先日、遂にクロスベルの国家独立が宣言された。その背景には、クロスベルが抱える地政学上の問題がある。
 クロスベルは、いまから七十年ほど前に自治州として独立したゼムリア大陸有数の貿易都市だ。しかし、西と東をエレボニア帝国とカルバード共和国という二大国に挟まれたクロスベルは、常に両国の領土争いの対象となってきた。
 いつ戦火に見舞われても不思議ではない。そんな緊張状態を緩和したのが、二年前にリベール女王の提唱で締結された〈不戦条約〉だ。
 しかし、そんな条約があってもクロスベルを取り巻く状況が厳しいことに変わりは無く、日に日に増す帝国と共和国の圧力にクロスベルは苦しい立場を強いられていた。
 そんななかで新市長に就任したディーター・クロイスの口から発せられたクロスベルの国家独立。
 当然、帝国や共和国は、そんな話を受け入れられるはずがない。
 二つの大国に挟まれ、ゼムリア大陸の経済的中心都市として発展を続けてきたクロスベルは、いまやIBC(クロスベル国際銀行)を筆頭に大陸中の富が集まる巨大な金融街へと変貌を遂げている。
 そんなクロスベルに集まる税収の凡そ十パーセントにあたる税が、帝国、共和国の双方に納められており、国防だけでなく経済上の理由からもクロスベルの独立を認めるわけにはいかない事情が両国にはあった。
 帝国時報を始めとした各社の新聞には、この独立宣言に端を発した記事が一面を占めていた。

(クロスベルの独立か。原作通りになったな)

 前世の記憶があるとはいえ、それは十年以上も前の記憶だ。
 未来の知識があるとはいえ、さすがに細部まで覚えているわけではない。しかし、大筋の流れくらいは分かる。
 いつかは起こると思っていたが、クロスベルの国家独立が宣言された以上、帝国の内戦も近いと考えた方がいいだろう。そしてリィンの記憶によれば、貴族連合に〈西風の旅団〉のメンバーが参加しているはずだった。
 雇い主は、カイエン公爵。帝国西部ラマール州に領地を持ち、帝国五大都市の一つ『海都オルディス』に本拠を構える四大名門貴族の一人だ。そしてオルディスといえば、七体の騎神の一つ〈蒼の騎神〉が眠る試しの地≠ナもある。
 騎神――『閃の軌跡』において、最も重要な役割を持つ人型の機械兵器。人が乗り込めるほどの大きさがある巨大なロボットで、暗黒時代の初期に造られたという話だが、その力は近代兵器を凌駕する。
 原作の通り帝国解放戦線のリーダーがあの男だとすれば、〈蒼の騎神〉の起動者(ライザー)は予想が付く。
 出来ることなら、あの男――〈蒼の騎神〉の起動者、クロウ・アームブラストが士官学院に在籍しているかどうかも調査しておきたいとリィンは考えた。

「リィンさんからデートのお誘いを頂けるなんて思いもしませんでしたわ」

 嬉しそうに、どこかからかうような声音で、そう話す少女。
 軽くウェーブのかかった金色の長髪。幼くも均整の整ったプロポーションに、アンティークドールのように鼻筋の通った顔立ち。聖アストライア女学院の制服に身を包んだ美少女が、人気のない店内でエプロン姿のリィンとカウンター越しに向かい合い、座っていた。
 原作では団長が戦死した後、フィーは遊撃士のサラ・バレスタインに拾われて士官学院に通うことになるはずだが、この世界では違う。リィンとフィーの前に現れ、二人を勧誘したのは目の前の少女の兄、オリヴァルト・ライゼ・アルノールだった。
 そして彼女の名は、アルフィン・ライゼ・アルノール。この国の皇帝ユーゲント三世の娘。護衛の目を盗んでは、客を装って様子を見に来る困った皇女様だ。こうしてアルフィンが定期的に顔をだすのは、兄の名代として二人の監視も兼ねているのだろう。
 士官学院への誘いを断ったことといい、〈西風〉の元メンバーということで警戒されていることはリィンも承知の上で帝都に店を構えていた。
 アルフィンを遠ざけることは簡単だが、そうしたところで相手に余計な不信感を与えるだけだ。
 なら、堂々としていればいい。
 腹の内を探られても困るようなことはないし、オリヴァルトがリィンやその背後にいる〈西風〉の力を目的に近づいてきたように、リィン自身、オリヴァルトやアルフィンの――皇族の権威を利用することに抵抗はなかった。
 実際、アルフィンがこうして店に顔をだすことで、革新派や貴族派と言った連中の良い牽制にもなっている。下手に勧誘が殺到しても困るし、断ったら断ったで適当に罪をでっち上げられて逃亡生活を強いられるのも面倒だ。
 猟兵が世間にどう言う目で見られているのか、知らないリィンではなかった。

