土下座でもするかのような勢いで深々と頭を下げるユーシスを見て、少し困った顔を浮かべるガイウスの父ラカン。
その後ろで年老いたノルドの長老は、「ほう」と感心した様子で白い顎髭を撫でていた。
どうしたものかと悩んだラカンは、ユーシスの謝罪を受け入れながらも、頭を上げるように言う。
「頭を上げてくれ。我々はキミを憎んでなどいない」
「しかし……父が酷いことを……」
苦しげな表情を浮かべ、手が白くなるほど拳を強く握りしめるユーシスを見て、長老は僅かに逡巡した様子で目を瞑ると、
「親の罪を子に問うほど耄碌はしておらぬつもりじゃ。その気持ちだけで十分じゃて」
優しげな笑みを浮かべながら、そう言った。
ユーシスの気持ちが分からない訳ではないが、そのことでユーシスを責めるつもりなどラカンや長老にはなかった。
勿論、ノルドの民すべてが納得しているとは言い難いが、彼等もわかっているのだ。
憎しみは更なる憎しみを生むだけで、親の責任を子に負わせたところで意味はない、と――
畑はまた耕せばいい。家は、また建てればいいだけの話だ。こうして全員無事だったことを考えれば、幾らでもやり直しは利く。
風と女神の導きに感謝こそすれ、〈紅き翼〉と共に助けにきてくれたユーシスを恨む理由はなかった。
「……すみません。出来る限りのことはさせて頂くつもりです」
出来ることといえば、金銭面での援助くらいしかない。公爵家の跡取りとあって、僅かではあるがユーシスにも貯えはある。
当然それだけでは足りないだろうが、可能な限りノルドの民が生活に困窮せずに済むように、支援するつもりでユーシスはいた。
頑なに譲ろうとしないユーシスに苦笑しながらも、それでユーシスの気持ちが楽になるのならと、ラカンと長老は何も言わない。
すぐ傍で様子を窺っていたガイウスも、そんな友人の頑固さと誠実さに思わず苦笑を漏らすほどだった。
その時、大きな揺れが艦を襲った。
「この揺れ……まさか!?」
「そのまさかのようだ」
揺れに驚くユーシスに、近場の窓から外の様子を窺ったガイウスが答える。
船の外では既に戦闘が始まっていた。エリオットたちVII組を中心に、学生たちが武器を手に応戦している姿が確認できる。
すぐに二人の頭を過ぎったのは、VII組の仲間。エリオットたちの横顔だった。
しかし――銃声に脅え、身を寄せ合う人々を見て、ユーシスは迷う。
そんなユーシスの横顔を見て、ラカンは背中を押すかのように言った。
「我々のことなら心配はいらない。自分たちの身くらいは守れるつもりだ」
ラカンの言葉に頷くように、槍を手にしたノルドの男たちが立ち上がる。
ラカン自身、ガイウスを超える槍の名手だ。相手が戦い慣れた猟兵とはいえ、易々と後れを取るつもりはなかった。
「ここを頼む、父さん」
「……よろしくお願いします」
頭を下げ、ガイウスと共に皆の元へ走るユーシス。そんな二人の背中を、ラカンは苦笑しながら見送った。
◆
簡単な作戦のはずだった。
手練れが一人二人いようが、包囲すれば民間人を捕らえることくらい難しい作戦ではなかったはずだ。
なのに――猟兵たちは焦っていた。
ラウラを中心としたVII組のメンバーに加え、他の学生たちも実戦の経験があるとしか思えない動きと抵抗を見せたからだ。
「アリサ――三時方向!」
「任せて! 行くわよ――撃て!」
アリサが空に向けて弓を引くと、追尾するように学生たちが導力銃やアーツを放つ。
カレイジャスに向けて放たれたミサイルが空中で爆散したことを確認すると、エリオットは支援アーツを発動した。
「――メルティライズ! ラウラ!」
「心得た!」
淡い光に包まれたラウラが、同じく大剣を手にした猟兵に迫る。
さすがに歴戦を潜り抜けてきた猟兵とあって手強いが、それでもリィンたちほどではない。
剣の技量という面では圧倒的に勝ったラウラの一撃が、歴戦の猟兵たちを退かせる。
「くそっ! なんなんだ。こいつら話と違うぞ!」
後方から導力銃で応戦する者たち。なかには火薬式のライフルを扱っている者までいる。
それに加え、エリオットやアリサがアーツで全体を支援し、接近を試みてもラウラの剛剣が行く手を阻む。
民間人をさらうどころか、艦にすら猟兵たちは近付けないでいた。
「遅れてすまない」
「待たせたな」
