「プリンセス……どうかされたのですか?」
「エリカお姉ちゃん。お願い、聞かないであげて……」

 太老と一緒に予定より早く工房から帰ってきたアリスは……真っ白に燃え尽きていた。
 行きしなの元気な姿は微塵もない。色々と精も根も尽き果てたと言った様子だ。
 ようやく意識を取り戻したのか、ぼそりと譫言(うわごと)のように呟くアリス。

「まさか、神獣を船のなかで飼っているなんて……」
「ああ、あれ宇宙怪獣。神獣なんかじゃないぞ」
「もっと非常識ですわ!」

 太老の余りに非常識な回答に耐えかねて、タガが外れたのか?
 アリスはツッコミによる復活を遂げた。

「ああ、そういうことね」

 アリスが何を見てきたのか察しが付き、エリカは嘆息する。
 エリカも太老の工房には船内を案内してもらった際、一度足を踏み入れているのだ。
 そこはまさに、ファンタジーの世界。現代の魔境と言って良い場所だった。

「大体、どうして船の中に森や空があるのですか?」

 アリスの疑問は無理もない。空には見たこともない星が浮かんでいて、現実にはありえない大きさの植物が生い茂っている光景は、何度目にしても夢でも見ているのではないかと錯覚するくらいだ。
 太老の工房は、守蛇怪・零式のなかに固定された亜空間にある。地球をモデルに作られた人工惑星そのものが、太老の工房となっていた。
 生活区画やレジャー区画に危険な動物はいないが、研究区画と実験区画には宇宙や異世界で拾ってきた様々な生き物が放し飼いにされている。なかには獰猛な生き物も混ざっており、アリスが見たのはそうした危険生物の一種だ。
 しかし、その程度はまだ序の口と言っていい。

「どっちかと言うと、まだ怪獣の方が危険も少なく可愛らしい方だけどね。お兄ちゃんの製作した道具のなかには、物質を分子レベルにまで分解するものもあるから……」
「何故、そんな物騒なものを……」

 桜花の話に一定の理解を見せるも、何故そんな物騒なものを作ったのか?
 不安になり、アリスは探るような視線を太老に向ける。
 実際ここにいる怪獣達を世に解き放つだけで、世界を混乱の渦に陥れることが可能だ。
 世界を支配することも、破滅させることも可能な戦力がここには揃っている。
 はあ、とため息を漏らしながら、そんな面倒なことをするつもりはないとばかりに、太老はアリスの考えを否定する。

「前にイタリア艦隊を消滅させたあれだよ。非生命体である物質のみを分解して光の塵にする技術だ。敵を殺さず、装備だけを無力化するのに向いてるんだよ」

 なるほど、と取り敢えず納得するアリスだが、その技術が悪用された時のことを考えると、やはり素直には喜べない。太老にそのつもりはなくても、人間の手にその技術が渡れば、争いの火種となることは察しが付く。
 そんなアリスの不安を察してか、太老は『そんなことにはならない』と否定する。

「大丈夫だよ。この手の技術を広めるつもりはないから」

 基礎技術が追いついていないのに、理解の及ばないオーバーテクノロジーを渡したところで手に余るだけだ。
 それに意図的に説明を避けているが、実際にはもっと物騒なものが太老の工房には転がっている。この守蛇怪・零式とて、地球規模の惑星くらいなら一撃で宇宙の塵に出来るほどの力を有しているのだ。
 哲学士には、そうした危険な技術を管理する責任がある。銀河連盟条約で、初期段階文明への干渉が禁止されている以前の話だ。
 パオロに技術提供をする際にも、太老はその哲学士の原則を徹底していた。

「それでは、この空間も太老様の力≠ネのですか?」
「いや、これは零式の力だ」

 太老の説明に驚きながらも、確かにあの『青い悪魔』なら、とアリスは納得する。
 それよりも、それほど強大な力を持った悪魔を従えている太老の力にアリスは戦慄した。

(まさしく、最強の魔王ですわね)

 想像を遥かに超えた知識力と、現代の常識では量れない非常識な技術力。
 出来ないことなどないのではないかと思えるほど多彩な能力を持ち、戦闘ではあのヴォバンやドニを圧倒するほど。
 歴代の魔王のなかでも、比肩する者が存在しないほどの能力の持ち主であることは疑うべくもない。

(これを権能とするなら、差し詰め『創造の叡智(クリエイティブ・ウィズダム)』と言ったところでしょうか?)

