「これは……」
仮面の下、呆然とした表情で辺りを見渡すリーシャ。
硝煙と濃い血の香り。地面に横たわっているのは、息絶えた猟兵たちの亡骸だ。
それは死体を見慣れたリーシャでも、思わず目を背けそうになる壮絶な光景だった。
「――っ!」
背筋が凍るような殺気を感じて、身構えるリーシャ。そして目を瞠る。
獣を彷彿とさせる鋭い瞳に、紅蓮の炎のように赤い髪。大量の血を吸い、更に赤みを増した真紅のブレードライフルを肩に抱え、一人の少女が戦場を闊歩する。
その濃厚な死の気配を放つ少女のことを、リーシャが見間違えるはずがなかった。
シャーリィ・オルランド。彼女こそ、リーシャがクロスベルを去ることになった切っ掛けを作った人物だった。
「見つけた。やっぱり、リーシャだ。あ、でも、その格好の時は銀≠チて呼んだ方がいいのかな?」
「シャーリィ・オルランド……ッ!?」
驚きと戸惑い、そして激情に駆られ、シャーリィの名前を叫ぶリーシャ。
一方、懐かしそうにリーシャの名を呼ぶシャーリィ。そこには悪意のようなものは感じられない。
心の底からリーシャとの再会を喜んでいる様子が見て取れた。
「リーシャから微かにリィンの匂いがする。そっか、リィンと会ったんだ」
くんくんと鼻を鳴らす真似をしながら、リーシャの行動を言い当てるシャーリィ。
しかし、そんな話をリーシャは聞いていなかった。
一足で距離を詰めると、シャーリィへと問答無用で大剣を振り下ろす。
「せっかちだね。でも、足りないよっ!」
「なっ――」
避けるでも武器で防御するでもなく、素手で大剣を受け止めてみせたシャーリィにリーシャは驚く。
ニヤリと笑うと、シャーリィはリーシャの腹部に鋭い蹴りを放つ。
そのまま後ろへ弾け飛ぶリーシャ。カランという音と共に、仮面が剥がれ落ちた。
そこから顔を見せたのは、シャーリィとそう歳の変わらない少女だった。
「ううん……リーシャ。なんか弱くなってない?」
「なにを……」
「うん、やっぱりそうだ」
以前、戦った時よりも歯ごたえのないリーシャに不満を漏らすシャーリィ。
そして何かに思い至った様子で間合いを詰めると、常人では反応しきれないほどの速度で、手にしたブレードライフルを振り抜いた。
「きゃあっ!」
衝撃で吹き飛び、土に顔を付けるリーシャ。斬り裂かれた外套の隙間から、白い柔肌が覗き見える。
「これで少しは動きやすくなったんじゃない? シャーリィ相手に手を抜いてると死んじゃうよ?」
殺そうと思えば、先程の一撃で殺せたはずだ。なのにシャーリィはそうしなかった。
シャーリィの言葉から〈銀〉の衣をはぎ取ることが目的だったのだと、リーシャは理解する。
「死なんて……」
リーシャの口から思わず漏れた言葉はそれだった。
暗殺稼業をしている以上、死は身近なものだ。いつ死んでもいいと思っていた。その考えはクロスベルを離れてから、より顕著に強くなっていったように思える。
ここで死ぬのなら、それでもいい。危険とわかっていて帝国行きの依頼を受けたのも、心のどこかで死に場所を探していたからかもしれないと、いまになってリーシャは思う。
そんなどこか諦めた様子のリーシャを見て、やる気のなさそうな顔をシャーリィは浮かべる。
「なんか、思ってたのと違うんだよね。ワクワクしないっていうか、リーシャ本当にどうしちゃったのさ」
死を覚悟した人間は、思いもよらない強い力を発揮することがある。しかしリーシャのは死を覚悟した人間のそれではなく、生きることを諦めた人間の顔だ。
そんな人間をシャーリィは数え切れないほど見てきた。そして、そうした人間がシャーリィは何よりも嫌いだった。
まだ見窄らしく命乞いをする人間の方が遥かにマシだと思えるくらいに、いまのリーシャは見るに堪えない。
嘗て、自分が見初めた好敵手がこんな風に変わってしまったことに、シャーリィはショックを隠しきれない様子で溜め息を漏らす。
「もういいや、いまのリーシャと戦っても楽しくないし」
リーシャのその一言は、僅かに残っていたリーシャの感情を呼び起こした。
原因を作った彼女にだけは言われたくない。そんな思いからリーシャは声を上げる。
「私は、あなたなんか――に……」
その時だった。
パンと乾いた音が聞こえたかと思うと、リーシャは口から血を吐き出した。
「……あれ?」
胸もとから滲み出る赤黒い染み。
手にこびりついた真っ赤な血を見下ろしながら、リーシャは地面に倒れる。
