地球の衛星軌道上に青い髪の少女の姿があった。
守蛇怪・零式の生体端末。船の頭脳にして、別名『青い悪魔』とも呼ばれている少女だ。
幼い少女の姿をしてはいるが、実際にはアテナやウルスラグナに近い存在と言える。
そんな彼女がこんな場所にいるのは、太老にとある場所≠フ調査を命じられたからだった。
『お父様、見えてきました。隕石に偽装していますけど、たぶんアレじゃないですか?』
「ああ、たぶんというか……間違いなくアレぽいな」
零式から通信で送られてきた映像を眺めながら頷く太老。
アテナの探し物を探すために調査範囲を宇宙にまで広げたのだが、そこで早速引っ掛かったのが地球の衛星軌道上に浮かぶ小島だった。
植物などは一切生えておらず土と岩のみで構成されているが、隕石と言うよりは海に浮かぶ島をそのまま持ってきたという風情の島。そんなものが地球の衛星軌道上に浮かんでいたのだ。
『お父様、島の中心に変な剣が突き刺さってます!』
「……剣?」
そう言って零式が指さす先には、小高い丘のような場所に突き立てられた錆びた鉄の剣があった。
刃渡りは一メートルほど。分厚い刀身は鉈のように反り返っていて、朽ちた外観が経過した歳月をイメージさせる。
『この剣以外には特に何もないみたいです。持って帰りますか?』
「ううん……そうだな」
アテナの探し物とは明らかに違うことから一瞬迷う素振りを見せるも、何かの役に立つかもしれないと考え、太老は零式に回収を命じる。
太老に回収を命じられ、これまでに強奪した神器と同様、地面から引き抜いた剣を亜空間に仕舞い込む零式。
そして、
『回収しました。他に反応がないか調べてから帰還しますね』
「ああ、よろしく頼む」
太老に頼りにされるのが嬉しいのか?
零式は「お任せください!」と元気に返事をすると、意気揚々と周辺宙域の探索へ向かうのであった。
異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第40話『盗まれた剣』
作者 193
囲炉裏の前にあぐらをかき、ひとり頭を抱える老人≠ェいた。
丸太のように太い腕と、熊のように大きな身体をした老人。彼こそ、恵那が『おじいちゃま』と呼ぶ神霊≠セった。
――速須佐之男命。天叢雲剣の真の所有者にして、ヤマタノオロチを退治したことで知られる鋼の英雄だ。
そんな彼が頭を抱えているのは、零式が回収した剣≠ノ理由があった。
「まさか、こんなにもあっさりと本命に辿り着くとはな……」
心の底から「まいった」と呟きながら頭を掻くスサノオ。
本来あの浮島には簡単に辿り着けないように、幾つものダミーを地上には用意してあったのだ。
なのに、そのすべてを素通りして本命に辿り着いたばかりか、そこに隠してあった剣を回収されるとは思ってもいなかったのだろう。
「してやられたようですな」
いつからそこにいたのか?
