「すみません……護衛を任されたというのに役に立てなくて」

 無事に〈灰の騎神〉の起動者(ライザー)に選ばれ、カレイジャスに帰還したリィンは、リーシャからことの顛末を聞かされ驚くも、すぐに理解の色を見せる。手は打っていたとはいえ、半ばこうなることを想定していたからだ。
 しかし、まさかアルティナだけでなくブルブランやマクバーンと言った他の執行者まで出張ってくることまでは、リィンも予想してはいなかった。
 アルティナやブルブランだけならともかく、結社のなかでも一、二を争う使い手マクバーンが相手では、例えリィンが艦に残っていたとしてもアルフィンを無事に守り通せたかどうか怪しい。リーシャだけを責めるのは酷というものだった。

「気にしなくていい。皆が無事だったのは、二人が身体を張ってくれたお陰だ」
「いえ、私は何も……彼女がいなければ、今頃は船も……」

 リーシャの話によれば、マクバーンが転位する際に放った豪火を盾で受け止め、身を挺して艦を守ったのはデュバリィという話だった。リィンは気にしてはいなかったが、以前に言っていた借り≠律儀に彼女は覚えていたということだろう。
 問題はブルブランとマクバーンの思惑だ。少なくともヴィータとの話し合いは決着している。結社の計画に協力する代わりに、これ以上、貴族連合には協力しない――内戦には関わらないと確約を得ていた。
 その契約から考えれば、ブルブランやマクバーンの行動は完全な裏切りとも言えるが、少なくともデュバリィがいなかったらアルフィンがさらわれるだけでなくカレイジャスも落とされていた可能性が高い。故に、この件に関してはヴィータも関与していないと考えられる。
 結社の計画とは別に、独自の判断で動いていると考えていいだろう。執行者には、その自由が与えられているというのだから――

(今更ながら、結社って変な組織だよな)

 普通、命令に従わない人間など、組織にとっては邪魔以外の何者でもない。
 結社の人間は良くも悪くも癖が強すぎる。そんな連中に自由を与えれば、こうなることは自明の理だ。どれだけ綿密な計画を立てようと、計画通りに上手く行くはずがない。
 原作でも完璧には程遠い、不合理な行動ばかりを見せていた彼等ではあるが、ここにきて仲間割れなどという事態を引き起こすの見て、リィンは益々〈結社〉のトップ――盟主の考えというものが分からなくなる。
 本気で目的を達成する気があるのか、疑問に思うほどだ。
 まるで人間を試しているかのような――計画の正否に盟主は拘っていないのではないかとリィンは考える。

(もしかすると、人間ですらないのかもしれないな)

 リィンの抱いた疑問。盟主の正体に関しては、作中でも様々な考察がなされてきた。
 リィンのそれは普通の人間とは違う生い立ちを持つからこそ、感じた違和感のようなものだ。
 この世界には、常識では計れない何者かの意志≠フような力が働いている。
 人はそれを神の力と呼ぶのかもしれない。教会辺りに言わせれば、女神(エイドス)のお告げと言ったところだろうか?
 結社や教会に目を付けられたことよりも、リィンにはそちらの方が不気味に感じた。

 そんな風にリィンが考えごとに耽っていると、ふとヴィータの姿が目に入る。彼女にはロジーヌと一緒に負傷者の手当を任せていた。
 校舎はゴライアスの一撃で倒壊の危険にあり、現在は体育館に怪我人を収容している有様だ。校庭にも仮設のテントが見受けられ、戦闘で家屋を破壊されたトリスタの住民たちも避難してきていた。
 街を焼かれたケルディックの惨状に比べれば、幾分かマシと言えるだろうが、それでも痛々しい光景であることに違いはない。それにトリスタを奪還したからと言って喜んでばかりもいられなかった。
 学生たちは無事に保護されたが、パトリックを始めとした貴族クラスの生徒が幾人か見つかっておらず、更には学院長や教官たちの姿も発見できていない。そしてユーシスの件だ。人質の身代わりとなって猟兵団に連れて行かれたとの報告があり、事態はより複雑化していた。
 ただ一連の背後には、カイエン公やルーファスの影があることだけは間違いない。それは結局のところルーファスの思惑を打ち破り、カイエン公を捕らえ、貴族連合との戦いに終止符を打つという目的に変わりはないことを意味した。

