「御老公、このような方法は賛同致しかねます」
開口一番、姿を見せるなり小屋の主に苦言を呈したのは、玻璃色の瞳を持つ媛だった。
しかし、こうして玻璃の媛が乗り込んでくることは予想していたのか?
これ見よがしに右手に持った櫛をかざしながら、小屋の主――スサノオはクツクツと笑う。
「御老公……」
玻璃の媛にしては珍しく、低い声でスサノオを睨み付けながら不快感を示す。
滅多に感情を表にだすことのない彼女だが、今回のことは腹に据えかねたのだろう。
スサノオが拐かしたリリアナは、地母神の象徴たる蛇に連なる者――即ち、魔女だ。
玻璃の媛にとっても、まったくの赤の他人≠ニ言う訳ではない。その上、太老を誘き出すための餌≠ニされたのだ。
幾ら彼女が古老の中で最も良識派で温厚だと言っても、今回のスサノオの所業は限度を超えていた。
その上――
「かの羅刹の君に、西天宮に封じられた神君≠フことを伝えたのも御老公ですね?」
羅翠蓮に情報を流したのは、目の前の老人だと玻璃の媛は見抜いていた。
幽世に隠棲している古老が現世に干渉するため、手駒としているのは恵那だけではない。
そもそも媛巫女という存在自体が、正史編纂委員会と古老を繋ぐ架け橋となっているのだ。
恐らくは古老としての立場を使って四家の何れかを動かし、羅翠蓮の耳に入るように情報を流させたのだろう。
「そうは言うがな。恵那を誑し込んだばかりか、こっちの思惑を先回りして剣≠掠め取るような奴だぜ? 素直に招待に応じると思うか?」
「それは……」
確かに、そう言われるとスサノオの危惧にも一定の理解が及ぶ。
性格や実力を推し量る以外にも、これまで一切行方を掴ませることのなかった魔王の目的を探るつもりで太老を日本へ招いたのだ。
しかし尽くすべては裏目にでて、挙げ句には古老たちが何百年もの間隠し続けてきた最後の王≠ヨと繋がる鍵≠奪取されたのだ。
油断もあったことは認めるが、余りに鮮やかな手際に畏れ≠抱かされるほどだった。
だからこそ、スサノオはこう考えたのだ。
最初から太老が恵那の誘いに乗って日本へやって来たのは、これが狙い≠セったのではないかと――
「この俺が出し抜かれるなんてな。アイツは油断ならねえ」
だからこっちも手段を選んではいらないと話すスサノオに、ようやく合点が行ったと言う顔で玻璃の媛は呆れる。
ようするに変幻自在のトリックスターたる資質を持つ自分が出し抜かれたことが気に食わないのだ。
いや、それもあるのだろうが闘争心を刺激され、好敵手の出現に内心は喜んでいるのだと玻璃の媛は思う。
隠居して幽世に引き籠もっていると言っても、やはり彼は鋼≠フ性質を持つ武神と言うことなのだろう。
だが、
「御老公が出し抜かれるのも無理はありません。あの方の本質は戦士≠ナはありませんから」
玻璃の媛は、それを当然と受け止める。
スサノオが出し抜かれたことも、あっさりと結果に辿り着いたことも、太老ならばおかしくないと最初から分かっていたのだろう。
しかし、玻璃の媛と太老の間に面識がないことはスサノオも知っていた。
そもそも自分たちと同じように幽世に引き持っている彼女が、現世にいる太老と知り合えるはずがないからだ。
「……前から思っていたが、何を知っていやがる?」
故に尋ねる。
自分たちの知らないことを、玻璃の媛は知っている。
恐らくそれこそが、彼女が太老に拘る最大の理由だと感じたからだ。
しかし、玻璃の媛はそんなスサノオの問いに答えることなく、ただ憂いを帯びた微笑みを返すのだった。
異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第44話『武神の娘』
作者 193
「え? 桜花さんが日光へ?」
「うん。お兄ちゃんの代わりにね。だから、案内よろしくね」
まったく話が呑み込めないと言った様子で、桜花の傍らに立つエリカに視線を向ける甘粕。
