「あの人たち大丈夫かな?」
車に揺られながらエリオットは心配げに声を漏らす。集落跡に置いてきた――いや、埋めた猟兵たちのことだ。
手足を縛られ、頭だけ地上にでるような状態で猟兵たちは土に埋められ、放置されていた。下手をすれば、魔獣の餌食だ。とはいえ、連絡が途絶えたことで彼等の仲間は不審に思っているはず。生きてようが死んでいようが、どちらにせよ放って置けば回収されるだろうと見越してのことだった。
バックミラー越しに自分たちを殺そうとした連中を心配するエリオットを見て、リィンは呆れた様子で溜め息を吐く。
そこがエリオットの良いところとも言えるが、お人好しが過ぎるのも考えものだ。やはり人間相手の実戦はまだ無理か、とリィンは考える。
リィンたちは現在、戦火を避けて移動したと思われる〈ノルドの民〉の集落を探して、車で高原を北上していた。
メンバーは少し変わり、運転席にはリィン。そして助手席にはシャーリィ。後部座席にはエリオットとラウラが乗車していた。
フィーとアルティナは監視塔の調査のため別行動。ユーシスは伝言が書かれたメモを持って、エリオットたちの無事を伝えるためにゼンダー門へ帰還していた。
最初、アルバレア公の一件で責任を感じていたユーシスは一緒に来ると言い張ったのだが、
「ノルドの民の気持ちを考えてみろ。お前が来る方が話がややこしくなる」
リィンにそう言われては引き下がるしかなかった。
これから交渉をしようという相手のところに、交渉が不利になるかもしれない人物を連れていくなど普通に考えたらしない。せめて話がまとまるまでは、ユーシスと彼等を会わせるべきではないとリィンは考えていた。
すべての民が歓迎してくれるとは限らない。住処を追われて快く思っていない人々も中にはいるだろう。
そんななかに、彼等の住処を奪い、更には人質に取ろうとしている親玉の子供が姿を見せれば、良い顔はしないはずだ。
ガイウスの仲間ということなら表向き歓迎はしてくれるだろうが、そんなことで相手に気を遣わせるような真似をリィンはするつもりがなかった。
「うわっ、大きい。アレなに! アレ!」
「ん? ああ、この地方に伝わる〈守護者〉だよ」
「守護者? アレって動くの?」
シャーリィが指さす先には巨大な石像があった。
全高百アージュ程ある人型のその巨像は、この地方に住む民族の間で崇拝されている高原の守護者だ。
目を輝かせながら尋ねてくるシャーリィに、リィンはどう答えたものかと頬を掻き、曖昧な返事をする。
「いや、動かないだろう。たぶん……」
原作でもいろいろと言われていた巨像だ。何かあると考えた方が自然だが、この内戦には直接関係のないことなのでリィンは言葉を濁した。
動かないと聞いて残念そうに窓から巨像を見上げるシャーリィ。圧倒される光景に、エリオットとラウラも目を奪われていた。
そんな時だ。シャーリィの目が鋭さを増す。窓から外に身体を乗り出し、北の空を見上げるシャーリィ。
リィンも遅れて何かに気付いた様子で空を見上げる。
「あれは……」
二人の視線の先。そこには――黒い煙が上がっていた。
◆
若い男と女を、銃火器で武装した十を超える男たちが追っていた。
「アイツ等、山に火を――」
ブロンドの髪をした少女は、怒りに染まった目を追撃者――背後の猟兵たちに向ける。
空に向かって、もくもくと立ち上る黒煙。猟兵たちが獲物を追い込むために、山に火を放ったことは明白だった。
その獲物とは勿論、彼女たちのことだ。
「急げ、追いつかれるぞ!」
ノルド出身と思われる浅黒い肌をした長身の男が、焦りを含んだ声で少女に向かって叫ぶ。
怒りと悔しさに表情を歪めながらも少女は仲間の言葉に従い、振り返ることを止め、走る速度を上げた。
たった二人では、あの人数を相手にするのは不可能。だからと言って捕まるわけにもいかない。
いまは少しでも遠くへ――猟兵たちを集落≠ゥら引き離すことが、彼女たちに出来る唯一の行動だった。
男の名は、ガイウス・ウォーゼル。少女の名は、アリサ・ラインフォルト。エリオットたちが捜しているVII組の生徒だ。
「嘘……」
「こいつは……」
そんな二人の前に巨大な影が立ち塞がる。それは大きな角を持った蒼い幻獣だった。
幻獣というのは、時・空・幻などの高位属性が働いている特殊な土地や、七耀脈の乱れなど場に生じた歪みが原因で実体化した別次元の生物だ。その身体はマナで構成されていて、動物や魔獣などと違い倒しても死体が残らない。旧校舎の地下で似たような敵と戦ったことのあるアリサとガイウスだったが、目の前の幻獣はそれと比べても一線を画していた。
大木の幹ほどある頑強な四つ足に、頭の先端に巨大な角を持ち、蒼く輝く鱗からは翼のようなものが二枚生えている。