「デュバリィの容態はどうだ?」
「いまは眠っているわ。処置が適切だったこともあって、火傷の痕も残らないでしょう」

 傷を負ったデュバリィに応急手当をしたのはリーシャだった。
 内功と薬草を用いた東方に伝わる特殊な治療法らしく、ヴィータも驚きを隠せない様子が見て取れる。
 しかし、そのお陰で心配事は一つ取り除かれ、リィンはほっと安堵の表情を見せた。

「一応、聞いて置くが、ブルブランとマクバーンの行動は結社の総意ではないんだな?」
「……当然よ。あの二人には待機を命じていたはずなのに、まさかこんな強引な手で来るなんて予想外もいいところだわ」

 苦々しげな表情で、そう答えるヴィータ。契約不履行を責められても仕方のない状況とはいえ、自分の力ではあの二人を抑えきれない自覚が彼女にもあるのだろう。
 ヴィータからすれば面目を潰されたと言ってもいい状況だ。例え盟主から行動の自由を認められていると言っても、計画の責任者である彼女の立場からすれば、あの二人の行動は到底許されることではなかった。
 しかし、相手は執行者のなかでもトップクラスに厄介な相手だ。
 使徒とは言っても、〈鋼の聖女〉のように戦闘に長けていないヴィータの力ではマクバーンには敵わないし、ブルブランの得意とする奇術は敵に回すと厄介極まりない能力であることを彼女は承知していた。

「貸し一つだ。デュバリィが身体を張って艦を守ってくれたのは事実だ。だから契約の不履行を責めるつもりはない。だが、次はないからな」
「……肝に銘じておくわ」

 リィンとは出来るだけ良い関係を構築したいとヴィータは考えていた。
 彼を敵に回すようなことだけは絶対に避けなくてはならない。それは自身の目的のため、結社のためでもあると確信していたからだ。
 戦闘力の高さも脅威に値するが、それ以上の何かがリィンにはある。ヴィータの勘が、それを告げていた。

「疑いも晴れたところで、これからどうするか……」

 腕を組んで、これからのことを考えるリィン。
 アルノール皇家の血統が必要である以上、命を奪われるようなことはないはずだ。
 そういう意味では、アルフィンの身柄は安全と言える。ユーシスも利用価値がある以上は、行き成り殺されるという心配はないだろう。
 パトリックと教官たちはどこにいるのかわかっていない以上、そもそも捜索のしようがない。
 それにヴィータがこっちにいる以上、魔煌城の復活はないはず――

(待てよ……なら、なんでアルフィンはさらわれたんだ?)

 カイエン公の目的は、皇城地下に封じられた〈緋の騎神〉の復活だけではない。彼の祖先、偽帝オルトロスの大望を成就させることにこそ意味がある。そのために彼は何者にも屈しない力を求めていた。
 それが〈緋の騎神〉であり、歴史の闇に隠された真実――〈煌魔城〉の復活だ。
 だが、そのためにはアルノール皇家の血筋だけでなく、魔女の眷属に伝わる禁術が必要だ。
 だからこそ、ヴィータを味方に付ければ、カイエン公の望みは叶うことがない。そうリィンは考えていたのだ。

「ヴィータ、質問がある。お前なしで煌魔城――いや、〈紅き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)〉は復活できるのか?」
「あなた……どうして、そんなことまで? それは魔女の眷属にしか伝わっていない禁忌よ?」

