額に汗を滲ませ、鬼気迫る表情で黙々と積み木を積むエリカ。
「エリカ様、お待たせしました」
「ありがとう。そこに置いといて……」
エリカから頼まれたカプチーノを、指示通りテーブルの上に置くアリアンナ。
エリカはと言うと、プルプルと指先を震わせながら、慎重に最後の一段を山の上に積み重ねていく。
傍で見ているアリアンナも思わず力が入ってしまうほど、重苦しい緊張感に場は包まれていた。
「おはようー」
「おはようございます、桜花様。朝食は如何しますか?」
まだ少し寝ぼけ眼で食堂に顔を出した桜花を、笑顔で出迎えるアリアンナ。
さすがにエリカの世話係をしていただけあって、こうした所作は様になっていた。
現在、守蛇怪で働いているメイドは、リリアナ、カトレア、そして彼女――アリアンナの三名だ。
そのなかでもアリアンナは、メイド達を束ね、艦内の生活環境を取り仕切るリーダー的役割を担っていた。
魔術師としての才能は皆無でも、メイドとしての能力はカトレア以上と言って良い。
「んー、それじゃあ、もらおうかな」
「お飲み物のリクエストはありますか?」
「エリカお姉ちゃんと同じのを」
「畏まりました」
一礼をして立ち去るアリアンナを見送った桜花は、近くのソファーに腰掛けた。
そんな桜花の視線の先では、エリカが真剣な表情で積み木作業に集中していた。
生体強化を受けた者なら、誰もが一度は通る道。桜花も幼い頃にやった記憶がある。
「懐かしいなあ。それって、お兄ちゃんの指示でしょ?」
「ええ……最初は『積み木をしろ』って言われて首を捻ったけど、正直こんなに大変なんて……舐めてたわ」
エリカが太老に命じられた最初の訓練が、この『積み木』だった。
当初、子供の遊びと侮っていたエリカではあったが、すぐにその考えは間違いだったと気付く。
生体強化とは、筋肉や反射神経、運動中枢などをナノマシンによって別組織に再構成する技術のことだ。体力や運動能力は勿論のこと、環境への適応能力が飛躍的に向上され、寿命の延長すら可能となる。しかし、良いこと尽くめに思えるこの技術にも様々な問題は存在する。特に戦闘用に調整された生体強化は、力のコントロールが難しい。そのための訓練が、この積み木作業と言う訳だ。
謂わば、日常生活を送るのに必要な力加減を学ぶための、初心者用の訓練と言ったところだろうか?
一見すると簡単に思える作業だが、強化された身体で不安定な積み木を行うには、緻密なパワーコントロールを要求される。
慣れるまでは途方もない集中力を必要とし、一朝一夕にマスター出来るような技術ではなかった。
「その様子だと、あなたもこの身体≠フこと知ってたのね?」
「あの時、エリカお姉ちゃんを着替えさせたのは私だしね。でも、誤解の無いように言っておくけど、エリカお姉ちゃんを蘇生させるには、あれしか方法がなかったんだよ?」
「そう、やっぱり私はあの時、一度死んでいたのね……」
通常の治療では手の施しようがないほど、エリカは重症を負っていた。
心肺停止状態に陥っていて、死んでいたというのも間違いではなかった。
「普通なら手の施しようのない状態だったからね。私達の技術だって万能じゃないから」
桜花の世界には、例え心臓が止まっていても蘇生すら可能な医療技術があるが、その技術にも限界はある。
死亡から時間が経つほどに蘇生率は下がっていくし、今回のように大きく肉体を損傷している状態では、更に蘇生率は低下する。実際あの時は、通常の治療を行っても、エリカの蘇生率は二割を下回るほど低かった。
そこで太老の取った奥の手。それが太老の細胞を利用した人体の再構成だった。
「お兄ちゃんの体内に流れるナノマシンは特殊でね。手足は疎か、心臓だって復元が可能なほど再生能力が高いの。言ってみれば、今のエリカお姉ちゃんの身体には、お兄ちゃんの力の一部が宿っていると言っていい」
太老の身体には、特別なナノマシンが使用されている。それは『万素』と呼ばれる宇宙生物より採取した生体組織をベースに、白眉鷲羽が構築した生体ナノマシンだ。
万素にはブレーンと呼ばれる群れのリーダーが存在し、自分達より強い意思を感知すると、その意思を受け入れて行動する習性がある。ようするに肉体の一部に生体組織として融合した彼等の細胞は、宿主の身体を補完するために驚異的な回復力を発揮するわけだ。
太老や、彼の姉貴分にあたる魎呼。皇家の樹に匹敵する力を持つ伝説の海賊艦『魎皇鬼』の素体にも使われていることからわかると思うが、そのエネルギーは攻撃に転用すれば駆逐艦クラスの宇宙船を一撃で破壊するほどだ。
エリカの身体が、戦闘用に調整された生体強化のように途方もない力を秘めているのは、そのためだった。
「……私の中には太老の命が宿っているのね」
間違いではないが、誰かに聞かれたら誤解を生みそうな台詞だと、桜花は嘆息した。
異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第19話『妖精の願い』
作者 193
洗濯とベッドメイクを終え、朝の配膳をアリアンナに頼まれたリリアナは食堂に向かい、そこで桜花とエリカの会話を偶然耳にした。
――私の中には太老の命が宿っているのね。
最初、二人が何を話しているのか、リリアナにはよくわからなかった。
しかし、エリカが愛しそうに口にした、その言葉。
それはリリアナにとって、とても聞き逃せる言葉ではなかった。
(ご主人様の命だと? ま、まさかそれは……っ!)