 太老の力の本質は『戦う者』ではなく『生み出す者』だ。
 そして、創造と破壊は一対の力。創造することが可能なら、逆も不可能ではない。
 太老の力の一端を垣間見た気がして、アリスは言葉に出来ない寒気を感じた。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第18話『生体強化』
作者 193






 ロンドン港を後にした守蛇怪・零式は、英国の南西、サマセット州へと進路を取った。
 六年前、『まつわぬアーサー』が顕現したとされる場所を調査するためだ。

「ううっ……」
「アリスお姉ちゃん、大丈夫?」
「まさか、船の上がこんなに揺れるなんて……。霊体で旅をしていた頃は、なんともありませんでしたのに……」
「だから、なかで休んでようって言ったのに……」

 折角なので船内に籠ってばかりでなく潮風に当たりたい、と言いだしたのはアリスだ。
 しかし、何年もベッドで寝たきりの生活を余儀なくされ弱っていた身体に、イギリス海峡の波は過酷だった。
 元々、余り身体が丈夫ではないのに無茶をした結果がこれだ。
 霊体で世界中を旅していた頃のような無茶を生身ですれば、当然の結果と言える。

「アリスお姉ちゃん、もうちょっと運動した方がいいよ。引き籠もってばかりで体力も落ちてるんじゃない?」
「人を引き籠もりやニートみたいに言わないでもらえませんか?」
「え?」
「ちょっと! なんですか、その『え?』っていうのは!」

 さすがに聞き捨てならないと、桜花に食って掛かるアリス。
 そんな二人の様子を見守っていたリリアナは、喧嘩になる前にとアリスのフォローに回る。

「プリンセスは生まれ持ち特殊な能力が備わっている所為で、身体が弱いと聞いています。その所為もあるかと……」
「能力?」

 特殊な能力と聞いて、桜花はリリアナの話に興味を持つ。

「精神感応の力です。魔女は蛇に連なる巫女の血統ですから、精神に作用する特別な力を持っています」
「魔女? それって確か、リリアナさんもだよね?」
「はい。ですが同じ魔女の血統とはいえ、私の力は勘が少し鋭い程度、と言ったところです。プリンセスは特別その力が強く、彼女の予言は外れたことがないと聞き及んでいます」
「そんなことはありません。少し、よく当たる占い程度ですよ……」

 そんなリリアナの評価に謙遜しつつ、アリスはゆっくりとベッドから上半身を起こす。
 少し休んで気分も落ち着いたのか、先程までと比べれば随分と顔色も良くなっていた。

(なるほどね。ネージュお姉ちゃんの力みたいなものか)

 桜花なりに納得した様子で、魔女の力を血統によって継承される先天性の能力と解釈した。
 精神に作用する力といえば、嘗ては宗教国家メルマスの巫女を務めていたネージュ・ナ・メルマスが似たような力を持っていた。
 大きな力には、それ相応の代償や制約が必要となるケースが多い。ネージュも、以前は身体を幼生固定することで、巫女としての力を保っていたと聞く。
 アリスの代償は、その病弱な身体なのだろうと推測が立つ。強すぎる力故に、脆弱な人の身体では能力の負荷に耐えられず、精神と肉体のバランスを崩しているのが、恐らく生まれ持ち身体が弱い理由だ。
 太老特製の栄養ドリンクに出来るのは、気力や体力の回復までだ。根本的な解決に至っていないのは、それが原因だろう。

(生体強化で肉体と精神の強化をすれば、アリスお姉ちゃんの身体を治せるかもしれない。でも……)