 瞠目しながらも、今更かとヴィータは一人納得し、リィンの質問に答える。

「無理ね。()の騎神は現在、休眠状態にある。それを呼び起こすには、鍵となる皇族の人間と魔女の眷属に伝わる儀式が必要不可欠。儀式に必要な条件は揃ってはいるけど、私がこちらにいる限りカイエン公の望みが叶うことはないわ」

 緋の騎神の復活はありえない。ヴィータはそう断じた。
 だが、その程度のことはカイエン公も理解しているはずだ。そしてヴィータを裏切ったブルブランとマクバーンもだ。
 しかし執行者のなかでも頭脳派で知られるブルブランが、何の手立てもなしにヴィータを裏切るような真似をするだろうか?
 そこにリィンは違和感を覚える。何か見落としていることがあるのではないか?
 リィンが何を言いたいのかを理解し、ヴィータも不安を覚える中、その予感は的中した。

「なんだ? 空の色が……」

 まだ夕暮れには早いという時間帯なのに、北の空が赤く染まる。
 あちらは帝都方面――先程まで話題にも挙がっていた皇城のある場所だ。
 これまでに感じたことがないほど大きな禍々しい気配を感じ取り、一緒にいるリーシャの表情も強張っていく。
 次に耳に聴こえてきたのは、少女の歌だった。
 心に染み渡るような美しい戦慄。しかし、どこか儚げで悲しみの籠もった歌声。

「この歌は〈魔王の凱歌(ルシフェンリート)〉――それに、この声はまさか……」

 驚きの余り、珍しく動揺した姿を見せるヴィータ。
 ありえない――何かの間違いであって欲しいと、何度も確かめるかのように歌声に耳を傾ける。

「そういうことか。歌っているのはエマ・ミルスティン。お前の妹分だな、ヴィータ」
「……ええ、そのとおりよ。でも、どうしてあの()が……」

 ヴィータが彼女の声を聞き間違えるはずがない。同じ村で育った妹弟子とも言うべき少女の声を――
 エマ・ミルスティン。ヴィータと同じ魔女の眷属にして、まだ見つかっていないVII組の生徒の一人だ。
 サラも必死に捜してはいたのだが、彼女に関しては痕跡すら情報が掴めないでいた。
 しかしそれも貴族連合に捕らえられ、匿われていたと考えれば合点が行く。恐らくはヴィータにも伏せられていたのだろう。
 味方を騙し、策を練る。そんな真似が出来る人物に、リィンは心当たりがあった。

「ルーファス・アルバレア……」

 カイエン公の仕業にしては、やり口が込み入っている。
 他に舞台の裏で筋書きを描いた人物がいるはずだ。それがルーファスだとリィンは察した。
 この一件、彼の背後にいるギリアス・オズボーンや黒の工房も関与している可能性が高い。だとすれば、ブルブランやマクバーンに働きかけ、ヴィータを裏切らせたのも彼等の思惑と考えて良いだろう。

「だとすると、貴族クラスの生徒が足りない件と、学院長や教官たちの姿が見えない件も偶然とは考え難いな」

 エマに言うことを聞かせるために、人質として使われている可能性もあるとリィンは考える。
 ヴィータもその可能性に思い至ったのだろう。徐々に冷静さを取り戻していく。
 しかし表情は取り繕っていても、冷たい怒りが胸の内に渦巻いていることは見て取れた。
 面目を潰された足掻く、自分の知らないところで妹弟子を利用されたことにヴィータは怒りを覚えていた。
 確かにヴィータは故郷を、家族を捨てた身だ。今更、エマに対してあれこれと言える立場にはない。しかし袂を分かったとは言っても、ヴィータは故郷での日々やエマのことを一日として忘れたことはなかった。

「カイエン公、それにルーファス・アルバレア。この落とし前は必ずつけさせてもらうわ」

 ヴィータは魔女の掟を破り、(さと)を去った。しかしそれは彼女が自らの意志で行ったことだ。
 対してエマは自分の意志ですらなく、無理矢理従わされて禁忌を犯した可能性が高い。
 どんな理由があれ魔女が掟を破るということは、二度と故郷に戻れないことを意味する。
 自分はいい。しかしエマにとって、それがどれほど辛いことか、分からないヴィータではなかった。

