――聖アストライア女学院。
帝都のサンクト地区にある貴族の子女が多く通うことで有名な――中高一貫教育のお嬢様学校だ。
アルフィンやエリゼもこの学院に通っており、その校風は貞淑・清貧をモットーにしている。もっとも最近では貴族だけでなく庶民に対しても門戸を開いており、奨学金制度なども充実していることから、学業優秀な生徒であれば平民でも入学することは可能だ。
本来であれば、男子禁制の学院。親兄弟と言えど、特別な理由がなければ立ち入りが許されない女の園だ。そんな学院に空から飛行艦で乗り付ける機会が来るとは、彼等も思ってはいなかった。
学院の校庭に着陸したカレイジャスは直ぐ様、士官学院の学生たちが中心となって校舎に隠れている人たちの避難誘導に入る。
VII組のメンバーのように実戦経験のある学生たちは、万が一に備えて周囲の警戒に当たっていた。
「先程から落ち着かないようだが、どうかしたのか?」
「いや、うん……まさか、こんな風にまた来ることになるとは思ってもいなかったから、少し緊張しちゃって」
体調を心配して尋ねるガイウスに、エリオットは苦笑しながら答える。
以前にも一度、エリオットたちは学院の特別実習で帝都を訪れた際、アルフィンに招かれて聖アストライア女学院に立ち入ったことがあった。
アルフィンの兄、オリヴァルトがトールズ士官学院の理事をしているというのが主な理由なのだが、その時、VII組の設立理由や幾つか込み入った話も聞かされていた。
そんな事情があっただけに、エリオットが複雑な心境を吐露するのも分からなくはない。
それでなくとも以前、学院の敷地内にある薔薇園に案内された時、少なからず女生徒たちの注目を浴びせられたのだ。
「頼りないわね。男なんだから、しっかりしなさい」
「男だから気になるんだよ……。アリサとラウラは、そりゃ気にならないんだろうけど」
「気になる? 何がだ?」
女性のアリサやラウラなどはまだいい。しかし、エリオットは健全な男子だ。
ノルド出身のガイウスはともかく、帝都で生まれ育ったエリオットからすれば、お嬢様学校は敷居が高い。
自分とは縁の無いと思っていた場所に、また足を踏み入れることになったのだ。
緊急事態で仕方ないこととはいえ、どうにも落ち着かないのは無理もなかった。
「それはそうと、これからどうする?」
ガイウスの質問の意図を察したエリオットたちは険しい表情を浮かべる。
特にアリサとラウラはリィンから直接『足手纏いだ』と告げられ、煌魔城の突入メンバーから外されたことを未だに引き摺っていた。
実際にはわかっているのだ。自分たちが作戦に参加したところで、リィンの言うように足を引っ張ってしまう可能性の方が高いということが――
だが、理屈ではわかっていても納得できるかというと話は別だった。
ユーシスの真意に気付けなかったこともそうだが、エマが貴族連合に囚われ、カイエン公の悪事に加担させられているという現実が重く彼等にのし掛かる。
苦楽を共にした仲間を助けたいと思うのは、クラスメイト――友人であれば、当然の感情だ。
しかし同時に感情だけで動けば、また同じような失敗を繰り返すと、ノルドの一件やルーレの事件を通して彼等も学び、成長していた。だからこそ、リィンに拒絶され、反論することが出来なかった。
ガイウスの言うように、ここからなら城も近い。急げば、リィンに追いつくことも不可能ではないだろうと、エリオットたちは考える。
だが、行ってどうする? 自分たちに本当に出来ることはあるのか?
