「その首もらったぞ! 神殺し!」
漆黒の大鎌を構え、閃光のような速さで間合いを詰めるアテナ。
闇の刃がヴォバンの首を刎ねようとした、その時――
「これは……」
銀色に輝く体毛。首を刎ねるはずだった一撃は、アテナの身体より巨大な腕に食い込み阻まれていた。
危険を感じ取ったアテナは大鎌を手放し、巨大な腕を蹴って後へと大きく飛び退く。
先程までアテナがいた場所を鉄の塊のような豪腕が襲い、地面を大きく陥没させた。
「狼……!? それが、あなたの真の力か」
「ふむ。よくぞ、今のを躱した。さすがはアテナと言ったところか」
アテナは瞠目した。
ヴォバンの姿が、優に三十メートルを超す巨大な銀の狼へと変貌していたからだ。
「狼……大地の神か? いや、これは――」
「どうした! 逃げてばかりでは戦神の名が泣くぞ!」
まさに怪獣と子供の戦いだ。本能の赴くまま暴れる野獣とも言えるヴォバンの猛攻を、アテナは紙一重で躱していく。
豪腕から発せられる衝撃で地面は陥没し、街路樹や建物は風圧だけで薙ぎ倒されていく。
アテナと言えど、幼女の身体でその一撃をもらえば危ない。召喚の魔術で再び大鎌を呼び出し、アテナは攻撃に備えた。
「そうか、その力――」
アテナは幾度かの攻防でヴォバンの力の正体を見切った。
闇の女神だからこそ、気付けた違和感。闇のなかに隠れる僅かな光の正体をアテナは見逃さなかった。
闇を統べる女王、アテナを智慧の女神たらしめる機知――それがヴォバンの権能を見抜かせたのだ。
「ほう、我が権能の正体をこの僅かな間に見切ったか。さすがは智慧の女神。しかし――」
見抜かれたところで問題はないとばかりに、ヴォバンは間合いを詰める。
先程よりも速い動きで、閃光と化したヴォバンの動きに対応しきれず、アテナは防御の姿勢を取った。
「ぐっ!」
アテナの身体が、まるでゴムボールのように軽く弾け飛んだ。
幾つもの家屋を貫通し、百メートルほど弾き飛ばされたところでアテナは身を回転させ、手にした鎌を地面へと突き刺す。
ガリガリとアスファルトの地面を削りながら後退するアテナ。
摩擦の熱で火花が飛び散り、ゆっくりと勢いが減少したところで動きを制止する。
「くっ、なんという馬鹿力だ」
これでは、どちらが化け物かわかったものではない。
さすがは数多の神を嗜虐してきた最古参の魔王と言ったところか?
大地と闇の神格を持つ最強の女神と言えど、今の状態では分の悪い相手だった。
「つまらん……何故、本気で戦わん。アテナよ」
退屈そうに侮蔑の視線をアテナへと向けるヴォバン。
アテナほどの大神がこの程度のはずがない。何かを気に掛けて戦っていることは明らかだ。
ヴォバンは周囲を見渡す。幾つか、強い呪力の反応を感じる。そのなかに、ひかりとリリアナの姿を見つけた。
「そうか、あの者達を気に掛けているのだな」
アテナの力は強大だ。全力を振るえば、少なくない被害を周囲に及ぼす。
全力でヴォバンと戦えば、近くにいるリリアナやひかりを巻き込んでしまうことをアテナは危惧していた。
そのため、ヴォバンに気付かれないように距離を取り、人気のない方へ彼を誘導していたのだ。
「最強の闇と恐れられる女神が人間の小娘を気に掛けるなど、神の振る舞いとは思えぬな」
「妾も不思議に思っておるよ。以前の妾なら何の枷もなく、闘争本能の赴くがまま力を振るったであろう。しかし妾にはある男との約束が――枷が出来てしまった」
太老との約束をアテナは律儀に守っていた。太老がアテナに望んだのは戦いに明け暮れる日々ではなく人間らしい生き方だ。
どこまでそれを守れるかはわからない。しかし、元々アテナは人間と関係の深い女神でもある。
自由奔放で身勝手な神が多いなかで、アテナは人間に恩恵や繁栄を与えてきた守護の女神でもあった。
荒ぶる神としてこの世界に顕現したアテナだが、太老との出会いが少しずつ彼女のなかの神格に影響を与えていた。
「よかろう。ならば、私がその枷を取り払って……」
途中まで口にしかけた言葉をヴォバンは呑み込む。その表情に困惑と怒りが滲んでいく。ようやく彼は街に起こっている異常に気付いた。
驚愕した様子で跳び上がり、空から街を見渡すヴォバン。
「我が猟犬共が……何者の仕業だ!?」
怒りで顔を歪ませるヴォバン。
彼とて、無限に狼を呼び出せるわけではない。その数は多くて数百と言ったところ、千には届かない数だ。
街に放った狼の数は二百ほど。それが何者かの手によって葬られ、僅かに残った狼達も時間の問題と言ったところまで数を減らしていた。
「なんだ、この生き物は……まさか、神獣か?」
