「うわあ……」
旅館の屋根の上から惨状を目の当たりにして、桜花は唖然とした表情を浮かべる。
一応、旅館は『猪』の直線上から避けたようだが、その先の標的が大変なことになっていた。
桜花の視線の先――今回、標的にされたのは東京タワーだ。
あの位置から見える大きな建物で一番最初に目に入ったのがアレだったのだろうが、それにしたって容赦がない。
東京のシンボルとも言うべき鉄塔が、ほんの数分でただの鉄くずへと変わっていく。
「お兄ちゃんの言うように囮にはなっているけど……」
後のことを考えると人選を失敗したとしか思えない被害だ。正史編纂委員会も、今頃は頭を痛めているだろう。
桜花は護堂が敵の注意を惹きつけている隙に、塩の柱に変えられた人達を回収して回っていた。勿論、後で元に戻すためだ。
壊れていなければどうにかなるだろうと太老は言っていたので、たぶん大丈夫だろうと桜花は思う。
彼等を回収した空間の穴はマンションの工房に繋がっているため、ここに入れておけば壊される心配はない。後は――
「……お兄ちゃんの方か。まあ、心配いらないよね。うん、放置決定で」
太老なら何も心配はないと桜花は、お守りの役目を放棄する。
こうなった以上は積極的に関わらない方がよさそうだと長年の経験で判断した。
「……ん? 犬?」
犠牲となった人達の回収を終え、撤収しようかと考えていた、その時。
馬のように大きな灰色の狼達に桜花は取り囲まれた。ヴォバンの権能の一つ『貪る群狼』という奴だ。
また、面倒なのが現れたと言った顔で、桜花はため息を漏らす。次の瞬間、
「退きなさい」
双眸を細め、桜花は強烈な殺気を飛ばす。
狼達はヴォバンが権能で生み出した獣だ。意思などない、ただの駒だ。
なのに桜花に一睨みされただけで、狼達は蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れなくなってしまう。
「そう、退かないのなら」
――それは一瞬のことだった。
バタバタと狼達は倒れ、闇に溶けて消えていく。何をされたのか、狼達には何も理解できなかったはずだ。
桜花のしたことは簡単だ。ただ力を込め、腕で薙ぎ払っただけ。
超高密度に圧縮されたエネルギーの刃が、狼の皮膚を一瞬で斬り裂いたのだ。
「どの程度かと思えば、バイオボーグで言えばCランクってところか」
この程度なら対処法など幾らでもあると、桜花は余裕の笑みを浮かべる。
問題はこの程度≠ナあっても、特別な訓練や生体強化を受けていない人間には脅威になるという点だ。
注意深く周囲を見渡せば、似た気配が街の至るところに感じ取れる。恐らくヴォバンの放った猟犬だろう。
「仕方ないか、街の人達が襲われても困るしね。『龍皇』でてきて」
太老は放って置いても大丈夫。なら、自分のすべきことはヴォバンの放った猟犬を蹴散らし、街への被害を最小限に食い止めることだと桜花は考えた。
桜花が呼びかけると、手のひらサイズの白く丸っこい生き物が空間の裂け目から姿を現す。その正体は――皇家の樹、第二世代艦『龍皇』の端末体だった。
本来のマスターは別にいるが、桜花は常に『龍皇』ともう一体、第一世代艦『船穂』の端末体と行動を共にしていた。
護衛や使い魔と言うよりは、友達と言った方が正しい。太老のような規格外な真似は出来ないが、他のマスターの樹から少し力を借りる程度のことは桜花でも出来る。
今回『龍皇』を呼び出したのは、集団戦闘には『船穂』よりも『龍皇』の方が向いていると考えてのことだ。
伝説の海賊艦『魎皇鬼』と同じくクリスタルコアをベースに強化を施された龍皇は、戦局や状況に応じて形状を変化させる特殊な能力を持つ。
「集団戦闘モード! それじゃあ、せいれーつ!」
桜花が号令を上げると眩い光と共に『龍皇』の数が増えて行き、瞬く間にその数は百を超える。
「さあ、みんな――狩りを始めるよ!」
