らないように」
何故、自分だけ――と考えるが、エリカに釘を刺され思い当たる節があるのか、護堂は黙る。
自業自得、普段の行いが招いた結果だ。この点に関して護堂は微塵も信用がなかった。
「正直、相手の情報が少なすぎて対策の立てようもないし、今は情報を集めるのが先ね」
そのエリカの言葉に他の二人も同意した。
……TO BE CONTINUDE
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