「おいおい、なんだありゃ……」

 地中海に浮かぶ船の上。唖然とした表情でガンツが見詰める先には、サルデーニャ島があった。
 ドーム状の白い光のようなものに島全体が包まれていく。
 その美しくも異様な光景に魅入られ、思わず口から溜め息が溢れる。

「これも王様の権能≠ネのか?」
「間違いないだろう」

 ガンツの疑問に対して、こんな真似が出来るのはカンピオーネ以外にいないとクラレンスは断言する。
 サルデーニャ島は地中海最大の島――シチリア島に次ぐ大きさを誇る巨大な島だ。総面積は日本の四国を超える。
 それだけ大きな島を覆い尽くすような結界を張ろうと思えば、数ヶ月の準備期間と千を超える魔術師の協力が必要だ。
 僅か一週間で用意できるような代物ではない。その時点で、カンピオーネの権能を疑うのは当然だった。

「しかし、結界型の権能か。どう見る?」
「神様の力だろ? なら普通の結界ってことはないだろ。たぶん、あのなかは異界化≠オてるんじゃないか?」

 ガンツの回答にクラレンスも同じことを考えていたようで頷き返す。
 サルデーニャ島を決戦の地に選んだと言うことは、島への侵入を阻むような結界ではないと予想が付く。
 だとすれば、あの結界は外からの侵入を阻むものではなく、中から外へ逃がさないためのもの。
 島の外へ被害を及ぼさないための結界ではないかと、二人は考えたのだ。

「確か、これと同じような権能を持ったカンピオーネがいたな」
「ああ、大迷宮(ザ・ラビリンス)だったか?」

 クラレンスの疑問に、記憶を辿りながら答えるガンツ。
 黒王子の異名を持つイギリスのカンピオーネ『アレクサンドル・ガスコイン』が、クレタ伝説の大地と迷宮の神ミノスから簒奪したとされる権能だ。
 使用後は一ヶ月ほど再使用が出来ないと言った制約があるものの対象とした場所を異界化し、地形に応じた迷宮へと変化させる強力な権能だった。
 恐らくは、それと似た権能を太老が用いたのだろうとガンツとクラレンスは考え、納得した様子で頷く。

「避難を急いで正解だったな」
「ああ、異界に取り残されて無事に済むとは思えないからな」

 無事に避難できたのは八割と言ったところだが、いま島に残っているのは政府の避難命令に従わなかった人々だ。
 勿論、事情は人それぞれあるのだろう。しかし、危険を諭された上で島に残ったのであれば、それは自己責任だ。
 それにあのまま太老がウルスラグナと戦っていれば被害は島一つでは済まず、イタリアは壊滅状態に陥っていただろう。
 ガンツとクラレンスは遠ざかる島を眺めながら、太老が決闘の日時を一週間後に指定した理由に思いを馳せるのだった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第29話『魔王らしさ』
作者 193






 ――守蛇怪・零式。船の中に固定された亜空間。その人工惑星。
 この光景を見れば、ガンツやクラレンスも自分たちの認識の甘さを痛感するだろうと思える場所にエリカはいた。

「理不尽だわ……」

 それはカンピオーネ全員に言えることだが、そうと分かっていてもエリカは口にせざるを得なかった。
 太老のことを理解しているつもりで、まだ理解が足りなかったのだと思い知らされたからだ。
 空に投影された映像には、サルデーニャ島を覆う結界の様子が映し出されていた。
 現実世界には一切の影響を与えない位相空間。
 そんな結界があるなど聞いたこともないし、これが権能ではなく科学の力だと言われても、まだ信じられない。
 それに――

『こんな方法があるのなら、どうして決闘の日時を一週間後に指定したのよ?』
『決闘って、そういうものだろ? 格式美って奴だ』

 要約すると『デートは外で待ち合わせをするのが基本だろ?』とばかりの太老の回答に、エリカが頭を抱えたのは言うまでもなかった。
 そんなやり取りがあったのが、三日ほど前のことだ。
 神様に喧嘩を売るような人物は、基本的に非常識≠ネ人間が多い。
 妙なことに拘るあたり、太老も例に漏れず『魔王』と呼ばれる人種なのだろう。

「まあ、お兄ちゃんだしね」
「お父様ですから」
「太老だしの」

 項垂れるエリカに向かって、揃って同じようなことを口にする三幼女。
 カンピオーネと同等の力を持つ魔王の妹に、神様すら恐れる青い悪魔。
 更には女神にまで同じ評価をされるのだから、もはや驚きを通り越して呆れるしかない。

