自身より巨大なブレードライフルを構え、シャーリィは目前の敵――エマへと迫る。
その細腕からは想像も出来ないほどのパワーで振われる斬撃は空気を裂き、赤い軌跡をエマの瞳に映す。
広間に鳴り響く轟音。寸前のところで目標を失ったシャーリィの一撃は地面へと激突した。
常人であれば、受け止めることは疎か、避けることすら難しい一撃。シャーリィにしても手加減をしたつもりはなかった。
だが、こうしてエマを攻撃するのは何度目になるだろうか?
すべての攻撃が、まるで予見されているかのように回避され、対応される。
「――シャーリィを無視するなんて、良い度胸じゃない」
なのに、目の前の少女は敵を見ていない。いや、戦意すら感じ取れない。
先程から幾度となく繰り返されている攻防。しかし、実際には一方的にシャーリィが攻撃するだけで、エマは反撃を一切してこない。さっきの攻撃もエマにその気があれば、シャーリィに一撃をいれられたはずだ。それ故にシャーリィは不満を隠しきれず、相手を挑発するかのように言葉を放つ。
これほど得体の知れない相手と戦うのは、多くの戦場を渡り歩いてきたシャーリィと言えど初めてのことだった。
シャーリィは決して弱くない。猟兵の世界でも間違いなくトップクラスに位置する実力者だ。そんなシャーリィが手玉に取られている状況というのは、彼女のことを知る者が見れば目を疑うような光景だ。
「ちょっとは落ち着け。闇雲に攻撃したところで無駄に体力を消耗するだけだ」
クロウにもっともらしい注意をされ、シャーリィは若干不満そうな表情を浮かべる。
だが、彼女にもクロウの言うことが正しいことはわかっていた。このまま闇雲に攻撃を続けても同じことの繰り返しだ。
パワーやスピード。戦闘技術。そのすべてにおいてシャーリィはエマを圧倒している。なのに、エマはシャーリィの攻撃に易々と対応して見せた。本当に心を読めているのだとしたら、これほど厄介な相手はいないだろう。
エマ・ミルスティン。特別親しかったというわけではないが、僅か数ヶ月のこととはいえ、学び舎を共にした仲間だ。クロウも彼女のことは、よく見知っていた。
成績は優秀で、座学は学年でもトップクラス。性格は温和で面倒見も良く、彼女を頼りにしていたクラスメイトも少なくない。クロウも試験前に何度か勉強を見てもらったことがある。争いを好まない心根の優しい少女というのが、クロウが学院生活でエマに抱いた印象だ。
実のところ、エマが魔女であることは正体を明かされる前から知っていたのだ。旧校舎の地下に灰の騎神が眠っていることや、その騎神の起動者となる人物の導き手としてエマが学院に経歴を偽って入学してきたこともクロウは知っていた。
余り自分のことについて詳しく語ろうとしないヴィータだ。それ故に、彼女からエマとの関係を聞いたわけではないが、彼女がヴィータにとって同郷というだけでなく近しい人物であることも察していた。
それだけに、まさかエマとこんなカタチで対峙することになるとは思ってもいなかったのだ。
いや、敵として立ち塞がる可能性に関しては考えなかったわけではない。だが、クロウの想像していた状況とは立ち位置が逆だった。
成り行きでリィンに協力することになったが、本来であればクロウはあちら側≠ノいたはずの人間だ。それだけに驚いていないと言えば嘘になる。いや、よりショックを受けているのは自分よりもヴィータの方だろうとクロウは思う。
「まさか、こんな風に再会することになるとはな。正直、驚かされた」
「私もです。本来であれば、こうして表にでるつもりはなかったのですが……」
そう言って、溜め息を吐くエマ。それが演技なのか、本心なのかまでは分からない。
だが、すべてを見通しているかのように見えて、エマにとってもこの状況は想定外であることが、その様子からも感じ取れた。
