カレル離宮――帝都郊外にある皇帝家の離宮。
そこに皇帝夫妻が幽閉されているという情報を掴んだフィーとシャーリィは、クレアたち鉄道憲兵隊と共にルーレの一件で密かにラインフォルト社より接収していた飛空挺を使い、強襲作戦を仕掛けていた。結社の人形兵器と思しきロボットが配備されてはいたものの、その程度の戦力でフィーたちに敵うはずもなく離宮は瞬く前に制圧され、そのまま人質も無事に解放されるものと思われた。
しかし――
「ダメです……やはり離宮内に陛下の姿はありません」
そこにユーゲント三世の姿はなく、代わりに見つかったのはプリシラ皇妃と、士官学院から連れて来られた一部の職員たち。そして、パトリックを除く貴族クラスの生徒たちだった。
人質となっていた彼等の話からパトリックや学院長たちは、ここにいる生徒たちを庇ってカイエン公配下の兵士に連れて行かれたという話が分かった。
ユーゲント三世も同様に、カイエン公の使いを名乗る兵士に連れられ、別の場所に移されたということが判明し、クレアは眉をひそめる。
状況から考えて、皇城に連れて行かれたと考えるのが自然だ。だが、その皇城は――いまや瘴気に包まれ、異様な姿へと変貌を遂げていた。
「で? 結局どうするの? パパッと城まで助けにいく?」
「無茶を言わないでください……この戦力では無謀です。情報だって不足しているのに」
頭の後ろで手を組みながらクレアに尋ねるシャーリィ。だが、クレアははっきりと無理だと答える。
予想通りとはいえ、シャーリィは不満そうに唇を歪める。まだ暴れたりないと言った様子が見て取れる。
「そういえば、フィーさんは?」
「ん? ああ、フィーなら……」
ふと、フィーの姿が見当たらないことに気付き、シャーリィに尋ねるクレアだったが、答えを聞くまでもなくタイミングを見計らっていたかのようにフィーが姿を見せる。
猫のように軽やかな動きで、床に着地するフィー。
一体どこから? と、天井を見上げるクレアだったが、その答えはすぐに判明した。
天井付近に見える排気ダクトの鉄格子が外されていたからだ。
「いままでどこに?」
「ん……何か手がかりが残されてないかと思って」
「……その言い方だと、何か見つけたのですか?」
コクリ、と頷くフィー。次に「隠し部屋を見つけた」と口にすると、クレアは瞠目した。
まさかこんな僅かな間に、そんなものを見つけてくるとは思ってもいなかったからだ。
その部屋から持ってきたというものを、フィーはクレアに手渡す。
透明なガラスの小瓶の中には、赤い錠剤が入っているのが確認できた。
「まさか、これは……」
「ん……たぶん想像通りのもの」
クレアはフィーの言葉に息を呑む。
――グノーシス。この赤い錠剤は、その完成型とも言えるものだった。
どうして、そんなものがカレル離宮に? 少しでも手がかりを得ようと、クレアはフィーに更なる質問を返す。
「……他にも同じものが?」
「ん……棚には似たような瓶が幾つも入ってた。研究室みたいな感じ」
「まさか、カイエン公の仕業? でも、こんなものをいつから――」
カレル離宮は皇帝家の所有物だが、ユーゲント三世を始め、皇帝家の人々は皇城で生活をしているため、普段は余り利用されない。
他国の来賓を持て成す際のゲストハウスや、王侯貴族を招いた夜会などの行事で利用されるくらいだった。
それを除けば、ここに立ち入れる人間は皇帝家や大貴族が身分を保証する限られた極一部の人間だけだ。
そんな場所で例の教団の――クロスベルを騒がせた薬が見つかった。これだけでも大きなスキャンダルと言えた。
問題はいつから、ここでグノーシスの研究がされていたかだ。
隠し部屋などを用意して研究していたのだとすれば、随分と前からと考えるのが自然だろう。
「どう……思いますか?」
「普通に考えれば、カイエン公が怪しい。でも……」
クレアの質問に言葉を濁し、曖昧な答えを返すフィー。彼女の猟兵としての勘が告げていた。
カイエン公の仕業と考えるのが自然だ。しかし、この一件には、まだ何か裏があると。
◆
――緋の帝都ヘイムダル。
エレボニア帝国の首都にして繁栄の象徴とも言える大都市は現在、嘗てない混乱の最中にあった。
街の中を魔煌兵や幻獣が跋扈し、更には意思を奪われた人々が徘徊する死の街へと変貌していたからだ。
虚な目をしてフラフラと徘徊している人々は、言うまでもなく帝都の住民だ。
