太老と連絡先を交換した翌日、陸鷹化は都内にある三ツ星ホテルのスウィートルームで、男であれば誰もが羨むような黒髪の美女と密会をしていた。

「なるほど……それで、この貢ぎ物を渡されたと。お前はそう言うのですね? ――鷹児」

 御伽話に登場する仙女のような格好をした絶世の美女が、確認を取るように鷹化に尋ねる。
 彼のことを『鷹児』の愛称で呼ぶ人間は、この世界に一人しかいない。
 ――羅翠蓮。〈五嶽聖教〉の教主にして、羅濠教主の名で知られる最古のカンピオーネの一人だ。
 廬山にいるはずの彼女がどうして日本にいるのかというと、それは鷹化から連絡を受けて文字通り跳んで≠ォたからだ。
 縮地神功・神足通。その気になれば、世界中どこへでも瞬間移動できる方術を羅翠蓮は極めていた。
 本来であれば、この手の術の行使には時間と手間と金が掛かるものだが、武術だけでなく方術を極めた彼女にとってはこの程度は容易いことであった。
 そんな師匠の怪物ぶりを再確認しながら、抱拳礼の構えを崩すことなく「はい」と答える鷹化。

「では、お前はこれ≠ェなんなのか……理解しているのですか?」
「い、いえ……それは正木太老様からお預かりした師父への贈り物ですから」

 本来なら毒味など済ませるべきなのだろうが、それこそ太老を信用していないと言っているようなものだ。
 下手に毒味などすれば、あとから王の顔に泥を塗ったと難癖を付けられかねない。
 ましてや師匠に贈られた酒を師匠よりも先に飲むことなど出来ないし、鷹化からすれば非常に扱いに困る危険物を渡されたという認識の方が強かった。
 だから、瓶の中身について詮索する余裕などなかったのだ。

「まあ、いいでしょう。封を開けてはいないようですし……」

 瓶の蓋を開けていたらどうなっていたかを想像して、鷹化は身震いする。
 下手に気を回していれば、この時点で自分の命は潰えていたと気付かされたからだ。
 格下に心配されることや気遣われることを、師匠が快く思わないということを鷹化は身を持って知っていた。
 だからと言って、師匠なら大丈夫だと放って置けば気の利かない奴だと殴られる。羅翠蓮とは、非常に面倒臭い女なのだ。

「やはり……」

 瓶の蓋を開け、中身の匂いを嗅ぎ、酒杯に注いだ酒を一口含むと、確信を得た様子で羅翠蓮は呟く。

「私も実物を見るのは初めてですが、これは恐らく仙桃≠フ酒です」

 師匠の口からでた思いもしなかった言葉に、鷹化は目を瞠る。
 桃は古くから邪気を払う力があるとされ、桃膠から作られた仙薬は万病に効くと言い伝えられてきた。
 中国の神話にも桃に関する話が数多くあり、かの孫悟空が食べ尽くし、天帝の怒りを買ったとされる果物も桃だ。
 一つ食べれば長生不老となり、仙人となることも可能だと言い伝えられている仙桃。
 御伽話の産物だと思われていたもので作られた酒が目の前にあると聞かされれば、鷹化が驚くのも無理はなかった。
 そして、ふと気付かされる。自分も同じものを渋って作ったジュースを受け取っていたことを――

「……鷹児、正直に申しなさい。まだ、何か隠していますね?」

 当然、そんな鷹化の様子に彼のことをよく知る師匠が気付かないはずもなく――
 師匠に睨まれた鷹化は、すべてを包み隠さず白状することになるのであった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第38話『科学者の意地』
作者 193






 一日たっぷりと息抜きをしてきたお陰か?
 守蛇怪・零式にある自身の工房で、鼻歌を口ずさみながら工作に勤しむ太老の姿があった。
 恐らく弄っているのは、秋葉原で集めてきたジャンクパーツの数々だろう。

「お兄ちゃん、家を買うの?」

 そんななか、テーブルの上に置かれた不動産の資料を手に取って、太老にそう尋ねる桜花。
 作業に没頭していたためか、桜花の接近に気付かなかった太老は少し驚きつつも、質問に答える。

「ああ、こっちでも商売≠やろうと思ってね」

 その説明から、この世界でも商会を起ち上げるつもりなのだと桜花は察する。
 確かに情報≠集めるという観点からは、手足となる組織を作るというのは悪い案ではない。
 これまでにも太老は同様の方法で、自らが必要とする情報を集めてきた実績がある。
 ただ、桜花には気になることが他にあった。