「貴族連合との戦いには手を貸さない。静観するんじゃなかったか?」
「ここまで虚仮にされて、黙っていられるとでも? 別にあたなに力を貸して欲しいとは思っていないわ。これは私の戦い――」

 ゴツンとヴィータの頭に落とされる拳。それはリィンの放ったものだった。
 咄嗟のことに回避することも叶わず、涙目で頭を抱えて床に蹲るヴィータ。

「ちょっとは頭を冷やせ。このシスコン」
「シス……って、私は別にエマのためだなんて一言も――」
「シスコンの次はツンデレか……。まあ、気持ちは分からないでもないけど、お前一人でどうにかなるはずもないだろ? デュバリィは戦闘不能。クロウを連れて行ったところで、あっちには〈劫炎〉だっているんだぞ?」

 それにブルブランとアルティナもいる。
 ルーファスも頭が切れるだけでなく、戦いの方も超一流と言っていい剣の使い手だ。
 その上、煌魔城が復活した以上、魔煌兵や幻獣の類もいると考えていいだろう。クロスベルに起った異変と同じだ。

「別に仲良くしようって言ってるんじゃない。普段のお前なら、目的のために周りを利用することを躊躇わないはずだ。いつものように、俺たちの力をあてにすればいい。ただ、こっちも遠慮なくあてにさせてもらうけどな」

 あくまで互いの目的のために協力しようと仄めかすリィン。
 エマのことは正直リィンからすれば、たいして優先順位は高くない。それはユーシスや士官学院の関係者も同じだ。
 リィンの目的はあくまで内戦の終結。そして雇い主であるアルフィンの奪還だ。
 こんなことを口にすれば、アリサやエリオットたちは薄情者と反発するだろうが、既にユーシスの件に関しては釘を刺している。そして士官学院の関係者に関しても、半ば自業自得というのがリィンの認識だった。
 その覚悟がないなら、最初から士官学院に在籍しなければいいのだ。貴族に生まれたのは本人の意思ではないだろうが、その特権を享受していたのであれば、子であっても責任がないとは言えない。
 子は生まれを選べないが、その環境の中で何を学び、何を掴み取るかは本人次第だ。生きるために、大切な家族を守るために、戦場に身を投じてきたリィンは身を持って、そのことを理解していた。
 だからこそ、守るべきもののために最善の手を打つ。その結果、周囲に疎まれることになってもだ。
 リィンがヴィータに既視感を覚えているのは、そういうところだった。
 性根からの悪党には見えない。結社に入ったのも、重要な計画に携わっているのも、彼女なりの信念のようなものが窺え知れる。
 そしてエマが利用されていると知った時の彼女の反応。少しだけヴィータの本音のようなものが見えた気がした。だからこその提案だった。
 最初にヴィータを味方に引き入れようと考えた自分の考えは間違っていなかったと確信する程度には、彼女のことをリィンは好ましく感じていた。

「……そうね。少し頭に血が上っていたみたい。感謝するわ」
「別に気にするほどのこともないさ。血も涙もない〈裏切りの魔女〉の人間臭いところが見られただけでも収穫はあったからな」
「……本当に良い性格しているわね。私の感謝の気持ちを返しなさい」

 弱味を握られたくない相手に弱味を握られた、とヴィータは心底後悔する。自分でもまさかエマのことで、ここまで取り乱すとは思ってもいなかったのだ。
 しかし、リィンへの感謝の気持ちに嘘はなかった。
 心を見透かされたようで良い気はしなかったが、その鬱憤はカイエン公やルーファスに復讐することで晴らすとしようと気持ちを切り替える。
 ヴィータとてバカではない。これから何を為すべきかは理解していた。



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