そんな葛藤が、彼等のなかに渦巻いていた。
「久し振りだな。皆――」
そんな時、後ろから掛けられた声に四人は振り返る。
振り返った先にいたのは、懐かしい顔。彼等の仲間、マキアス・レーグニッツだった。
「マキアス!」
真っ先に我に返ったエリオットが、マキアスに抱きつく。
互いの温もりで再会できたことを喜ぶ二人を見て、アリサたちもようやく目の前の現実を受け入れる。
あの日、士官学院で別れた時と変わらないマキアスの姿がそこにあった。
いや、彼も彼で苦労を重ねたのだろう。以前に比べて顔付きが逞しくなったかのように思える。
「また、会えて嬉しいわ。マキアス」
「壮健そうで何よりだ」
「女神と風の導きか。この再会に感謝を……」
エリオットに続き、アリサ、ラウラ、ガイウスと言葉を交し、少し照れ臭そうに頬を掻くマキアス。
だが、その表情はどことなく晴れず、誰かを探すかのように視線は周囲を漂っていた。
「ところで、ユーシスやエマはいないのか?」
仲間との再会を喜ぶのも束の間、マキアスの一言にアリサたちは表情を暗くする。
知らなかったのだから無理もないが、自分の一言で雰囲気が暗くなったのを察してマキアスは困惑した顔を見せる。
このまま黙っているわけにもいかず、マキアスにこれまでの経緯を話し始めるアリサたち。
話を聞くうちにマキウスの表情が段々と険しさを増していく。皆が彼のことを心配していたように、マキアスも皆の無事を祈っていたのだ。
いつか、こうして再会できる日を願って、そのための準備もしてきた。だというのに――
「それで、キミたちは本当にいいのか? このままで」
マキアスがそう尋ねるのは当然の流れと言えた。
確かに感情で動くのはよくない。しかし、それ以上にアリサたちは臆病になっているように見えた。
以前の彼等なら仲間を助けるために行動するのに、手段に迷いはしても行動するのに躊躇はしなかったはずだ。
大人になるにつれ人は冒険をしなくなる。社会という秩序に縛られ、責任が伴う立場に置かれることでルールを破ることに臆病になっていく。
そんな大人たちにはない彼等の若さが、帝国に新たな風を呼び起こす原動力になればとオリヴァルトは考え、VII組を設立したのだ。
恐らく、アリサたちが迷うのは正しい。しかし、それだけでは何も変えられない。救えないものもある。それをマキアスは知っていた。
レジスタンスに参加することを決めたのも、自分に出来ることが何かを考え、迷った末の結論だ。
革命軍とは言っても、支配する側からすればテロリストとなんら変わりはない。それを承知の上で、マキアスは武器を取った。
生まれ育ったこの街を愛していたからというのもあるが、あの程度の逆境で諦めたりはしないと仲間を信じていたからだ。
なのに――仲間の不甲斐ない姿を見て、マキアスが憤りを覚えるのも無理はなかった。
「いいわけがないじゃない! でも、私たちには――」
それだけの力がない。仲間を救うだけの力が、帝都の異変を解決できる術が自分たちにはない。悔しいが、リィンの言うことは正しいとアリサたちは理解していた。
本当は何かをしたい。仲間を助けたい、すぐにでもエマやユーシスのところに駆けつけたい。でも――
現実を知ることで、以前のようにアリサたちは行動に移せなくなっていた。
「なら、やってみればいい。後悔するのは、それからでも遅くない。そのリィンという男のことはよく知らないが、それでも僕はキミたちのことなら知っているつもりだ。鬱陶しいほど仲間想いで、バカみたいにお人好しで、そして諦めが悪いということも――」
励ましているのか、貶めているのか分からない台詞を口にするマキアス。
だがそれは――マキアスが彼等のことを信頼し、彼等の性格を熟知しているという証明でもあった。
ポカンと呆気に取られるアリサたちに、マキアスは話を続ける。
「僕たちは確かに半人前だ。だが同時に半人前だからこそ、分かることもある。事を為すために力が足りないのなら、貸してもらえばいい。未熟なら、それを補うために行動すべきだ。異変の解決は確かに僕たちの手には余るかもしれないが、囚われの人たちを救出するくらいは出来るんじゃないか?」
何も自分たちの手で異変を解決しなければならないというわけではない。リィンの目的はあくまでアルフィンの救出と、カイエン公の野望を阻止することだ。
それはリィンに任せておけば、どうにかしてくれるだろうという程度の信頼はあった。
なら、マキアスの言うように、それ以外の部分で出来ることはあるはずだ。
「そのリィンという男は『足手纏いだ』と言っただけで、セドリック殿下の作戦に参加すること自体は止めなかったのだろう?」