いろいろと頭の痛い話ではあるが、リリアナが拉致されたと言う話は聞いているので、そちらを優先するのは仕方がない。
太老の助力が得られない以上、日光のことは成り行きに任せるしかないと諦めかけていたのだ。
なのに、どうしてそういう話になるのかと甘粕が疑問を抱くのは当然であった。
「何を考えているのかは察せられるけど、たぶん余計な心配だと思うわよ?」
「それこそ意味が分からないのですが……」
太老ならいざ知らず、カンピオーネでない只人が行ったところで命を危険に晒すだけだ。
桜花が大騎士クラスの魔術師を相手に大立ち回りをしたことは、甘粕も話に聞いている。
しかし、これから彼女が向かおうとしている先に待ち受けているのは、神と魔王だ。
少々腕に自信があると言った程度では、そもそも話にすらならない。
「このことを王はなんと……」
「お兄ちゃんには許可を貰ったわよ」
「最初はちょっと渋ってたけど、『桜花ちゃんなら大丈夫だろ』って最後は折れてたわね……」
益々意味が分からないと言った様子で、顔を顰める甘粕。
仮に桜花が聖騎士級の実力を秘めているとしても神や魔王が相手では、どうにもならないだろうというのが甘粕の考えだった。
それは、まつろわぬ神やカンピオーネの力を知る魔術師であれば、誰もが思うことだ。
神獣の相手でさえ、人の手には余るのだ。それだけに、エリカから聞いた話が信じられなかったのだろう。
「甘粕さん。素直に頷いておいた方が良いと思うよ。これは僕からの数少ない助言だ」
桜花の実力を、恐らくはこのなかで最も正しく理解しているであろう鷹化が話に割って入る。
太老の次に警戒し、絶対に機嫌を損ねたくないと思っている相手が桜花だからだ。
以前に会った時よりも随分と力を増しているようだが、それでもエリカが相手であれば負けない自信がある。
それは相手が恵那であっても同じだ。聖騎士級の実力があろうと、正面から相手を降す自信が鷹化にはあった。
しかし桜花に対しては、まったくと言って良いほど勝てるイメージが湧かない。
それどころか、自身の師匠と対峙しているかのような絶望的な差を、鷹化は桜花から感じ取っていた。
「……まさか、それほどなのですか?」
「悪いことは言わない。彼女には絶対に逆らわない方がいい」
もしかしてという予感はあった。しかし、まさかという思いの方が強かったのだ。
だが、鷹化の様子に冗談ではないのだと甘粕はようやく気付く。
目の前の子供にしか見えない少女が、カンピオーネに迫る力を秘めていると言うことに――
ありえないと思いつつも、神や悪魔を従える魔王が引き連れている少女だ。よくよく考えてみれば、普通の少女であるはずがない。
真っ先に甘粕の頭を過ったのは、グィネヴィアのような女神の生まれ変わりとされる神祖のことだ。
もしかしたら桜花も、そうした神々の力を身に宿した特別な存在なのかもしれないと言った考えが頭を過ったところで――
「まあ、これでも武神≠フ娘だしね」
『――ッ!?』
甘粕だけでなく、鷹化も揃って驚きに目を瞠る。
武神の娘――その言葉が正しいのであれば、桜花の強さにも納得が行くと考えたからだ。
盛大な勘違いではあるのだが、実力的には間違いとも言えない。
この世界の神霊程度であれば、単独で打ち倒せるだけの実力が桜花の母親にはあるからだ。
当然、娘の桜花も、そんな母に迫る実力を秘めていた。それだけに――
「だから、ちょっと興味があったんだよね」
一人の武道家として、羅翠蓮に興味を持ったのだ。
もしかしたら久し振りに全力をぶつけられる良い稽古相手になるかもしれないと、鷹化が聞けば顔を青ざめるような不遜極まりないことを考えていた。
なんだかんだと言って強い相手に興味を持つと言うのは、やはり彼女は武神の娘≠ニ言うことなのだろう。
とはいえ、自分からこんなことを言いだしたのは、他にも理由があった。
