「アレクの件って、てっきりアリスの差し金かと思ったんだけど」
「どれだけ信用ないんですか、私……」
「いや、桜花ちゃんが『アリスお姉ちゃんなら、そのくらいやりかねない』と言うもんだから」

 アリスが涙ながらに事情を説明し、ようやく誤解だとわかってもらえた頃には、とっくに外は暗くなっていた。
 事情はどうあれ、あの場に招かれざる客(アレク)≠連れてきたのはアリスだ。桜花が警戒するのは無理もないのだが、アリスとしては今一つ納得が行かない。とはいえ、自分の立場は理解しているのか、何も言わずジッと我慢する。
 それだけ、零式の『尋問』とは名ばかりの『拷問』は堪えたらしい。実際のところ、ただのくすぐり攻撃だったりするのだが、体力が尽きると太老特製ドリンクを飲まされ、体力が回復したところで再びそれを繰り返す。まさに、それは終わりのない地獄だった。
 お陰で着ていたドレスはぐちゃぐちゃで、着替えもなくメイド服を借りている有様だ。
 太老が席を外していた理由も、アリスの今の姿を見ればわからないでもない。

「ううっ……私、汚されました。嫁入り前ですのに……」
「大丈夫。アリスお姉ちゃんはとっくに汚れてると思うから!」
「それはどう言う意味ですか!?」

 桜花の余りの言いように、さすがのアリスも反論する。

「まあまあ、二人ともそのくらいにしとけ。それに、アレクの件はこちらにも責任がある。アリスだけを責めるわけにもいかんだろう」

 太老のその言葉に、ほっと胸を撫で下ろすアリス。
 誤解を生むことになった件は、根回しを怠ったアリスの不手際ではあるが、アレクの一件に関しては零式の所為でもある。零式のマスターとして、自分にも少なからず責任はあると太老は考えていた。
 そのことに関しては納得しているのか、桜花もあっさりと矛を収める。

「それにしても、アレクサンドルの目的は結局なんだったのでしょうか?」
「零式が集めたお宝じゃないのか?」
「だからこそです。言ってはなんですが、簡単に引き下がるとは思ってもいませんでした」

 一悶着あると思っていたからこそ、アリスはアレクの動向を警戒していたのだ。
 太老がどれほどの実力者であろうと、『青い悪魔』の異名を持つ零式が傍にいようと、いざ戦闘となれば勝敗に絶対はない。数の差や実力だけで勝敗が決まるのであれば、彼等はカンピオーネなどと呼ばれていない。人の身で神を殺すとは、そう言うことだ。
 ましてや、アレクサンドル・ガスコインは真っ向勝負を得意とする王ではない。知略を巡らせ、策謀を駆使し、勝利を手にする異色の王だ。戦いとなれば、ありとあらゆる手で勝利を得ようと画策するだろう。

「何か、裏があると?」
「はい。あの人が、この程度で諦めるとは思えません。きっとまた何かよからぬことを企んでいるに違いありません!」

 太老がこれまで対峙してきた王達とは、毛色が違う。
 きっとまた、とんでもない悪巧みをしているに違いないとアリスは考えていた。
 しかし、桜花の考えは少し違っていた。

「悪巧みね……。お兄ちゃんを相手に、それは悪手だと思うけど」
「それは、どういうことですか?」
「姫様も体験済みでしょ。お兄ちゃんを利用しようとして、その結果どうなった?」
「うっ……」

 ただの偶然と言ってしまえば、それまでだ。しかし、それを偶然と言い切ってしまっていいものかわからない。その所為でアリスは今、逃れたくても逃れられない厄介な状況に立たされていた。
 まず第一の誤算は、こんなにも早く守蛇怪の問題が解決するとは思ってもいなかったことだ。
 イタリア政府の頑張りもあるだろうが、それ以上に世界が魔王を恐れた結果でもあった。
 そのため、アリスが考えていたよりもずっと早く、太老はイギリスへ渡ることが出来た。

 第二に、アテナの件だ。まさか、太老とアテナが接触していると思っていなかったアリスは、タイミングの悪いことに、その時、屋敷へ幽閉されていた。そのため、太老と連絡を取ることが出来ず、事態の把握が遅れてしまったのだ。
 その結果が、英国全土を巻き込んだ大混乱だ。
 カンピオーネだけならまだしも、まつろわぬ神まで一緒とあっては誤魔化すことも出来ない。

 第三は、アレクサンドル・ガスコインの介入。このことによって、アリスは後に引けなくなった。
 まさに英国存亡の危機。今更『私が黒幕でした。魔王とアテナをイギリスへ招き入れたのは自分です』などと事実を告白できるはずもない。このことが明るみに出れば、アリスだけでなく、彼女の実家の公爵家とて厳しい立場に立たせられる。
 それに議長の座を退いているとはいえ、アリスは賢人議会に席を置く幹部の一人だ。本来『魔王』から英国と女王を守る立場にあるはずの賢人議会が、魔王に加担し、まつろわぬ神を国に招き入れたとなれば、彼等の存在理由を揺るがしかねない。例え上手く事態を収拾できたとしても、女王の信頼を失い、今後の活動に大きな禍根を残すことになるだろう。

 太老を利用したつもりで、逆に大きな弱みを握られてしまった。
 今、アリスは太老に連れられて『守蛇怪・零式』の船内にいる。英国の平和のために生け贄となり、魔王に身柄を引き渡されたことになっているからだ。
 ちょっと屋敷の外に出て、自由を満喫できればそれで十分だったのに――
 それも今となっては、太老の許可なく屋敷に帰ることも出来ない。いや、どんな顔をして帰ればいいというのか?