 この世界にない技術を用い、アリスの身体を治療すれば、彼女は一生その秘密を隠して生活をしなくてはいけなくなる。この世界に住む高位の魔術師や魔女は、若い姿のまま百年を超す時を生きる者もいると言う話だ。ルクレチアなど、その最たる例だろう。そのことから、年齢や見た目に関しては、ある程度の誤魔化しは利くことがわかっている。
 問題は病気や怪我をした際、病院で治療を受ければ、生体強化の痕跡が見つかってしまう可能性が高いことだ。
 最悪、今までのような生活は送れなくなってしまう。

(今は保留かな。後で、お兄ちゃんに相談しよ)

 見た感じ、すぐにどうこうなると言った様子ではない。このまま何もせずとも、普通に生きていく分には問題ないはずだ。
 問題は、大きな力を使う度に、アリスの寿命は確実に削られていくことだ。
 桜花としても救える命が目の前にあって、そんな風に死なれるのは寝覚めが悪かった。


   ◆


「はああっ!」

 守蛇怪の船内に設けられたトレーニングルームに、熱の入ったエリカの声が響く。
 あらゆる環境を再現できる他、加速空間を用いた訓練も可能な特別製の部屋。太老の騎士になると決めてから、エリカは毎日欠かさず行っている自主訓練と勉強の他に、この場所で実戦さながらの訓練に励んでいた。

「クオレ・ディ・レオーネ!」

 無数の敵の気配を感じ取り、呪文を唱えながら細剣を宙に放り投げるエリカ。
 次の瞬間、『不滅の獅子』の名を持つ魔剣が、百を超す鉄の矢となり炎に包まれる。

「鋼の獅子、煉獄の焔よ! 敵を薙ぎ払え!」

 エリカの合図で一斉に掃射された無数の矢が、異形の化け物達を貫く。
 辺り一帯が炎に包まれる。それでも、なお向かってくる狼にも似た異形に対し、エリカは召喚した剣を振う。
 斬り、突き、薙ぎ払い、舞うように剣を走らせる。

「くっ! ヘルメスの長靴(ちょうか)!」

 死角から迫る気配を感じ取り、咄嗟に言霊を唱え、空に跳んで逃げるエリカ。
 それは旅人の守護者にして魔術師の神、ヘルメスの名を冠した魔術。
 地上の束縛から解放され、鳥のような身軽さを術者に与えてくれる跳躍の魔術だ。

「次から次へと――ッ!?」

 地上から追い迫る影を、獅子の剣で払い落とすエリカ。
 しかし、その時。
 彼女の頭上に巨大な影が差した。

「まさか――」

 ゾクリ――と、エリカの背に悪寒が走る。
 天を覆い尽くす闇――それが、エリカが最後に目にしたもの。
 小さなビルほどある強大な狼と化した怪物に、エリカはそのまま丸呑みにされてしまった。


   ◆


「また、こっぴどくやられたみたいだな」

 目覚めたエリカが最初に目にしたのは、心配そうに覗き込む太老の顔だった。

「さすがにアレは無茶だと思うぞ」
「むう……」

 わかっていても面と向かって言われるのは悔しいのか、太老への対抗心からエリカは頬を膨らませる。
 しかし、エリカが挑戦していたのは、こちらの世界で集めた情報を元に太老が用意した、カンピオーネ・まつろわぬ神を仮想敵に想定した訓練プログラムだ。カンピオーネでもない普通の人間では、まずクリアできるはずもない難易度だった。
 日々の訓練で少しずつ強くなっているとはいえ、今のエリカでは太刀打ち出来るはずもない。

「でも、あのくらい出来ないと、太老の力にはなれない。そうでしょ?」
「いや、それは……」
「まつろわぬ神やカンピオーネとの戦いが、また何時あるともわからない。その時、あなたは私を頼ってくれる?」

