帝都脱出から一ヶ月近くが経過した。いまだ貴族連合が動く気配はない。
エリゼと和解しアルフィンと契約を交した後、リィンとフィーは鳳翼館に取ってあった部屋を引き払い、男爵の屋敷に世話になっていた。
「クロスベルタイムズ……クロスベルで発行されている新聞ですか。どうしてこんなものを?」
机の上に大量に積み重ねられた紙の束。それはすべて、リィンがトヴァルや男爵の協力を得て、国内の情勢を調べるために集めたものだ。
そのなかから一冊のファイルを手に取り、リィンに尋ねるアルフィン。クロスベルタイムズ――クロスベル自治州で発行されている新聞だ。
ファイルには、その新聞から切り取られた――ここ数ヶ月の記事がまとめられていた。
クロスベルの議員のなかでも帝国派で知られるハルトマン議長が逮捕されるに至った事件や、最近のでは西ゼムリア通商会議の最中に起こったオルキスタワー襲撃事件に至るまで――アルフィンでも知る事件の記事が事細かに集められていた。そんななかに何故か、劇団の記事も混ざっていることにアルフィンは首を傾げる。
一見すると、帝国の内戦とは無関係のように思えるようなものまで、どうして必要なのか不思議だった。
「〈赤い星座〉の動きを知りたくてね。クロスベルの現状も把握しておきたいので、ここ数ヶ月分の新聞をトヴァルに頼んで取り寄せてもらったんだ」
「例の知識関連ですか? そういえば、あの赤い髪の少女を見た時、随分と驚いた様子でしたけど……」
アルフィンにはエリゼやフィーに打ち明けたように、未来の知識に関して説明済みだった。
後にも先にも、「未来のわたくしはどんな感じでしたか?」と期待に満ちた目で訊いてきたのは彼女くらいのものだろう。
そんなアルフィンの反応に、リィンも長年悩んでいたことがアホらしくなるほど毒気を抜かれてしまった。
現在はいろいろとあって、アルフィンがリィンとフィーの雇い主をしている。内戦に関わっていく以上、どうしても大義名分はいる。内戦をただ引っ掻き回すような真似をすれば、それは無法者と一緒だ。だからこそ、アルフィンにはリィンたちの行動の正当性を証明してもらう必要があった。そのための契約だ。
この先、〈赤い星座〉とやり合うこともあるかもしれない。いや、高い確率でそうなるだろうとリィンは考えていた。
相手は大陸最強と名高い猟兵団の一つだ。そのためにも準備は欠かせない。まずは相手のことを知るのが先決とリィンは考えた。
「〈血染めのシャーリィ〉――赤い星座の副団長〈赤の戦鬼〉の娘だ。帝国政府に雇われて、あの鉄血の護衛として三ヶ月前の通商会議にも参加していた」
「クロスベルで開かれた西ゼムリア通商会議ですか。確かテロの標的にあったと聞いていますが……」
「やったのは帝国解放戦線――貴族連合と手を組み、鉄血宰相の命を狙った連中だな。通商会議の件は、共和国のテロも参加していたという話だが……」
「帝国の貴族がテロリストと手を組んでいるなんて、出来れば考えたくはありませんけど……」
「でも、それが現実だ。これに関しては裏付けも取れている」
一冊のファイルをアルフィンの前に置くリィン。そこには写真と、幾人ものプロフィールが挟まれていた。
クロスベルを襲撃したというテロリストたちの現在わかっているだけの情報だ。こちらはギルド経由で入手したものだった。
――帝国解放戦線。帝国全土で暗躍するテロリスト集団だ。その存在は猟兵たちの間でも囁かれていた。
鉄血宰相ことギリアス・オズボーンに人生を狂わされた者たちが集まり、結成された組織。ここ数ヶ月、革新派を目の敵にして帝国の至るところでテロ活動を行っていた連中だ。
共通の敵を持つという意味では、貴族派の目的と一致することから、恐らく随分と前から手を組んでいたのだろう。
彼等のテロリストの域を超えた最新鋭の装備や潤沢な資金も、貴族派から提供されていたと考えれば納得が行く。
「それで……考えは、まとまりましたか?」
