「もう行くのか? サラやVII組の連中と顔も合わせずに……」
マナを消耗して動けないオルディーネをログナー候に預け、こっそりと立ち去ろうとしていたクロウにリィンは声を掛ける。オルディーネは現在、黒竜関へと運ばれ、機甲兵用の格納庫に隠されていた。マナさえ回復すれば、どこにいようと〈騎神〉は呼び出すことが出来る。動けない以上、ここに置いていくしか方法はなかった。
結局、クロウはリィンの提案を呑んだ。それが最善とは言わないまでも、最良だと判断したからだ。
それに〈結社〉の目的には興味はないが、ヴィータには大きな借りがある。オルディーネという力を与えてもらった借りが――
その借りを返すと言う意味でも、リィンとの取り引きはクロウにとって都合の良いものだった。そして――
「どんな顔をして会えばいいか、分からないって顔をしてるな」
「本当に性格が悪いな。お前……」
「うちの団長曰く、猟兵にとって褒め言葉らしいぞ。それ」
わかっているのに敢えて尋ねてくるリィンに、心底うんざりとした顔を浮かべるクロウ。
「いまはまだ会えない。すべてに片を付けるまではな」
「まあ、お前がそういうなら好きにすればいいさ」
なら聞くなと言いたいが、グッと我慢するクロウ。これがリィンのペースだということはわかっていた。
意趣返しとばかりにクロウは質問を返す。
「ついでだ。俺にあんな取り引きを持ち掛けた本当の理由を教えろ」
「言っただろ? 〈結社〉まで敵に回すつもりはないって。それに俺にとって一番厄介な敵はカイエン公じゃない。ギリアスや教会だ。そういう意味では、お前たちと利害が一致しているとも言えるしな」
言葉に嘘はない。しかし本当のことも言ってないとクロウは察する。
以前のクロウならリィンのその言葉に騙され、納得していただろう。しかし、アルフィンから話を聞いた後は別だった。
「街を出る時に、皇女殿下に見つかってな……言われたよ。以前と同じように学院に通うことは無理だろうけど、計画に協力すれば恩赦を与えることも出来るってな」
「また、余計なことを……」
「やっぱりか……どういうつもりだ?」
罪が赦されることはないが、内戦の終結に協力したという建て前があれば、恩赦によって厳罰を免れることも確かに不可能ではないだろう。
それに帝国解放戦線に資金や武器を供給し、彼等の復讐心を煽り、裏で操っていたのはカイエン公だ。ギリアス・オズボーンの命を狙い、内戦を引き起こした黒幕という意味では、彼等よりもカイエン公の方が罪は重い。
しかし、リィンが敵には容赦をしない性格であることは、ノルドでの猟兵への対応からも明らかだ。どんな事情があろうと、テロリストに同情をするような男には見えない。だからクロウには不思議だった。
「アンゼリカなら、こう言うだろうな。女の涙は見たくないって」
「本気で言ってるのか? そういえば、貧乳好きという報告があったな。まさかトワに……」
「喧嘩を売ってるなら買うぞ?」
ここで叩き潰してやろうか? とクロウを睨み付けるリィン。
勘弁してくれ、とクロウは両手を挙げる。本気で言っているのではないということくらいは分かるが、こんなところでリィンとやり合えば、それこそサラたちに居場所を教えるようなものだ。
さっきも口にしたように、いまはまだ彼等と顔を合わせるつもりはなかった。
「答える気がないならいいさ。だが、生身では敵わなかったが、騎神での戦いは俺に分がある。お前にどんな思惑があれ、次は勝たせてもらう」
「言ってろ。そういうのは負け犬の遠吠えって言うんだよ」
騎神での戦いなら俺に分があるとするクロウの挑発を、リィンは涼しい顔で受け流す。
そんなリィンの自信に満ちた態度を見て、本当に嫌な奴だと愚痴を漏らすクロウ。
しかしそれでも、ある一点に置いてはリィンたちに感謝していた。