 エリカの気持ちはわからないでもなかったが、それは無理だと太老は考える。
 そのクラスの敵が相手になれば、零式と桜花以外は戦力にならないと思っていい。
 太老でさえ、実際のところドニを相手に、それほど余裕があるわけではなかった。
 手段を選ばなければ勝てない相手ではないが、周囲に気を遣いながら戦うのは厳しいレベルの相手だ。

「私はカンピオーネ、正木太老の騎士よ。あなたの剣となり盾となり供に戦いたい。そのためなら、なんだってするわ。例え、無茶と言われることでもね」

 エリカの覚悟を目の当たりにし、太老は難しい表情を浮かべる。

「何をそんなに焦ってるんだ?」
「いつ死ぬかわからないからよ」

 いつも強気なエリカから、信じられないような弱気な発言が出たことで太老は驚く。

「簡単に死ぬつもりはないけど、プリンセスの話を聞いてから嫌な予感が消えないのよ」
「嫌な予感?」
「ええ……酷い胸騒ぎがするの。それは日に日に強くなっていっているわ」

 最後の王について調べれば調べるほどに、エリカの不安は大きくなっていく。
 その理由はエリカにもわからない。しかし、その不安が焦りとなって、彼女の行動に出ていた。
 太老にとってエリカ・ブランデッリという少女は、自信に満ち溢れ、とても強く、決して弱音を吐かない少女だった。
 しかし、これまで一度も見たことのなかった彼女の弱さに触れ、太老は少し考えを改める。
 一度死にかけているんだ。魔王や神と言った人智の及ばない化け物を相手にして、怖くないはずがない。

「大丈夫。少し頼りないかもしれないけど、皆は俺が守るよ」
「そこは『エリカを守る』と言って欲しいところだけど、あなたらしいわね」

 エリカはクスリと微笑みを浮かべる。
 何を言ったところでエリカが戦いを止めると、太老は思っていなかった。

「でも、太老に守られてばかりは嫌よ。私のプライドが許さないわ」

 なんとなく、こうなるような予感はしていたのだ。
 ただ、少しでも気持ちの支えになれば、と思ったことを口にしただけだ。
 でも『守る』と言ったそれは、太老の決意の表れでもあった。

「命を懸けるほどの覚悟があるなら試してみるか?」

 だからこそ、彼女の意思を確かめる。それが本物か否か。
 本人にその気があるのなら、その覚悟に懸けてみるのも一つの手かと太老は考えた。
 エリカには天賦の才がある。その上、努力家だ。
 一朝一夕には行かないが、強くなれる素養は十分ある。

「……太老が鍛えてくれるってこと?」

 そんな太老の提案を、少し訝しむエリカ。
 太老が相手になってくれるなら確かに経験は積めるが、それはこれまでの訓練とそう変わらないはずだ。

「いや、俺に教えられることは、ほとんどないと思う」

 魔術に関して言えば、太老は完全に素人。エリカに教えられるようなことは何もない。
 剣術や体術も、太老に教わるまでもなくエリカは達人レベルの使い手だ。
 ならば、何をするというのか?

「以前、エリカの身体を治療したことがあるだろう?」
「ええ……炭化した腕とかも綺麗に治療されてて驚いたわ」
「あれさ、見つけた時には心肺停止状態、全身酷い火傷で手足はもう使い物にならなくてな。手の施しようがなかった。だから――治療に俺の細胞を使ったんだ」
「……え?」

 一瞬、太老が何を言っているのかわからず、エリカは呆ける。

「細胞を使った? 太老の?」
「前より調子が良いって言ってただろう? リミッターをかけてる今でも、以前より身体能力は上がっているはずだしな。調子が良いのは、それでだ」
「は? え? リミッターって?」
「そのままだと生活が困難だから、少しずつ慣らしていこうと思ってリミッターをかけてたんだけど……? あれ?」

 話が噛み合っておらず、困惑した様子のエリカを見て、首を傾げる太老。

「俺、話してなかったっけ?」
「聞いてないわよ!?」

 エリカの怒声に、「あれ?」と笑って誤魔化す太老だった。





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