ヴォバンの目が怪しい輝きを放つ。離れた場所にいる狼の目から、ヴォバンは何が起こっているのかを確認する。
神獣――いや、まつろわぬ神にも匹敵する強大な力が街全体を覆っていた。
ボールのように丸く小さな白い生物に、抵抗すら出来ず倒されていく狼の姿を見てヴォバンは驚愕する。
「くっ……」
ヴォバンは苦々しい表情で唇を噛む。『貪る群狼』は確かに使い勝手のよい権能だが、その狼達を生み出しているのは彼の呪力だ。カンピオーネの呪力が幾ら人間に比べて並外れているとはいえ、その力は有限だ。無理をすれば、いつかは限界が来る。
その気になれば何度でも狼を呼び出すことは可能だが、また狩られるとわかっていて無駄に呪力を消費するほどヴォバンは愚かではなかった。
戦いを有利に進めているとはいえ、消耗した力で勝てるほどアテナが楽な相手でないことはヴォバンも理解していたからだ。
「ならば、我が従僕を使わすだけだ」
闇が地面を這い、ヴォバンを中心に広がっていく。そこから現れたのは、ヴォバンに命を刈り取られた数多の戦士のなれの果てだった。
死せる従僕は狼と違い、倒されれば再召喚まで数日の時間を必要とする。その上、魂を牢獄に繋ぎ止めた者しか呼び出せないとあって数は有限だ。
しかし、なかには狼よりも強力な騎士や魔女がいる。狼でダメなら量より質。そう考えたヴォバンは選りすぐりの従僕を召喚した。
「死せる従僕――これには、こういう使い方もあるのでな」
十や二十ではきかない数。百を超す死者の軍勢が闇より現れる。
生前は名を馳せ、勇敢にも魔王に挑み散っていた勇者達。そのすべてがエリカやリリアナと同格の騎士や魔女だった。
異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第18話『死者の軍団』
作者 193
「これは……」
リリアナは目の前に突如現れた死者の軍勢に息を呑む。数体までなら、どうにかなった。しかし数の暴力の前では、個の力など限界が知れている。
飛翔の術を使い空を飛んで逃げることも考えたが、向こうにも魔女がいる限り、それは難しいだろうとリリアナは考える。
飛翔の術は小回りのきく術ではない。飛んでいるところを狙い撃ちにされれば、そこで終わりだ。ましてや、ひかりを連れてでは満足に動き回ることも出来ない。
「万里谷ひかり、ここは私が時間を稼ぎます。逃げてください」
「そんなのダメです。さっきだってリリアナさんは一人で……私も戦います」
「無茶だ。二人で戦えば、どうにかなるという問題ではないのですよ?」
「それはリリアナさん一人でも同じことですよね? だったら、私も戦います。恐いけど……もう、お姉ちゃんの時のような思いをするのは嫌なんです!」
ひかりは、四年前の姉の姿をリリアナに重ねていた。
魔王に連れ去られた娘を見捨てることでしか、残された娘を守れなかった両親の悔しさ。ひかりはそんな両親の苦悩を傍で見てきた。
そして、そんな両親や姉に守られ、何も出来ない自分が一番情けなかった。
この四年間、媛巫女の修行を今まで以上に頑張ってきたのは、あの時のような悔しい思いをしたくなかったからだ。
無謀だということはわかっている。それでも譲れないものがある。ここでリリアナを見捨てて逃げたら、きっと一生後悔する。ひかりはそう考えた。
「……やはり、血は争えませんね。ですが、あくまで支援だけです。私が前衛を務めます」
「はい、任せてください! 多少なら呪術の心得もあります!」
リリアナは観念したと言った様子で、そんなひかりを見て微笑みを浮かべた。
思えば侯爵を裏切ったのも、ひかりに四年前の祐理の姿を重ねていたのかもしれないとリリアナは思う。
万里谷祐理は出会った当初、誰よりも臆病で無口な少女だった。一言も話さず部屋の隅で一人震える彼女を見て、リリアナは不憫には思いながらも心のどこかで臆病な少女だと蔑んでいた。
しかし誰が先に儀式場へ赴くかを決める場で、脅える少女達の模範となって誰よりも先に儀式場へ赴き、皆の心の支えとなったのは他の誰でもない――万里谷祐理だった。
自分にも出来なかったこと。それをあっさりとやってみせた祐理の強さに、リリアナは敬意を表した。
ひかりもそうだ。恐くないはずがない。それでも彼女は小さな身体を震わせながら、果敢に目の前の脅威に抗おうとしている。
これで二度目だ。この姉妹に騎士とはどうあるべきかをリリアナは教わった。
だからこそ、守りたいと思った。ひかりを、目の前にある命を。騎士として、王の暴虐に屈するわけにはいかない!