「それに、その人って女の人なのよね? お兄ちゃんに任せると、もっと面倒なことになりそうだし……」
どちらかと言うと、そちらの心配が大きかったからだ。
意味が分からないと言った表情を見せる男二人に対して、エリカは納得が行ったという反応を示すのだった。
◆
「桜花さんを行かせて、本当によかったのですか?」
「エリカも一緒だし、大丈夫だろ。それに……」
桜花ちゃんは俺より強いしな、と俄には信じがたい話をする太老に困った顔を見せるアリス。
「只者じゃないとは思ってたけど、あの子ってそんなに強いんだ」
「ああ、だから絶対に怒らせるなよ」
面倒事はごめんだとばかりに、恵那に注意する太老。
恵那には前科があるだけに、桜花にまで喧嘩を売られては面倒だと考えたからだ。
微妙に前振りになっている気がしなくもないが、恵那も相手の力量を見抜けないほど愚かではない。
桜花が逆立ちをしたって勝てない相手であることくらい彼女も気付いていた。
ただ、どの程度の力を隠しているのか? いまの恵那の実力では、はっきりと推し量れなかったのだ。
魔王級の実力があると言われて素直に納得したのも、そのためだった。
「もしかして、彼女もカンピオーネなのですか?」
「いや、桜花ちゃんは普通の人間だ。まあ、この世界の自称神様くらいは倒せると思うけど」
神様を倒せる力があるのにカンピオーネではない。
この世界の魔術師たちが聞けば、信じられないような話だろう。
実際、アリスも太老の話をちゃんと理解しているかというと難しかった。
「そもそも、俺だって自分から魔王を名乗ったことは一度もないんだけどな……」
失礼な話だと、太老は不満を漏らしながら溜め息を吐く。
「でも、王様は神様を倒したんだよね?」
ウルスラグナは生きていたが、もう一柱に関しては確かに倒したと言えなくもない。
念のため再調査を行なってみたが、船のエネルギーフィールドに圧殺されて、完全に消滅していることが確認できたからだ。
恐らくはウルスラグナとの戦いで消耗しているところに、不意の一撃を受けて耐えきれなかったのだろう。
ウルスラグナが無事だったのは、その消滅したもう一柱の神――メルカルトの陰に隠れていたからでもあった。
直撃を免れたからこそ、どうにか最小限のダメージで逃げ果すことが出来たのだ。
「……事故みたいなもんだがな」
と、説明したところで理解してもらえるとは思えない。
これまでに何度も繰り返した問答だけに、まつろわぬ神を倒したという一点に関しては太老も言い訳をするつもりはなかった。
「なら、王様は王様でいいんじゃない?」
ルクレチアのようなことを言う恵那に、やっぱりそうなるのかと太老は肩を落とす。
何を言ったところで、この誤解を解くのは難しいと悟ったからだ。
そもそも完全な誤解であればいいのだが、魔王と呼ばれるだけの結果を残しているのだ。
しかも、発達した科学は魔法と見分けがつかないと言うが、権能と見紛うばかりの力も所持している。
これで魔王ではないと言ったところで納得してもらえないのも、ある意味で当然と言えた。
「……その理屈だと、桜花さんもカンピオーネになるのでは?」
確かにアリスの言うことにも一理あると、太老は考える。
神を倒せる力を持つ者がカンピオーネであるのなら、桜花にも十分その力はあるからだ。
「でも、まだ倒してないんだよね?」
神を倒せる力を持っているのと、神を倒したのとでは別の話だと恵那は話す。
太老は結果を示してきたから魔王と呼ばれるのであって、残念ながら桜花の実力を知る者は少ない。
大騎士クラスの魔術師たちを圧倒したとは噂になっているが、それイコール神殺しとはならないからだ。
その程度のことであれば、聖騎士級の実力があれば不可能な話ではない。
実際、恵那も神がかりの力を使えば、複数の大騎士を相手取ることは可能だろう。
