アリスの案内で、太老とエリカはサマセットにある目的の遺跡へと向かっていた。
 観光が主な産業でもあるサマセットには、考古学的にも貴重な遺跡が今もたくさん遺されている。そのなかでも古い物は有史以前に遡り、ヨーロッパ先住民の手によって作られた『ドルメン』と呼ばれる巨石建造物が至る所に建てられていた。
 太老達が目指しているのは、そんな遺跡の中の一つだ。

「太老様……私、もう……」
「ちょっ、こんなところで吐くな! 誰か、袋! 袋はどこだ!」
「アリアンナ、もっとスピードを落として! きゃああっ!」

 見渡す限り一面の野原に、時折見える巨石建造物の数々。本来であれば、窓から見える景観を楽しみながら目的地までのドライブを満喫するところではあるが、残念ながら太老達にその余裕はなかった。
 道なき道を行く一台の車。アリスの用意した黒塗りの高級車は、オフロード車さながらの走りを見せる。車内はまさに、阿鼻叫喚の絵図だった。

 アリアンナの運転を知る太老とエリカが、このような暴挙に出るはずもない。
 彼女に運転を頼んだのは現在、一番顔色を青くしているアリスだった。
 それと言うのも、車の免許を持っているのがアリアンナしかいなかったと言うのも大きな原因の一つだった。
 当然ではあるが、太老がこの世界の車の免許を持っているはずもなく、エリカもまだ十六歳だ。運転免許を取得するには二年早い。
 アリスは免許を取得できる年齢とはいえ、家には専用の運転手がいるし、今まで屋敷に籠ってばかりで、その必要性を感じなかった。
 ここでガイドの一人でも雇えればよかったのだろうが、まさか一般人にそのようなことを頼む訳にもいかない。
 それにロンドンであんな騒ぎを引き起こし、太老に連れ去られたことになっている以上、アリスとしても家を頼ることなど出来ない。結果、消去法でアリアンナに運転を頼むしかなかったと言う訳だ。

 それでもアリアンナの運転技能を知っていれば、地元の魔術結社に協力を求めるなり、まだ何か方法があっただろう。
 しかし、アリスは知らなかった。故に判断を誤ってしまった。
 普段、メイドとして有能な働きを見せていたアリアンナを、アリスは信じ切っていたのだ。
 当然、エリカは止めた。しかし、そんなエリカの言葉を信じなかったのはアリスだ。
 その結果が――

「ああ、なんだか目の前が白く……身体が軽くなってきました……」
「アリス、霊体が漏れてる! 身体から抜け出てるから!」

 何とも不安を感じる旅路だった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第21話『魔女王』
作者 193






 あれから、すっかり仲良く(?)なった桜花とアテナは、今日も二人でテレビゲームに熱中していた。
 日本では大会も開かれている人気のパズルゲーム『ぽよぽよ』で対戦をする二人。最初は不慣れなゲームということもあって連敗続きだったアテナも、今では桜花と五分の勝負をするまでに上達していた。
 テレビから『ぽよよーん』と間延びした声が響く。
 桜花が十二連鎖をお見舞いすると、アテナは直ぐ様、十一連鎖のトリプルで反撃にでる。

「え、嘘!?」

 連鎖数では勝っていたのに、最後に巻き込んだ『ぽよ』の数で押し巻け、相殺しきれなかった『お邪魔ぽよ』が桜花の画面に降り注ぐ。
 勝敗が決した瞬間だった。

「負けたー。最初のうちは勝ってたのに、もう勝率は五分か……」
「操作には慣れたし、ルールも覚えた。あなたが強いことは認める。しかし条件が五分であるのなら、そう簡単に負けぬよ」
「さすがは智慧の女神ね。この短時間で『ぽよマスター』の称号を持つ私と互角の勝負をするなんて」

 魔術師が見れば、目を疑う光景だろう。
 まつろわぬ神と人間の少女が、仲良くゲームで対戦をしているのだから――
 しかし、ゲームと言えど真剣勝負だ。本人達は至って真面目だった。
 桜花は時計を見て、ふと思い出したかのようにポツリと呟く。