「完璧には程遠いが、大筋の方針は固まってきたかな。ところで皇女殿下」
「アルフィン≠ナす。話し方は大分柔らかくなりましたが、そこは直りませんね」
頑なに、そこだけは譲れないと言った表情でリィンに迫るアルフィン。
しかし、これでも随分とリィンは頑張っていた。最初の頃はぎこちなさが抜けず、敬語を使わずに普通に話すだけでも一苦労だった。
相手は皇女様。そしてリィンは根っからの庶民だ。高貴な血など引いていないし、世のしがらみや上下関係が分からないほど子供でもない。猟兵のくせに妙に言葉遣いが礼儀正しいと言われるところは、やはり日本人として生まれ育った前世の記憶や習慣が肌に染みついている所為だろう。
「ア、アルフィン……」
「はい♪」
名前を呼ばれて嬉しそうに返事をするアルフィン。
この反応だけを見れば、普通の女の子にしか見えない。そう思う、リィンだった。
◆
ここ最近、トヴァルと情報交換をしながら忙しく走り回っていたところを、ルシア夫人に見られていたらしい。
あの後、二時間ほどアルフィンと話し合ったリィンは男爵家の皆と食事を取り、ルシア夫人に勧められるまま鳳翼館の露天風呂で寛いでいた。
もう十二月だ。ユミルは北の山間にあることもあって、見渡す限りの銀世界が広がっている。
「気持ちいいね」
「ああ……」
隣からかけられた声に、当たり前のように返事をするリィン。
岩肌に背中を預けるように、リィンの隣ではフィーが温泉に浸かり寛いでいた。
自分では余り意識したことがなかったリィンだが、やはり疲れがたまっていたのだろう。温泉のあたたかさが骨身に染みる。
「リィン……怪我は、もう大丈夫?」
「ああ、この通り問題ない。前より調子が良いくらいだ」
そう言って、包帯が取れたばかりの腕を回して見せるリィン。
以前より利き腕の筋力が落ちている分、どうしても戦闘力の低下は否めないが、そこは仕方ないとリィンは割り切っていた。
猟兵時代にも、骨折程度の怪我は何度も経験がある。それと比べれば、今回のは軽かった方だ。あのシャーリィと本気で殺し合って、腕の骨折程度で済んだのは運が良かったとさえ思っていた。
しかし、そんなリィンとは逆に、フィーは心配そうな表情でリィンの右腕へと触れる。
これもフィーを安心させるためと思って、大人しくされるがままになるリィン。
そんな時だった。ガラガラと引き戸を開く音が聞こえて、見知った二人が脱衣所から露天風呂へ姿を見せる。
「に、兄様……それにフィーさんも!?」
「あら、先を越されたみたいですね」
肌を寄せ合うリィンとフィーを見て、顔を真っ赤にして声を上げるエリゼ。
悲鳴に気付き、振り返るリィン。そこには淡い桜色の湯着をまとったエリゼとアルフィンが立っていた。
「姫様、知っていたのですか!?」
「はい、小母様に一芝居打っていただきました」
「お、お母様……」
母親とアルフィンに嵌められたことに気付き、白い肌を紅く染めながらチラリとリィンを見るエリゼ。
一応、リィンとフィーも湯着をまとっている。しかし、年頃の男女が一緒に風呂に入るなど非常識も良いところだ。
こうしたアルフィンの悪戯に、真面目なエリゼはいつも振り回されてばかりだった。
「あー……俺、先にでるから」
「お待ちになってください。よく確認せずに入ってきたのは私たちの方ですから、兄様が気にされる必要はありません」
「いや、でもな。さすがにまずいだろ……」
「だ、大丈夫です! 湯着も身に付けていますし……」
そう言って湯船に浸かり、自然とリィンの横に腰を下ろすエリゼ。
そんな初々しい反応を楽しみながら、アルフィンもエリゼとリィンの前に座る。
そして誰もがスルーしていた核心に、アルフィンは躊躇無く迫った。
「ところでエリゼ。いつからリィンさんのことを兄様≠ニ呼ぶようになったのですか?」
「え……あっ……うっ、それは……」
茹で蛸のように顔を真っ赤にして、狼狽えた姿を見せるエリゼ。
