「罠だね」

 はっきりと断言するフィー。
 アルティナとのやり取りを、屋敷で待っていたフィーたちにリィンは話して聞かせた。
 そして、リィンの隣にポツンと座っている少女を見て、アルフィンは困惑した表情を浮かべる。

「それで、案内役の彼女を連れてきたと……」
「ご心配なく、アルフィン・ライゼ・アルノール。あなたの拉致は諦めました。命令の最優先はリィン・クラウゼルに伝言(メッセージ)を渡し、その返答を持ち帰ること。了承が得られるようなら、私が目的地まで案内します」

 拉致するためにやってきたと話す人物に、『ご心配なく』『諦めました』などと言われても安心など出来るはずもない。
 これには、さしものアルフィンも反応に困った様子で頬杖をつき、溜め息を漏らす。

「リィンさん、どうされるおつもりなのですか?」
「どうするも何も『虎穴に入らずんば虎児を得ず』とも言うしな。取り敢えず、アルティナに伝言を託した人物に会いに行ってみるつもりだ」
「危険です! それで兄様にもしものことがあったら――」

 必死な形相で声を張り上げ、リィンに迫るエリゼ。
 そんなエリゼの反応に、リィンは困った様子で頬を掻きながらアルティナに尋ねた。

「危険なのか?」
「少なくとも私に敵意はありません。それに私の力≠ナは、リィン・クラウゼルを害することは難しいでしょう」

 アルティナは用意していた答えを読み上げるように、淡々とリィンの質問に答える。
 しかし、それはまさにリィンがアルティナの口から聞きたかった言葉だった。

「本気で害するつもりなら、こんなまだるっこしいことをする必要はない。その気になれば戦力差から言って、俺たちを殺してアルフィンをさらうことくらい難しくないはずだ。それをしないということは、いまはそれが出来ない事情があるんじゃないか? それに――」

 アルティナの目を見据えて、心を揺さぶるかのようにリィンは尋ねる。

「大方、今日の襲撃も戦力分析≠兼ねてたんじゃないか?」
「……否定はしません」

 リィンが何を知りたかったかを理解し、言葉巧みに誘導されたことに気付くアルティナ。
 それはつまり交渉が決裂すれば、武力行使や強硬手段もありえるということだ。
 リィンの一言で、そのことに気付いたのだろう。
 エリゼは勿論、アルフィンも先程までより表情を強張らせていた。

「もっとも様子見ならともかく本気でくるなら容赦はしない。簡単に殺されてやるつもりはないし、戦争≠する気なら相応の覚悟をしてもらう。そのことは雇い主(クライアント)≠ノちゃんと伝えておくんだな」
「……了解しました」

 リィンに釘を刺されたことで、アルティナの氷のような表情に僅かにヒビが入る。
 アルティナは現在〈黒の工房〉と呼ばれる組織から、貴族連合に貸与されていることになっている。そして、そのことをアルティナはリィンにまだ話していない。いや、猟兵団やアルフィンの一件からも、彼女が貴族連合に協力していることくらいは想像が付くだろう。しかし、リィンは雇い主≠ノ伝えろと言った。この場合の雇い主≠ニは一体?
 通常であれば思い過ごしと考えるのが自然だ。しかしアルティナの脳裏には、ある人物の姿が過ぎる。ありえない――それは、リィンが知るはずのない情報だ。
 しかし、アルティナはその違和感を完全に消し去ることが出来なかった。

「まあ、あれだ。脅かして悪かったと思うが、これでお相子な」
「お相子……ですか? それはお互い様≠ニか、そういう意味ですか?」
「ああ、しばらく行動を共にすることになるのに、ギスギスしたままとか嫌だろ?」

 フィーにするように、長年の癖でアルティナの頭を撫でるリィン。
 そんなリィンの行動に驚き、微かに感情の籠もった瞳で不思議そうにアルティナはリィンを見上げる。

「理解しかねます」

 フィーの言うように罠≠ニ考えるのが論理的だ。そしてリィン自身が追及したように、アルティナは情報収集を兼ねてこの場にいる。
 アルフィンやエリゼの反応が普通であって、敵かもしれない相手にこんな風に接するなど、リィンの行動はアルティナの理解を超えていた。