「単刀直入に聞く。狙いはなんだ?」
「さっきも言ったとおりですよ。わたしは灰の騎士を導く魔女ですから」
――その使命を全うするだけです。
と、平坦な感情の読み取れない声で、クロウの質問に淀みなく答えるエマ。
嘘を言っているようには見えないが、すべてを語っていないことは明らかだった。
しかし、これ以上、問答を続けたところで有益な情報は得られないだろう。
(……考えろ。嬢ちゃんの狙いは、俺たちを殺すことじゃないはずだ)
少なくともエマからは戦闘の意思を感じられない。それはシャーリィとの戦闘のやり取りからも明らかだ。
猟兵王や先代〈銀〉の影も、戦力の補強という意味だけなら、あの二人でなければならない理由はない。
明らかにフィーやリーシャの動揺を誘い、二人を引き離すが狙いだったと考えるべきだ。
(時間稼ぎが狙いか? いや、それだけなら他にもやりようが……まさか)
何かに気付き、リィンとマクバーンの方へ視線を向けるクロウ。
既にクロウたちの位置からでは、直接リィンとマクバーンの戦いを窺い知ることは出来ない。建物全体を揺るがすような二人の戦闘の余波が感じ取れるくらいだ。リィンとマクバーンの戦いは、既に常人が踏みいることの出来ない領域へと発展していた。
周囲を巻き込まないようにリィンがマクバーンを引き付けて戦ってくれているお陰で、クロウたちに被害はない。
しかし、この状況こそ、エマの狙いなのだとしたら?
「そういうこと……これは試練なのね? 魔女が灰の起動者を見極めるための」
ヴィータもクロウと同じ結論に達したようで、彼より先にエマに問い掛けた。
戦力を分断するのが狙いかとも考えたが、それならエマに戦意がない理由に説明が付かない。
そして時間稼ぎが狙いだとすれば、なんのために時間を稼ぐ必要があるのかということになる。
普通に考えれば、緋の騎神の復活に掛かる時間を稼ぐのが狙いだと考えられるが、エマの態度からカイエン公ほど緋の騎神の復活に拘っているようには見えなかった。
それにエマは言った。
灰の騎士を導く魔女として、自分はここにいると――
その言葉を信じるなら、彼女の狙いはリィンにあると考えていい。
クロウを蒼の騎神の元へ導き、その使命を果たしたヴィータには分かる。禁忌を破り、郷を離れたヴィータですら、何百・何千年という歳月の間、語り継がれ、受け継がれてきた魔女の宿命から逃れることは出来ない。
魔女が自らの口で語る使命の重さ。それをエマが知らないはずがなかった。
だからこそ、その言葉に嘘はないと信じることが出来る。エマもそんな宿業を背負う魔女の眷属の一人だからだ。
故にエマの為そうとしていることは、リィンに直接関係のあることだと推測が出来る。ヴィータがクロウにそうしたように、エマもまた使命を帯びた魔女として、灰の起動者であるリィンを試すつもりでいるのだろう。
とはいえ、リィンの強さは桁外れだ。ヴィータの知る限りでも、本気のリィンと互角以上に戦うことの出来る人物は限られている。
文字通り、最強クラスの使い手でなければ、リィンの相手は務まらない。だからこそ、エマがマクバーンを選んだ理由は自ずと判る。恐らくマクバーンも、そのことを理解した上でエマの話に乗ったのだろう。
しかし、それでもまだヴィータには腑に落ちないことがあった。
「エマ。あなたは何を知っているの? いえ、何を視て≠オまったの?」
ヴィータには命を賭しても成し遂げたい目的がある。そのために禁忌を破ってまで、エマの前から彼女は姿を消したのだ。
四年前、エマの身に何があったのか? おおまかな話はヴィータも報告を受けていた。