「しかし、これだけの空間を作り出しておきながら、魔力の一切を感じさせぬとは……」
「まあ、魔術じゃないしね。と言っても、過ぎた科学は魔法と同じだって言葉もあるし」

 感嘆の声を漏らすアテナに、この手の話がでるとよく用いられる言葉で答える桜花。
 太老が自分のことを魔王じゃないと言っているのに、周りが勝手に誤解をするのと同じで――
 理解できないのであれば、優れた科学も魔法と変わらないと言うことだ。

「エリカさん、元気をだしてください」

 そう言って、慈愛に満ちた表情でエリカを励ますグィネヴィア。
 神祖の少女に励まされているという状況に、僅かに残っていたエリカのなかの常識が崩壊する。
 記憶を失っているとはいえ、目の前にいる少女は女神の生まれ変わりなのだ。
 いや、そもそもの話。普通にアテナが会話にまざっていることがおかしい。
 世界の何処を探しても、これほどカオスな場所は存在しないだろう。

「皆さん、お茶の準備が出来ましたよ」

 そんななかアリアンナの声が響く。
 草原に敷かれたレジャーシートの上には、アリアンナの用意したサンドイッチや焼き菓子が並べられていた。
 これからピクニックでもしようかという光景に、エリカの口から深い溜め息が溢れる。
 この場に平然と馴染んでいるアリアンナも大物と言えるだろう。

「いよいよね」

 そんな部下兼メイドの能天気さに内心呆れつつ、エリカはモニターに意識を集中するのだった。


  ◆


 悪夢から目覚めるようにベッドから飛び起きるリリアナ。

「……ここは?」

 見知らぬ部屋にリリアナは表情を強張らせる。
 どうしてこんなところにいるのかと思い出そうとするが、まったく記憶にない。
 いや――

「お祖父様」

 書斎に倒れていた祖父の姿が頭を過ぎると、段々と記憶が蘇ってくる。
 これ以上、太老に関わらないようにと説得するために、祖父の隠れている屋敷へと向かい――
 説得に応じて貰えない時は手を汚すになっても、祖父を止めるつもりの覚悟でリリアナはいた。
 しかし、ようやく屋敷へと辿り着けば、既にクラニチャール老は息を引き取っていたのだ。

「そうか。私は意識を失って……」

 精神的に追い込まれ、疲労も溜まっていたのだろう。祖父の死を確認して気が抜けた瞬間、リリアナはその場に倒れ、意識を失ったのだ。
 だとすれば、誰かがここに運んでくれたのだろうとリリアナは考える。
 味方なら良いが、それは楽天的だ。自分が追われている立場だと言うことをリリアナは自覚していた。
 少なくとも、このイタリアに味方となる魔術師はいない。ヴォバン侯爵を倒した悪魔を従え、サルバトーレ・ドニをも退けた太老に逆らえる魔術師などいないからだ。
 その太老を裏切った青銅黒十字の魔術師を助けてくれる人間など、イタリアの魔術師にはいないだろう。
 拘束されていないのは状況的に不思議ではあるが、

「どのみち死を覚悟していたのだ」

 どちらに転んでも同じだとリリアナは自嘲する。既に彼女は生きる気力を失っていた。
 仮にこの場を上手くやり過ごしたところで、魔王の怒りを買うことを恐れた魔術師たちに死ぬまで追い回されるだけだ。
 祖父が亡くなった以上、もはや為すべき目的もない。今更、太老のもとへ戻ることも出来ない。
 なら、いっそのこと――

「リリアナ様」

 自ら命を絶とうかと自暴自棄な考えが頭を過ぎった、その時だった。
 聞き覚えのある声を耳にして、驚きに目を瞠りながら振り返るリリアナ。
 すると振り返った視線の先には、いつものメイド服に袖を通したカレンの姿があった。

「お目覚めになったのですね。お身体に異常はありませんか?」
「カレン……無事だったのか? どうやって……いや、そんなことよりも!」

 自分でも何を言っているのか分からず困惑するリリアナを見て、カレンは苦笑を浮かべる。
 しかし、無理もないと考える。カレンも今の状況を完全に理解し、受け入れているとは言い難いからだ。
 正直なところ、まだ夢を見ているのではないかとさえ、思うことがある。