あっ……と声を揃えるアリサとラウラ。
確かに作戦に参加すること自体を止められたわけではなかったことに気付く。
リィンのことだから、本当に関わらせるつもりがないのなら、そう釘を刺したはずだ。
「ごめん。マキアス……キミの言うとおりだ」
「フンッ、礼を言われるようなことじゃない。いつものキミたちなら、とっくに自分で答えに行き着いていたはずだ。実際、ガイウスは気付いていたみたいだしな」
「え? そうなの?」
「ああ……俺は帝国の人間ではないからな。ほんの少しだけ、皆より冷静でいられただけの話だ」
だから、あんなことを急に口にしたのか、とエリオットは理解する。
ガイウスにしては積極的だと思っていたが、理由を聞けば納得の行く話だった。
「でも、具体的にどうするの?」
「兄上たちのことだ。もう、とっくに煌魔城へ突入している頃だろう」
アリサの疑問を補足するかのように、ラウラが言葉を付け加える。
マキアスは知らないだろうが、リィンと一緒に行動してきたアリサたちは、その非常識なまでの実力をよく理解していた。
あのリィンがピンチに陥るところなど想像も付かない。それどころか、あっと言う間にカイエン公を捕らえ、事件を解決してしまいそうだ。
いや、それだけならまだいい。問題が解決した後に、城が原形を留めているか、そこが心配だった。
特に実家を破壊された経験のあるアリサにとっては、冗談では済まない話だ。
そんなアリサたちの話を聞き、怪訝な表情を浮かべながらマキアスは確認を取る。
「それほど……なのか?」
「百人以上からなる猟兵の団を、たった二人で壊滅に追い込んだほどだ」
「ああ、うん。その時、山を吹き飛ばしてたしね……」
「レグラムでは城を破壊し、津波を引き起こしていたな」
「ラインフォルトの本社ビルも破壊されて、街も余波で大きな被害がでてたしね……」
ガイウス、エリオット、ラウラ。トドメにアリサの話を聞き、マキアスは目眩を覚える。
嘘のような本当の話だ。実際、その場で目にしていなければ、信じられないような話だろう。
しかし、そんなすぐにバレそうな嘘を口にする四人でないことは、マキアスも理解していた。
それだけに、なんとも言えない表情になる。
「……早めに行動に移した方が良さそうだな。その話が本当なら人質の身も危険だ」
「策があるの?」
エリオットが疑問を挟むのは無理もない。急いだ方がいいのは確かだが、なんの策もなしに動くのは無謀だ。
実際、カレル離宮でも見つからなかった人質が、本当に皇城に集められているのかすらわかっていないのだ。
虱潰しに捜している余裕はない。せめて、どこに集められているのか? 場所の見当だけでもつける必要があった。
「レジスタンスに協力を仰ごう。……帝都のことなら、誰よりも詳しい人物がいる」
「それって……」
アリサは何かに気付いた様子で声を上げる。
レジスタンスに協力を仰ぐというのは分かる。しかし誰よりも帝都の内情に詳しい人物というと、この場では限られてくる。
貴族派の支配に抗うレジスタンスの存在。そしてマキアスの知り合いとくれば、頭に過ぎる人物は一人しかないなかった。
「カール・レーグニッツ。僕の父さん……レジスタンスの代表だ」
◆
「ご無沙汰しております――兄上。壮健そうで何よりです」
「ユーシスも元気そうで何よりだ」
「お陰様で。もっとも、ここに来る途中、少し手荒な歓迎は受けましたが……」
「彼等には丁重にもてなすように言い含めておいたのだがね」
すまなかったね、と食事の手を止め、謝罪するルーファス。
「しかし、てっきり皇城に案内されるものと思っていましたが……」
窓の外を見ながら、そう話すユーシス。彼は今、空の上――貴族連合の旗艦、パンタグリュエルの艦内にいた。
船の中とは思えないほど豪奢な作りの食堂で、ユーシスはルーファスと向かい合い、食事を取っていた。
ユーシスの記憶が確かなら、この船はカイエン公の持ち物だったはずだ。
ならば、ここにカイエン公もいるのかと考えを過ぎらせるユーシスだったが、その考えを察しているのかのようにルーファスは弟の疑問に答える。
「ここに主宰殿ならいないよ」
「なるほど……では、カイエン公はやはり皇城に?」
「ああ、儀式を執り行うためにね。私はここで外の指揮を任されているというわけだ」
儀式というのがなんなのか分からなかったが、碌でもないことだというのはユーシスにも想像が付いた。
だが、それだけに腑に落ちなかった。ルーファスが帝国貴族を代表するような理想的な貴族であることをユーシスは知っている。