「最後に、ヴァルカンとスカーレットの件は礼を言っておく。あの二人のこと……よろしく頼む」
そう言い残し、クロウは帝都方面に向かって街道を走り去っていった。
瞬く間に遠ざかり、姿を消したクロウを見て、リィンはぼそりと呟く。
「素直じゃないな」
「リィンも他人のことを言えないと思うけどね」
「余計なお世話だ」
後ろから突然声をかけられても、特に驚いた様子もなく答えるリィン。
フィーが声を掛けるタイミングを見計らって、物陰に隠れていたことに気付いていたからだ。
「アルフィンが呼んでる。ログナー候との会談に付き添って欲しいって」
「いよいよか……そういや、サラたちは一緒じゃないのか?」
「ん……サラたちならクレア大尉から事情を聞いてる。私はアルフィンに頼まれたから呼びに来ただけ」
「アルフィンか……。敢えてフィーを使いに出したってことは、クロウが黙って立ち去ることも考慮済みってことか。あいつに余計なことを吹き込んでくれたみたいだしな……まったく困った姫様だ」
「……リィン一人を悪者にしたくなかったんだと思う」
言いたいことは分かるが、リィンはそれを負担とは思っていなかった。ようは適材適所だ。
余所者の自分とは違い、アルフィンは民の希望だ。嫌われるのは自分だけでいい。リィンはそう考えていた。
とはいえ、それをアルフィンに言ったところで、無駄だろうということも理解していた。
決起する覚悟を決めたとは言っても、まだ十五歳の少女だ。アルフィンは優しすぎる。
クロウに恩赦の話をしたのも、リィンだけに悪役を演じさせないというだけでなく、彼に安易な死を選ばせないためだろう。
過去の復讐に囚われるのではなく、現実にちゃんと向き合って欲しいというアルフィンの願いが、そこには込められていた。
◆
フィーと街で別れたリィンはアルフィンやセドリックの供として、ログナー侯の屋敷に招かれていた。
幅広い湖のような人工の水路に囲まれた侯爵邸は、アルバレア公の屋敷に比べれば小さく内装も華やかさに欠けるが、屋敷というよりは砦と言った感じの実用的な機能美を感じさせる造りとなっていた。
このあたりもログナー候の性格が滲み出ていると言える。
「まずは礼を言わねばならぬだろうな。両殿下は勿論のこと、御主には大きな借りが出来てしまった。犠牲者を最小限に留めてくれたこと、礼を言わせて欲しい」
リィンに向かって、深々と頭を下げるログナー候。まさか、こんな風に御礼を言われると思っていなかったリィンは困り顔で頬を掻く。
犠牲者――というのはルーレの人々も勿論だが、アランのことを言っているのは間違いなかった。
「あれはお嬢様に依頼されてやったことです。それにハイデル卿の逮捕も、アルフィン殿下との契約の内で報酬は既に受け取っています。閣下に礼を言われるようなことではありません」
表向きの顔で、あくまで仕事でやったことだと強調するリィン。それは政治に積極的に関わるつもりはないという意思表示でもあった。
「御主は欲がないのだな……」
「面倒事が嫌いなだけです」
その言葉に嘘偽りはなかった。下手に手柄を上げて、勲章や爵位など授けられても面倒なだけだ。原作のように英雄に祭り上げられても困る。あくまで仕事というスタンスを、リィンは崩すつもりはなかった。
今回の一件など、ログナー侯爵家の内情に関わる問題でもある。尚更そのようなことに深入りするつもりはなかった。
ハイデルが貴族連合を通じてカイエン公と接触していたことを、ログナー候も察知していたらしく、近頃のハイデルの行動を不審に思い、彼を泳がせていたらしい。そこに本社ビルで爆発があったとの報告を受け、ルーレに急行したとの話だった。それが黒竜関に籠もっているはずのログナー候が、タイミングを見計らっていたかのように素早く駆けつけた理由だ。