囲炉裏を挟み、向かい合わせに座る人物に声を掛けられ、ぎろりと睨み返すスサノオ。
その視線の先にいたのは、黒い僧衣を纏ったミイラのような老人だった。
いや、ようなではなく骨と皮だけで構成された身体はミイラそのものと言ってもいい。
彼もスサノオと同様、正史編纂委員会が『古老』と呼ぶ存在の一人だった。
と言っても、スサノオのような神ではない。苦行の果てに肉の束縛を捨て、不死へと至った――ただの即身成仏≠セ。
「御坊。御老公をからかうのはそのくらいに」
もう一つ、澄み切った声が小屋に響く。
スサノオと黒衣の僧正が揃って視線を向けた先には、見目麗しい玻璃色の瞳を持つ美姫がいた。
スッと両者の間に入るように、囲炉裏の前へ腰を下ろす玻璃の媛。
質素なスサノオの着物とは対照的に、色合いの鮮やかな十二単を纏っていた。
「まずはあの御方≠フ手に渡った剣≠ノついて、ここでは議論をすべきかと」
異論はないと、玻璃の媛の提案に頷くスサノオと黒衣の僧正。
この状況に驚いているのは、スサノオだけではない。黒衣の僧正や玻璃の媛も同じだった。
とはいえ、
「あの御方ね。随分と入れ込んでいるみたいじゃねえか」
玻璃の媛の太老に対する態度が気になり、そのことを突っ込むスサノオ。
なんとなく理由は察しているのだが、それでも本人の口から確かめようとする辺り、余り良い性格をしているとは言えなかった。
「あの方こそ、我等が待ち望んでいた御方だと、わたくしは確信を持っていますので」
「それはまた……」
このなかで一番年若い黒衣の僧正が、玻璃の媛の言葉に驚きの声を上げる。
玻璃の媛が自信たっぷりに、こんなことを口にするのは珍しい。
ましてや、まだ直接は一度も会ったことのない相手に対する評価としては、最上と言っていいものだったからだ。
「あの迷惑なガキ≠ノ似ているからだろ? いや、違うな。似ているのはガキの方か」
玻璃の媛が太老のどんなところに惹かれているのかを察して、そう口にするスサノオ。
いつか、こんな日が来るのではないかと思っていたのは、彼も同じだったからだ。
そう考えれば、あっさりと浮島を見つけられたことには驚いたが、これも必然であったかのように思えてくる。
「で、あるなら、かの君をここへ招かれてみては?」
スサノオと玻璃の媛のやり取りを聞いていた黒衣の僧正がそう提案する。
少し考える素振りを見せるも、確かにこのまま話し合っていても埒が明かないと判断し、スサノオと玻璃の媛は揃って頷く。
そうして、どうやって太老をここへ招くかの相談へと議題は変わっていくのであった。
◆
羅翠蓮からの招待状を受け取った太老たち一行は、東京から電車で二時間ほど行ったところにある山間の旅館を訪れていた。
ちなみに同行者は、エリカとリリアナ。それに恵那と桜花、アリスの五人だ。
戦闘になる可能性を考慮して、カレンとアリアンナはアテナやウルスラグナ。それに零式とグィネヴィアと共に船で留守番をしていた。
「良いところだな」
大自然に囲まれた旅館を眺めながら故郷のことを思い出し、懐かしいなと笑みを浮かべる太老。
正木家の長老が経営している温泉旅館が、丁度こんな感じの佇まいだったのだ。
誘ってくれた翠蓮さんと鷹化には感謝しないとな、と呑気なことを考えながら旅館の中へ入っていく太老の後をエリカたちも追い掛ける。
緊張感がないのは太老だけで、エリカとリリアナの二人は神経を尖らせていた。
無理もないだろう。この先にヴォバン侯爵と並ぶ最古参のカンピオーネの一人が待ち受けているのだ。
カンピオーネの恐ろしさをよく知る魔術師であれば、この状況で緊張しないはずがない。
とはいえ、
「エリカお姉ちゃん、リリアナお姉ちゃん。そんなのじゃ、この先もたないよ?」
少しは肩の力を抜いてリラックスするようにと、桜花は二人にアドバイスする。
桜花も警戒していない訳ではないが、必要以上に警戒しても仕方がないと割り切っていた。
このなかで太老との付き合いが一番長いのは彼女なのだ。当然これと似たようなことは過去に何度も経験している。