何かと感情を優先して暴走しがちなアルバレア公を陰で支え、領民たちの抑えとなってきたのが、彼――ルーファス・アルバレアだ。
誰よりもノブレス・オブリージュを体現したかのような人物で、ユーシスに貴族とはどういうものかを教えたのも兄であるルーファスだ。
そんな彼がカイエン公の悪事に荷担し、民を苦しめる側に回っているという現実を、ユーシスは受け入れ難かった。
「兄上は、どうしてカイエン公に協力しているのですか?」
「父上が貴族連合への参加を決めた。ならば、その意向に従うことが、私に課せられた役目だからだ」
貴族の家にとって当主の意向は絶対だ。それだけにユーシスは苦い表情を見せた。
その理屈では、むしろユーシスの方がアルバレアの名を受け継ぐ貴族として、相応しくない行動を取っているとも言える。
だがそれは、ユーシスにとって納得の行く答えではなかった。嘘は言っていないのかもしれないが、そこにルーファスの本心が見えて来ない。
「グノーシスのことは? 貴族派の関与が疑われていることについて思うところはないのですか?」
「あれはハイデル卿がやったことなのだろう? 一口に貴族派と言っても一枚岩ではない。そのことで責められるのは、むしろ薬の研究に関わっていたラインフォルト社と、彼の生家――ログナー家ではないのかね?」
自分たちは被害者だとばかりに、グノーシスへの関与を否定するルーファス。しかし証拠がない以上、この件で彼やカイエン公に責任を求めることは難しかった。
だからと言って、ルーファスには誰が黒幕かわかっているはずだ。なのにカイエン公に未だに協力している理由がユーシスには分からない。
当主の意向というのなら、その当主は既に亡くなっている。ならばルーファスがこれ以上、貴族連合に協力する理由もないはずだ。
考え込み、俯いたまま何も答えないユーシスを見て、ルーファスは質問を変える。
「ユーシスはどう思う? いまの帝国を見て」
「……それは、革新派と貴族派の対立のことですか?」
「それは問題の一部に過ぎない。重要なのは、このままでは遅かれ早かれ、帝国は時代から取り残されることになるだろうということだ」
腕を組み真剣な表情で、ユーシスにそう語りかけるルーファス。
「獅子戦役から二百五十年。アルノール皇家の治政によって平和は保たれてきたが、貴族は嘗ての栄光に縋り、腐敗の一途を辿るばかり。愚かなのは貴族だけではない。黙って境遇を受け入れ、現在の立場に甘んじている平民たちにも同じことは言える」
厳しいようだが、その意見には同意できる部分があった。ユーシス自身、VII組の特別実習を通じて、それは感じていたことだったからだ。
平民たちも不満を口にしてはいても、実際に行動に移したりはしない。それは貴族に逆らうことの愚かしさを身を持って知っているというのもあるが、命が脅かされるほどの状況にないからだ。
帝国はゼムリア大陸一の軍事大国として知られているが、その強大すぎる国力により長く本土を戦場にしたことがない。それ故、平和な社会で暮らしてきた人々にとって、戦争は外の世界の出来事でしかなかった。
むしろ、そうした国民の危機意識は、百日戦役で帝国と戦ったリベール王国の方が高いだろう。
そこまで考え、ユーシスはルーファスが何を言おうとしているのか理解する。
「このままでは帝国はダメになる。そうは思わないか? ユーシス」
「それは……まさか、兄上はそのためにカイエン公に協力を?」
「勿論それだけが理由ではないけどね。これからの時代、帝国が発展していくためには強い力が必要だ。運命にすら抗う強い意志と力がね。敢えて理由を挙げるとすれば、それが現在の帝国には欠けていると思った」
「兄上の言いたいことはわかります。ですが……」
話を聞き、ルーファスの言い分にも一理あることをユーシスも認める。
だが、それでも――ユーシスは、ルーファスの行動が正しいと答えることが出来なかった。
確かに帝国のためを思えば、荒療治は必要だったのかもしれない。しかし、何も知らない人々の犠牲を前提としたやり方を、ユーシスは認めるわけにはいかなかった。
「あくまでこれは私の考えでしかない。ユーシス、キミの答えは自分で見つければいい」
だが、そんなユーシスの反応をわかってたのか、それでいいとばかりにルーファスは席を立つ。
元からルーファスは、ユーシスに自分の考えを強制するつもりはなかった。
ただ最後に一度だけ、血を分けた兄弟として話をしておきたかっただけだ。
振り返ることなく立ち去るルーファスの背中を、ユーシスは無言で見送った。
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