しかし、そんなログナー候の話を聞いて尚、リィンは腑に落ちない表情を見せる。ログナー候は如何にも武闘派と言った感じの曲がった行動を許せるタイプには思えない。アルバレア公のように圧政を敷いている様子もなく、民からの評判もそう悪くないことから、こうなるまでハイデルの行動をログナー候が放置していた事情が気になった。
「一つだけお訊きしても?」
「うむ……御主には借りがあるからな。出来る限り、疑問には答えよう」
「ハイデル卿の件ですが、どうしてこうなるまで放置してたんですか?」
「それを言われると辛いが……あのような者でも侯爵家の一員だ。ログナー家の縁者や領邦軍のなかには、ハイデルを支持する者たちが少なからずいる。家を割るわけにもいかず、尻尾を出すのを待っていたのだが……まさか、このような大それたことをしでかすとは、儂が甘かったのだろうな」
なるほど、とリィンは理解の色を示す。侯爵家のなかにも、それなりにハイデルを支持する層がいるということだ。
一見するとどうしようもない男ではあるが、ああ見えて強者に取り入るのは上手い男だ。それは言ってみれば広い人脈を持つと言うことでもあり、古めかしい考え方をした頑固者のログナー候より扱いやすく貴族社会に顔の利くハイデルに味方した方が、見返りが大きいと考えた者たちが大勢いたということでもあった。
為政者は厳格なだけでは務まらない。言ってみれば、ログナー候の融通の利かない性格が招いた結果とも言える。そして、そのことは今回のことで酷く、ログナー候も痛感していた。だから必要以上に、リィンに感謝をしていたのだ。
苦しげな表情で後悔を滲ませながら、ログナー候は深々とアルフィンとセドリックに頭を下げる。
「殿下、これもすべては我が不徳の致すところ。申し開きの言葉もありません」
ギリアス・オズボーンに帝国を思うままにさせてはならないという点においては、貴族派の貴族たちと考えを共にしていたとはいえ、ログナー候は帝都の占領に加え、皇帝の幽閉に関しては反対の立場を示していた。
ましてや、ここ最近のアルバレア公やカイエン公の動きは目に余るものがある。
そうした貴族連合の悪行に加担したことを悔やみ、皇族に対しては深い負い目を感じていた。
そこに加えて、今回のハイデルの不祥事だ。皇帝家に忠誠を誓う身としては、これほど情けない話はない。
心からの反省を見せるログナー候を見て、セドリックは大きく深呼吸をすると、おもむろに声を掛けた。
「顔を上げてください、ログナー候。僕たちは候の責任を追及するつもりはありません」
「殿下。しかし、それでは示しが……」
「そう思われるのなら公正な処罰をお願いします。僕から言えるのは、それだけです」
セドリックの言葉を真剣な表情で、重く受け止めるログナー候。
言ってみれば事件を有耶無耶にしたり、ハイデルをログナー家の次男だからと軽い罰に処すのではなく公正な罰を与えろということだ。
しかし、そのような真似をすれば、ハイデルは勿論のこと彼を支持する者たちから不満の声が噴出するだろう。
実際、牢に囚われている今も、ハイデルは「自分は無実だ」と喚き立てていた。
「畏まりました。必ずや殿下の心遣いを無駄には致しません」
それを承知の上で、ログナー候はセドリックの言葉を真摯に受け止めた。
そうすることで皇族への忠誠心を見せると共に、侯爵家に自浄機能があることを示し、他に責任が及ばぬようにするためだった。
貴族というのは何よりも面子を重んじるものだ。ハイデルを軽い処分に済ませば、領民の不満を抑えるために他の誰かに累が及ぶ恐れがある。そうした行為を繰り返せば、領民だけでなく領邦軍のなかにも不満も持つ者や、ハイデルのようによからぬことを企む者たちが現れるだろう。それだけは、なんともしても避けたいとログナー候は考えていた。
例え、弟の罪を自ら裁くことになっても、これ以上、民や国を裏切れない。それがログナー候のだした結論だった。