恋愛小説を自作するくらい妄想力豊かなリリアナだ。
口に出来ないような大人の行為に及び、エリカが太老の子を授かったのではないか?
と言った妄想に行き着くのに、そう大した時間は掛からなかった。
(まさか、このまま私は用済みに……)
更に妄想はエスカレートし、皆に祝福されながらエリカと太老が結婚。
豪華なドレスに身を包んだ意地悪な夫人役のエリカに、毎日のようにいびられる使用人(自分)の姿が、リリアナの脳裏にイメージされる。
「ご、ご主人様は貧乳派ではなかったのか……っ!」
リリアナは壁に手を突き、どんよりとした暗いオーラを放つ。昨日まではエリカより優位に立っていたと思っていただけに、今は天国から地獄に突き落とされたかのような気持ちをリリアナは味わっていた。
しかし、落ち込んでばかりもいられない。
太老とエリカの関係が決定的になった今、リリアナは身の振り方を考えなくてはならなくなった。
――このままエリカを正妻と認め、身を引くか?
いや、身を引くなどありえないとリリアナは思い直す。それでは祖父の命に背くことになる。
それに相手は王だ。あのアテナすら毒牙に掛けた魔性の王。一人や二人で満足するはずがない。
まだまだ入り込む余地はあると考える。
「そうだ。まだチャンスは残されている!」
その時、リリアナは太老と交した約束を思い出した。
何でも一つ願いを叶えてくれる、と言った太老の言葉。その願い事を使えば、良い口実になると思い至る。
そう、例えば――
「この卑しいメス豚に、ご主人様のお情けをください」
「この卑しいメス豚にご主人様のお、お情けを……そんなこと言えるかっ!」
怒声を上げ、リリアナは顔を真っ赤にして、ハアハアと肩で息をする。
背後の気配に気付き、リリアナが殺気を放ちながら後ろを振り向くと、カレンが何やら残念そうな顔で頬に手を当て嘆息していた。
何かバカにされた気がして、リリアナはムッとした表情を浮かべる。
「大変、失望しました。リリアナ様」
「し、失望だと?」
「そうです。エリカ様に先を越されたというのに、未だにそんな悠長なことを言っておられるのですか?」
どこから話を聞いていたのかわからないが、カレンにはすべてお見通しだった。
しかし、カレンの言うことにも一理ある。エリカが太老とそういう関係にある今、これまで以上に頑張らないことには、太老のハートを射止めることなど出来るはずもない。リリアナの最終目標は、太老の愛人に納まることなのだ。
それがわかっているからこそ、リリアナもカレンの意見に何も言い返せない。
「しかし、私には……」
「このまま負けを認めるのですか? 嘗てライバルと目されたエリカ様との差は開く一方。太老様の寵愛を受けられず、このまま一使用人で終わるのであれば、リリアナ様の未来は閉ざされたままですよ?」
「それは……どう言う意味だ?」
まるで、もう後が無いと言われているような気がして、リリアナは不安に駆られる。
「これは、お伝えすべきか悩みましたが……青銅黒十字から新たな指示です。太老様の愛人になれないのであれば、例の作戦を実行に移せ、と」
「――ッ!? まさか、お祖父様が……」
自分に与えられた役目を思いだし、リリアナは唇を噛み締める。カレンの言葉は、これが最後のチャンスであることを示していた。
リリアナ・クラニチャールは正木太老に惹かれている。それは恋と言ってもいいだろう。思えば、ヴォバン侯爵の儀式に招かれ、太老に助けられた四年前のあの時から、リリアナは一目会っただけの青年に恋をしていた。
太老との再会は運命だとも思った。本当は真っ先に、四年前のお礼を言いたかった。
しかし、それは出来ない。彼を騙し、裏切っているのだ。
リリアナは、クラニチャールの人間だ。家を、組織を、祖父を裏切れない。
「リリアナ様……」
「私は……」
それでも、出来ることなら彼の信頼を裏切りたくない。
この船で太老と一緒に暮らすうちに、その想いは強くなっていった。
そんなリリアナの想いを感じ取ったカレンは、優しげな笑みを浮かべる。
「自信を持ってください、リリアナ様」