彼女がリィンのことを『兄様』と呼ぶようになったのは、ここ最近のことだった。
その理由は様々だが、切っ掛けはリィンの秘密を知るに至った――あの一件だろう。
「リィンさん、わたくしも『リィン兄様』とお呼びしてもよろしいですか?」
「勘弁してくれ……」
「ずるいです。エリゼには『兄様』なんて呼ばせているのに……」
「エリゼの場合は、違和感がないんだよな」
最初の頃は戸惑いもあった。しかし、エリゼに『兄様』と呼ばれることに、少しずつリィンは違和感を覚えなくなっていた。
エリゼもリィンの秘密を聞いてから、この呼び方を試してみたら、自分でも不思議なほどにしっくりとくるものがあったらしい。
それに経緯はともかく、リィンも男だ。エリゼのような美少女に『兄様』と慕われて、嬉しくないはずがなかった。
アルフィンも美少女ではあるが、妹のように見られるかというと何かが違う。
「妹というか、アルフィンは……」
「悪女≠セね」
「酷いです。フィーさん……」
フィーのツッコミを受け、目元を手で覆って泣き真似をするアルフィン。
悪女とまでは言わないが、困ったお姫様であることは間違いない。そこはリィンも同感だった。
「で、なんでこんな真似をしたんだ?」
「親睦を深めるためです。ほら、リィンさんもフィーさんとよく一緒にお風呂に入っていらっしゃるじゃありませんか」
「そ、そうなのですか?」
「いや、フィーは家族だから。団にいた頃は、男女関係無く皆一緒に入ってたし……今更、恥ずかしがるのもな」
「ん……家族だから問題ない」
悪女呼ばわりされても、まったく堪えた様子を見せないアルフィンに、リィンは内心呆れながら答える。
とはいえ、彼女なりのスキンシップ――気遣いなのだろうと、リィンは好意的に受け止めることにした。
実際、アルフィンが裏でサポートしてくれるお陰で、リィンも遠慮なく動けるという自覚はあった。いざと言う時リィンたちに害が及ばないように、トヴァルを通してオリヴァルトと連絡を取り合いながら関係各所に回す書類を入念に準備したり、伝え聞く帝都や各地の様子を事細かにメモに記したりと――彼女なりに、この内戦をどうにかしたいという想いがあるのだろう。
それにアルフィンの気が紛れるのなら、こうした悪戯も許容できる。だからエリゼも、本気で叱ったりしないのだろう。
皇帝陛下やプリシラ皇妃。それにセドリック皇太子は、貴族連合に囚われの身となっている。表向き明るく振る舞ってはいるが、両親や弟のことが心配でないはずがない。しかし、そうした素振りを決してアルフィンは見せない。いや、見せようとしない。若干、強がりのように見えなくもないが、リィンはアルフィンの行動を見守ることに決めていた。
アルフィンには、まだ聞いていない。この内戦で何を――いや、どうしたいのかと言うことを。
〈西風の旅団〉を捜すというのは、リィンやフィーの目的であってアルフィンの願いではない。そして、アルフィンの口からその答えを聞くまでは、この契約は対等なものとは言えない。
だからリィンは、彼女が自分で目的≠見つけるまで待ち続けるつもりでいた。
「リィン」
「ああ……」
何かに気付いた様子で立ち上がり、南東の空を見上げるリィンとフィー。
そんな二人を見て、怪訝な表情を浮かべるアルフィン。
「どうかされたのですか?」
「音が近づいてる。かなり大きな導力エンジンの音」
「音……ですか?」
アルフィンの耳には、当然そんな音は聞こえない。エリゼも不思議そうに空を見渡している。
しかし、リィンとフィーの耳には、確かに導力エンジンの音が届いていた。
南東の空から聞こえて来る大型の導力エンジン音。答えは一つしかない。
「貴族連合の軍用艇……遂にきたか」
◆
これがカレイジャスなら、トヴァルからなんらかの連絡があるはずだ。
それに昼ではなく、こんな夜間を狙ってやってくるような連中は自ずと決まっている。
「恐らく、どこかの猟兵団の強襲部隊と見て間違いないだろう」