帝国正規軍や遊撃士協会に、教団の情報をリークしたのも彼女だ。あのタイミングでルトガーたちが、暴走状態にあったリィンを止めに入れたのも、ヴィータのもたらした情報に寄るところが大きかった。
いまになって後悔するのは遅いが、もっとエマのことを気に掛けるべきだったとヴィータは自らの浅はかさを悔いる。エマのことが心配で介入しておきながら、その後のフォローを怠ったのはエマに何も告げずに郷をでた後ろめたさのようなものが、ヴィータの心の何処かにあったからだ。
意識的にエマを避けていた。その結果が、これだ。
もう元の関係には戻れないと知りながらも、ヴィータはエマに尋ねる。
「もう一度きくわ。エマ、あなたは……」
その時だった。
継続的に感じていた戦闘の余波とは違う大きな縦揺れが、ヴィータたちを襲った。
思わず体勢を崩すヴィータ。その下半身を呑み込むように、赤い瘴気のようなものが風と共に吹き抜けた。
ハッとした様子で、奧に鎮座する緋の騎神へと目を向けるヴィータ。目に飛び込んできたのは瘴気を溢れさせる騎神の姿と、黒い傀儡に抱きかかえられたアルティナ。そして、いつの間にか姿を消していた仮面の男――ブルブランだった。
◆
「どういうつもりですか? 予定にはない行動のようですが……」
困惑と嫌悪の混じった瞳で、ブルブランを睨み付けるエマ。
訝しげな視線を向けられながらも、ブルブランは何食わぬ顔でエマの問いに答えた。
「いえ、予定通りですよ。お嬢さん」
「……これが予定通り?」
騎神の腹部には起動者が搭乗するためのコアがある。そこに薄らと人影が見える。
「カイエン公に協力したのも、最初からそれが目的だったんですね」
コアにいれられたアルフィンを見て、不快感を顕にするエマ。
エマの目的はあくまでリィンにある。だからこそ、必要以上の犠牲をだすつもりは最初からなかった。
だからこそ、マクバーンには闘争心を満たすための餌を与え、ブルブランには彼の望む舞台を整えるため、煌魔城の復活に協力したのだ。
アルフィンをさらったのはカイエン公の指示で、エマは直接関係はしていなかったが、元より彼女を騎神の贄にするつもりはなかった。
ブルブランもそのことを知っていたはずだ。だからこそ、彼の行動はエマからすれば裏切りとも言えるものだった。
「以前にも言いましたが美≠フ追及こそが、私の目的。そして、そのための舞台は整いました。あとは魔王が復活すれば、私と結社≠フ計画は達成される。深淵殿が計画の内容を変更した時は、どうしたものかと考えましたが……あなたは本当によく働いてくれましたよ。お嬢さん」
悪びれた様子もなく芝居がかった口調で、そう話すブルブラン。
実際、エマを騙したとも裏切ったとも彼は微塵も思ってはいないのだろう。
あくまで利用し、利用される関係だったに過ぎないと、そう言っているのだとエマも察した。
「ブルブラン。あなた結社の計画と言ったわね? どういうこと? 緋の騎神の復活までは、計画に含まれていなかったはずよ」
ヴィータの疑問は当然のことだった。
幻焔計画。本来、この計画の進行を握っていたのは彼女だ。
騎神の復活と、獅子戦役の再現。それが、ヴィータが帝国で為そうとしていたことだ。
そういう意味では緋の騎神の復活を待たずして、彼女の目的は概ね達成されていた。
ヴィータもエマと同様に、元より緋の騎神を復活させるつもりなどなかったのだから――
だからこそ、ブルブランが自分の欲求を満たすためだけならいざ知らず、結社の名前をだしたことにヴィータは違和感を覚えた。
そんなヴィータの質問に答えるかのように、大広間に何者かの声が響く。
「簡単なことだよ。私が彼に頼んだんだ」
空気を裂く音と共に、転位して現れたのは白衣を着た一人の老人だった。
その老人の姿を見て目を瞠り、驚愕に満ちた声で、ヴィータは老人の名を呼ぶ。