遅れて合流すると、ガイウスとユーシスは武器を手にラウラの援護に向かう。
ぞろぞろと〈紅き翼〉からは武装した学生たちが姿を見せる。これで流れは大きく変わった。
徐々に押し込まれ始める猟兵たち。そうしている間にも、八人いた仲間もフィーによって二人倒され、膠着状態にあった戦況は〈紅き翼〉に傾いていく。
「どうなってる!? 民間人だけではなかったのか!?」
「こいつら戦い慣れてる! これではまるで――」
軍人――いや、猟兵のような戦い方だと男は悲鳴を上げる。相手が学生だという考えは、既に男たちの頭にはなかった。
どこから計算が狂い始めたのかと、後悔の念が男たちの頭を過ぎる。こうなっては作戦の失敗は確実だ。撤退を考えなければ部隊の全滅すらあり得る。
貴族連合についたのは、事前の情報からも勝ち戦だと踏んでいたからだ。なのに蓋を開けてみれば、最初は優勢だった戦局も徐々に正規軍へと傾き始め、現在はこのような場所で軍人どころか学生を相手に劣勢へと追い込まれている。
報酬は惜しいが、それ以上に死んでしまっては意味がない。潮時か……とリーダーの男が判断した、その時だった。
「くっ! 一時撤退す――」
撤退を促す猟兵団〈ニーズヘッグ〉のリーダー。
しかし、最後まで言い切る前に、死角から放たれた鋭い一撃が武器ごと男の右腕を切断した。
「ぐああっ!」
痛みを我慢し、呻き声を上げる男。咄嗟に身体を捻らなければ、腕どころか命はなかった。
血がしたたり落ちる腕をもう片方の手で押さえながら、男は自分の腕を切断した目の前の少女を睨み付ける。
「〈西風の妖精〉――我々を逃がさないつもりか!」
「往生際が悪い。命が惜しければ、戦場に来なければよかっただけ。あなたたちも猟兵なら覚悟は出来ているはず」
一般人からすれば非情ともいえる言葉だが、猟兵たちにとってフィーの言葉は反論できないほどに正しいものだった。
戦場に立つ以上、最初に決めておく覚悟がある。それは殺し、殺される覚悟だ。仕掛けたのが自分たちである以上、ここで殺されたとしても文句を言える立場にないことは彼等もよくわかっていた。
しかし、猟兵とて人間だ。命は惜しい。簡単に殺されるつもりなど男たちにはなかった。
もう一本の手で腰に帯びた導力銃を抜く男。その銃口をフィーへと向けようとした、その時だ。男たちの中心に巨大なナニか≠ェ落下した。
「な、なんだ!?」
「た、助け! うわああああっ!」
大地を穿ち、宙に浮く黒い剣のような塊。それはアルティナの分身〈クラウ=ソラス〉だ。
地面が崩れ落ち、崖下へと落下していくリーダーと数人の男たち。
穴の底は数百アージュはある。この高さから落ちて助かることはないだろう。
「やるね」
「意識がそちらに向いていましたから、不意を突くのは簡単でした」
咄嗟に回避した様子で〈クラウ=ソラス〉の腕にぶら下がりながら、フィーはアルティナと作戦の成功を確かめ合う。
フィーが学生たちの動きに合わせながら敵を岩壁に追い込み、まとめたところでアルティナが一撃で決める。そういう作戦だった。
相手を学生と侮ったのが、彼等の敗因だ。本来であれば、仲間を半数以上失った時点で諦め、撤退すべきだった。
「残り二人か」
それでも、しぶとく生き残った猟兵たちをフィーは冷たい眼差しで見下ろす。
もはや自分たちに勝ち目がないことは男たちも理解していた。
前には最強クラスの猟兵。後ろには武装した学生たち。見逃してくれる甘い相手でないことは、さっきのやり取りからも明らかだ。
逃げ場を失った男たちは錯乱した様子で、フィーとアルティナに銃口を向け、叫び声を上げる。
「くそおおおおおおっ!」
山に反響する悲鳴と無数の銃撃音。それが男たちが口にした最後の言葉となった。
◆
「……殺したのか?」
返り血を浴びたフィーを見て、ラウラは悲しげな視線を向ける。
そんなラウラの質問に動揺した様子もなく、無表情で一言、頷いて応えるフィー。
「ん……」
ラウラたちが敢えて攻勢にはでず、艦に猟兵たちを近付けないように守勢に徹していたことはわかっていた。
判断としては間違っていない。防御に徹していなければ、怪我人がでていた可能性が高い。
しかし同時に、ラウラたちでは猟兵たちを殺せないこともわかっていた。