「ところで、この行為になんらかの不埒な意味は?」

 頭に乗せられた手を指して、半眼で睨みながらリィンに尋ねるアルティナ。
 そこに様子を見守っていたアルフィンが爆弾を投下する。

「リィンさん、やはり胸の小さな方が……」
「ちょっ!」

 この一件で、リィンへの評価を改めるアルティナだった。


  ◆


 ユミルから街道沿いに南東に下ると〈黒銀の鋼都〉の名で知られる都市――ルーレに辿り着く。
 都市の至るところから煙のようなものが上がっており、工場や研究施設と思われる建物が数多く建ち並んでいる。そして都市の象徴――ラインフォルトの本社ビルへと通じる道には、この世界ではまだ珍しい動く階段――エスカレーターが設けられていた。
 鋼の都と言われるだけあって、帝都ともまた違った趣のある大都市だ。

「さすがに警備が厳しいな」

 アルティナの案内で、リィンはスピナ間道を通ってルーレに入っていた。
 出入り口を始め、都市の至るところに領邦軍の兵士の姿が確認できる。アルフィンを連れてこないで正解だったと考えるリィン。ユミルの守りを空にするわけにもいかず、フィーやエリゼも郷においてきていた。
 それにユミルを出る前に、念のため〈ARCUS〉を使ってトヴァルに事のあらましを説明しておいたので、いざとなればアルフィンとエリゼの二人だけでもユミルから逃がす手はずは整っている。もっとも、これから会う人物が想像通りなら、いまのところはその心配は不要だろうとリィンは考えていた。

「こちらです」

 アルティナに促されるまま、大きな建物のなかへと入る。
 ラインフォルト社――機甲兵を開発した第五開発室の管轄下にある工場だ。
 工場の目立つところに置かれた巨大な人型の機械兵器。それを見てリィンは呟く。

「機甲兵か」
「そのとおり。もっとも、ここで行っているのは開発と研究が主だがね」

 声に気付き、振り返るリィン。そこには深緑を基調とした宮廷の装束をまとった金髪の男が立っていた。
 虫も殺さない優しげな表情をしているのに、まったく動きに隙がない。
 そればかりか、容姿端麗で気品に溢れ、極自然に人の目を惹きつける魅力のようなものを備えた人物だった。

「ルーファス・アルバレアか。貴族連合の総参謀殿が、しがない猟兵になんのようだ?」
「フフッ、余り驚いていないようだね。それに、そう謙遜することはないだろう。〈妖精の騎士〉殿」

 アルティナを寄越した時点で、裏にルーファスがいることをリィンは予想していた。
 ルーファス・アルバレア。貴族連合の総参謀にして四大名門アルバレア公爵家の次期当主。そして――この内戦の筋書きを描いている黒幕の一人。ある意味で、最も気を付けなければいけない男だ。
 リィンはそこまでわかっていて、敢えて誘いに乗ることにした。
 いろいろと確かめたかったこともあるが、革新派と貴族派。その勝敗の行方にリィンは興味がなかったからだ。
 ルーファスの思惑に興味はないし、この先、帝国がどう変わろうと直接的な害が自分たちに及ばないのであれば、誰が帝国を統治しようと構わない。民にとっても最も重要なのは生活が楽になるかどうかであって、自分たちの生活に大きな影響がでないのであれば、誰が国の実権を握ろうと気にはならないものだ。
 ある意味で、もっとも中立な立場と言える。自己中心的とも言うが、それが猟兵≠ニして正しい在り方だとリィンは思っていた。
 少なからず、皆――自分本位で生きている。何を優先して生きているかが違うだけの話だ。それがリィンの場合、フィーであり〈西風〉に偏っているだけだ。最近ではそこに、アルフィンやエリゼ。それに特定の住処や故郷を持たなかったリィンやフィーにとって、居心地が良いという理由でユミルも加わりつつあるが、根本的な考え方は一貫していた。

貴族連合(あんたたち)が寄越した猟兵の一件もあって余り長い間、(さと)を離れるわけにはいかないんでね。用事があるなら、さっさと済ませてくれ」
「あれは申し訳なかったと思っている。我が父の暴走を止められなかったのは、私にも責がある。キミが私に対して怒りを覚えるのは、当然のことだろう」
「アルバレア公の独断で、貴族連合は先日の一件に関与していないと?」
「信じてもらえないのは無理もないと思うが、私にはそうだとしか答えられない。あれは我々としても不本意な事件だった」
「じゃあ、今後ああいうことはない≠ニ信じていいんだな」
「徹底させると約束しよう。中立派と事を構えるのは、我々も本意ではないからね」