「お兄ちゃん、もしかして知ってたの?」
「ん? なんのことだ?」
「……水穂お姉ちゃんから連絡があったの。こっちに追加の人員を送るから役立てて欲しいって」

 実のところ桜花が太老の後を追わず自由にさせたのは、それが理由だった。
 急な人員の増加。恐らく背後に瀬戸の思惑が絡んでいると察したからだ。
 どう考えても厄介事の臭いしかいない。だからと言って水穂の頼みとあっては断ることも難しい。それに、そろそろ人手が欲しいと思い始めていたことは事実なのだ。
 対外的なことはエリカに任せきりとなっているが、彼女はこの世界の人間で〈赤銅黒十字〉の魔術師だ。そうしたことを考えると余り彼女だけに負担を掛け、頼り過ぎるのも良くない。やはり自分たちでも、ある程度の問題に対処できるようにしておくべきだと桜花は考えていた。
 そう言う意味で、太老の商会を興すという考えに桜花は賛成だった。
 しかし、タイミングを見計らっていたかのように太老から商会の話を聞かされ、もしかして事前に水穂から話を聞いていたのではないかと考えたのだ。

「丁度良いな。さすが水穂さん」

 そんな感心した様子で頷く太老を見て、やはり思い過ごしだったかと桜花は納得する。
 いや、瀬戸の思惑が絡んでいるのであれば、これも太老の能力が影響してのことかもしれないと桜花は考えた。
 フラグメイカー。事象の起点とも呼ばれ、確率の天才に分類にされる太老の異能。

 ――善意には善意を、悪意には悪意を。

 本人は一切の自覚がないことだが、太老には謀略の類が通用しない。
 どのような計画を企てていたとしても、太老が対象となっている時点で計算どおりには行かないと言うことをそれは意味していた。
 だが、そんなことは瀬戸も承知のはずだ。それだけに桜花は何を考えているのかと警戒を募らせる。

「そういや、桜花ちゃん。アリスたちと浅草に行ってきたんだって?」
「え……うん。あ、そうだ。お兄ちゃんにお土産≠持ってきたんだった」

 そう言って、太老に浅草で買ったお土産を手渡す桜花。
 ひんやりと冷たい箱を開けると、そこには可愛らしいカタチの小さな果物のタルトが入っていた。

「桃の洋菓子か。浅草っていうと和菓子のイメージだけど、こんなのも売ってるんだな」

 白桃の瑞々しい甘みとタルトのサクッとした食感を楽しみながら、太老はお土産の感想を口にする。
 自分ならこんな洒落たものではなく、無難にセンベエや団子を買って帰っているところだろうと太老は苦笑する。
 そう言う意味では、桜花も女の子≠ニ言うことなのだろう。

「じゃあ、これは俺からのお返し≠ネ」

 桜花から貰ったお土産のお返しと称して、手作りの腕輪を渡す太老。
 先程から作業をしていたのは、この腕輪を作るためだった。
 思い掛けぬ太老からの贈り物に喜びながらも、ちょっとだけ嫌な予感を覚える桜花。
 太老の発明品だ。間違いなく、ただのアクセサリーと言うことはないだろうと考えてのことであった。

「お兄ちゃん。一応、尋ねるけど……これ、何か余計≠ネ機能とかついてないよね?」
「ふふん、よくぞ聞いてくれた」

 得意げな太老を見て、やっぱりと桜花は溜め息を吐く。
 作業机の上に置かれたジャンクパーツを見れば、太老が昨日どこへ行っていたのか考えるまでもない。
 手渡されたこの腕輪も、そのジャンクパーツで作られたものだというのは容易に察することが出来た。

「これはまつろわぬ神≠フ反応を辿ることが出来る装置だ」
「……え?」

 秋葉原で集めたジャンクパーツで何を作っているのかと思えば、魔術師が耳を疑うような説明を受けて、桜花は目を丸くする。
 まつろわぬ神を探知できる装置。ジャンクパーツからそんなものをどうやってと言うことよりも、どうしてそんなものをと言った疑問の方が大きかったからだ。
 太老が魔王と呼ばれることを、本心では嫌がっていることを桜花は知っている。
 自分から率先して、まつろわぬ神と関わろうとはしないだろうと言うことも分かっていた。
 そんな太老が、まつろわぬ神を探知できる装置を作った理由が今一つ分からない。しかも、それをプレゼントされたことも不明だった。

「アテナの探し物。まだ見つかってないだろ?」
「ああ……」

 どういうつもりでこの腕輪を用意したのかを、太老の一言で桜花は察する。
 アテナがずっと探しているという自身の半身たる力――蛇。
 それがどういうものかは未だ分かっていないが、この世界の何処かにあることだけは確かなのだ。
 太老はアテナと蛇≠探す手伝いをしてやると約束をしていた。
 それに――