どんな悪人であろうと、人を殺したくないと思うのは普通だ。しかしフィーは、最初から猟兵たちを逃がすつもりはなかった。
「逃がせば猟兵崩れになる。だから処分しただけ」
生かしておけば、離陸時を狙って攻撃される恐れもあるし、見逃したところで猟兵崩れになるだけだ。
犯罪者となるのがわかっていて見逃すくらいなら、ここで殺しておいた方がいい。ただ、それだけの理由だった。
「フィー。そなたは……」
「別に、わかってもらおうと思わない。ただ……」
ラウラが何を言おうとしているかは、フィーにもわかっていた。
しかし、それは猟兵にとって不要な考えであり、戦場に足を踏み入れた時から覚悟を決めていたことだ。
ラウラたちを鍛えたのは、あくまで自衛のためでしかない。こうした仕事は自分たちの役割だとフィーは考えていた。リィンも同じ考えだろう。
「ここは戦場。そして私は猟兵≠セから」
それは以前、ラウラがリィンとフィーに尋ねた質問の答えでもあった。
戸惑いと悲しみ、複雑な感情が入り交じった表情で、ラウラはただ黙って聞いていることしか出来なかった。
◆
――監視塔、貴族連合駐屯基地。
「ぜ、全滅だと!?」
報告を受けたアルバレア公は、信じられないと言った顔で確認を取るように兵士の顔を見る。
アルバレア公の問いに「はい」と一言だけ呟き、静かに首を縦に振る兵士。その表情には、どこか疲れが見えた。
というのも領邦軍が駆けつけた時には、すべてが終わった後だった。
生き残った猟兵から話を聞こうにも余程怖い目にあったのか、まともに話を聞くことすら出来ないほどに彼等は精神を病んでいた。
無理もない。百人近い仲間が命を落としたのだ。まさか、こんな事態に陥るなどと彼等も思ってはいなかっただろう。
それは、彼等に命じたアルバレア公や領邦軍も同じだ。ノルドの民を捕縛するだけの簡単な仕事のはずだった。それが何故こんなことになったのかと疑問は尽きない。
もし猟兵たちでなく自分たちが任務に当たっていたらと思うと、報告に赴いた兵士は怖気すら感じる。それほどに酷い惨状だったのだ。
「こんな簡単な仕事もこなせないとは――役立たずどもめ!」
死者を罵倒し、椅子を蹴飛ばし、近くの物に当たり散らかす。そんなアルバレア公の態度に、不快そうに眉をひそめる兵士。
しかし、それを口には出さない。出せる立場にないことを彼は理解していた。
「〈銀〉は――あの暗殺者はどうしたのだ!?」
「わかりません。敵に捕らえられたか、或いは……」
「くっ! 共和国も使えない奴を寄越しおって!」
計画が大きく狂ったことで、アルバレア公は焦りを隠せない様子で喚き立てる。
失態という意味では、辛うじて本拠地を死守したカイエン公はまだ余裕がある。一方、アルバレア公はバリアハートを失っている。
ここでゼンダー門を陥落させることが出来なければ、発言権を取り戻すどころか、貴族連合に居場所がなくなるだろう。
最悪、戦争に負けるようなことになれば、一方的に内戦の責任を取らされ、公爵家は取り潰しという可能性すら出て来る。
それだけは、なんとしても回避しなければならない。どうにかしなければ、とアルバレア公は考える。
「何か、何か手は……」
猟兵たちにノルドの民を捕らえるように命令したのも、領邦軍の被害を最小限に食い止め、ゼンダー門を陥落させるためだ。
そのためなら、猟兵が何十、何百死のうが、アルバレア公にとってはどうでもいいことだった。
しかし。その作戦も失敗した今、もうほとんど手は残されていない。
ここにある戦力で最後の戦いに打って出るか、或いは――
「クッ……こうなったら……」
何か思いついた様子で、苦々しげな表情を浮かべるアルバレア公。
「もはや手段など選んではおられん……共和国に連絡を取れ!」
怒りをぶつけるかのように大きな声で、アルバレア公は兵士に指示を飛ばす。
共和国の名を聞いて、動揺した姿を見せる兵士たち。それが、どう言う意味かを彼等はわかっていたからだ。
帝国軍人として複雑な表情を浮かべながらも、諫言できるような雰囲気ではなく、兵たちはアルバレア公の指示に従い動き始める。
「すべて奴等が悪いのだ。奴等が……」
ぶつぶつと独り言を呟くアルバレア公の表情は、狂気に魅入られていた。
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