そんなログナー候の覚悟を受け止め、アルフィンは二人の会話に割って入る。
「それで小父様。話もまとまったところで、本題に入りたいのですが……」
「……ノルドの件ですな。共和国軍が国境に部隊を展開しているとか」
「やはり、ご存じでしたか。失礼ですが、小父様はこの件には?」
「連合に名を連ねている以上、まったくの無関係とは言えませんが、共和国軍の件は一切知らされていませんでした。恐らくはアルバレア公との間に、なんらかの密約があったものと思われますが詳しいことは……」
「そうですか……」
もう少し踏み込んだ情報を得られるのではないかと思っていただけに、アルフィンは少し残念そうな表情を浮かべる。しかし、ほっとする面もあった。
ログナー候が今回の一件に関与していないというのは、アルフィンたちの目的を考えれば悪い話ではなかったからだ。
「率直に伺います。力を貸しては頂けませんか?」
「……それは貴族連合を裏切り、正規軍に協力しろと?」
「有り体に言えば、その通りです。帝国を守るために力をお貸しください」
共和国軍に対抗するため、第三機甲師団を支援することを求められているのだとログナー候は察した。
国を思う気持ちはログナー候も同じだ。本音で言えば、アルフィンの力になりたい。しかし現実は、そう単純な話ではなかった。
そんなログナー候の気持ちや事情を察し、リィンは確認を取るように尋ねる。
「気になっているのは正規軍に協力することじゃなく、革新派との関係じゃないですか?」
「隠しても仕方あるまい……その通りだ。ノルティア領邦軍が正規軍に協力して共和国軍を退けたという話になれば、貴族派は儂が裏切って革新派についたと考えるだろう。そうなれば勢力バランスが大きく崩れ、更なる混乱を招くばかりか、ログナー家や領邦軍の中からもハイデルに続く裏切り者をだしかねない」
内戦の原因ともなった革新派と貴族派の対立。それがログナー候が積極的に動けない理由でもあった。
領邦軍がこれほど大きくなった背景には、ギリアスの肝煎りで推し進められた領土拡張政策に伴う、正規軍の軍備拡張に原因がある。鉄道網拡大政策も正規軍が貴族の領地に政治介入するための口実を作るためのものだ。その結果、貴族から正規軍は疎まれる存在となり、領邦軍と正規軍の溝は深まる結果へと繋がった。
いま考えれば、それもギリアスの狙いだったのだろう。正規軍を革新派の手駒と意識させることで、皇帝の顔色を窺わずとも堂々と帝国政府が正規軍を運用できるシステムを構築しようとしたのだ。
結論を言えば、それは限りなく上手く行っていたと言える。ログナー候がアルフィンの言葉に頷けないのも、そのためだ。しかし、そうしたログナー候の事情はリィンたちも理解していた。
「なら、民や兵士の支持を得られるだけの大義名分があればどうですか?」
「……どういうことだ?」
そのような都合の良い案があるとは思えず、ログナー候は怪訝な表情を浮かべる。
貴族派と革新派の溝は、そう簡単に埋まるほど単純なものではない。しかし、リィンたちの考えは違っていた。
ギリアスが表向き死んだことになり、政府がまともに機能していない今だからこそ出来ることがある。そう考えたのだ。
「こういうことです」
アルフィンはあらかじめ用意してあった一枚の紙を取りだし、ログナー候の前に置く。
何度も見直すかのように文書に目を通したログナー候は、「まさか」と驚きの声を上げる。
そんなログナー候の疑問に答えるように、アルフィンとセドリックは声を揃え、
「アルフィン・ライゼ・アルノール。そして――」
「セドリック・ライゼ・アルノールの名において――」
「「エレボニア帝国・臨時政府を設立します」」
そう宣言した。
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