総勢百一匹の龍皇が、白い軍勢となって街へ解き放たれた。
異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第17話『正木家の幼女達』
作者 193
地面の中から土砂を吹き飛ばし現れる人影。
「ひ、酷い目に遭った……」
泥を雨で流しながら、太老は気だるそうにため息を吐く。
ヴォバンが地上に気を取られている隙に穴を掘って地下から侵入するつもりだった太老だが、護堂が『猪』を召還したことで発生した地震で穴は陥没――生き埋めにされてしまった。
策士策に溺れるとは、まさにこのことだ。
「なんか怪獣が暴れたみたいに壊れてるし……これやったのって護堂だよな?」
太老の頭に過ぎったのは、一ヶ月前に食らい掛けた『猪』の化身だった。
さっきの地震もアレの仕業か、と肩を落とす。
囮にした手前、文句は言えないが、やはり護堂との相性の悪さを太老は痛感する。
「でもまあ、順調に解析は進んでいるな。やっぱり護堂を爺さんにぶつけたのは正解だったか」
空間ディスプレイを呼び出して何かを確認する太老。
そこには『解析状況・現在六七%』を示す文字が表示されていた。
「取り敢えず、爺さんを探すか。人質の無事も確認しないと」
ここまで解析が進めば、後はどうにかなるだろうと太老はモノクルを操作する。
建物は奇跡的に無事のようだが、ひかりの安否も気になった。
「えっと……なんだ、この反応?」
モノクルを使い状況を確認しようとするが、街中に強いエネルギー反応を捉え、太老は困惑の表情を浮かべる。
数が多すぎて、どこから対処すればいいのやらわからない状態だ。
「こっちの反応は『龍皇』か?」
該当データありの文字がディスプレイに表示される。間違いなく『龍皇』の反応だ。
太老が一番よく『龍皇』の特性や能力を把握している。それだけに、桜花がヴォバンの権能に対抗するために呼び出したのだろうと推察した。
前もって護堂のパーソナルデータも登録しておくべきだったと悔やむが今更遅い。桜花と『龍皇』の反応を省いて、残りのデータを検証する。
「あっ、そう言えば……朝から出掛けてたんだっけ?」
太老が拠点としているマンションの近くに『該当データあり――アテナ』の文字が表示されていた。
◆
「侯の灰色狼か……」
太老のマンションへと向かっていたリリアナとひかりは、一足先に追ってきた狼達に追い込まれていた。
幾らヴォバンの権能で生み出した狼とはいえ、この程度の敵に後れを取るリリアナではない。
しかし、リリアナの強みは素早さと身軽さを用いた機動力だ。ひかりを守りながらとなると本領を発揮することは難しい。
「万里谷ひかり、ここは私に任せて先に行け」
「で、でも、それじゃあ……リリアナさんが!」
「私なら大丈夫だ。この程度の敵にやられはしない。それに目的地はすぐそこだ」
狼の足の速さから考えて逃げ切れないと悟ったリリアナは剣を抜き、戦闘の構えを取る。
「あの方なら助けてくれる――そうだろう?」
「……はい! 待っててください、すぐに助けを呼んできます!」
ひかりが走り去ったのを確認して、リリアナは大きく息を吸い込んだ。
射殺すような視線で狼達を見据え、銀の魔剣――イル・マエストロを構える。
刹那――閃光の速さで間合いを詰めたリリアナの一撃が、二体の狼を同時に斬り裂く。
すぐさま反転して、ひかりの追撃に入った狼に目掛け、変化の魔術で弓矢へと変えたイル・マエストロを射貫く。
「ここから先は行かせない!」
そんな孤軍奮闘するリリアナの背後を、バスケットボールほどある大きな火の玉が襲った。
咄嗟に障壁を張り、防御するリリアナ。爆発の反動で大きく後退させられる。
「くっ、死せる従僕――もう、ここまで!」
騎士風の男が二人に、魔女が一人。しかも、かなりの手練れであることが見て取れる。
同時に三人を相手にしながら、狼にまで気を配るのはリリアナと言えど厳しい。