「お兄ちゃん達、ちゃんと無事についたかな」

 アリアンナの運転で酷い目に遭ったことのある桜花は、危険を察知して留守番を志願した。
 それに以前、零式を一人にして大変な目に遭った記憶が新しいだけに、ストッパー役として桜花か太老のどちらかは船に残る必要があったのだ。
 零式には当分の間、船の修復に専念してもらわなくてはならない。元の世界に帰ろうにも、故障している状態では宇宙に飛び立つことも出来ないからだ。自動修復は一見便利に思えるが、機能の修復に時間が掛かるのが難点だった。
 しかも、自動修復には膨大なエネルギーを必要とするため、零式が力を使う度に船の修復が遅れていくのだ。本来であれば、船体を隠して修復に専念するのが一番早いのだが、零式がイタリア艦隊を相手に姿を晒してしまったため、そうも行かなくなってしまった。
 レーダーにすら映らない強力なステルス機能を搭載した守蛇怪・零式が隠れることに徹すれば、この世界の技術力で追尾することは不可能だろう。とはいえ、これ以上の警戒心を各国に与えるのは得策ではないと太老は判断した。
 まだ、しばらくはこの世界に留まる理由がある以上、必要以上に周囲を刺激するのはよくない。その結果、『最後の王』の調査に支障をきたすようでは本末転倒だからだ。

「アテナ? どうかしたの?」

 突然、席を立ち、明後日の方向を見るアテナを不思議に思う桜花。
 気になって、アテナの視線の先を探る。桜花の感知範囲に何かが隠れている気配はなかった。
 しかし、この先は――太老達が向かった遺跡のある方角だ。

「ただならぬ霊気を感じる」
「……霊気?」

 桜花はアテナの不穏な言葉に警戒を強めるも、すぐに心配はいらないと気付き、警戒を解く。
 アテナがそう言うからには、何かが起こっていることだけは間違いないだろう。
 しかし、あちらには太老がいる。余程の事態に遭遇しない限りは、太老一人で事足りるはずだ。
 それにエリカとアリスも一緒なのだから、呪術的な対処も問題ないはず。
 太老の実力を考えれば、まつろわぬ神が相手でも後れを取るようなことはないだろう。

「お兄ちゃんが一緒だし、大丈夫でしょ」
「信頼しているのだな」
「信頼というか、確信かな」

 例え、相手が太老以上の実力者でも、実際に戦えば太老が勝つと桜花は確信していた。
 白兵戦に限定すれば、太老以上の戦闘能力を持つ桜花でさえ、訓練や試合ならともかく実戦で太老に勝てる気はしない。というのも、命を奪うか奪われるかの実戦のなかで、敵意や殺意を相手にまったく向けず戦うなんてことは、普通であれば不可能だからだ。
 そして、その敵意が太老相手では致命的となる。

 ――善意には善意を、悪意には悪意を。

 神々ですら予測不能な運命の星の下に生まれた天才。因果律すら左右する異端。
 それが確率の天才、『事象の起点(フラグメイカー)』と呼ばれる太老の能力だ。

「お兄ちゃんの勝利は確信しているんだけど、問題はその後なんだよね……」

 問題は、その力が自覚なき力であるということ。本人の意思に関係無く、常時発動していると言う点だ。
 確率の天才が、『天災』と呼ばれる所以がそこにあった。
 しかも、太老は宇宙一の一級フラグ建築士。彼の能力が反応を見せるのは、悪意や敵意ばかりではない。

「また、拾って来なければいいんだけど……」

 その無自覚の犠牲者が増えないことを、桜花は祈るばかりだった。


   ◆


 広大な荒野のなかに、直系十メートルを超すリング状の巨石建造物があった。
 そのリングから少し離れた人気のない公道に、白いサマードレスに身を包んだ小柄な少女の姿が見える。太陽のように煌めく黄金の髪、陶器のように白い肌。その神性すら感じられる姿は、まるで現実味がない幻のようだ。
 何かの到着を待つかのように、じっと地平線の彼方を少女は見詰めていた。

(ここに、愛し子の捜していた神殺しが来るのだな)

 少女の頭に、男とも女とも判断の付かない中性的な声が響く。

「ええ、小父様。グィネヴィアの予想に間違いはありません」

 グィネヴィアと名乗った少女は、ここに捜し人が来ることを確信していた。

「まさか、あの方がアテナと手を組み、この地にやってくるとは思ってもいませんでしたが、これでようやく目的の一つが叶います」

 アテナと神殺し、その二つを相手にして無事で済むと考えるほど、グィネヴィアは愚かではない。ましてや、魔術師にとって天敵とも言える『青い悪魔』が一緒となれば尚更だ。
 だからこそ、こんな場所にまで足を運び、目的の人物――正木太老が一人になる瞬間を狙ったのだ。

(しかし、相手は神殺し。会って、どうするつもりなのだ?)