「ノバルティス博士!?」
老人の名は、F・ノバルティス。通称『博士』の名で呼ばれる第六柱。ヴィータと同じ使徒の一人だ。
そしてアルティナが本来所属する『黒の工房』を始めとした――十三工房を管理する技術者でもあった。
知的好奇心を満たすためであれば、他人の迷惑など一切考えないマッドサイエンティストだ。
それだけに目の前の人物の危険性を、ヴィータは誰よりもよく理解していた。
「やあ、こうして直接顔を合わせるのは久し振りだね。壮健そうで何よりだよ」
「あなたはクロスベルに行っていたはずでは……」
「向こうでの仕事はもう終わったからね」
向こうでの仕事は終わった。
それは即ち、クロスベルでなんらかの動きがあったことを意味していた。
気にならないと言えば嘘になるが、それよりも問題は先程のノバルティスの言葉だ。
「なるほど……目的は、それね」
緋の騎神を見ながら、ノバルティスに確認を取るヴィータ。
その答えに満足そうにノバルティスは頷いて応える。彼の目的それは、緋の騎神にあった。
「実のところ、クロスベルの仕事で三機の内、二機の〈神機〉が破壊されてしまってね」
「その代わりが欲しいと?」
「いや、私が欲しいのは、あくまでデータだ。この騎神は、騎神のなかでも特別らしいじゃないか。だからこそ、実際に動いているところを調べてみたいと思うのは、技術者として至極当然の欲求だとは思わないかね?」
そのためなら少女の一人や二人、犠牲になろうと構わないと実際に思っているのだろう。
いや、ノバルティスに関して言えば、その程度のこと気に留めてもいないと言った方が正しかった。
先程、ヴィータとノバルティスの会話のなかに登場した〈神機〉とは、騎神に似た巨大なロボットのことだ。そのなかでもゴルディアス級と呼ばれる機体は、アルティナとクラウ=ソラスの関係のように意思の疎通が可能で、高い戦闘力と高度な人工知能を有していた。
ノバルティスの目的――それが騎神のデータを得ることにあるのだとすれば、彼の性格を知る者であれば、これ以上ないくらいに納得の行く行動理由だった。
「帝国での計画は、私に一任されているはずよ。あなたの出る幕はないわ」
だからと言って、ヴィータとしては博士の暴走を見過ごすわけにはいかなかった。
文字通り、ノバルティスは自分の知的好奇心が満たせるのであれば、あらゆる犠牲に目を瞑る男だ。
過去にも、その結果、少なくない数の子供たちの未来を彼は奪ったことがある。
ヴィータの知る限り、癖のある結社の構成員のなかでも特に危険と言える男――それが、F・ノバルティスだった。
「そうは言うがね。随分と予定とは違っているみたいじゃないか?」
「計画が予定通りに上手く行くとは限らないわ。臨機応変に対応しているだけよ」
「ふむ……確かに一理ある。何事も予定通りに上手く行くとは限らないからね」
ヴィータの話にも一理あることを認め、ウンウンと首を縦に振りながら相槌を打つノバルティス。
「分かった。では、手を引こうじゃないか」
随分とあっさりと手の平を返すノバルティスに、訝しげな視線を向けるヴィータ。
「……信用していいのね?」
「ああ、私が嘘を吐くような人間に見えるかね?」
どの口が言うか、とツッコミをいれたかったが、グッと我慢するヴィータ。
ここでノバルティスと言い争ったところで益がないことは、彼女が一番よくわかっていた。
出来れば、早々にでも立ち去って欲しい相手だ。一分一秒でも長く相手をしたくない。だが――
「しかし、もう手後れだと思うがね」
やれやれと肩をすくめ、背後の騎神を見上げながら、ノバルティスはそう呟いた。
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