そこらの魔獣とは比較にならないほどの力強さを感じることから、かなりの強敵であることは一目見ただけで分かるほどだった。
後ろからは猟兵。前には巨大な幻獣。逃げ道がないことを悟ったガイウスは苦しげに謝罪の言葉を口にする。
「すまない、アリサ……こんなことに巻き込んでしまって」
「なに言ってるのよ。こういうのは、お互い様でしょ? お世話になった人たちのためにも、このくらいするのは当然よ」
当然といったアリサの言葉に励まされ、ガイウスは苦笑する。
士官学院を脱出した後は全員散り散りになったが、アリサはガイウスと共に彼の故郷であるノルドに身を寄せていた。以前、実習でノルドを訪れた際、この地に隠居中の祖父がいることを彼女は知っていたからだ。
当然ノルドにも内戦の影響は広がっていたが、これまでは第三機甲師団の助けもあって領邦軍の動きを警戒することで、どうにか戦火を避けて来られた。しかし一ヶ月前に監視塔を領邦軍に占拠され、そこから流れが大きく変わった。
ノルドの民は一早く貴族連合の動きを察知し、必要なものだけを手に取って避難することに成功したが、それでも貴族連合に雇われた猟兵たちは諦める気配がなく高原北部にまで、その手を伸ばしてきていた。
偵察にでていたアリサとガイウスが、猟兵たちを発見したのは今朝のことだ。このまま彼等を放置すれば、ラクリマ湖に避難したノルドの民の集落が発見されるかもしれない。そう考えた二人は自分たちが囮になることで、猟兵たちを集落から遠ざける行動にでた。その結果が、この状況と言う訳だ。
「アリサ……キミだけでも逃げるんだ。ここは俺が食い止める」
「そんなこと出来るわけがないでしょ!?」
ガイウスの提案に、アリサは声を張り上げて反論する。
大切な仲間だと思っているからこそ、ガイウスはこんなところでアリサを死なせたくなかった。しかし、それはアリサも同じだ。
「だが……」
アリサの祖父、グエン・ラインハルトは、ノルドの民にとって友人であり恩人とも言える人物だ。
ノルドの事情にアリサを巻き込み死なせるようなことがあっては、彼女の祖父に申し訳が立たない。
だから、どうにかしてアリサだけでも助ける方法がないかと、ガイウスは考える。
その時だった。背後から悲鳴と爆音が響いたのは――
「な、なに!?」
「戦闘音……誰かが、猟兵たちと戦っているのか?」
集落の仲間の姿が頭を過ぎるガイウスだったが、救援が辿り着くにしては早すぎる。
一体だれが――という考えを一時置き、ガイウスはこの状況に賭けることにした。
「目の前の敵に集中しろ。ここを切り抜けられれば、きっと活路を見出せる」
「……そうね。こんなところで私たちは死ねない。皆と再会するためにも――」
◆
「大丈夫か? エリオット」
「……心配してくれてありがとう。でも、先を急ごう。リィンたちが敵を抑えてくれているうちに」
額に汗を滲ませ、肩で息をしながらついてくるエリオットを気遣い、ラウラは心配そうに声を掛ける。
以前に比べれば若干たくましくなったとは言っても、幼い頃から身体を鍛えてきたラウラとでは比較するまでもない。
むしろ、人の手が入っていない天然の山道を、ラウラに遅れず付いて来られているだけでも、たいしたものと言えた。
「とはいえ……抑えるも何も、あの二人が相手では……」
「あはは……何故か、敵の方に同情しちゃうよね……」
後ろから爆音や悲鳴が聞こえてくる度に、敵であるはずの猟兵たちになんとも言えない親近感が湧くラウラとエリオット。猟兵の世界でも上位に名を連ねる〈血染めのシャーリィ〉に〈妖精の騎士〉の二人が手を組んでいるのだ。もはや足止めというよりは、一方的な殲滅戦に近い様相を見せていた。
狩りをしていたはずが、逆に狩られる立場となった猟兵たちに同情を禁じ得ない。別れ際のシャーリィの活き活きとした顔が二人の脳裏を離れなかった。
「あれは……まさか」
小高い坂の上。幻獣と戦っている人影を発見するラウラ。まさかという風に目を凝らし、確信に至る。
「アリサとガイウスが幻獣と戦っている」
「え、ええ!? もしかして、あれ? あっ、ラウラちょっと――」
「先行する。このままでは二人が危ない」
戦闘が行われている場所は距離にして十セルジュ以上はある。ラウラと違いエリオットには、この距離で顔まで確認することは難しかった。
エリオットに合わせて走る速度を抑えていたのだろう。あっと言う間に姿が見えなくなったラウラを、呆然とエリオットは見送る。
「行っちゃった……僕も急がないと」
震える足を前へと動かし、エリオットはラウラの後を追い掛けた。
◆
無数の矢が火の鳥となって幻獣に襲いかかる。
アリサが持つ戦技のなかでも最上位の威力を持つ奥義――それが、この〈レディエンスアーク〉だった。