「ん? なら、神様じゃなくても魔王を倒したら、どうなるんだ?」
「普通の人間がカンピオーネの方々に勝てるはずもありませんから……」
少なくともカンピオーネであることを疑われることにはなるだろうと、アリスは太老の疑問に答える。
そもそも、ただの人間が魔王に勝ったなどという話を普通の魔術師は信じないし、そんな話を出来ることなら広めたくないという考えがアリスにはあった。
あんな子供が勝てたのなら自分もと、魔王に挑む愚か者が他に出て来ないとも限らないからだ。
そのバカが返り討ちに遭って死ぬだけなら大した問題ではないが、それだけで話が済むとは思えない。
魔王の怒りを買うと言うことがどういうことか、分からないアリスではなかった。
下手をすれば、街の一つや二つは消える。その気になれば、国を容易く滅ぼすほどの力が魔王にはあるのだから――
「……なんだか、嬉しそうですね」
「いや、散々弄られてきたからな。桜花ちゃんも、こっち側にくると思ったら遂……」
これで魔王ネタで身内に弄られることも減るだろうと考え、思わず笑みを浮かべる太老にアリスのツッコミが入る。
しかし、それは桜花が羅翠蓮に負けるとは、微塵も考えていないと言うことを意味していた。
その意味を正しく理解したアリスは改めて桜花の力に興味を抱くが――
(今後の対応について、委員会のトップとも会談を行なう必要がありますわね……)
いまから頭を悩ませることになるのであった。
◆
「それで、羅濠教主と一戦交えるというのは本気なの?」
「一言文句は言うつもりだけど、話し合いで済ませるつもりではいるよ。でも話を聞いている限りだと、そうなるんじゃないかなって」
確かに、桜花の言うとおりになる可能性の方が高いとエリカも認める。
直接の面識がある訳ではないが、羅翠蓮の話はエリカの耳にも届いているからだ。
そこから予想できる性格を考えると、まず間違いなく話し合いで済む相手ではないだろう。
それに――
「お兄ちゃんほどじゃないけど、私も少し頭にきてるんだよね」
リリアナを誘拐したのは、古老だと言うことが分かっている。
それでもその古老の話に乗って、自分たちを罠に掛けるような真似をした羅翠蓮を許すことは出来ない。
何より身内≠ノ手をだされて怒っているのは、太老だけではないからだ。
桜花もそれなりにリリアナのことは気に掛けていた。でなければ『お姉ちゃん』などと呼ばない。
「……勝つつもりでいるのよね?」
「勝負に絶対はないけど、たぶん大丈夫だと思うよ。少なくとも、ガチンコ勝負なら負ける気はしないし」
正面からの対決なら、相手が誰であっても桜花は負けるつもりはなかった。
太老には勝てないと思っているのは、そもそも純粋な力比べをさせてもらえないと分かっているからだ。
「でも、分かってるの?」
「ん、何が?」
「羅濠教主に勝ったら間違いなく、八人目のカンピオーネだと噂されることになるわよ」
ああそのこと、と最初から分かっていたように桜花は頷く。
実際そうなる可能性が高いことは予想していたのだろう。
太老という実例があるのだから、予想できない方がおかしい。
しかし、
「なんて呼ばれようと、私はお兄ちゃんほど気にしてないしね。昔から武神の娘だなんだと言われてきた訳だし……」
しみじみと苦労を語る桜花。
神木家第七聖衛艦隊の闘士たちと手合わせをさせられている内に『平田家の麒麟児』や『小さな武神』だと、いろいろと言われて育ってきたのだ。
今更、魔王と呼ばれたくらいで動じるような性格はしていない。『鬼の寵児』よりはマシだろうと言うのが桜花の考えだった。
それに――
「私はあくまでお兄ちゃんの妹≠セから」
そう話す桜花の考えを察して、エリカは呆れた様子で苦笑を漏らすのであった。
……TO BE CONTINUDE
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