「カレン?」
「リリアナ様の気持ちを太老様に伝えましょう。想いは、きっと伝わるはずです」
これはリリアナの問題。カレンに手伝えることは少ない。
しかし、出来ることならば――リリアナには幸せになって欲しいとカレンも思っていた。
そんなカレンの励ましに背中を押され、リリアナもまた覚悟を決めた。
◆
「買い物に付き合って欲しい?」
「はい。お願いしても、よろしいですか?」
工房でリストアップした骨董品の整理を部屋で行っていた太老は、リリアナに例の『願い事』の話を持ち出され、その条件に買い物に誘われていた。
もっと別のことをお願いされると思っていただけに、余りに簡単なお願いに太老は拍子抜けする。
「そんなことで願い事を使わなくても、もっと別のことでもいいんだぞ?」
「いえ、太老様と二人で買い物に行きたいのです! 是非、お願いします!」
「あ、うん。そこまで言うなら……」
ズズッと身を乗り出してくるリリアナ。その迫力に、太老は思わず気圧されてしまう。
そこまで真剣にお願いされては、太老としても断ることは出来ない。
もっとも、願い事など使わずとも荷物持ちくらい付き合うつもりではいた。
「あ、ありがとうございます!」
太老から『OK』の返事をもらい、満開の笑顔を浮かべるリリアナ。
お礼を言うと頭を下げ、どこか軽い足取りでリリアナは去って行った。
「なんだったんだ?」
よくわからず、首を傾げる太老。まあ、別にいいかと作業に戻る。
夕方には港に着く。リリアナとの買い物は明日済ませるとして、準備も含めると調査に向かうのは三日後になるだろう。その間、エリカには積み木トレーニングで、力のコントロールを学んでもらうつもりでいた。
余り時間もないため、加速空間を使うことも考えたが、あれは肉体や精神に掛かる負荷も大きい。変な癖を付けないためにも、最初は地道に慣れていった方がいいだろう。
マスターするまでには至らないだろうが、三日もあれば、そこそこ制御できるようになるはずだ。
「後は、こっちをどうにかしないと」
これからの予定を考えながら、太老はリストに目を通していく。それもアテナのためだ。
このなかにアテナが探している物があるかわからないが、出来るだけのことはしてやりたいと考えていた。
アテナに協力することを心配する声があるのは太老も理解している。それでも、一人で途方に暮れているアテナを見て、そのまま見過ごすことは出来なかった。
出来ることをやらず後悔するくらいなら、やってから反省する方がマシだ。
アテナが間違ったことをしたなら、叱ってやればいい。それが太老のだした結論だった。
「それっぽいものは幾つか見つかったけど、何か違う気がするな」
世界中に『蛇』にまつわる神話や伝承は存在する。
そのなかでアテナに関わる伝承を探り、彼女に関連すると思われる神具をピックアップしていく作業を繰り返す。そうして最終候補に残ったものを、後でアテナに確認してもらおうと太老は考えていた。
最初はアテナに工房のなかを確認してもらおうと考えたのだが、それは桜花に止められたのだ。
何か問題が起こった時、予期せぬ甚大な被害が出る恐れもある、と。
アテナが暴れるとは思えないが、桜花の意見にも一理ある。そのため、この地道な作業を繰り返すことになった。
「それにしても、あいつどれだけ盗みを働いてきたんだよ……」
零式の集めた神具・呪具のコレクションの総数は、それこそ千を軽く超えるほどだった。
前に艦内で広げていたのは極一部だったと気付き、太老は『こんなにも隠していたのか』と嘆息する。
魔導書や文献などの書物も入れれば、その数は何倍にも膨れ上がる。これをすべてデータベース化するのは骨が折れる作業だ。
ましてや、アレクに言ったように元の持ち主に返却して回るのは困難を極めるだろう。
太老は零式のしでかした事の大きさに気付き、胃に穴が空く思いで作業を続けた。
……TO BE CONTINUDE
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