「オリヴァルト殿下を待つよりは、皇女殿下に話を通した方が早いと思いまして」
「アルフィンですわ」
「いや、だから皇女殿下……?」
「アルフィンと呼んでくださらないのですか? でしたら、この話はなかったことに……」

 (したた)かなところを見せるアルフィンにリィンも言葉を失う。
 ――頼る相手を間違えたか?
 ともリィンは考えるが、他に頼れる相手も思い至らず、彼女の要求を呑むしかなかった。

「アルフィン……殿下」
「……そのあたりが妥協点かしら? エリゼのことは呼び捨てになさるのに」
「いや、さすがに殿下のことを呼び捨てにするのは、まずいでしょ……」
「そうかしら? オリヴァルト兄様はよく『バカ』呼ばわりされていますけど」
「それは仕方ない」

 オリヴァルトがバカなのは周知の事実なので、リィンもそこは否定するつもりがなかった。
 良い意味でも悪い意味でも、あの『放蕩皇子』は規格外すぎる。
 まあ、あの兄にして、この妹だとはリィンも考えるが――

「何か、失礼なことを考えていません?」
「いえ、別に……」

 意外と鋭いアルフィンに内心焦りながらも、リィンは平静を装う。
 そんなリィンを見て訝しげな表情を浮かべながら、アルフィンは溜め息を漏らす。

「それで相談というのは?」
「トールズ士官学院の学院祭のチケット、どうにか手に入りませんか?」
「学院祭のチケットですか?」
「ええ、以前に誘いを断っておいて図々しいかと思いますが、俺の我が儘にフィーまで付き合わせてしまいましたから、せめて学校を見せてやりたいんです」
「なるほど……そういうことですか。リィンさんは、本当にフィーさんのことを大切に想っていらっしゃるのですね。わかりました。そういうことでしたらご協力しますわ。いえ、是非協力させてください」

 彼女なりにフィーのことを気遣ってくれているのだろう。
 そんなアルフィンの善意を利用しているようで気が引けるが、これで準備は整った。
 まずは未来の知識とどの程度の差違があるのか、それを調べることからリィンは始めることにした。

「ところでリィンさん。わたくしも一つ相談事があるのですが」
「相談ですか? まあ、俺で相談に乗れるようなことなら……」

 若干、疑いの視線を向けながらも、真面目にアルフィンの話を聞くリィン。
 頼みを聞いてもらった手前、アルフィンの話を聞かないというのも義理に反する。
 そう考えてのことだったのだが――

「先程の話のように、いつもフィーさんのことを気に掛けていらっしゃいますし……それにほら、エリゼのこともあるでしょう?」
「えっと……話が見えて来ないのですが、具体的に何を聞きたいので?」
「オリヴァルト兄様が、リィンさんは未成熟な胸――貧乳が好きだと話されていたのですが……それは、真実なのでしょうか?」

 あの放蕩皇子とは一度、拳で語り合う必要がありそうだ。
 そう、密かに決意するリィンだった。


  ◆


 結論から言えば、クロウは士官学院に在籍していた。そして原作通りVII組に所属し、その中核を担っていることが分かった。
 問題は〈灰の騎神〉の所在だ。
 クロウが〈蒼の騎神〉の起動者(ライザー)と仮定して、士官学院の旧校舎に眠っていた〈灰の騎神〉の起動者には誰がなるのかと言った問題がある。
 関係者の意識が学院祭に向いている隙に、リィンはこっそりと旧校舎の様子を探っていた。そこから分かったことは、リィンがいなくとも原作のように旧校舎の攻略が進められていたということだ。
 さすがに〈灰の騎神〉の姿を確認することや、起動者が誰かということまでは分からなかったが、最奥まで攻略されていた場合、VII組のメンバーが〈灰の騎神〉の起動者候補となった可能性は高いと考えていいだろう。