「ここは守蛇怪・零式。船の中に太老様がお造りなった世界。太老様のお屋敷です」

 カレンの説明に目を瞠りながら、窓の外へと目を向けるリリアナ。
 そして、窓の外に広がる幻想的な景色を前に思わず息を呑む。
 リリアナたちがいる場所。そこは全高一キロを超える大樹の上に建つ屋敷だった。

「どうして……」

 どうして自分はここにいるのか?
 そんな疑問と複雑な感情が入り混じった声が、リリアナの口から漏れる。
 祖父を止めるためとはいえ、太老を裏切ったという自覚があるだけに状況を上手く呑み込めなかったのだ。

「簡単な話です。青銅黒十字はカンピオーネ――正木太老様に忠誠を誓い、魔王配下の組織となりました」

 そんなリリアナの心情を察し、自分たちが置かれている状況を簡潔に説明するカレン。
 しかし、まだカレンの話を信じ切れていない様子で、リリアナは更に目を丸くして固まる。
 カンピオーネに挑んだ魔術師の末路は歴史が証明している。これがヴォバン侯爵なら決して許すことはないだろう。
 自分に逆らう者たちに多少の興味を抱きはするだろうが、一片の慈悲もなく皆殺しにされるのは確実だ。
 欧州の魔術師たち――特にイタリアやドイツを拠点とする魔術結社は、そうした魔王の恐ろしさをよく理解していた。

「驚かれたかと思いますが事実です。他の〈七姉妹〉も既にこれを了承しています」

 七姉妹とは、イタリアを代表する七つの魔術結社の総称だ。
 リリアナやカレンの所属する青銅黒十字や、エリカやアリアンナの所属する赤銅黒十字もこのなかに数えられる。
 他の〈七姉妹〉も了承していると聞いて、更に困惑を表情に滲ませるリリアナ。
 イタリアに混乱を招いた元凶たちが魔王配下の組織となることに、魔術師たちが抵抗を覚えないはずがないと考えたのだろう。
 その考えは、ある意味で正しい。ドニが武者修行の旅にでて、ヴォバン侯爵が倒された今、太老の庇護を必要としている魔術師たちは少なくないからだ。
 当然だろう。確かに魔王は恐ろしい存在だが、まつろわぬ神と戦えるのは彼等しかいないのだから――
 魔王配下の組織となれれば、その結社は裏社会において他と隔絶した影響力を持つことになる。
 実際に青銅黒十字はヴォバン侯爵に取り入ることで、これまで裏社会での影響力を高めてきたのだ。

「不平不満は当然あるでしょうが、これは太老様が決定されたことです。彼等はそれを口にだすことは疎か、表情にだすことも出来ません」

 魔王が決めたこと。そう言われればリリアナも納得せざるを得なかった。
 どんなに不満があろうと、魔王の決めたことに否と言える人間などいない。裏の人間、魔術師ならば尚更だ。
 しかし、それでもリリアナには分からないことがあった。

「不思議ですか? どうして太老様がそのようなことをされたのかが――」

 そんなリリアナの考えを読み取って、カレンは尋ねる。
 リリアナの戸惑いが分からない訳ではなかった。カレンも同じようなことを一度は考えたからだ。
 既に太老は赤銅黒十字を味方につけているのだ。いまの青銅黒十字を配下に加えたとしても得られるメリットは少ない。むしろ、デメリットの方が大きいだろう。
 普通なら敵対した者たちを配下に加えようなどと考えない。いつ裏切られるとも知れないからだ。
 しかし、太老は違った。

「リリアナ様のためです」

 友人や家族のためにすることに損得など関係無い。組織の都合や他人の思惑など知ったことかとばかりに、太老は青銅黒十字を配下に加えることを決めた。そういうところはどれだけ本人が否定しようと、やはり彼は身勝手な魔王なのだろう。
 それに裏切りなど一切考えていない。最初から太老は、リリアナとカレンが裏切ったとは考えていなかったからだ。
 何も答えずに俯くリリアナの姿に苦笑を漏らすと、カレンはモニターのスイッチを入れる。
 空間に投影されたモニターには、サルデーニャ島の様子が映し出されていた。

「リリアナ様には、この戦いを見届ける義務があります」

 自分にも言い聞かせるように、強い口調でリリアナにそう告げるカレン。
 地中海に浮かぶ島で、魔王と神の遊戯が幕を開けようとしていた。





 ……TO BE CONTINUDE



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.