「大いなる輝きよ我が弓に宿れ!」
渾身の矢を放つアリサ。黄金の炎を纏った破邪の矢が、幻獣に直撃する。
眩い光に包まれ雄叫びを上げる幻獣を見て、「よし」と拳を握りしめるアリサ。しかし――
「避けろ――アリサ!」
「――え?」
炎の中から、ほとんど無傷の幻獣が怒り狂った様子で飛び出してきた。
着地した直後で反応が遅れ、呆けるアリサを、ガイウスは三つ叉の槍を回転させ風の障壁を張ることで庇う。
しかし、完全に威力を相殺しきれず、ガイウスはアリサと共に弾き飛ばされた。
「ガイウス!?」
「くっ――まだだ!」
幻獣の攻撃で弾き飛ばされながらも体勢を建て直し、ガイウスは風に乗って空に舞い上がる。
「カラミティホーク!」
風を纏い一筋の光となったガイウスは、音速に迫る速度で幻獣に突撃する。
闘気によって強化されたガイウスの槍は、硬い幻獣の鱗を貫き、骨にまで攻撃を届かせた。
絶叫を上げる幻獣。傷口からマナを噴きだし、命の灯火にも似た光を放ちながらも幻獣の動きは衰えを見せない。
巨大な尻尾を回転させ、ガイウスを弾き飛ばす幻獣。アリサも巻き添えを食って、坂を転げ落ちる。
「すまない、アリサ。大丈夫か?」
「ええ、なんとか……それにしても、なんて奴なの」
幻獣の生命力が、アリサとガイウスの予想を大きく超えていた。
最大級の威力を持つ戦技が通用しなかった以上、二人には決定打となる攻撃がない。
しかも幻獣から受けたダメージと大技の反動で、二人の気力と体力は限界近くに達していた。
このままでは全滅する。そう考えたガイウスは、再びアリサだけでも逃げるようにと促す。
「やはりアリサ……キミだけでも逃げろ。なんとか時間を稼いでみせる」
「しつこい! 生きて、皆と再会するんだから――そのためならっ、私は!」
「アリサ、なにを――待つんだ!」
しかし、そんな提案を呑めるはずがなかった。ガイウスの制止を聞かず、アリサは幻獣の前に飛び出す。
左手に導力器を握りしめ、精神を集中し、クォーツの輝きに残された力のすべてを込める。
「――〈ARCUS〉駆動!」
意識を集中し、導力魔法の駆動に入るアリサ。
しかし、そんな隙を見逃してくれるほど甘い相手ではなかった。
幻獣が雄叫びを上げると大気が震え、衝撃波のようなものが幻獣を中心に広がっていく。
「きゃああっ!」
全身を貫くかのような衝撃を受け、アリサは岩に叩き付けられ肺から息を吐く。
岩の破片が突き刺さり、腹部からは赤い血が滲み出ていた。
なおも動きを止めない幻獣は大地を蹴り上げ、アリサに向かって突撃を開始する。
アリサを助けるために、最後の力を振り絞ってガイウスは走る。しかし、僅かに届かない。
「アリサァァァ――ッ!」
仲間の死が頭に過ぎり、ガイウスは悲痛に満ちた声で力一杯、アリサの名を叫んだ。
(シャロン、母様、お祖父様……それに皆……)
意識が朦朧とし、視界が定まらない中、走馬燈のように浮かんでくる記憶。
指先一つ動かせない状態で、アリサが死を覚悟した、その時だった。
ドン、と何かにぶつかる衝撃音。幻獣の動きがピタリと止まる。いや、何者かに受け止められ、動きを停止していた。
風にさらわれて、アリサの前で揺れ動く青い髪のシルエット。
「まったく無茶をする。だが、無事でよかった」
「……嘘、ラウラ?」
深い群青の大剣を手にしたラウラが、アリサを庇うように幻獣を押し止めていた。
角を受け止めた剣の腹を押し返しながら、幻獣を睨み付けるラウラ。
その瞳は焔のように滾り、全身からは黄金色の闘気が噴き出す。
「友が世話になったようだ。我が剣にて、その返礼はさせてもらう」
一閃――膨大な闘気を纏った一撃で、幻獣を弾き飛ばすラウラ。
横倒しに崩れ落ちる幻獣に、ラウラは追い打ちとばかりに武器を構え、距離を詰める。
「受けてみよ、我が全霊の奥義――」
太陽のように黄金に光輝く闘気が、全身を伝って剣へと流し込まれる。
それは、アルゼイドの奥義。ラウラが持つ技のなかでも最大の威力を誇る渾身の一撃――
「吼えろ――獅子洸翔斬!」
剣より放たれた闘気の塊が、巨大な獅子となって幻獣へと迫る。
全身を焼く闘気に幻獣は呑まれ、これまでよりも一際大きな絶叫を上げた。
その瞬間を待っていたかのように、ラウラは仲間の名前を叫ぶ。
「いまだ、エリオット!」
「任せて!」
息を切らせながらも、坂の上まで辿り着いていたエリオットが魔導杖を天に掲げる。
その瞬間、地面に亀裂が走り、大地の隙間から溢れんばかりの光が噴出する。
「――エクスクルセイド!」
光に呑まれた幻獣は雄叫びと共に塵となり、マナへと還っていった。
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