「どうだった?」
「ん……リィンの読み通りだった」
執務室でリィンは一冊のファイルに目を通しながら、フィーの報告を聞いていた。
報告とは、例のスパイの件だ。容疑者に浮上したのは、一人の女生徒だった。ミリアムはスパイがいることを知りながらも、その正体を知らなかった。いや、そもそも彼女が知らないのは無理もない。情報局のスパイだと思われていた人物は、情報局の用意した諜報員ではなかったのだから――
フィーの話を聞きながら、ファイルに挟み込まれた写真に映った学生と思しき人物に目を通し、リィンはすべてを理解した様子で溜め息を吐く。
ロジーヌ。士官学生の生徒にして七耀教会でシスター見習いを務める少女だ。
その正体は星杯騎士団に所属する従騎士であることを、リィンは前世の知識から知っていた。
「でも、どうして教会の関係者が?」
フィーが疑問に思うのも無理はない。
帝国情報局に情報を流していたのがロジーヌだとした場合、教会と革新派が通じているということになる。
しかし、それはありえないとは言わないまでも、あのギリアスが教会と手を結ぶとは思えない。可能性としては低いと考えていた。
だが、そもそも教会――いや、星杯騎士団の狙いが他にあったと仮定すれば、話に辻褄が合う。
「教会の狙いは、恐らく俺だ」
目を剥いて驚くフィー。しかしそう考えれば、一連の流れにも納得が行くのだ。
どこまでがギリアスの思惑で、どこまでが教会の立てた計画なのかまでは分からない。しかし、帝都の件からセドリックのことを含め、一連の出来事すべてに――リィンを積極的に内戦へ関わらせようとする意図が見え隠れしていた。
随分と以前から企てられた計画だとリィンは感じていた。もし四年前の事件を教会が知っているとすれば、最初からリィンに目を付けていた可能性が高い。あの教団の関わった事件には、帝国政府と星杯騎士団も関与していたのだから尚更だ。この件に関して言えば、あの頃から繋がっていたと考えるのが自然だろう。
ルトガーは恐らく、その可能性に気付いていた。だから、リィンに力を出来るだけ使わないように忠告したのだろう。
教会の狙いはリィンの力を見定め、四年前に帝国西部の山を消失させた光の正体を突き止めることにあるのだと予想が付く。そのために、この内戦という舞台を利用したのだ。
しかし、あのギリアスが教会の思惑に素直に従っているとは思えない。リィンが抱いていた違和感の正体は、そこにあった。
見えないところで、ギリアスと教会の思惑がぶつかり合っているということだ。
ルーファスの一件も、その一つとして考えれば、すべてに合点が行く。
だとすると、原作知識について知っているのは情報局の関係者ではなく、恐らくは――
「まあ、連中の狙いが俺なら、むしろ好都合だ」
「リィン、まさか……」
また自分を犠牲にするつもりじゃ、と考えたフィーは訝しげな視線をリィンへ向ける。
どう思われているかを察したリィンは肩をすくめ、そんなフィーの疑問に答えた。
「心配しなくても無茶するつもりなんてないさ」
「ほんとに?」
「……危険がまったくないとは言わないが、ちょっとは信じてくれ」
リィンが無茶をしなかったことなど、フィーの知る限り過去に一度としてない。
それだけに信用しろと言われても、安心など出来るはずがなかった。
とはいえ、なんらかの手を講じなければいけないのは事実だ。そのことはフィーもわかっていた。
「分かった。でも、絶対に一人で無茶をしないで、必ず相談して欲しい」
返事を聞くまでは逃さないと言った顔でフィーに睨まれ、リィンは観念した様子で頷いて返す。
(ロジーヌか……このまま放置も出来ないし、一度腹を割って話をする必要があるだろうな)
もっとも話の通じる相手ならばいいが、最悪――という可能性もある。
ただ表立って仕掛けてこないということは、相手も目立つ行動を避けたいということだ。
そこに交渉の余地があるとリィンは考え、心配そうに見詰めるフィーの顔を見て苦笑した。
◆