どれだけ注意しようと、なるようにしかならないと言うのが、桜花が学んだ太老との正しい付き合い方だった。
「恵那お姉ちゃんやアリスお姉ちゃんを見習って……」
「これが夢にまで見た日本の温泉旅館なのですね!?」
「あっちに露天風呂もあるみたいだよ」
「露天風呂! はやく行きましょう!」
目的を忘れ、恵那と子供のようにはしゃぐアリスを見て、見習わない方が良いかもと桜花は口に仕掛けた言葉を訂正するのであった
◆
「ようこそ、お越しくださいました」
旅館の玄関を潜ると最初に太老たちを出迎えたのは、陸鷹化だった。
完全に貸し切りとなっているらしく他の客の姿は見当たらない。
一般人を巻き込む訳にはいかないと言うのも理由にあるが、少しでも太老に粗相があってはいけないと配慮してのことだ。
何より師匠が騒々しいのを嫌っていると言うのが、鷹化がこの山奥にひっそりと佇む旅館を選んだ理由として大きかった。
「一週間振りだな。今日は誘ってくれて、ありがとうな」
「いえ、突然の誘いを受けて頂き、こちらこそ感謝の至りです」
胸の前で拳を合わせ、そう言って頭を下げてくる鷹化を見て、相変わらず出来た奴だなと感心する太老。
本人は何か粗相があってはいけないと内心ビクビクしているのだが、太老のなかの鷹化に対する評価はうなぎ登りと言ってよかった。
「それで、お師匠さんは? 挨拶しておきたいんだけど」
「すみません。師父は所用で少し出掛けておりまして、夜には戻ると思うのですが……」
太老の反応を窺いながら、恐る恐ると言った様子で師匠が留守にしていることを伝える鷹化。
呼び出した本人がいないことで、太老の機嫌を損ねるのではないかと心配してのことだった。
とはいえ、理由を尋ねられたところで、これ以上の説明をしようがない。朝起きたら既に部屋はもぬけの殻だったからだ。
今日、太老が来ることは伝えてあるので、少なくとも自分から招待しておいて約束をすっぽかすような真似はしないはずだ。
何処に行ったかは分からないが、そうしたことを羅翠蓮が嫌うと言うことは弟子の鷹化が一番よく知っていた。
「そっか、残念だな……。まあ、楽しみは夜に取っておくとするか」
太老の言葉を深読みして、ごくりと咽を鳴らす鷹化。
とはいえ、師匠から太老のエスコートを任された以上、逃げ出す訳にもいかず、ぐっと恐怖を堪える。
そんな二人のやり取りを少し離れた位置から見守っていたエリカが、タイミングを見計らっていたかのように鷹化へ声を掛ける。
「お久し振りね。陸小侠」
「これはエリカ姐さん。お久し振りです。二年振りくらいですか?」
どこか剣呑な目つきで曰くありげな挨拶を交わすエリカと鷹化を見て、太老は首を傾げる。
この前もイタリアで鷹化の名前を口にだした時、少しエリカの様子がおかしかったことを思い出したからだ。
「そう言えば、二人は知り合いなんだっけ?」
「ええ……二年前、香港でいろいろとあってね」
「はい。その節はお世話≠ノなりました」
どの口が言うかと、睨み付けるような視線を鷹化に向けるエリカ。
散々仕事の邪魔をされて世話になったのは、どちらかと言うとエリカの方だったからだ。
「ねえ、そんなことよりも荷物を置きたいから、早く部屋に案内して欲しいんだけど」
「これは気が利かなくて申し訳ありません! すぐに部屋までご案内します! おいっ! 皆さんの荷物をお持ちしろ!」
桜花に催促され、キビキビと仲居に扮した手下たちに指示をだす鷹化の姿をエリカは訝しむ。
へりくだった態度を見せているが、それは相手が太老だからであって鷹化という少年は基本的に尊大で口が悪い。
特に彼の女嫌いは有名で、その所為でエリカも痛い目に遭わされた経験を持っていた。
見た目十歳前後の幼い少女と言っても、桜花も女だ。太老の前とはいえ、あんな風にせっつかれたら多少は機嫌を損ねても不思議ではない。
しかし、まったくそれを態度にだすことなく、借りてきた猫のように大人しくしている鷹化の態度を不思議に思ったのだ。
「……桜花さんと何かあったの?」
だからそんな質問をしたのだが、それに鷹化は呆れた様子を見せる。