「わかった? まだ、真っ向勝負の方が望みがあるってこと」

 どこで間違えてしまったのか?
 アリスはこれからのことを考え、ガックリと肩を落とした。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第16話『転落する者』
作者 193






「それで、お兄ちゃん。これから、どうするつもりなの?」
「予定通り、調べ物をしたいところだけど」

 アリスとの約束もあったが、それは言ってみればついでだった。
 最後の王の調査は継続中だ。そのため、賢人議会の秘蔵する魔術書や文献を見せてもらうつもりでいたのだ。

「王の勅命であれば、従わざるを得ないでしょうけど……」

 無理にでも従わせることは可能だ。魔王には、それだけの力がある。
 しかし、アリスの件で相当な無理を彼等には強いている。
 これ以上、賢人議会を刺激するのは避けた方がいいとエリカは考えていた。
 そこのところは太老もわかっている様子で――

「ちゃんとお願いすれば、わかってもらえないかな?」
「無理ね。今の太老って、欧州に限定すればヴォバン侯爵より悪名は上よ。歴代のカンピオーネで一番酷いかも……。正直、出会ったばかりの頃は、これほど魔王らしい魔王になるとは思ってもいなかったわ。もう、どこにだしても恥ずかしくない魔王様よね」

 嬉しくない評価だ。
 零式のやった悪行も上乗せされているのだから、当然と言えば当然の結果だが、太老からすれば余りに酷い評価だった。
 今の太老が下手に出たところで、本人はお願いしているつもりでも、相手からすれば脅迫にしか取れない。魔術師達からナマハゲの如く恐れられる『青い悪魔』を従え、二人の魔王を撃退し、イタリア艦隊を壊滅に追い込み、東欧を支配下に置き――
 更には、まつろわぬ神を率いて英国を脅し、賢人議会の膝を折らせた魔王のなかの魔王。
 それが、カンピオーネ――正木太老に対する世間の評価だ。

「なんで、そんなことに……」

 頭を抱える太老。本人にその気はなくとも、これが現実だった。
 一度はカンピオーネらしく振る舞うと決めた心が、早くも折れそうになる。
 とはいえ、今更『俺、カンピオーネじゃありません』と言ったところで、誰も信じてはくれないだろう。

「なんだか、今のお兄ちゃんって瀬戸様みたいだね」
「ぐはっ!」

 確かに外にも内にも恐れられているという意味では間違っていない。
 神木瀬戸樹雷。銀河最大の軍事国家『樹雷』、その実質的な裏の支配者と恐れられる、あの『鬼姫』だ。
 魔王の名すら霞んでしまうような存在。実際にあちらの世界で太老は、海賊達から『鬼の寵児』と恐れられていただけに、桜花の言葉には説得力があった。
 しかし『瀬戸様みたい』と言われて素直に喜べるわけがない。太老からすれば、瀬戸は絶対に比較して欲しくない人物の一人だった。


   ◆


「それで、太老は?」
「部屋に引き籠もったまま出て来ない。余程ショックだったみたい」
「太老がそこまでショックを受けるなんて、少し会ってみたいわね。その『瀬戸様』という方に」
「やめておいた方がいいと思うけどね。でもまあ、エリカお姉ちゃんなら大丈夫かな?」

 どうなってもしらないけどね、と付け足すことを桜花は忘れない。
 太老はと言うと、『魔王のなかの魔王』どうこうよりも、桜花に『瀬戸様みたい』と言われたことの方がショックだったらしい。あれから夕飯も食べず、ずっと部屋に引き籠もっていた。
 こうなったら、立ち直るまで放って置くしかないだろう。
 何気なく口にした一言だったのだが、ちょっと失敗したな、と桜花は反省していた。

「まあ、いつものことだし、お兄ちゃんは放って置いても大丈夫でしょ。それでエリカお姉ちゃん、これからどうするの?」
「そうね。少しでも『最後の王』に関する情報を集めたいところだけど……」

 太老にも言ったが、それは難しいだろうとエリカは考える。
 アリスがこちら側にいるとはいえ、賢人議会の協力は得られないと思った方がいい。アレクの目論見がわからない以上、王立工廠との接触も避けるべきだ。英国を代表する二大組織と事を構えているこの状況においては、現地の魔導師の協力も得にくいだろう。
 まさに八方塞がりの状況だ。それこそ前言を撤回して、王の強権を発動するくらいしか思いつかない。