そんななか、まだ意識を正常に保っている人々の悲鳴と叫び声が聞こえてくる。
「クソッ! まさか、こんなことになるなんて!」
紺のジャケットに黒いズボン。眼鏡を掛けた短髪の青年は、憤りを隠せない様子で壁に拳を打ち付ける。
彼の名は、マキアス・レーグニッツ。エリオットたちが捜していたVII組の生徒の一人にして、帝都知事カール・レーグニッツの息子だ。士官学院を逃げ延びた後、マキアスは帝都に身を隠していた。
木を隠すなら森の中と言ったように、まさか逃亡中の人間が敵陣のど真ん中――帝都に潜伏しているとは思わないだろう。その人間の心理の隙を突いた行動でもあった。
それにマキアスはただ逃げていたわけではない。帝都に潜伏しつつ、密かに貴族連合の情報を集めていた。
それは、いつの日か再起を図るため――このままで終わるはずがないと仲間を信じていたからだ。
そんななか訪れたチャンス。貴族連合の圧政から帝都を解放すべく、その意志に賛同する仲間と共に密かに決起の準備を進めていたマキアスは、セドリックの部隊が帝都に接近した頃合いを見計らって、街中で混乱を起こす手はずを整えていた。だが、作戦を実行へ移す前に問題は起こった。
エマの歌声が帝都中に響いたかと思えば、皇城のあった場所に煌魔城が出現し、住民たちの様子がおかしくなったからだ。
「どうしてこうなった……何が原因だ」
焦りを隠せないマキアス。無理もない。すべての住民がおかしくなったと言う訳ではないらしいが、その数が問題だ。
少なくとも、住民の三分の一。下手をすると半数の人間がおかしくなり、街を徘徊していると思われる。
そして街中に霧と共に出現した幻獣と魔煌兵。早く対策を講じなければ、被害は広がるばかりだ。
「やるしかない……帝都の平和は、僕が守る」
そう自分に言い聞かせ、マキアスは通信機を握り締めた。
◆
カレイジャスのブリッジで通信を使い、リィンはトリスタの奪還に成功したことと、アルフィンが誘拐されたことをセドリックに報告するため、第三機甲師団へと連絡を取っていた。
「そうですか。アルフィンが……」
アルフィンが敵の手に落ちたと聞き、暗い表情を見せるセドリックだったが、覚悟はしていたのかすぐに気持ちを落ち着かせる。
しかし憂慮していたこととはいえ、アルフィンがさらわれたのはリィンの落ち度でもあった。
もっと責められることを覚悟していただけに、リィンは予想と違ったセドリックのあっさりとした態度を訝しむ。
そんなリィンの疑問に答えるように、セドリックは「こちらからも良い報せと悪い報せがあります」と話を切り出した。
「停戦?」
『はい。帝都で起きた騒ぎの収拾を優先するため、ウォレス准将と停戦に合意しました』
セドリックの説明に困惑と驚きを含んだ複雑な表情を見せるリィンたち。続いて帝都が現在置かれている状況の説明も受けたが、まさかそのようなことになっているとは思ってもいなかっただけに戸惑いの方が大きかった。
帝都の中心にそびえ立つ緋の居城――煌魔城が出現したことは、ただの切っ掛けに過ぎない。市民の暴走の原因は他にあった。
八ヶ月ほど前に、クロスベルを騒がせた集団幻覚事件。その原因になったとされる薬――グノーシス。それが、この騒動の原因だということは、かの薬の効果を知る者が見れば一目瞭然だったからだ。
しかし、まさか帝都にまで、その薬が蔓延しているとは考えもしなかっただけに皆の表情は優れなかった。
だが、そんな状況なら領邦軍――いや、ウォレスと停戦の合意をしたというのも分からない話ではなかった。
「しかし〈黒旋風〉がどうしてここに? 奴はサザーランド領邦軍の人間だろ?」
サザーランド州は、ハイアームズ侯爵家が中立を表明したことで、事実上この戦いには参戦していないはずだ。
なら、ウォレスが帝都にいるというのもおかしな話だった。
しかし、その疑問は本人の口から明らかになる。セドリックに代わり、ウォレスが通信に顔をだしたからだ。
『レグラム以来――いや、はじめましてというべきか、リィン・クラウゼル。お前さんのことはオーレリア将軍から話を聞いている』
リィンとウォレスは、レグラムの一件でも直接対峙したことはない。お互いに相手のことを一方的に知っているというのが正しかった。そういう意味では初対面ということで間違いないのだろう。
しかし、どこか含みのあるウォレスの物言いに、リィンは怪訝な表情を見せる。