「やります。僕もアルノール皇家の一員です。兄上やアルフィンにだけ責任を背負わせるような真似をしたくない。僕に出来ることがあるのなら、協力させてください」
それが、一日悩んでセドリックのだした答えだった。
セドリックの言葉を合図に、作戦は予定通りに決行されることになった。
そして現在、カレイジャスはノルドに向けてアイゼンガルド連峰の上空を飛行していた。
「リィンくんたち大丈夫かな……」
不在の艦長席を見ながら、心配そうに呟くトワ。
一方、窓から外を眺めていたシャーリィは、トワの呟きに不思議そうに首を傾げる。
「リィンの心配なんてするだけ無駄だと思うけど? エリオットたちの方にも〈西風の妖精〉が付いてるしね」
あの二人の実力をよく知るシャーリィからすれば、冗談としか思えない心配だった。
しかも、サラも作戦に加わるという話なのだから心配するだけ無駄だ。
「ね、リーシャ」
突然、シャーリィに話題を振られ、どう答えたものかと言った複雑な表情を浮かべながら、リーシャは無言で頷いて応える。
シャーリィが〈紅き翼〉に残った理由の一つ。それがリーシャの監視にあることに、リーシャ本人も気付いていた。わかっていて受け入れたのだ。
いまのリーシャは〈銀〉の黒衣の代わりに、アリサたちと同じ特科クラスの赤い制服を身に着けていた。
今更、正体を隠すことに意味がないということもあるが、もはやリィンたちと争う気は彼女にはなかったからだ。
シャーリィのことを完全に許したわけでも、リィンに心を許したわけでもないが、命を助けられたことは事実だ。
リィンとシャーリィには、その借りがある。少なくとも内戦が終わるまでは、二人の言葉に大人しく従うつもりでいた。
「リーシャちゃんでいいんだよね? 傷の方はもういいの?」
「……ちゃ、ちゃん? えっと、はい……お陰様で、もうほとんど完治しています」
「ほっ……よかった。シャルちゃんが血まみれの状態で運んできたときは驚いたけど……見た目ほど、たいしたことはなかったんだね」
シャルというのは、シャーリィの愛称だ。もっとも、そんな風に呼んでいるのはトワしかいないが、シャーリィはそう呼ばれるのが新鮮らしく『シャル』という愛称を密かに気に入っていた。相手が〈血塗れ〉の異名を持つ猟兵としって尚、態度を変えないのはトワの良いところだろう。それはリーシャに対しても同じだった。
本人曰く『お姉さんの貫禄』らしいのだが、どう考えてもトワの方がリーシャより年下にしか見えないのだから報われない。
「リーシャ。なんか服のサイズ、ちょっと合ってなくない?」
「あ、はい……ラウラさんから借りたものなのですが、少し胸の辺りが……」
ラクリマ湖の戦闘で服やコートをダメにしたシャーリィも、トワから借りて士官学院の制服を身に着けていた。
これに関して言えば、特に小さいということはなく、ほぼ体格に合ったものだったと付け加えておく。
ラウラはああ見えて、かなりの胸の持ち主だ。感度やカタチの良さではアリサに譲るものの、大きさではラウラが上だとシャーリィは評価している。
そのラウラの制服でさえ、包み込めないほどの胸。そんなものを見せられては、揉まずにはいられなかった。
「ちょっと何を――あっ、やめ――」
背中から手を伸ばし、リーシャの胸を揉みしだくシャーリィ。
手のひらの中にある圧倒的な戦力差を実感して、シャーリィは納得した様子で息を吐く。
露天風呂の一件を思い出し、この胸があればリィンを誘惑するのに役立ちそうだと思い至ったからだ。
「ううん……やっぱり胸の差かあ……。リーシャ半分くれない?」
「あげません! 無理を言わないでください!」
シャーリィを振り解くと、両手で胸を庇いながら顔を赤くしてリーシャは抗議する。
リーシャの胸を見て、自分の胸に手を当て、残念そうに視線を落とすシャーリィ。
「仲が良いんだね。二人とも」
そんなトワの感想になんとも言えない表情を浮かべ、リーシャは諦めた様子で溜め息を漏らすのだった。
◆
黒銀の鋼都ルーレ。ラインフォルトの本社ビルや工場などの関連施設が数多く建ち並ぶ工業都市。