「それなら、提案があります」

 予想もしなかったところから声が掛けられる。アリスだ。
 タイミングを見計らったかのようなアリスの登場に、エリカは怪訝な表情を浮かべた。

「そんなに警戒されると、さすがに落ち込むわ」
「なら、警戒されるようなことをなさらないでください」
「それを言われると辛いのだけど……」

 エリカの厳しい一言に、アリスは困った様子でため息を吐く。
 一度失った信頼を取り戻すのは簡単なことではない。それはアリスもわかっている。
 警戒されるのは当然のことだ。それでも、こうなったからには仲良くしたい。アリスに出来ることといえば、これ以上、英国と太老の関係を悪化させないことだ。
 そのために何が出来るかはわからない。それでも太老に協力することで、少しでも失った信頼を取り戻せれば、とアリスは考えていた。

「それで、お話というのは?」
「聞く気はあるのね?」
「正直、手詰まりなのは確かですから」
「目的のためなら私情は挟まない。それが王のためなら当然よね。さすがはパオロの姪、今代の紅き悪魔ね」

 どこまで本気なのかわからないが、アリスに敵意がないことはエリカにも伝わっていた。
 エリカはアリスのことを信用しているわけではないが、彼女の実力は認めていた。
 天の位を極めた魔女、白き巫女姫、賢人議会前議長。魔女としての力はリリアナを凌ぎ、ルクレチアに並ぶほど。
 魔術に関する造詣が深く、こと魔王に関する知識では彼女以上の専門家は英国にいないだろう。
 確かに、この件に限って言えば、これ以上頼りになる相談役はいない。そこはエリカも認めていた。

「大丈夫だよ、エリカお姉ちゃん。お兄ちゃんを利用しようとすればどうなるか、アリスお姉ちゃんは身をもって体験済みだから――ね?」
「ええ……さすがに二度も同じ過ちは犯しません」

 桜花に警告されるまでもなく、アリスの魔女としての勘が、今回の一件は偶然ではないと囁いていた。
 確固たる証拠があるわけではない。太老が何をしたのか、説明すら出来ない。
 これは高い精神感応力を持つ、アリスだから気付けた違和感のようなものだった。


   ◆


 アリスから聞かされた話。それは賢人議会の機密内容だった。
 賢人議会のホームページには会員であれば、誰でも目を通すことが出来るレポートが掲載されている。そのなかでも更に特別なメンバー。賢人議会の中枢、ディオゲネス・クラブのメンバーにのみ公開されているレポートに、それは記されていた。
 アリスから聞かされた六年前の事件の詳細。
 著者『アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール』のサインもそこにある。

「まつろわぬアーサーが、六年前に顕現していたなんて……」

 このことをルクレチアは知っていたのだろうか?
 上位の魔女だけが持つ、特別なネットワークがあると聞く。これほどの事件だ。表沙汰にはされていなくても、恐らくは知っていたのだろう。
 しかし、組織の機密だ。簡単に口外出来ないのは当然と言えば当然。そのことで彼女を責めることは出来ない。
 アリスがこのことをエリカ達に伝えたのも、太老との約束があってこそだ。屋敷からアリスを連れ出すことを条件に、太老は改めて『最後の王』に関する調査協力をアリスに依頼していた。

「でも、プリンセスの話だと、まつろわぬアーサーは『最後の王』ではなかったという話だけど……」

 念のため、アーサーとの戦いがあった場所に、アリスが案内してくれることになった。
 賢人議会による調査結果は、このレポートに記されている内容がすべてだ。
 しかし、それはあくまで魔術による調査。太老の技術なら、或いは何かしらの痕跡を見つけることが出来るかもしれない。可能性としては低いが、『最後の王』に繋がる手掛かりが、今は一つでも欲しかった。
 ルクレチアから聞かされた話を、エリカはすべて鵜呑みにしているわけではない。最後の王が甦る時、世界の終末が訪れるとルクレチアは恐れているようだが、必ずそうなるとは限らない。
 しかし、何も起こらないと決めつけるのは早計だ。何があるのかわからない以上、警戒はしておくべき。そのためにも、まずは情報が欲しかった。
 そして、それは太老の目的にも繋がる。

「最後の王と共に眠る船ね……」

 太老が四年前から、ずっと探している物。世界の終末に現れる船。
 神話や伝承を辿れば、幾つかの予想は立てられる。しかし――

(賢人議会はどうして、まつろわぬアーサーのことを隠そうとしたの?)

 賢人議会はこれまでカンピオーネや、まつろわぬ神に関する情報を蒐集し、それを独自に研究。その成果を積極的に外部に公開をしてきた組織だ。その活動が認められ、今日(こんにち)の賢人議会がある。世界中の魔術結社が、賢人議会に一目を置く理由はそこだ。
 それが、この件に限って口を噤んでいる。そこにはなんらかの理由があるはず――

(六年前と言えば、プリンセスが議長を退いた時期と同じね。プリンセスの容態を隠したかった? いえ、違うわね。だとすれば――)

 エリカは口に出せない不安を感じていた。





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