その頃、アンゼリカは魔人と化したアランと激闘を繰り広げていた。
一撃でも食らえば致命傷に至るような攻撃をアンゼリカは紙一重で回避し、カウンターを叩き込んでいく。その手には拳を保護するためのグローブのみで、自身の倍近くある体格の魔人を相手に怯むことなく互角の戦いを演じていた。
「はあああっ!」
放たれた大剣の一撃を受け流し、懐に飛び込んだアンゼリカの必殺の一撃が決まる。
――ゼロ・インパクト。東方に伝わる武術の一つ泰斗流。七年前に帝国を訪れた黒髪の女性から学び、体得した拳法だ。ゼロ・インパクトは、アンゼリカが泰斗流の技を元にアレンジを加えた拳技。寸勁や零剄と呼ばれる奥義の一つだった。
分厚い筋肉の鎧を衝撃が貫き、肺の中の空気を吐き出すように巨体をよろめかせるアラン。僅かにアランの身体が浮き上がる。その瞬間を待っていたとばかりに追撃を仕掛けるアンゼリカ。体内の気を爆発させ、目に留まらないほどの速度で、拳と蹴りによる連続攻撃をアランの身体に叩き込む。
一時的に身体能力を向上させる龍神功と呼ばれる奥義。アンゼリカは『ドラゴンブースト』と呼んでいるが、東方に伝わる気功術の一つだ。これには黙って観戦していたアルティナも、驚きを隠せない様子で声を上げた。
「アンゼリカ・ログナー。評価を改める必要がありそうですね」
休学中とはいえ、士官学院の学生ということでエリオットたちと同程度と推定していたのだ。
しかしサラやフィーほどとは言わないまでも、近接戦闘に限って言えば、執行者に迫るほどの実力があるとアルティナは評価する。泰斗流というのもデータとしては知っていても、こうして実際に目にするのは初めてだった。
武器を用いず、ここまでの戦闘力を発揮するなんて常識外れな力だ。
「――ドラグナーハザード!」
一瞬、アンゼリカの背後に龍のようなものが見え、渾身の力を込めた飛び蹴りがアランの胸部に決まる。彼女が持つ技のなかでも、奥の手とされる最大級の技。その証拠に衝撃に耐えきれなくなった床や壁に亀裂が走り、ビルの一部が崩壊する。
靴跡を胸に刻み、二十階の高さから宙に投げ出されるアラン。そのまま地面へと落下して行き、轟音と共に粉塵を巻き上げた。
「し、しまった! アラン!」
手加減できるような相手ではなかったとはいえ、勢いが余ってやってしまった、という顔で慌てて自分で空けた大穴から地上を見下ろし、アランの状態を確認するアンゼリカ。地上では粉塵が巻き起こり、小さなクレーターのようなものが出来ていた。
幸い爆発を見た人々はビル周辺から避難していたために、巻き込まれた住民はいないようだが、この高さから落下したアランが無傷とは到底思えない。心配そうに地上を見下ろすアンゼリカにアルティナは声を掛ける。
「恐らくは、あの程度では死なないかと。ですが……」
これまで獲得したデータから、この高さから落下しても致命傷には至らないだろうと推測するアルティナ。それより問題はアランをビルの外に放り出したことだ。
あの状態のアランを人前に晒すというのは出来れば避けたい。このままでは混乱が起きるのは時間の問題だ。早めにアランを回収する必要があった。
「急いだ方が良いと思います。人目に触れると面倒なことになります」
「……そうだな。急いでアランを回収しよう」
アルティナの考えに頷くアンゼリカ。その時だった。
禍々しい気が、落下地点――アランのいる場所から空に向かって吹き荒れた。
「ぐっ……これは……」
瞬く前にルーレを覆う濃密な力の気配。住民の中にも変調を来す者たちが現れ、体力の劣る者から次々に意識を失い、倒れて行く。
先程の戦いで気力を消耗したアンゼリカも額から汗を流し、右手で胸を押さえながら膝をついた。
「まさか、アランの仕業なのか?」
「どうやら覚醒したみたいですね。こうなってしまっては、もう……」
アンゼリカから受けた傷は完全に塞がり、周囲の生物から気を集め、成長を続けるアラン。三アージュほどの身長だったアランの身体は肥大化し、いまでは機甲兵を超えるほどの大きさへと変貌していた。