ユミル近隣の地形を写し取った地図を広げながら、リィンはそう断言した。
領邦軍の手口とは異なる。夜戦や強襲は猟兵の得意とする仕事だ。
「狙いは、やはり……わたくしでしょうか?」
「間違いないだろうな。一週間ほど前、旅の商人を装って宿場などで聞き込みをしていた男が目撃されている。恐らく連中の仲間だろう。男爵、領民の避難はどうなっていますか?」
「前もって準備をしていたのが大きい。いまは妻がエリゼと二人で、屋敷に避難してきた領民たちの点呼を取っているところだ。それより、本当にキミたちだけで行くつもりか?」
「はい。連中の相手は、俺とフィーでします」
そんなリィンの返答に、複雑な表情を浮かべる男爵。
「すまない……エリゼを救ってもらったばかりか。我が領地のことまで……」
「元々、俺達がここにいるのが原因です。むしろ、これまで何も言わずに匿ってくれた男爵には感謝しています」
「そうです、小父様……。元はと言えば、皇族が不甲斐ないばかりに、こんな状況を招いてしまった。責められるべきは、わたくしであって小父様やユミルの方々は何も悪くありません」
「皇女殿下……」
沈痛な面持ちでアルフィンの言葉を聞く男爵。
本来であれば、男爵もリィンたちと共に戦いたいはずだ。しかし、彼には領主としての立場がある。守るべき領民たちがいる。
この状況で自分に出来ること。何が最善か、そのことが分からない男爵ではなかった。
「それに、これが猟兵の仕事です。男爵は殿下と領民の方々の安全を――」
「言われるまでもない。それはユミルを皇帝陛下より託された我がシュバルツァー家の役目だ」
いつかは、こういう日が来ることは予想していた。男爵の助力を断ったのは、相手が領邦軍ではなく猟兵だからだ。
仕事を成功させるためなら、彼等はなんでもやる。それこそ郷を焼き払うことも人質を取ることも躊躇はしない。猟兵とは、そういう連中の集まりだ。
だからリィンとフィーは、二人で彼等を相手にすることを最初から決めていた。
むしろ男爵には、ここで領民を守ってもらった方が、リィンとしても動きやすかった。
トヴァルがここにいれば、もう少し余裕があったかもしれないが、贅沢は言えない。ギルドの仕事で彼は郷を離れていた。
それに元々、トヴァルは部外者だ。肝心な時にいないからと言って文句など言えるはずもなかった。
「リィンさん……」
「大丈夫。備えもしてあるし、地の利はこちらにある。十分に勝算はあるさ。それより……」
「わたくしの心配は不要です。お二人ほどではありませんが、これでも皇族の娘です。アーツの心得ならありますし、自分の身くらいは自分で守れます。それに――小父様やエリゼも一緒ですから」
自分が標的になっているというのに、怖くないはずがない。
それでも周囲に不安を見せまいと、気丈に振る舞ってみせるアルフィンの頭をリィンはそっと撫でた。
アルフィンが答えを出すまでは黙って見守ると決めているリィンだが、このくらいは許されるだろうと思っての行動だった。
「リ、リィンさん……?」
「雇い主を不安にさせるようじゃ、猟兵としては二流もいいところだからな」
「ん……大丈夫。〈西風〉は絶対に負けない」
「そういうことだ。信頼して任せてくれ。アルフィンの目が曇っていないこと――〈西風〉の名は伊達じゃないことを証明してやる」
アルフィンを不安にさせないため、そしてユミルの人々を絶対に守るという決意と覚悟を胸に、リィンとフィーは自信を持って口にする。
そこには、クラウゼルの名を――大陸最強の看板を背負った〈騎士〉と〈妖精〉の姿があった。
「……はい!」
そんな二人に薄らと涙を滲ませながら、笑顔で応えるアルフィン。
ユミルを守るため、戦場へ向かうリィンとフィー。激しい戦いの夜が幕を開けようとしていた。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m