「リィン、どうかしたの?」
「いや、なんでもない。それよりどうだ? 学院祭は楽しかったか?」
「うん……新しい友達も出来た。それに、リィンの話も一杯した」
「俺の話? また皇女殿下か……。変なことを吹き込まれていないだろうな?」
「変なこと?」

 意味がわかっていない様子で首を傾げるフィーに「気にしないでくれ」と肩を落として答えるリィン。
 取り敢えずの目的は達した。
 原作に大きな変動がないのであれば、近いうちに内戦は起きると考えていいだろう。
 あとは〈西風の旅団〉が原作通りに、カイエン公に雇われているのかということだ。
 正直、四大名門率いる貴族派と、鉄血宰相を筆頭とした革新派の諍いにリィンは興味がなかった。
 鉄血宰相ことギリアス・オズボーンが実の父親だと言われても特別な感情など湧かないし、クロウの復讐を悪いことだとも止めようとも思わない。それよりも気掛かりなのは、アルフィンやエリゼのことだ。
 エリゼは原作と違い、リィンの妹でないことからアルフィンの親友という以外では狙われる要素がない。それでも内戦が起これば、彼女の性格からしてアルフィンを放って置けるとは思えないし、共に戦火に巻き込まれる可能性は十分にある。
 内戦など関係ないと見て見ぬ振りをすることは出来るが、二人はフィーの数少ない友人だ。
 それにリィン自身、二人を見捨てるような真似はしたくなかった。
 一年前――そうなるとわかっていて、ルトガーを助けることが出来なかった。
 だから、もう後悔はしたくない。とはいえ――

(半分は自業自得とはいえ、ハードすぎるだろう……)

 原作のように騎神はなく味方も少ない。〈八葉一刀流〉というチート剣術も使えない。
 あるのは、どういうわけか昔から使える〈鬼の力〉と、猟兵のスキル――
 それでどこまで通用するかは分からないが、いまは出来ることをやるしかなかった。

「フィー、大切な話がある」

 帰り道――帝都行きの列車の中で、唐突にリィンはフィーに話を振った。
 本気で〈西風〉の皆を捜すつもりなら、避けては通れない問題だ。フィーの意思を再度確認し、協力を得る必要があった。
 フィーも、ここ最近のリィンの様子から薄々なにかあると感じ取っていたのか、特に驚いた様子は見せず言葉を返す。

「……話? 今日のことと関係があるの?」
「ああ、薄々気付いているかもしれないが、貴族派と革新派の確執は限界に達している。そしてクロスベルの一件だ。先日、クロスベルへ派遣された帝国・共和国の軍が、クロスベルが投入した秘密兵器によって壊滅させられた話は知っているだろう?」
「うん……その話は知ってる。ガレリア要塞が壊滅的なダメージを受けたって……」

 連日のように新聞やラジオを通じて報道されていた事件だ。フィーも、そのことを知らないはずがない。
 そして近々、その件に関して帝国政府の正式な発表があるという報道がなされたばかりだった。
 そう、あのドライケルス広場で鉄血宰相の演説が行われる予定だ。

「クロスベルや共和国のこともあって、帝国正規軍は国境近くから身動きが取れない状態だ。これは貴族派にとって、またとない好機とも考えられる」
「帝都で何かが起きると……リィンは考えているの?」
「ああ、フィーも感じているんじゃないか? 戦場の気配と似た空気を――」
「うん……」
「近いうちに貴族派が動きを見せるはずだ。そして、領邦軍と帝国正規軍。貴族派と革新派に分かれて、内戦へと発展する可能性が高い。戦争が起きるということは……」
「猟兵が参加するかもしれない――そういうことだね?」