リリアナが覚悟を決め、迫る死者の群れに剣を向けた、その時だ。
「――後に跳んで!」
見知らぬ誰かの有無を言わせぬ声に反応し、リリアナは咄嗟にひかりを抱え後ろへ飛ぶ。
次の瞬間――死者の軍勢の先頭を、膨大な呪力を宿した巨大な斬撃が薙ぎ払った。
「恵那姉様!」
なんの前触れもなく現れた黒髪の少女を見て、ひかりは驚きの声を上げる。
それは、清秋院恵那――万里谷祐理の親友にして『剣の媛巫女』の二つ名を持つ少女だった。
ひかりの無事を確認して笑みを浮かべると、すぐに目の前の軍勢に向かって恵那は鋭い視線を向ける。
「天叢雲劍に願い奉る! その影をここに示現し給え!」
少女の右手に握られた白銀の剣が黒く変色し、剣の力が恵那へと流れ込んでいく。
「まさか、あれは降臨術か!?」
リリアナは驚愕する。それもそのはず、欧州ですらここ数百年は現れていない稀有な能力だ。
極限まで己の力を無へと近付け、神の力の一端を人の身に宿す神がかりの力。
恵那が使うのは天叢雲劍。別名『草薙の剣』とも呼ばれ、嘗て二人の英雄が振った神剣だ。
「さすがに、これだけの数を相手にするのは厳しいかな。でも……」
肉体への負担が大きく、恵那の降臨術には時間制限がある。それに一対一なら負けない自信が恵那にはあるが、これだけ大勢の敵を相手にした経験はない。
しかし、無理に勝つ必要はない。ようするに負けなければいいのだ。
今頃は甘粕が『王』を呼びに行っているはずだ。だから今は少しでも時間を多く稼げれば、それでいい。
自分のやるべきことを確認した恵那は、身体に宿した神の力を解放した。
「メイドさん、ひかりをお願い。必ず守ってあげて」
「メ……メイドではない! リリアナ・クラニチャールだ。お前は一体……」
「話はあと、とにかく頼んだよ!」
リリアナにひかりを託し、恵那は飛び出す。神の力を身に宿し、風となって嵐の中を駆け抜けた。
◆
道の真ん中で言い争う二人の男。
「こっちが爺さんだと思ったのに、なんでお前がいるんだ……」
「それはこっちの台詞だ。万里谷の妹を助けにいったんじゃなかったのかよ!?」
「そのつもりだったのを、お前が邪魔したんだ。危うく生き埋めになるところだったんだぞ?」
「先にアンタが俺達を囮にしたからだろう? 他人の所為にするな!」
正木太老と草薙護堂の二人だ。どっちもどっちといった言い争いをする二人に、周囲は冷たい視線を向ける。
カンピオーネが関与した時点で作戦なんてあってないようなものだ。作戦通りに上手く行くとは考えていなかったが、ここまで酷いとは……。
やはり魔王と魔王を混ぜるのは危険だと、エリカは今回の件で痛感した。
「……本当に大丈夫なんですか?」
「魔王は同じ魔王にしか倒せない。不安でも、あの二人に任せるしかないわね」
不安げに質問をする甘粕に、エリカは投げ遣りな答えを返す。
お互い似た性格をしているので、どこか反発し合う部分があるのだろうとエリカは察した。
「言い争ってる場合じゃないな……」
「ああ、早く万里谷の妹を探さないと……」
和解とまではいかなくても、互いにやることはわかっていた。だから、今は矛を収める。
基本的には切り替えの早い二人だ。まず優先すべきことは、ひかりの安否の確認。そしてヴォバンを止めることだ。
結論の出た二人の行動は早かった。すぐに太老はモノクルで残りの反応を確かめる。先に護堂のところにきたのも反応が近かったというのと、マンション近くにアテナの反応を察知し、彼女なら簡単にヴォバンに負けるはずもないと信用していたからだ。
とはいえ、心配なことに変わりはない。太老からすれば、ひかりも心配だがアテナも大切な家族の一人であることに変わりはなかった。
「取り敢えず、俺はヴォバンのところへ向かう。この反応……アテナが戦ってるみたいだしな」
「アテナが!? いや、でもなんで……」
「そんなのは、あのロリコンに聞いてくれ。とにかく俺は行く」
「場所がわかるのか?」
「こいつで位置を捕捉してるからな。と言っても、わからないだろうけど」
護堂のことをバカにしたわけではない。そもそも太老達の世界とこの世界では技術力の差がありすぎるのだ。
モノクルの仕組みを説明したところで、この世界の人間にはさっぱり理解できないだろう。
高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない。詳しく説明している時間はないし、無駄なことは太老もしたくなかった。
「なら、俺もそこに連れて行ってくれ」
護堂の申し出に目を丸くする太老。
少し逡巡するが、いつになく真剣な護堂の目を見て、首を縦に振って答える。
「さっきは悪かったな。一緒にあの爺さんに一泡吹かせてやろう」
「あ、ああ!」
――幼女を大切にする奴に悪い奴はいない。
まさか、『可愛いものを愛でる』同志に認定されたと知らない護堂は、太老と固く握手を交す。
モノクルに表示された数字は『七二%』――決着の時が近付いていた。
……TO BE CONTINUDE
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