 少女と言葉を交す声の主は、白き甲冑を身に纏う中世の騎士。
 名を、ランスロット・デュ・ラック。『湖の騎士』の名で知られる円卓の騎士の一人だ。
 そして、嘗てはまつろわぬ神であった存在。今は少女の守護者として契約に縛られていた。
 姿を見せず、ただ地上に留まる意思として、そこに存在する。亡霊のような存在だ。

「まずは、ご挨拶を。その上で、友誼を結べればと考えていますが……」

 口にしてみたものの、それは難しいだろうとグィネヴィアは考える。
 カンピオーネとは例外なく、飼い慣らせる生き物ではない。ましてや、相手はサルバトーレ・ドニを退け、あのヴォバン侯爵を排し、東欧を支配下においた最凶最悪の魔王。ロンドンでの一件からも、交渉の通じる相手とは思えない。
 しかし、それほどの危険を冒しても、グィネヴィアにはなさなければならない目的があった。

「もしもの時は、小父様……よろしくお願いします」
(わかっている。乙女を護るは騎士の務め。我が剣、我が槍を持って、少女との誓いを果たそう)

 それは騎士の誓い。千年の時を経て今も守られ続ける、グィネヴィアとの誓約だった。

「そろそろ、到着してもよい時間のはずですが……」

 一向に待ち人が現れる気配はなく、訝しむグィネヴィア。こちらに向けて、太老達が車で出発したことは間違いなく確認済みなのだ。何か、予期せぬトラブルにでも見舞われたかと考え、グィネヴィアは確認のため『魔女の目』を飛ばす。
 視覚を遠方に飛ばし、離れた場所の様子を探ることが出来る魔女の秘術の一つだ。

「見当たりませんわね」

 この時、グィネヴィアは失念していた。
 車で来るのだから、ちゃんと公道を走って来るものだと考えていたのだ。
 魔女の目は一見すると便利な術だが欠点もある。発動中は周囲の警戒が疎かになることだ。
 だから、彼女は気付かなかった。公道ではなく、道なき道を行く車が近付いていることに――

(愛し子、背後から何かが来るぞ!)
「……え?」

 湖の騎士の声に反応して、慌てて術を解き、後ろを振り返るグィネヴィア。
 次の瞬間――ドゴンという鈍い音と共に、グィネヴィアの小さな身体が宙を舞った。


   ◆


「エリカ様、どうしましょう! わ、私、人をはねちゃいました!」
「ちょっとは落ち着きなさい!」

 アリアンナは涙目でエリカに助けを求める。ここ最近、大きなミスをしていなかっただけに、何時にない慌てようだった。
 それもそのはず、あれほど危険な運転を繰り返していたアリアンナではあるが、今まで一度も事故など起こしたことはなかったのだ。それが、今回の人身事故だ。しかも相手は年端もいかない女の子。心が痛まないはずがない。
 人気のない荒野に少女が一人で何をしていたのか、気になるところではあるが、今はそんなことを詮索している場合ではなかった。
 少女の容態を確認すると、太老はどこからともなく救急箱を取り出す。

「太老、どう?」
「頭を少し打ってるみたいだけど、思ったより大丈夫そうだ」

 太老の正面に映し出された空間ディスプレイに、少女の診断結果と思しきパラメーターが表示されていた。
 救急箱のように見えるアイテムは、『メディカルナースちゃん』と呼ばれる太老の発明品の一つだ。
 医療用ナノマシンを搭載しており、対象者のパーソナルデータを解析し、死に直結するような怪我や病気でもない限りは立ち所に治療してしまう優れもの。少女の怪我も、注射のような物を肌に刺すと、あっと言う間に塞がっていった。