『軍を頼む、と将軍からのお達しでな。いまは将軍に代わって、ラマール領邦軍を指揮する立場ってわけだ。お前さんが懸念している問題も解決済みだから心配すんな。この件はカイエン公とハイアームズ候の間でも話が付いていることだ』
貴族連合を脱退する上での条件か? と考えるリィンだったが、ウォレスの表情からそれはないと察する。
そもそもサザーランドの英雄であるウォレスが、ラマール領邦軍を指揮するオーレリアの指揮下に入って行動を共にしていたのは、ハイアームズ候に対する枷の意味もあったのだろう。もしかすると水面下で、ウォレス自身にも引き抜きの話があったのかもしれない。
(だとすると、ハイアームズ候の狙いは……)
中立を宣言しておきながら貴族連合に協力すれば後で問題となりそうな話だが、カイエン公が捕まった後でも「中立を宣言する前から、ウォレスはラマール領邦軍に所属していた」と言い張られれば、そこで話は終わりだ。少なくとも、そのことでハイアームズ家を糾弾することは出来ない。貴族連合を脱退し、中立を宣言したかのように見せかけて、その裏ではどちらが勝っても利があるように布石を打つ。ウォレスの話からもハイアームズ候とは、かなり狡猾な人物であることが窺い知れた。
だが、それだけが理由ではないだろう。
「このタイミングで停戦を申し入れてきたのは、お前の判断か? それとも……」
『ハハ、さっき言っただろ? 軍を頼む、と将軍からのお達しだと』
やっぱりか、とリィンはウォレスの言葉からオーレリアの狙いを察する。
どうやらアルバレア公と同様に、カイエン公は部下に恵まれなかったらしい。
恐らくオーレリアはレグラムの一件から、カイエン公を見限る算段を付けていたのだろう。
ウォレスの独断で、兵士たちが納得するとは思えない。既にラマール領邦軍への根回しも済んでいると考えていいはずだ。
『さっきから他人事のように言ってるが、こうなった一番の原因はお前さんだからな』
「……は?」
ウォレスが何を言っているのか分からず、間の抜けた声を漏らすリィン。
いまの話の流れで、どこに自分が原因となる要素があるのか? リィンにはさっぱり分からなかった。
『天然か? 天然なんだな?』
「まあ、リィンくんだしね……」
何故か、ウォレスの話にトワまで賛同する始末。
トワに関しては「お前が言うな!」という言葉が喉元まで出かかるが、ツッコミを入れれば話が進まない気がしてリィンはグッと我慢した。
聞き取れないほど小さな声で『将軍にも春がきたと思ったんだがな……』と呟くと、ウォレスは一転して真剣な表情に戻り、話の続きとばかりに本題へと入った。
『殿下の話にもあった通り、帝都は現在、混乱の最中にある。しかし、領邦軍と正規軍が協力して事態の解決に当たれば、混乱を静めることはそう難しくないだろう。問題は、その結果生じるであろう市民の犠牲だ』
ウォレスが言いたいことは容易に察することが出来た。
正規軍が所有する最新鋭の戦車や、領邦軍の機甲兵を用いれば、確かに帝都の制圧は難しくないだろう。それだけの力が両軍にはある。
ゼムリア大陸一の軍事大国の名は伊達ではない。その自身がウォレスにもあるのだろう。だが問題はそこではなくグノーシスで意思を奪われ、操られている市民の方だった。
強引に事を為そうとした場合、市民のなかに多くの死傷者を出すことは間違いない。市民が盾に取られている以上、近代兵器を用い、火力で圧倒するという方法は取れない。カイエン公の狙いもそこにあるのだと予想が付く。そして市民に犠牲を強いる作戦を、セドリックが許可するはずがなかった。
「言いたいことは分かる。だが、代案があるのか?」
力を持たない普通の人間でも、何千、何万と集まれば、それだけで脅威だ。
犠牲を恐れて手を抜けば、兵に要らぬ負担を強いることになるだろう。どうやっても犠牲を強いずに鎮圧するというのは不可能に思えた。
『はっきり言って、犠牲をゼロにすることは不可能だ。だが、可能な限り減らすことは出来る。そのための協力者を用意した』
「……協力者?」
この話の流れでウォレスが敢えて協力者と口にするからには、領邦軍・正規軍の人間ではないのだろう。
一瞬、教会関係者――トマスの顔が頭を過ぎったが、それはないかとリィンは頭を振る。
ウォレスの口から語られたのは、そんなリィンの予想の意表を突くものだった。
『レジスタンスだ』
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