大気を引き裂くような轟音が響く。
 桜花の放った拳を正面から受け止め、強引に押し返す羅翠蓮。

「なんて馬鹿力……ッ! それも権能って奴?」
「ええ、わたくしが阿吽一対の仁王より簒奪した『大力金剛神功』です」

 羅翠蓮の人間離れした剛力に、さすがの桜花も驚きの声を上げる。
 戦闘用に調整された生体強化を受けた人間でも、これほどの怪力を持つ人間は少ないだろう。
 ひょっとしたらパワーだけなら、特別な生体強化を受けた樹雷皇家の人間にも匹敵するかもしれないと桜花は考える。
 しかし――

「そっちがそうくるなら――船穂、龍皇!」
「な――」

 桜花も負けてはいなかった。
 幾ら桜花と言えど、権能で剛力を得たカンピオーネと力比べをするのは厳しい。しかし〈皇家の樹〉の力を借りた状態であれば、話は別だ。
 正式なマスターと言う訳ではないので完全に〈皇家の樹〉の力を引き出すことは出来ないが、カンピオーネの持つ権能も結局のところは借り物≠フ力に過ぎない。
 ならば、対抗できない道理はない。
 目には目を歯には歯を、と言った感じで、力に力で対抗する桜花。

「まさか、それは神獣!? くッ――」

 二人の放つ力の余波に耐えきれず、ひび割れる大地。
 驚きに目を瞠り、苦悶の表情を浮かべる羅翠蓮。
 よもや力で拮抗されるとは思ってもいなかったのだろう。
 いや、僅かにではあるが、桜花の方が力で押していた。

「見事です! この羅濠を力で上回るとは――しかし!」

 力比べでは分が悪いと悟ると腕を引くことで力を受け流し、桜花の体勢を崩しに掛かる羅翠蓮。
 バランスを崩されそうなるも右足を前へだすことで踏ん張り、懐から見上げるように桜花は頭突きを放つ。
 しかし、そんな桜花の反撃に対して、迎え撃つように額を合わせる羅翠蓮。

「痛っ! なんて石頭!」
「ぐッ!」

 距離を取るように弾き飛ばされながら、真っ赤に腫れた額を両手でさする桜花。
 しかし、ダメージを負っているのは羅翠蓮も同じであった。
 よろよろと後退り、膝をつきそうになるのを気合いで踏み止まる。
 額から血を流しながらも、その表情には驚きと歓喜が溢れていた。

「この羅濠に傷を付けるとは……武神の娘というのは、あながち誇張ではないようですね」

 力比べでは、僅かに桜花の方が上。
 武術の練度においても、桜花が常人では到達しえない達人の域にあることを羅翠蓮は見抜いていた。
 それに桜花の頭と肩に乗った船穂と龍皇を見て、手を抜いて勝てるような相手ではないと確信する。
 神獣を飼い慣らすような少女が、普通の人間であるはずがないからだ。

「よいでしょう。あなたを敵≠ニ認めます。羅濠の絶技、その眼にしかと刻みなさい」

 何かしらの術を発動して、白い光に包まれたかと思うと――
 仙女を思わせる漢服から一転して、太股にスリットの入ったチャイナドレスに装いを変える羅翠蓮。
 先程までと雰囲気の変わった羅翠蓮を見て、桜花の目つきも変わる。
 いままでのは様子見。ここからが本番だと感じ取ったからだ。

「なら、私も少し本気をだそうかな」
「……いままでは本気でなかったと?」
「少なくとも、殺す気ではやってなかったしね」

 桜花の言葉がただの強がりではないと察して、口角を上げる羅翠蓮。
 よもや、この地上に自身と武で競い合える相手が存在するとは、夢にも思ってはいなかったのだろう。
 だが、それは彼女にとって嬉しい誤算であった。
 好敵手に飢えていたからこそ、この地に眠るまつろわぬ神に目を付けたのだ。
 前座と呼ぶには余りに贅沢な強敵を前に、羅翠蓮は胸を躍らせる。

「では、競うとしましょうか。どちらが武の頂点に立つに相応しいか」
「そうね。上には上がいるってことを教えてあげるわ」

 全身に覇気を纏い、対峙する魔王と武神の娘。
 武の頂点を決める戦いが杉の木が林立する栃木の山奥で、密やかに幕を開けようとしていた。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第47話『武の頂き』
作者 193






「こりゃ、想像以上だな。ほとんど、師父と互角じゃないか……」

 桜花に喧嘩を売らなかった自分の英断を、心の底から褒める鷹化。
 羅翠蓮と小細工なしに互角の勝負が出来るような化け物を相手に、カンピーネでない普通の人間が敵うはずもないからだ。
 そのことは普段から稽古と称し、羅翠蓮の手解きを受けている鷹化が一番よく理解していた。
 手加減をした羅翠蓮を相手に鷹化でさえ、一分持ち堪えることが出来れば上々と言ったところなのだ。
 なのに読み合いで互角の勝負を繰り広げ、力比べで羅翠蓮の上を行くなど桜花の異常さがよく分かる。
 技の多彩さや練度は羅翠蓮の方が上のようだが、パワーとスピードでは桜花が上回っている。
 トータル的に見れば、ほぼ互角と見て良いだろう。
 もっとも、どちらもまだ奥の手を隠し持ってはいるようだが――