「これで一安心だ」

 良い仕事をしたとばかりに、額の汗を拭う太老。
 先程まで落ち着きのなかったアリアンナも少女の無事を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
 しかし、そんなアリアンナとは対象的に、アリスは驚いた様子で表情を硬くしていた。

「グィネヴィア様……」

 アリスの口から、ポツリと漏れる少女の名前。
 エリカは目を見開く。それはアリスと深い因縁を持つ神祖の一人、魔女王と同じ名だった。
 六年前のレポートにも記されていた名前。まつろわぬアーサーを呼び出した張本人の名だ。

「まさか、こんな女の子が――」
「うっ……」

 グィネヴィアが僅かに呻き声を上げた瞬間――
 エリカは武器を召喚し、身構えるように獅子の魔剣を手に取った。
 そんなエリカの行動に驚き、太老は怒声を上げる。

「おい、エリカ。何考えてるんだ!?」
「彼女から離れて太老、相手は神祖よ!」
「……神祖?」
「神の座を追われ、神から人へと転生した存在。人を超えた異能を持つ、不老不滅の魔女。それが彼女よ」

 見た目は、十二、三歳の幼い少女だが、その実は百年を超える時を生きる魔女だ。
 彼女は初代グィネヴィアから数えて、二代目にあたる魔女王の転生体。歳を食わず、不滅の身体を持つ、大地母神の一部が人の形を為したもの。それが神祖。彼女、グィネヴィアの正体だ。
 そんなエリカの話を、アリスは補足する。

「そして六年前の事件の首謀者にして、私達……魔女の頂点に立つ御方。それが彼女、魔女王グィネヴィア様なのです」

 アリスもまさかこんなところで、グィネヴィアと再会するとは思ってもいなかった。
 神祖は確かに人間と比べれば、強力な異能、膨大な呪力を身に秘めているが、その肉体は脆弱な人間と大差はない。不滅ではあるが、不死ではない。殺されれば死ぬ、そんな存在だ。人間のエリカでも、不意を突けば倒せなくないだろう。
 当然、まつろわぬ神やカンピオーネと比較すれば、圧倒的にグィネヴィアは弱い。しかし、彼女にはランスロットという守護者が付いている。嘗て、まつろわぬ神であった神霊に彼女は庇護されていた。
 こうしている今もグィネヴィアを見守り、様子を窺っていると思われる守護者にアリスは最大限の警戒を寄せる。太老が負けるとは思えないが、自分達がここにいれば太老の足枷になることが彼女にはわかっていた。

(エリカ、こちらからは決して手を出さないように。彼女に危害を加えようとすれば、彼女の守護者が黙ってはいません……)
(プリンセス? それは――)

 アリスとエリカが、この場を切り抜ける方法を考えていた、その時――
 グィネヴィアの目が開いた。

「――アリアンナ、こっちへ!」
「え? エリカ様!?」

 アリアンナを脇に抱えて後ろへと飛び、グィネヴィアから距離を取るエリカ。
 その後を追って、アリスもグィネヴィアから離れ、車の陰に身を隠す。
 しかし、太老はというと――

「目が覚めたか。身体の調子はどうだ?」
「少し頭がフラフラします。でも、気分はそう悪くありません」

 グィネヴィアの体調を確認して、ほっと安堵の息を吐く太老。
 エリカとアリスの話は確かに気になるが、そもそも悪いのは車で彼女をはねた自分達だ。事故の責任を取り、最後まで面倒を看るのは社会人として当然のこと。太老からすれば、グィネヴィアの素性など些細な問題でしかなかった。

「あの……あなたは?」
「俺か? 俺は正木太老。えっとグィネヴィアだっけ?」
「グィネヴィア? それが私の名前なのですか?」
「……え?」

 何やら要領を得ない会話に、太老の脳裏に何とも言えぬ嫌な予感が過ぎる。
 アリスとエリカが警戒するような危険な気配を、目の前の少女から感じない。
 こちらのことは疎か、自分のことすら何もわかっていないと言った様子だ。

「まさか……グィネヴィア、キミはここで何をしてたんだ?」
「ここ? ここですか?」

 挙動不審な様子で、キョロキョロと周囲を見渡すグィネヴィア。
 どこか、困惑している様子が見て取れる。それは――

「ここは、何処なのでしょう?」

 まさかの記憶喪失だった。





 ……TO BE CONTINUDE



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