帝国北部ノルティア州の州都で、四大名門の一角ログナー侯が統治する街としても有名だ。
そして、ここは工場区画の一角にあるアリサの知人が経営する食堂。無事ルーレに潜入したリィンたちは、偵察から戻ったアルティナの報告を聞きながら、作戦の役割と手順の確認を行っていた。
その話のなかで、今回の作戦のターゲットとも言うべき人物の情報がアルティナの口からもたらされた。
「ハイデル・ログナーの居場所が判明しました。本社ビルの二十四階で寛いでいます」
ハイデル・ログナー。ログナー侯の実弟で、ラインフォルト社・第一製作所の取締役を務めている人物だ。
そして現在は囚われのイリーナに代わって、会長代理を担っていた。
「二十四階……もしかして、ラインフォルト家の居住スペースのことか?」
そう答えたのは、アンゼリカ・ログナー。十九歳。
濃い紫色の髪をした短髪の女性で、変装のための教会の修道服を身に纏っていた。
元々はトールズ士官学院に通っていた生徒で、家の事情で休学するまではトワやジョルジュと同じ学年に在籍していた。
女性なのだが男より男らしい一面を持った女性で、本人の女好きも相俟って女性のファンが多く、その毒牙に掛かった少女は数知れないという……武勇伝に事欠かない女性だ。そしてログナー侯爵家の令嬢にして、サラに紹介された作戦の協力者でもあった。
「はい。リビングでアルコールを摂取しながら、大勢の女性を囲っていました。リィンさんのように……」
「おい、人聞きの悪いことを言うな」
「……露天風呂のことをお忘れですか?」
「すみません。俺が悪かったです」
また不埒もの扱いされて反論しようとするも、それを言われると立つ瀬の無いリィンは素直に降参する。
「叔父上のことだ。大方、自分の思い通りに事が進んで、気が大きくなっているのだろう」
能力は人並みのくせに出世欲だけは強く、ハイデルは以前からラインフォルト社の会長職を狙っていた。
好機だと思ったのだろう。内戦のどさくさに紛れて、イリーナを監禁したのもハイデルの仕業だった。
「典型的な小物ですね」
アルティナの酷評に、アンゼリカも苦笑に堪えない。確かに小物だ。ラインフォルト社の会長席に座るような器の人間では決してない。
自分の叔父ではあるものの、いや身内だからこそ、そのことはアンゼリカが一番よくわかっていた。
しかしそんな小物でも、ログナー候を引き摺り出すための材料程度には役に立つ。現在ログナー候は帝都方面のノルティア州最大の砦、〈黒竜関〉に籠もっていることがアンゼリカの話から分かった。
ガレリア要塞やゼンダー門と同じく、難攻不落で知られる帝国を代表する砦の一つだ。正面から挑んでも攻略は至難の業。なら相手に出て来てもらうのが一番早い。そうリィンは考えた。
そのため、ラインフォルト社を制圧し、ハイデルを押さえることにしたのだ。
「しかし、叔父上が捕まったくらいで、あの父が素直に交渉に応じるとは思えないが……」
「ログナー候ですか。確かに、あの方は武闘派で知られていますから……」
クレアのフォローに、首を横に振ってアンゼリカは答える。
「武闘派と言えば聞こえはいいが、ようするに頭が固いのだよ。家を飛び出す直前にも口論となったのだが、『お前が正しいと主張するなら、俺を力尽くで納得させてみろ!』と言われてしまってね」
これには、さすがのクレアも想像以上と言った様子で顔を引き攣る。
「〈西風〉の連中と気が合いそうな侯爵だな」
貴族というよりは、猟兵向きの思考だ。
団にいた頃、よく団のバカ親連中が口にしていた『フィーを嫁に欲しければ、俺(たち)を倒してからにしろ!』という懐かしい台詞が、リィンの頭を過ぎっていた。
そんなログナー候にまつわる話を聞き、アルフィンは苦笑しながら会話に入る。
「ログナーの小父様らしいですね」
「そういえば、アルフィンは面識があるんだよな?」
「はい。公の席で何度か。セドリックもお会いしたことがあるはずですよ?」
「あ、うん。オズボーン宰相に似て、とても迫力のある人だなって……」
「フフッ、オズボーン宰相とか……皮肉が効いている。父が聞いたらなんと言うか」