「……覚醒? なんだ、それは?」
「教団が崇める神、〈虚ろなる神〉への覚醒です。魔人化はグノーシスが持つ効果の一部に過ぎません。その真の目的はDへ至ること。過去に似た事例が記録されています。私も資料に目を通しただけなので確かなことは言えませんが……」
D∴G教団のGは『グノーシス』を、そしてDは彼等の神『デミウルゴス』を指し示す言葉。
――〈D〉とは教団が目指した〈虚ろなる神〉の正体。アルティナの話に補足をすると、〈D〉への覚醒には条件と適性がある。その条件とは、七耀脈の真上で覚醒することだ。
七耀脈とは大地深くに存在する星の力、エネルギーの流れだ。そのエネルギーが結晶化したものが七耀石――クォーツとなりオーブメントに加工されて、様々な導力製品を動かすために利用されている。
そして、ここ帝国最大の鉱山があるルーレには、巨大な七耀脈の流れが存在する。いや、そもそも帝都ヘイムダルや海都オルディスを始めとした帝国五大都市すべてが、七耀脈の流れに沿って建造された都市だ。その膨大な力がアランへと流れ込み、虚神へと至る切っ掛けを与えていた。
こうしたことから、教団のロッジも例外なく七耀脈の上に建てられている。
四年前、教団幹部の生き残りの一人、探求者が危険を冒してまで精霊窟へと足を運んだのも、暗黒時代の遺産を手に入れるという目的以外に、新たな拠点として遺跡を再利用しようと考えたからというのも理由にあった。
「ウオオオオオオ!」
虚神と化したアランが咆哮を上げると、周辺の建物の窓ガラスが一斉に砕け散る。
そして〈D〉へ至るために必要な適性とは、その者が持つ願いや想いの強さだ。アランのブリジットに対する想い。彼女を自分の力で守りたいという意志が彼に力を与え、不完全ながら〈D〉へ至るほどの力を彼に与えていた。
その人智を超えた力を前に、アンゼリカは息を呑む。
「これほどとは……!」
もはや人間の手に負える次元を超えていた。
騒ぎを聞きつけてやってきた領邦軍の兵士たちが、虚神へと覚醒したアランに立ち向かう様子が確認できるが、まったく歯が立っていない。遂には仲間をやられ、這々の体で逃げ出す兵士たち。
「た、助け……」
巨大な虚神の腕が、逃げる兵士の元へと伸びる。恐怖で顔を青ざめ、女神に祈る兵士。
そこに巨人が現れた。手に持ったダブルセイバーで虚神を薙ぎ払う蒼の巨人。
アンゼリカは目を瞠った。
「蒼い機甲兵……いや、違う。あれはトリスタに現れたという騎神……クロウか!?」
蒼の騎神オルディーネ。帝都が貴族連合によって占領された日、トリスタに現れたとされる騎神だ。その起動者がクロウであることをアンゼリカも知っていた。そして彼が帝国解放戦線のリーダーで貴族連合に協力しているということも――
しかし、クロウの足止めはリィンがしていたはずだ。それなのに、どうして――
「何故、クロウが……」
「手を組んだのさ。一時的にだがな」
後ろから声を掛けられて、驚いた様子で振り返るアンゼリカ。
そこには黒髪の青年――リィンが何食わぬ顔で立っていた。アンゼリカの横に立ち、壁に空いた大穴から下を覗き込むリィン。兵士や住民を庇いながら、虚神と化したアランと対峙するオルディーネの姿が確認できる。
幾ら騎神が強力とは言っても、相手は仮にも『神』の名を持つ化け物だ。一筋縄では行かない相手だろう。
ましてや周囲への被害を気にして、クロウは満足に動けずにいた。
「アルティナ。そこで寝てるおっさんとアンゼリカを連れて退避しろ」
「……了解しました」
リィンに何か考えがあると察したアルティナは素直に頷く。
腰から二本のブレードライフルを引き抜くリィン。全身から黒い闘気を放ち〈鬼の力〉を解放する。
姿や雰囲気の変わったリィンに驚き、目を剥くアンゼリカ。
思わず身構えてしまいそうになるほどの濃密な殺気を感じて、アンゼリカは声を上げた。
「ま、待ってくれ! まさか、殺すつもりなのか?」
「はあ?」
何を言ってるんだ、こいつは?