こんなにも近くにいて、本当に気付いていないのかと思ったからだ。
「エリカ姐さん。悪いことは言わないから、彼女にだけは絶対に逆らわない方がいい」
「……どういうこと? 確かに桜花さんは凄く強いけど」
ドニに勝利した太老に『武術では自分より上だ』と口にさせるほどの戦闘力を桜花は有している。実際に大騎士クラスの魔術師たちを一人で返り討ちにしたこともあるのだ。それでも、彼女はカンピオーネではない。本気で戦えば、太老の方が強いことは桜花自身も認めているのだ。
だから神獣を倒せるくらいの実力はあるのかもしれないが、本物の神――アテナやウルスラグナよりは劣るはずだと、エリカは桜花の実力を見立てていた。
神獣と互角以上の戦いが出来ると言う意味では、鷹化もそのくらいの実力は持ち合わせている。
そのため、拳を交える前から勝負を諦めるほどに、鷹化と桜花の間に隔絶した力の差があるとは考えていなかったのだ。
しかし、鷹化の考えはエリカと違っていた。同じく武術を嗜む者だからこそ、桜花の秘めた力を正確に鷹化は感じ取っていた。
「別格だ。僕なんかじゃ彼女の足下にも及ばない。いや、それどころか……」
少なくとも武術だけなら師父と互角かもしれない、と唇を震わせながら鷹化は口にするのであった。
◆
羅翠蓮と互角の強さ。それは即ち、カンピオーネ並の戦闘力を持っていると言うことだ。
だが、羅翠蓮は武術だけでなく方術の達人でもある。
戦えば、それでも羅翠蓮が勝つと思うが、鷹化の言葉がエリカは気になっていた。
彼は『少なくとも』と前置きを付けたのだ。
それは即ち、桜花が羅翠蓮よりも強い可能性を考慮しているとも受け取ることが出来る。
「先程から難しい顔をして、どうしたのだ?」
「いえ、なんでもないわ。それよりも、他の皆は?」
荷物の整理をしながら考えごとをしていると、いつの間にか他の三人の姿がなくなっていることに気付き、リリアナに尋ねるエリカ。
「つい先程、露天風呂へ行った。プリンセスに急かされてな」
「ああ……」
その光景が思い浮かぶようで、リリアナの説明に納得するエリカ。
アリスは元々行動力のある女性だが、身体が健康になったことで更に積極的な性格になっていた。
これまで見るだけで体験することの叶わなかったことが、新鮮で楽しくて仕方がないのだろう。
「もしかして、待っていてくれたの?」
「……別にあなたを待っていた訳じゃない。私も先に荷物の整理を終わらせておきたかっただけだ」
顔を背けながらそう話すリリアナを見て、エリカは苦笑する。
長い付き合いだ。リリアナの本心を察することなど、そう難しいことではなかった。
以前、太老が口にしていた言葉を思い出し、確かこういうのって日本ではツンデレって言うのよね、と妙な納得するエリカ。
そして、
「なら、私たちも行きましょ。前にサルデーニャで温泉に入ったけど、日本の温泉も気になっていたのよね」
「手を引っ張るな! 私は本当に待っていた訳ではなくてだな!? 温泉に入りたいなどと一言も――」
エリカに手を引っ張られ文句を口にしながらも、どこか困ったような嬉しそうな表情を浮かべるリリアナ。
(陸鷹化の言葉は少し気になるけど、桜花さんが太老の敵に回ることだけはないでしょうし……)
少なくとも桜花が太老に向ける好意は本物だ。
なら余り心配することもないだろうとエリカは問題を先送りし、意識を切り替える。
心配すべき問題。警戒すべき相手は他にもいるからだ。
「あ、そう言えば、あの時は太老も一緒に温泉に入ったのよね? 折角だから誘っていきましょうか?」
「はあ!? ちょ、待ってくれ! まだ心の準備が――」
そう言って太老の部屋へ向かおうとするエリカを、必死に引き留めようとするリリアナ。
恵那とアリスが既に太老を拉致した後であることを知る由も無く、そのやり取りは三十分近く続くことになるのであった。
……TO BE CONTINUDE
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