「リーシャ……?」
リーシャに駆け寄るシャーリィ。リーシャの容態を確認すると、背中から胸に銃弾が突き抜けた痕があった。
胸もとから血が流れ、意識が混濁していることからも、かなり危険な状態であることは間違いない。
コートの袖を破り止血を試みるシャーリィの耳に、猟兵と思しき一人の男の声が聞こえてくる。
「クッ――何が伝説の凶手だ! ただの使えない小娘ではないか!」
忌々しげに悪態を吐く男。手には火薬式のライフルが握られている。リーシャを背中から撃ったのは、その男と見て間違いなかった。
この周辺の敵はシャーリィがあらかた片付けたはずだが、まだ生き残りがいたのだろう。
呆けるシャーリィを見てチャンスと思ったのか、同じく撤退を始めた仲間の後を追うように男は逃走を始める。しかし――
姿が掻き消えたかと思うと、一瞬で逃走する男に間合いを詰めるシャーリィ。
ブレードライフルを手にした赤毛の少女が、突然目の前に現れたことで男は悲鳴を上げて尻餅をつく。
「逃げられると思ってるの?」
「ヒッ!」
喉元に剣先を突きつけられ、顔を青ざめる男。これまでに経験したことのないほどの濃密な殺気を向けられ、男は指先一つ動かせないでいた。
そんな男に一切の躊躇いなく、シャーリィはブレードライフルの刃を振り下ろす。
「や、やめ――」
血飛沫を上げ、左右にスライドして崩れ落ちる男の身体。最後まで言葉を紡ぐことなく、男は骸となって地面に横たわる。
シャーリィは顔についた返り血を拭いながら逃げる猟兵たちを眺め、双眸を細める。
「教えてあげる。どうしてシャーリィが〈血塗れ〉と呼ばれているか」
いつもなら戦意を失って逃げる者を追うような真似はしない。しかし――
生まれて初めて抱いた怒り≠ニいう感情。込み上げてくる激情に身を任せ、シャーリィは武器を振った。
◆
ノルド西端の山間。ラクリマ湖を見晴らせる開けた草原に、エリオットたちはノルドの民と共に避難していた。
カレイジャスが現れたのは、彼等が避難場所に到着してから半刻ほど経ってからのことだ。
随分と早い見計らったかのような到着に驚いたエリオットたちだったが、その理由はすぐに理解することが出来た。
リィンがユーシスに持たせた伝言。そのメモのなかに、ラクリマ湖のことや合流ポイント。そして迎えの合図について細かく書かれていたとの話だった。
「あの時から、こんな先のことまで考えていたなんて凄いね。リィンは……」
前から凄いとは思っていたが、さすがに今回のことは驚きを隠せないエリオット。
ノルドの民がラクリマ湖周辺に避難していることまで、予想していたということになる。あの貴族連合ですら集落を探すのに多くの人と時間を割いていたというのに、ノルドの地理を正確に把握していなければ出来ないことだ。
いや、それだけでは足りない。以前にも感じたことだが、リィンには独自の情報源があるようにエリオットには思えてならなかった。
「これで同い年とか嘘でしょ。一体、何者なのよ。あいつは……」
「猟兵の世界では、かなりの有名人だったそうだ。〈妖精の騎士〉と呼ばれていたとか……」
「騎士ねえ……。なんか猟兵のイメージとは随分と違った呼び名よね」
随分と落ち着いていて交渉に長けているし、最初は年上だと思っていたのだ。
その上、ラウラから詳しい話を聞き、世間一般で言われている猟兵のイメージとは随分と異なるリィンの異名にアリサは違和感を抱く。
そんなアリサの疑問に、苦笑しながらエリオットは答える。それはリィンと出会った誰もが、最初に抱く疑問だった。
「いつもリィンと一緒にいるフィーって義妹さんがいるんだけど、二人で仕事をしているうちにそう呼ばれるようになったらしいよ」
「あいつの妹か……やっぱり物凄く強いの?」
「凄まじい使い手だ。何度か稽古を付けてもらっているが、未だに一撃も入れたことがない」
「ラ、ラウラが!? ……凄い子なのね」
VII組の生徒のなかでもラウラの実力は飛び抜けている。単純な戦闘力だけなら、クラスでも一番の使い手だ。
実際、弱っていたとはいえ、アリサとガイウスの攻撃に耐えた幻獣を圧倒したラウラの力は、さすがというしかなかった。
そんなラウラが一撃も入れられない相手というのは、彼女の実力を知るアリサからすれば、俄には信じられないような話だ。
「でも、アリサはよくそんな風に普通に話せるよね?」