「桜花ちゃんも気になってたんだろ?」
「……まあね」

 桜花もアテナのことは気に掛けていたのだ。
 この世界にきてから一番心を許している友達≠ニ言ってもいい。
 それに自らの半身≠取り戻したいと願うアテナのことが、桜花には他人事のように思えなかったのだ。
 桜花自身も、昔はアテナと同じような悩みを抱えていたことがあるからだ。

「まつろわぬ神の気配を探るだけじゃなくて、こいつにアテナの反応を登録しておけば、条件を絞って探知することも出来る」
「なるほど、それでアテナと同じ反応がないか調べる訳ね」

 半身と言うからには、アテナに近い反応がでている神器だと予想が付く。
 それをこの装置で探すつもりなのだと、桜花は太老の考えを理解した。
 零式が集めた骨董品の中にアテナに関係するものはなかったと、調査結果を聞かされていたからだ。
 となれば、アテナが感知できないだけで、この世界の何処かに存在すると考える方が自然だ。

「既にアテナのアストラルパターンは登録済みだ。早速、外で試して見てくれるか?」
「レーダーの探知範囲とかあるの?」
「少なくとも地球上に存在するのなら、どこにあっても探知可能なはずだ」

 それを聞いて、そういうことならと引き受ける桜花。
 レーダーの探知範囲が限定されているのなら、世界中をサーチするのに何年かかるか分かったものではないからだ。
 早速、船の外へでて装置を起動する桜花。しかし、その結果は――太老の予想に反して空振り≠ノ終わるのであった。


  ◆


 外での実験を終え、船に戻った太老と桜花は二人して腕を組み、唸っていた。

「まさか、反応がないとはな……」
「お兄ちゃんの発明品を疑っている訳じゃないけど……壊れてるってことないよね?」
「いや、それはないだろ? もう一度、スイッチを入れてみな」

 太老にそう言われて腕輪のスイッチを入れる桜花。
 すると空間ディスプレイが開き、表示されたマップにピコンと青い光が点る。
 方角的に見て、書庫の辺りだろう。それがアテナの反応だと言うことは察せられた。
 もう一つ、青い光とは別に赤い光が点っているが――

「これって、ウルスラグナの反応?」
「ああ、条件を設定してある反応は青く。それ以外は赤く表示されるようになってる」

 なるほど、と太老の説明に納得した様子で頷く桜花。これは確かに便利だと感じてのことであった。
 こんなものを秋葉原で集めたジャンクパーツで作ってしまうのだから、やはり太老は鷲羽の弟子なのだと桜花は実感させられる。
 とはいえ、装置が壊れていないとなると、非常に厄介な問題に突き当たる。

「……アテナの探し物は、この星にないってこと?」
「そうなるな」

 仮に結界に封じられているのだとしても、まつろわぬ神の気配を完全に隠しきることは出来ない。
 太老の作ったレーダーの探知範囲から逃れること難しい。
 となると、地球上にアテナの探し物は存在しないと考える方が自然だった。

「なら、あと考えられるのは……」

 ウッドデッキから空を見上げる桜花。
 いま見えている空は環境作りのために、亜空間のなかに投影された擬似的なものだ。
 しかし本来、空の上には宇宙が広がっている。
 なんらかの理由で星を飛び出し、宇宙を漂流しているという可能性は考えられない訳ではなかった。

「……さすがに無理だよね?」
「……宇宙は広いからな」

 一万年以上の時をかけて、銀河連盟が調査を終えることが出来た銀河の範囲は凡そ三分の二が限界なのだ。
 仮にアテナの探し物が宇宙を漂流しているとすれば、その調査に何百、何千年かかるか分からない。
 下手をすれば、何万年かかっても調査が終わらない可能性だってある。
 太老と言えど、出来ることと出来ないことがある。そうなったら完全にお手上げと言ってよかった。

「アテナ、凄くガッカリするよね」
「ああ……」

 そう言いながら小さく肩を落とす桜花を見て、太老はバツの悪そうな表情を見せる。
 本当は桜花やアテナを喜ばせてやりたくて、これまでに集めたデータからこの発明品を拵えたのだ。
 レーダーの精度には自信があっただけに、確実に成功すると太老も自信を持っていた。
 それだけに桜花をぬか喜びさせような真似をした自分が、太老は情けなくなる。

「俺に任せろ。こうなったら、絶対に探しだしてやる」
「お兄ちゃん……でも、どうやって?」

 太老が元気づけようとしてくれていることは桜花にも察せられた。
 しかし、現実には難しいと言うことも理解している。
 何か具体的な案はあるのかと疑問に思うのは当然であった。

「宇宙に探索範囲を広げる」
「でも、それは難しいって……」
「難しいけど無理≠カゃない。可能性がゼロじゃないなら――」

 それを実現するのが科学者だと、太老はマッドを彷彿とさせる笑みを浮かべるのだった。





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