と言った顔で、アンゼリカを見るリィン。
「そうだと言ったらどうするつもりだ? このまま放置して被害を広げる気か?」
「それは……しかし、彼は……」
こうなってしまっては殺すしかない。周囲への被害を考えれば、それが最善だということはアンゼリカにもわかっていた。
しかし、アランもまた被害者だ。自分で望んであんな姿になったのならまだしも、人質として連れて来られ、実験動物のように利用され、その挙げ句に殺されるなど余りにも惨すぎる結末だ。
アンゼリカの様子から、顔見知りかと当たりを付けるリィン。
「……知り合いなのか?」
「士官学院の生徒だ。名前はアランと言う。知り合いというほどでもないが、彼女の幼馴染みの少女とは何度か言葉を交したことがあってね。出来ることなら、助けてやりたい……。無茶なお願いだというのは承知の上だが……」
人質となっているという生徒のことを思い出し、その一人かとリィンは納得する。
正直な話をすれば、殺してしまうのが手っ取り早い。顔見知りならともかく、赤の他人のために危険を冒して助ける理由などリィンにはない。本当であれば、さっさと殺してしまうつもりだった。
しかし、ここで生徒を殺してアンゼリカだけでなく、後々トワたちとの間に不和を生むのも面倒だ。クロウも学院の生徒であったことを考えれば、それしかないと言えば納得するだろうが、やはり良い気分はしないだろう。それにクロウには、まだ利用価値がある。助けることのメリットとデメリットを比較し、リィンは結論をだした。
「貸し一つだ。猟兵に依頼する以上は高く付くからな」
「何か、方法があるのか?」
「出来れば使いたくない方法だがな。あと、これから目にすることは絶対に誰にも言うな。それが、この依頼を受ける条件だ」
「……分かった。女神に誓おう」
リィンの言葉に、真剣な顔で頷くアンゼリカ。
「最後に一つ言って置くが、助かるかどうかは奴次第だ。死んでも俺に文句を言うなよ」
そういうことは先に言ってくれ、と思うが他に方法もないのでアンゼリカは黙って頷く。
次の瞬間。リィンの身体から黒い闘気に混じって、白い闘気が溢れ始める。
「――王者の法」
白い髪は灰色へと変わり、瞳は赤みを増す。
背に紋章が現れ、両手に持ったブレードライフルの刀身から吹き荒れる二色の闘気を纏うリィンに驚き、アンゼリカは思わず息を呑んだ。
何も言わず、トンッとビルから飛び降り、宙に身体を投げ出すリィン。
ブレードライフルの刃を重ね合わせるように胸の前で交差させ、地上に向かって叫んだ。
「クロウ! そいつをしっかりと押さえておけ!」
『なっ――お前、一体なにをする気だ』
空を見上げて驚きの声を上げるクロウ。そして目を瞠る。
中世の騎士が持つ槍のようなものを手に持ったリィンが、地上へと落下してきていたからだ。
それは嘗て、魔人と化したシーカーを葬り去った必滅の大槍。邪を滅する聖なる槍。
「――必滅の大槍」
槍を正面に掲げ、空中で加速し、リィンは光と化す。
衝撃と轟音が走り、天から降りそそぐ一筋の光が虚神を呑み込み、大地を穿った。
◆
邪悪な存在に対しては必殺の一撃となるリィンの奥の手の一つグングニルだが、集束砲などに比べれば物理的威力は劣る。
しかし地上百アージュの高さから放たれた一撃は、その余波だけでも木々を薙ぎ払い、近隣の建物の屋根を吹き飛ばすほどの破壊力を秘めていた。
当然、虚神の傍にいたオルディーネもその例外ではなく、致命的と言わないまでも関節や装甲に目に見えるダメージを負っていた。
しかも、マナを大幅に消耗したために、二、三日は動かせない状態だ。
「お、俺のオルディーネが……」
「悪かったって。ちょっと加減を間違えただけじゃないか」
落ち込むクロウの肩をポンポンと叩きながら、本気で謝る気があるのか分からない声を掛けるリィン。まさかあの程度で、これほどのダメージを負うとは思っていなかったのだ。しかしそれは、リィンの力が四年前に比べて強くなっている証拠でもあった。
「しかし、これどうすっかな……」
虚神のいた場所には巨大なクレーターが出来上がり、その中央には裸のアランが倒れていた。
魔人化も解け、元の人間の姿に戻っている。死んでいるわけではなさそうだし、アンゼリカとの契約は果たしたとリィンは考える。問題は周辺の被害だ。
ラインフォルトの本社ビルを中心に、街は甚大な被害を受けていた。復興には、それなりの時間が掛かるだろう。
都市のシンボルとも言うべきラインフォルトの本社ビルも半壊し、上層に至っては見るも無惨な状態だ。アリサがこれを見たら、きっと悲鳴を上げるだろう。状況的に仕方なかったとはいえ、リィンの本音としては、やっちまったという部分の方が大きい。
そして問題は、もう一つ。
「大人しく引いてくれると助かるんだが……と言っても無理か」
リィンとクロウは領邦軍の兵士に囲まれていた。
とはいえ、兵士たちの顔色は悪い。自分たちが倒せないような化け物を消滅させた正体不明の敵が目の前にいるのだ。生きた心地がしないのは、むしろ彼等の方だった。
しかし都市の治安を預かり、住民を守るのが彼等の仕事だ。それだけに逃げることも出来ず、こうした膠着状態を生んでいた。
「仕方ないか……」
この上、機甲兵にまで出張って来られると面倒だ。
殺さない程度に相手をして、ここを離脱するかとリィンが考えた、その時だった。
「待て! 双方、武器を収めよ!」
街中に響き渡る大きな声がしたかと思えば、兵士の中から髭を生やした指揮官と思しき男が姿を見せる。領邦軍の指揮官をしているからには貴族なのだろうが、貴族と言うよりは猟兵と言った方がいいかもしれない風貌をしていた。
しかし、その隙の無い佇まいから、かなりの実力者だとリィンは男を見定める。
オーレリアほどとは言えないが、少なく見積もってもクロウやサラに近い実力を備えていると予想した。
「ち、父上!?」
アルティナと共にタイミング良く姿を見せたアンゼリカが、指揮官と思しき男を見て驚いた様子で声を上げた。
アンゼリカの父親、という時点で一人の名前がリィンの頭を過ぎる。
ログナー公爵家の当主にして、あのハイデルの兄に当たる人物。
彼こそ、ゲルハルト・ログナー。ノルティア州を統治する四大名門貴族の一人だった。
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