「あ、あの! 僕は別にそういうつもりじゃ!?」
緊張した空気が解け、場が笑いに包まれる。
ギリアス・オズボーンに似ていると言われたら、貴族連合の中核を担う人物としては複雑な想いだろう。
だがセドリックが感じたように、ログナー候は決して愚かな人間ではない。どちらかと言えば、最近の貴族には珍しい気骨のある人物だ。
アンゼリカの言うように頑固者ではあるのだろうが、話の通じない相手だとリィンは思っていなかった。
「そういえば、今日はエリゼ嬢は一緒ではないのですか?」
「エリゼですか? エリゼなら別の用があって、トヴァルさんとユミルに残っていますが……」
「そうですか。それは残念……」
アルフィンの説明に心底残念そうに肩を落とすアンゼリカ。
ああ、やっぱりこういう性格なのか、と呆れながらリィンは話の続きに入った。
「まあ、どのみち今のままじゃ交渉に応じさせるのは無理だろ。ならラインフォルト社を押さえておくだけでも効果はある」
「そうですね。他に手があるわけでもありませんし……」
必要なのは切っ掛けだ。クレアもそれしか手がない以上、異論はなかった。
アルフィンやセドリックの名を前面に押し出して、交渉にでるのは最後の手段。守ると約束した以上、準備整えるのはリィンたちの役目だ。無闇に二人を危険に晒すような真似をするつもりはリィンにはなかった。
それにラインフォルト社を押さえてしまえば、ルーレの都市機能を押さえたも同じだ。
貴族連合に供給されている物資の多くが、鉄道を使ってルーレより各地の領邦軍に供給されていることを考えれば、ログナー候とて無視は出来ないはず。
「しかし、本当にいいのか? ログナー家の問題に、殿下たちやクレア大尉ばかりか、見ず知らずのキミたちを巻き込んでしまって……」
ログナー家の問題に本来関係のない第三者を巻き込むことに、アンゼリカは抵抗を覚えていた。
リィンやアルティナとは、これが初対面なのだから尚更だ。
「まあ、こちらの都合≠煌ワんでいるので、気にしないでくれ」
都合という部分を強調しながら、アンゼリカの質問に答えるリィン。
どのような交渉をするかとか、計画の内容について説明したわけではないが、アンゼリカはリィンの意思を汲み黙って頷く。
完全に納得したわけではないが、リィンたちのことを疑っているわけではなかった。
悪人か、そうでないかくらいは、一緒にいるアルフィンたちの顔を見れば誰にでも分かることだ。
「もっとも交渉の余地はあると思う。アルフィン殿下やセドリック殿下が説得すれば、父も無碍には出来ないはずだ。ああ見えて、皇族への忠誠心は高くてね。まあ、その所為で貴族連合でも微妙な立場に置かれているのだが……」
ログナー候が、貴族連合の主導権争いに参加しない理由がそれだった。
元々ログナー候は、ギリアス・オズボーンの皇帝の威光を笠に着た強硬なやり口に反対していただけで、皇帝に対して何か思うところがあるわけではなかった。むしろ皇族に対する忠誠心は本物で、ギリアスや一部の革新派が占有してきた権利を本来の持ち主に返し、帝国が抱える政治の歪みと矛盾を修正できればそれでよかったのだ。
カイエン公やアルバレア公のように、政治の実権を握りたかったわけでも権力や富を欲しているわけでもなかった。
そのことからアンゼリカの言うように交渉の場を設けることが出来れば、話をまとめること自体はそう難しくないとリィンは考えていた。
「それはそうと、アルティナと言ったかい?」
「はい? なんでしょうか?」
「この作戦が終わったら、皇女殿下を交えてお茶なんかどうだい? キミのことを、もっとよく知りたいのだけど」
「……遠慮しておきます」
身の危険を感じて、リィンの背中に隠れるアルティナ。いつの間にか頭数に入れられていたアルフィンは苦笑する。
どこかオリヴァルトに通じるものを感じて、なんとも言えない表情を浮かべるリィンだった。
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