しかし――やるしかないとリリアナが覚悟を決めた、その時。
「なっ!」
リリアナは強大な気配を背後に感じ、慌てて後ろを振り返った。
目的のマンションのすぐ近く、ひかりの前に銀髪の少女が立ち塞がっていた。
「あれは、まさか――」
その少女はアテナだった。
嘗て、草薙護堂と死闘を演じ、今は太老の下で庇護を受けているはずの智慧の女神。
幾ら、太老の庇護下にあるとはいえ、アテナが荒ぶる神であることに違いはない。
ひかりが危ない――そう考えたリリアナは危険を顧みず、ひかりのもとへ走る。
「何やら、面白いことになっておるな」
右手で傘を持ち、左手で焼きたてのたい焼きを頬張りながら、アテナは愉悦の笑みを浮かべる。
刹那――リリアナを追っていた死せる従僕が、アテナの影から伸びた斬撃で一瞬にして命を刈り取られる。
それは闇の女王が使う死神の鎌。死を司る冥府の刃が、周囲にいた狼達まで一瞬で切り刻んだ。
呆気に取られ、ぺたんとその場に腰を落とすひかり。リリアナも余りに一瞬の出来事に放心状態に陥る。
「どうして……」
「無聊だ。人の子よ」
リリアナの問いに、退屈そうに答える女神。ただ目障りだから払っただけ、そう言いたげな物言いだった。
「ここで問題を起こされると妾が困る。故に助けた。見捨ててもよいが、そうすると太老が五月蠅いのでな」
アテナが太老に庇護されているという話はリリアナも調査報告で知っていたが、実際のところは半信半疑だった。
しかしアテナのこの反応を見るに、それは真実だったのだと理解した。
同時にアテナほどの女神に、こうまで言わせる太老の力にリリアナは戦慄する。
「ところで――後ろの男も、そなた達の客か?」
アテナの言葉にリリアナは背筋に寒気を感じ、慌てて後ろを振り返る。
轟く雷鳴が闇夜を照らす。嵐のなか立っていたのは一人の老人。
三百年の時を生きる最古参の魔王――サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンだった。
◆
「今日は運が良いと言うべきか。このようなところで我が獲物たりえる神と相見えようとはな」
ヴォバンは思い掛けぬ獲物を前に、腹を空かせた猛禽類のような笑みを浮かべる。
魔王や神に、一日の間にこうも続けて遭遇することは珍しい。ここ最近ずっと退屈な日々を過ごしていたヴォバンにとって、今日ほど楽しい夜はなかった。
今でこそ八人ものカンピオーネが存在しているが、実際には神殺しが誕生するのは稀で一人も存在しなかった時代もあるほどだ。
まつろわぬ神もそうだ。様々な偶然と必然が重なり合い、彼等はこの世界へと顕現する。その確率は非常に稀で、一生を神と交わることなく過ごす者もいる。
それだけにアテナほど強大な神となれば、ヴォバンにとってこれほど稀少な獲物はなかった。
「古き王よ。妾にあなたと争うつもりはない」
「そうは言うが、それは私の狩りの獲物だぞ?」
「……狩り?」
ひかりとリリアナを見て、ヴォバンの言葉の意味を一目で理解するアテナ。
「それは、この者達を差し出せと? 残念だが、それは出来ぬ相談だ。妾にも事情がある故な」
「ならば、戦うしかあるまい。神の所有物を、神殺しの魔王が奪う。出会ってしまった以上、闘争を避けられぬのは我等の宿命だ」
「なるほど、それもまた道理だ。しかし、あなたにそれが出来るかな?」
アテナの身体から発せられた膨大な呪力に、ひかりとリリアナは小さな悲鳴を上げる。これでも二人の身体に影響が出ないようにと抑えての力だった。
全力を出せば、自然と発する死の気配だけで二人を殺めてしまう。今までなら人の子の命など気にも留めなかったところだが、妙な枷を嵌められたものだとアテナは苦笑した。
「……何がおかしい?」
「何、こちらのことだ。同じ『王』を名乗っていても、これほど違うものかと考えると少しおかしくなってな」