 どこまで信用していいのか分からない言葉を、サラリと口にするルーファス。ただ、中立派と事を構えたくないというのは本心からの言葉だろう。
 いまはまだ貴族連合が有利とは言っても、正規軍も力を残している。機甲兵も十分な数が行き渡っているとは言い難い。
 革新派に加え、中立派まで敵に回ることになれば、貴族連合とて苦しい戦いを強いられるだろう。

「で? そんな話をするために、俺をここに呼んだわけではないんだろ?」

 こうして呼び出したということは、なんらかの理由があるということだ。
 大方ルーファスは駒の一つとして利用するつもりなのだろうが、リィンはただ利用されてやるつもりなどなかった。
 ここにきたのは可能な限り、この男から情報を引き出すことだ。そして相手が利用するつもりでいるなら、逆にルーファスの力を利用してやるつもりでリィンは考えていた。
 謀略では勝てないかもしれない。しかし、ルーファスの知らないことをリィンは知っている。前世の記憶――原作の知識だ。それも完全なものとは言えないが、ルーファスは油断しているはずだ。
 自身が鉄血の子供たち(アイアンブリード)≠フ筆頭であることを知るはずがない――と。
 それはギリアス・オズボーンと、ルーファスしか知らないはずの秘密だ。だからこそ、そこに付け入る隙がある。

「態々呼び立ててしまったのは申し訳なく思う。しかし、ユミルへ私が直接赴くのは少々目立ってしまうからね。いまは出来れば主宰%aを刺激したくないのだよ」
「貴族連合の主宰――カイエン公爵か」

 ラマール州を統括する四大名門の貴族。貴族連合においてアルバレア公爵と並んで代表格の一人に挙げられる人物だ。
 ここでその名前がでるとは思わなかったが、それよりも気になるのがルーファスの言葉。
 カイエン公を刺激したくないとは、どういうことなのか?
 その言葉が、リィンは気になった。

「〈赤い星座〉……彼等のことは貴族(われわれ)以上に猟兵(きみたち)の方が詳しいだろう。特に〈西風の旅団〉に所属していたキミなら――」
「……どう言う意味だ?」
「頼みたいことは一つだ。〈赤い星座〉の拠点を突き止め――皇太子殿下を救出して欲しい」


  ◆


 ルーファスの口から語られた言葉。それをすべて鵜呑みにすることは出来ないが、合点が行くところも多かった。
 一度は帝国政府――いや、鉄血宰相に雇われ、そしていまはクロスベルに付きクロイス家の依頼で動いている〈赤い星座〉を、幾ら戦力を欲しているとはいえ、貴族派が信用するかということだ。確かにそう考えると腑に落ちない点が多い。
 領邦軍の蜂起に合わせ、帝都に姿を見せたことから〈赤い星座〉が貴族連合に雇われたものとリィンは思い込んでいた。しかし、シャーリィは一言も貴族連合の依頼で動いているとは口にしなかった。背後に貴族連合とは別の――何者かの姿がある。その何者かが〈赤い星座〉に依頼し、領邦軍の動きに合わせてセドリックを拉致したということだ。

 ――しかし、なんのために?

 身代金目的でないことは確かだ。もしそうなら、なんらかの動きがあっても良いはずだ。しかし、カイエン公はこの件でかなり焦っているという話をルーファスはしていた。恐らくはアルノールの血筋を確保できなかったことに対する焦りからだろう。
 カイエン公の目的、それはバルフレイム宮殿の地下に封じられた〈(あか)の騎神〉を復活させ、自らが次期皇帝の後見役として帝国を支配することにある。
 いまから凡そ二五〇年前――後に『帝国中興の祖』と呼ばれる〈獅子心皇帝〉ことドライケルス大帝と、鉄騎隊率いる〈槍の聖女〉リアンヌ・サンドロットによって、皇位継承を巡る内紛から端を発した内戦は終結に導かれた。帝国の歴史において〈獅子戦役〉と語り継がれる戦いだ。
 その時代において公爵家の母を持ち、父である皇帝が死去した後、正妃の息子であるマンフレート皇太子を暗殺し、武力を持って帝都を制圧した人物。内戦の切っ掛けともなり、後にドライケルス大帝によって討たれたのが、後世〈偽帝〉の名で呼ばれることになるオルトロス・ライゼ・アルノールだ。
 カイエン公は、そのオルトロスの血縁者だった。