「それで、アンタはどうするの?」

 羅翠蓮と桜花の戦いを観察していると、不意にエリカから声を掛けられ、渋い顔を見せる鷹化。
 この状況を考えれば、そのような問いが自分に向けられることは予想が付いていたのだろう。
 羅翠蓮に命じられて、エリカたちを日光へ誘き寄せるのに一役買ったという見方も出来るからだ、

「信じてもらえるかは分からないけど、姐さんたちと事を構える気はないよ。師父に命じられたのは、王の一行をもてなすことだからね」

 だが、それは誤解だとばかりに両手を挙げ、自分に戦う意志がないことを鷹化はアピールする。
 信用してもらえるかどうかは別として、何も聞かされていなかったのは本当のことだからだ。
 それに――

「いまのエリカ姐さんと一戦交えるのは、骨が折れそうだしね……」

 以前と比べ、比較にならないほどエリカが腕を上げたことに鷹化は気付いていた。
 大騎士程度の実力者が相手なら、何人相手にしても勝利できる自信が鷹化にはある。
 しかし、聖騎士クラスの相手となると話は別だ。
 少なくとも今のエリカには、そのくらいの力があると見抜いたのだろう。

「正直、二年前とは比べ物にならない。急にそれほどの力を身に付けたのは、やっぱり王様の力なのかな?」
「……否定はしないわ」

 鷹化の指摘に、複雑な表情を滲ませるエリカ。
 死にかけていた――いや、実際にはまつろわぬ神≠ニの戦いで一度死んで、太老に命を救われた。
 その結果、与えられた副産物のようなもので、才能や努力で身に付けた力でないことを自覚しているのだろう。
 しかし――

「私は太老に命を救われ、力を与えられた。だから私には、その想い≠ノ報いる義務と責任があるわ」

 周りから見れば、ズルかもしれない。
 しかしエリカからすれば、それは愛する人からの贈り物だった。
 命を救ってもらった恩というのもある。だが、それ以上に愛する人と――太老と同じ戦場に立ちたいとエリカは願っていた。
 その可能性を繋いでもらったのだ。不満などあるはずがない。

「ああ、勘違いしないで欲しいんだけど、急に力を付けた理由が気になっただけで……どう言う経緯で身に付けたにせよ、それはエリカ姐さんの力だ。僕も否定するつもりはないよ。というか、負けた時の言い訳にもならない。そんな言い訳をしたら師父に殺されるよ」

 エリカが何を考えているかを察して、慌てて誤解を解こうとする鷹化。
 こんなことが少しでも羅翠蓮の耳に入ったら、まずいことになると考えたのだろう。
 それにズルと言う意味では、カンピオーネの権能にも同じことが言える。命懸けで神と戦い、簒奪した力とはいえ、力を持たざる者から見れば理不尽以外のなんでもないからだ。
 しかし鷹化から言わせれば、それは弱者の遠吠えに過ぎない。
 力を手に入れた経緯など問題ではない。力に振り回されることなく使いこなせているかどうかの方が重要だ。
 その点、エリカは完璧とは言えないが、それなりに力を御せているように見える。
 なら自分が言うべきことは何もないというのが、鷹化の考えだった。
 とはいえ――

「まあ、負けるつもりはないけどね」

 戦う意志はないと言っておきながら、挑戦的な笑みを浮かべる鷹化。
 確かにエリカは強くなった。鷹化であったとしても、一筋縄でいく相手でなくなったのは間違いない。
 それでも、自分が勝つという絶対の自信が鷹化にはあるのだろう。

「相変わらずの自信家≠ヒ」
「まあ、それだけの実力はあるつもりだしね。エリカ姐さんだって、自分が負けるなんて思っちゃいないだろ?」

 鷹化の言っていることは、エリカにも理解できた。
 気持ちで負けていて、勝負に勝てるはずもない。実力が近い相手であれば、尚更だ。その差が勝敗を分けることになる。
 少なくとも、カンピオーネ以外に自分が負けることはない。鷹化は本気で、そう思っているのだろう。
 しかし、それはエリカも同じだ。だからこそ、互いの考えていることが手に取るように分かる。

「でも、桜花さんには最初から負けを認めてたみたいだけど?」
「……彼女は例外でしょ? この戦いを見せれば、誰もが彼女を八人目≠フ王と認めると思うよ」

 いまだ激しい轟音が鳴り響く戦場を眺めながら、エリカの問いに答える鷹化。
 少なくとも羅翠蓮と互角の戦いが出来る者を、人の範疇に数えるのは間違っている。その点はエリカも同意だった。
 ふと、太老が言っていた話がエリカの頭に浮かぶ。