アテナの理解できない発言に、怪訝な表情を浮かべるヴォバン。しかし、それを彼が理解できる日はきっと来ないだろう。
アテナでさえ、自身の変化に戸惑っていた。すべては、あの男との出会いがそうさせたのだ。
人は神に劣るという常識を覆した男――正木太老との出会いが、アテナに新たな価値観を植え付けた。
「我が名はサーシャ・デヤンスタール・ヴォバン! 古き女神よ、我が無聊を慰める糧となるがいい」
「ほざいたな、古き王。我が名はアテナ。この名をしかと、その胸に刻みつけよ!」
◆
「うわあ……なんだか、凄いことになってるし」
太老の住むマンションに向かっていた恵那だったが、偶然にもヴォバンとアテナの戦いを目撃することになった。
腕には自信のある恵那だが、さすがにまつろわぬ神やカンピオーネが相手では比ぶべくもないことを自覚している。
勝てるかどうかを考えることすらバカらしくなる力の差が、人間と彼等の間には存在する。
正直、戦いを観察しても参考にすらならない。ただ『凄い』という感想しか出て来ない。そんな戦いが彼女の目の前で繰り広げられていた。
「本当に大変なことになっていますよ。ところで、あなたがどうしてここにいるか、お訊きしても?」
「あちゃ〜、見つかっちゃったか。甘粕さんはお仕事?」
事情を余り訊かれたくないのか、恵那は飄々と甘粕の質問をスルーする。
そんな恵那の態度から事情を察してか、甘粕は少し困った顔で彼女の質問に答える。
「ええ、本当は給料以上の仕事をしたくないんですけどね。今日はそうも言っていられない状況です」
あちらこちらで戦闘が勃発していて、正史編纂委員会のメンバーが総出で住民の避難と情報収集にあたっているが、どこから手を付けていいのかわからない状況に陥っていた。
幸いにもエリカから連絡をもらった時点で避難を始めていたこともあって、今のところ奇跡的に死人は出ていないが、三田通りは怪獣でも通った後のように半壊しており、その先にある東京タワーは復旧が不可能なほど完全に倒壊していた。
更にはこの大雨で川は氾濫し、一部では浸水の被害まで出ている。甘粕が愚痴を溢すのも無理はなかった。
「魔王方の三つ巴の争いに加え、アテナまで登場とあっては、もはや収拾のつけようがありません。正直お手上げです」
「どうして、こんなことに?」
「それはこちらが聞きたいくらいです。どう言う訳か、ひかりさんがヴォバン侯爵に連れ去られ、正木太老と草薙さんが助けに向かったみたいですが……その後は草薙さんが大暴れして東京タワーが倒壊する騒ぎ。あとはご覧の有様でして、侯爵が街に狼を放ち、その狼を狩る謎の生物が現れ――もう街中が大混乱ですよ」
遠い目で空を見上げる甘粕。もう、彼のライフポイントは底を尽きかけていた。
こんな騒ぎ、どうやって事態を収拾すればいいのやら見当もつかない。一般人に知られないように情報を隠蔽するにしても限度がある。ネット上でも様々な憶測が飛び交っている始末で、某掲示板でもお祭り騒ぎとなっていた。
「ひかりが連れ去られた……? え、なんで?」
「それが不思議なんですよね。正木太老のマンションの前で連れ去られたそうなのですが、何故そんな場所にいたのか……。委員会の方でも正木太老に関しては慎重に情報を管理していたはずなので彼女が知るはずもないのですが……」
何かに気付いた様子で、そーっと甘粕から目を逸らす恵那。心当たりがあったからだ。
祐理の家に忘れてきたメモ用紙。まさかあのメモ一つで、そんな大騒ぎに発展しているとは思いもよらず、恵那にしても寝耳に水の話だった。
「何か、心当たりがお有りなので?」
「う、ううん! な、なんでもない。なんでもない! 恵那は何もしらないよ!」
動揺した恵那は首を左右に振って否定する。しかし、その必死さが逆に怪しかった。
……TO BE CONTINUDE
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