「え? どういうこと?」
「リィンはああいう性格だから気にしないと思うけど、やっぱり僕は一線引いちゃうっていうか……迷惑を掛けてばっかりで、ほとんど役に立ててないっていうのもあるんだけどね」
「んー。凄いってことは分かるんだけど、余り偉そうな感じがしないし。それに……」
「それに?」
助けられたこともそうだが、家族にだって見せたことのない淫らな姿を見られたことで、リィンのことを意識している自分にアリサは気付いていた。
普通に話しているように見えるのは、それを周囲は勿論のことリィンに悟られたくないがためだ。言ってみれば、照れ隠しだった。
まさか、そんなことを口に出来るわけもなく、アリサは頬を赤くして誤魔化すように顔を背ける。
「そ、そんなことよりユーシスも一緒なんでしょ?」
「ユーシスならガイウスと一緒に長老さんのところへ行ったよ。なんだか真剣な表情をしていたから声を掛けなかったんだけど……」
「そう……それじゃあ今は、そっとしておいた方がいいでしょうね」
今回の一件にアルバレア公が関わっていることは、アリサもエリオットたちから話を聞いていた。それだけにユーシスの気持ちが分からないではなかった。
いまはそっとしておくべきだろうと言うエリオットの話に、アリサも同意する。それは二人の話を黙って聞いていたラウラも同じ考えだった。
空気が少し重くなったことを察して、アリサは話題を変えることにした。他にも訊きたかったこと、気になっていたことがあったからだ。
その一つ、フィーについてアリサは尋ねる。
「あとフィーって子にも会ってみたいわ。紹介してくれるんでしょ?」
「うん、それはいいけど……さっきから姿を捜してるんだけど見つからなくて。もしかして一緒じゃないのかな?」
辺りを見渡しながらアリサの質問に答えるエリオット。
学生たちの誘導で、順番にカレイジャスに乗り込む人々の姿が見受けられる。幸い魔獣にはほとんど襲われなかったとはいえ、逃げる途中で負傷した者もいるため、そうした人たちを優先して避難は進められていた。エリオットたちは、いざと言う時のために後方で見張り役をしていた。
フィーの姿がないことから、まだ別行動をしているのだろうかとエリオットは考える。その時だった。
「伏せて」
「えっ!」
背後から突然、声を掛けられてエリオットは驚く。しかし、その驚きは更なる驚愕で塗り潰されることになる。
エリオットの頬に風が触れる。何かが横を通り過ぎたかと思った、次の瞬間。
鉄を斬り裂くような斬撃音と共に爆発音が鳴り響いた。
「間一髪」
言葉とは対照的に落ち着いた様子の少女――フィーを見て、エリオットを始め、ラウラとアリサは驚きを隠せず呆ける。
無理もない。フィーはカレイジャスに向けて放たれたロケット弾を手に持った双銃剣で斬ったのだ。
大きさと威力からして、放たれたのは使い捨ての携帯ランチャーだろう。それでも弾を斬るなど、常人に出来る業ではなかった。
「……四、五……八人か。既に包囲されてる」
冷静に敵の気配を数えるフィー。囲まれていると聞いて、エリオットたちは目を瞠った。
まだ避難は完了していない。爆発音を聞き、慌てる人々の姿が確認できる。
誘導を行っていた学生たちが混乱を抑えようとしているが、この状況で乱戦になれば怪我人は避けられないだろう。
そう考えたラウラは大剣を抜き、フィーに尋ねた。
「打って出るか?」
「ん……なら、ここをお願い。正面の敵を片付けてくる」
ラウラにこの場を託して、フィーは敵陣に切り込む。
あっと言う間に姿を消したフィーを呆然と見送り、アリサは慌てて声を上げた。
「だ、大丈夫なの!? あの子ひとりで!」
「た、たぶん……それより避難を――って、ラウラ!?」
「任された以上、ここを引くわけにはいくまい」
フィーの実力をよく知るラウラは、彼女の心配をしてはいなかった。
なら、与えられた仕事を全うするだけだ。この場を託された以上、それに応えるのが自分の役目だとラウラは剣を手にする。
「私もやるわよ」
アリサも愛用の導力弓を構え、ラウラの横に並び立つ。
フィーやラウラだけに任せてはおけない。皆を守りたいという気持ちは彼女も同じだった。
そんな二人を見て苦笑しながら、エリオットは導力杖を強く握りしめ、覚悟を決めた。
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