「そう言えば、近接戦闘は自分以上だって太老が言っていたわね」
「まあ、僕も武芸なら何人かの王を凌ぐ自信はあるけど……」

 武芸だけなら大半の王を凌ぐ自信が鷹化にはある。
 だからと言って相手は神に挑み、勝利を掴み取るような化け物だ。喧嘩を売って勝てる自信など微塵もない。
 どんな才能も、百年の研鑽も、カンピオーネの前では無意味。相手が誰であろうと必ず勝利を手繰り寄せる。その一点において、彼等ほど卓越した者はいないと知っているからだ。
 しかし、なかには例外も存在する。
 類い稀な武術の才と血の滲むような研鑽によって、人の身で神に迫る力を身に付けた者。
 身に付けた武芸と術の限りを尽くし、神に勝利した超越者。
 武の頂点を極めし者。それこそが、羅翠蓮だった。
 なのに――

「師父と正面から拳で打ち合える相手なんて、王のなかにもいないと断言できるよ」

 桜花は羅翠蓮と正面から小細工無しに互角の戦いを繰り広げていた。
 もし、本当にカンピオーネでないのだとすれば、彼女は羅翠蓮と同じ――武術の深奥に到達した達人の中の達人。
 人の殻を破り、神の域にまで達した超越者と言うことになる。
 喧嘩をふっかけなくてよかったと、心の底から鷹化が思うのも当然であった。

「彼女のことはおいておくとして、敵対する気はないってことね?」
「ああ、もっともこれ以上、姐さんたちを手伝う訳にもいかないけどね。邪魔だけはしないと約束するよ」

 鷹化の協力が得られないのは少し痛いが、それで十分だとエリカは判断する。
 いまは鷹化の相手をすることよりも、優先すべきことがあると考えたからだ。
 そう、羅翠蓮の目的――

「まつろわぬ神が封じられた祠の場所は、当然把握しているのよね?」
「ええ、勿論。まさか……ですが、あそこは九法塚家の許可がなければ……」
「そんなこと言っている場合じゃないことは分かってるでしょ?」
「うっ……それは……」

 まつろわぬ神が封じられている祠は九法塚家が管理し、秘匿してきたものだ。
 勝手に立ち入れば、後々問題となることは目に見えている。
 しかしエリカの言い分はもっともだと、甘粕も理解していた。
 最低でも、まつろわぬ神を封じた結界が無事かを確認する必要がある。
 羅翠蓮が九法塚家の総領に化けていた以上、祠の存在も既に彼女の手中にあると考えて間違いないからだ。

「仕方がありませんね。緊急事態と言うことで、ご案内します。ですが、封印の状態を確認するだけですからね?」
「ええ、分かっているわ」

 強引に解けるような結界ではないとはいえ、万が一もありえる。
 深々と溜め息を漏らしながら念を押すと、甘粕は神が眠る祠へとエリカを案内するのであった。


  ◆


 ――が、

「エリカさん、困ります! 勝手に中へ入られては――」

 無断で祠のなかへ立ち入ろうとするエリカを、引き留める甘粕。
 あれほど念を押したと言うのに、話が違うと言いたいのだろう。
 しかし、エリカにも言い分はあった。

「外の結界が破られていたのよ? なかに入って封印の状態を確認しないと、安心は出来ないでしょ?」
「そ、それはそうですが……」

 さすがにこれ以上は――と思いつつも、エリカの心配も一理あることを認める甘粕。
 祠の結界に綻びが確認できた以上、封印も無事であると考えるのは楽観的が過ぎる。
 既にまつろわぬ神が復活している可能性すら考えられるのだ。危機的状況と言っても良いだろう。

「少し様子を確認するだけよ。私だって命は惜しいし、神に挑むつもりはないわ」
「……本当に本当ですか?」
「ええ、王に誓って」

 そもそも、それで一度失敗をして命を落としかけているのだ。
 幾ら強くなったとは言っても、それでも神に届かないことは、エリカ自身が一番よく分かっていることだった。
 少なくとも、正面から挑む気にはなれない。足止めすら困難であろうと想像が付くからだ。
 エリカの言葉を完全に信用した訳ではないが、これ以上は問答を続けても時間の無駄と考え、甘粕の方が先に折れる。

「分かりました。ですが、この先なにがあっても恨みっこなしですよ?」
「勿論、私を囮にして逃げてもらっても構わないわよ」

 冗談だろうとは思うが、そのくらいの覚悟があって言っているのだと理解し、渋々と言った様子ではあるが甘粕も納得する。
 正史編纂委員会のエージェントとして、出来るだけ正確な情報を得ておきたいというのは甘粕も同じであったからだ。

「それじゃあ、行くわよ」
「ええ、何事もないことを祈りますよ……」

 この状況で、まつろわぬ神まで復活してしまえば、それこそ最悪の事態へと発展しかねない。
 封印が無事であることを祈りつつ、甘粕はエリカと共に祠の奥へと歩みを進めるのであった。





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