 オルトロスは〈緋の騎神〉の起動者でもあった。しかし彼は力を求める余り、過ちを犯してしまう。
 人々に『暗黒時代』と呼ばれた激動の時代、帝都ヘイムダルを〈暗黒竜〉から救った英雄。それが、皇帝ヘクトル一世の操った〈緋の騎神〉だ。だが、その時には既に〈暗黒竜〉の返り血を浴びたことにより、〈緋の騎神〉は穢れた存在へと変わっていた。
 時代は流れ、オルトロスが新たな起動者となったことで穢れは顕在化し、英雄を越える力――伝説で語られる〈千の武器を持つ魔人〉の力をオルトロスが求めてしまったが故に、帝都は魔城と化し――〈緋の騎神〉を依り代に異界の魔王≠ェ、この世界へ顕現することになる。後に〈緋き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)〉と、魔女の間で語り継がれることになる災厄の存在だ。それを封じたのが、かの〈獅子心皇帝〉と〈槍の聖女〉だった。
 そして二五〇年の歳月が過ぎ――〈騎神〉の存在は一部の者だけが知るのみとなり、〈緋の騎神〉もまたバルフレイム宮殿の地下に封印されたまま、皇帝の血脈によって存在を秘匿され続けてきた。
 その封印を解くことこそ、カイエン公が夢見た一族の悲願だった。
 しかし、〈獅子心皇帝〉によって封じられた〈緋の騎神〉を復活させるには、アルノールの血が必要となる。それも直系の血が――
 嘗ての祖先が為し得なかったこと。それを為すために、カイエン公は皇族の血を欲していた。
 そして、その第一候補としてカイエン公が求めたのが、セドリックだ。傀儡を仕立てるために、幼いセドリックが一番利用しやすいと考えたのだろう。

 ――面倒なことになった。

 そう、リィンは考える。
 セドリックを確保できなかったことで、カイエン公が目的のためにアルフィンへと狙いを変えてくる可能性がある。そして最悪、貴族連合に囚われている皇帝陛下が、〈緋の騎神〉の封印を解くための鍵とされる可能性が出て来たということだ。
 まさか、そこまで思慮の浅い行動にでるとは思えないが、人間追い詰められれば何をするか分からない。金や権力――過去の妄執に取り憑かれた人間ほど厄介なものはない。そしてルーファスもそれだけは、なんとしても避けたいのだろう。皇帝に万が一のことがあれば、内戦どころの話ではない。これまで以上に泥沼の戦いへと発展していく恐れがある。最悪なカタチで〈獅子戦役〉の再現が為されるというわけだ。
 彼自身がこんな風に出張らざるを得なかったという状況が、事の厄介さを物語っていた。
 それに、もう一つ厄介なのが――〈クラウ=ソラス〉に抱えられ、リィンの後ろをずっと付いてきているアルティナのことだ。

「監視のつもりなんだろうが、セドリック殿下を救出したとして、俺が素直に貴族連合に引き渡すと思っているのか?」

 ルーファスが協力者としてリィンにつけたのが、彼女――アルティナだった。
 話を聞きはしたが、ルーファスから言われたのはセドリックの救出までだ。
 その後のことまで、ルーファスの言いなりになるつもりはリィンにはなかった。
 カイエン公の目的を知っていて、貴族連合にセドリックを引き渡せるはずもない。

「それは私が判断することではありません。それに、ルーファス・アルバレア卿との連絡役は必要かと思いますが?」

 いまのところは利害が一致している。だから、すぐに裏切るということはないだろうが、信用は出来ない。しかし、アルティナの言うことに一理あるのは確かだった。
 ルーファスの頼みを聞くにあたって、リィンは一つの条件をつけた。それは〈西風の旅団〉に関する情報を包み隠さず、すべて提供するというものだ。
 トヴァルにも捜索を頼んではいるが、なかなか思うような情報は入って来ない。それに帝国東部はまだしも西部の情報は、ほとんど入って来ないのが現状だ。しかし現在、正規軍との戦いで帝国全土に軍を展開している貴族連合なら、なんらかの手掛かりを得られるのではないかとリィンは考えていた。

「まあ、仕方ないか……。ただし、一緒に行動するからには俺の言うことには従ってもらう」
「了解しました。不埒な命令以外は善処します」
「……そのあたり、お兄さんとちゃんと話し合いをしようか」

 アルティナの誤解(?)は、まだ続いていた。



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