 戦争屋とも呼ばれる猟兵は(ミラ)で雇われ、時には内戦や他国との戦争に参加する。勿論、相手にするのは人間だ。魔獣退治を主な仕事とする遊撃士とは、その点が大きく異なる。特に有名なのが、ノーザンブリア自治州を拠点とする〈北の猟兵団〉だろう。
 国土の半分が塩となり、国民の三分の一が失われた大災厄――『塩の杭事件』と呼ばれる異変によって大打撃を受けた国を救うため、嘗て正規軍に所属していた兵士たちが外貨獲得のために立ち上がり結成した猟兵団だ。
 世界中に彼等は散り、ミラのためなら各地の紛争にも参加し、どんな汚い仕事でも引き受ける。
 猟兵の悪名を世に知らしめた一団だ。そして〈西風の旅団〉も、そんな猟兵団の一つだ。
 だとすれば、帝国で内戦が起きれば息を潜めている〈西風の旅団〉も、仕事(ビジネス)で戦争に参加する可能性が高い。
 団長を失ったとはいえ、その実力は折紙付きの猟兵団だ。(ミラ)を糧に戦場を渡り歩く、その本質は変わらないはずだ。
 フィーもその考えに至ったのだろう。リィンの言葉に納得の表情を浮かべる。

「じゃあ……今日、士官学院にきたのは、そのことを確かめるため?」
「……ああ」

 嘘にはならない程度で、フィーの質問に答えるリィン。
 実際、本当に内戦が起きるのか?
 士官学院を通して貴族派の動きや、現場の空気をあらかじめ感じておきたかった。
 騎神の件以外にも、帝都知事のカール・レーグニッツや貴族派きっての貴公子と名高いルーファス・アルバレアを、アルフィンやオリヴァルトを通じて堂々と観察できた点は収穫が大きかった。
 流れから言って、内戦が起きるのは確実と見て良いだろう。
 その確信が持てたからこそ、リィンはそのことをフィーに打ち明けることを決めたのだ。
 勿論、前世の記憶云々はぼかしてのことではあるが――

「リィンは……どうするつもりなの?」
「それは貴族派につくか、革新派につくかってことか? まあ、〈西風〉の皆の動向を掴んでからの話だな。そういう話は……」
「……だよね」

 フィーがアルフィンやエリゼと仲良くしていることはリィンも知っている。今日も二人と学院祭を回っていたはずだ。だから内戦の話を聞いて、二人のことを気にしているのだろうということもリィンは察していた。
 本音を言えば、リィンは内戦に直接的に関わるつもりはなかった。しかし、準備を進めるほどに、それが難しいことはわかっていた。
 もし本当に〈西風〉の皆を見つけたとして、そのまま内戦に関わらずにいることは可能だろうか?
 フィーの目的が皆に会うだけなら、それも可能だろう。しかし、そうはならないという確信がリィンにはあった。
 原作と違い、フィーにはVII組という団に代わる家族≠ェいない。その代りを担っているのは、いまではリィンただ一人だ。革新派に味方する理由も、いまのところリィンは勿論のことフィーにもない。それは貴族派が相手でも同じことが言える。唯一、二人と接点があるといえば、オリヴァルトやアルフィンくらいのものだ。
 そんななかで〈西風〉の皆を見つけて、彼等がどちらかの勢力に雇われていることを知れば、フィーはどうするのだろうか?
 会うだけならまだしも団に戻るという話になれば、内戦に関わることは避けられない。いや、そもそも内戦の最中に〈西風〉の皆を捜すという行為自体、内戦に関わっていくことは避けられない状況と言える。

「二人のことが心配か?」

 誰――とは訊かず、リィンはフィーに問う。
 そして、無言で首を縦に振るフィー。
 この一年でフィーは随分と変わったと思う。悪い意味ではなく良い意味で、昔よりも感情が豊かになった。
 同世代の少女たちと接し、戦場から離れて普通の暮らしを送ることで、フィーも得るものがあったのだろう。そう考えれば、この一年が無駄だったとは思えない。それは団の皆にも、そしてリィンにも出来なかったことだからだ。
 物心がつく頃には既に戦場にいたフィーは、普通の子供たちのように日曜学校に通った思い出も、同性の友達と遊んだ記憶もない。それはリィンも同じことが言えるが、前世の記憶を持つが故に気にしたことはなかった。
 しかし、それはフィーのためにはよくなかったと、リィンは最近になって思う。
 そう言う意味では、団長の判断は間違っていなかったのだろう。

「……活動を休止してるとは言っても、俺たちは猟兵だ。ただ働きはしない」
「うん……」
「でも、たまたま居合わせた知り合いを助けるくらいは……別に構わないと思う」
「……いいの?」
「良い悪いじゃないだろ。そういうのは――」

 戦争をすると、覚悟が決まったわけじゃない。それでも――
 リィンは目の前の笑顔を曇らせたくはなかった。



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