オルディーネに攻撃が当たる寸前、テスタ・ロッサの頭上に光が降り注いだ。
 衝撃に備えるため、エマとヴィータは障壁を展開する。
 暴風のように吹き荒れる圧倒的な力。光に押し潰され、悲鳴を上げるテスタ・ロッサ。

「これは集束砲……リィン!?」

 フィーが空を見上げると、そこには圧倒的な存在感を放つ灰色の騎神の姿があった。
 もくもくと立ち上る煙。テスタ・ロッサのいた場所には底の見えない大穴が広がっていた。

「なんつー威力だ。あいつとはやっぱり戦わなくて正解だった……」

 あれだけ苦労をした相手を一撃で消滅させたリィンの力にクロウは唖然とする。
 騎神と言えど、いまの一撃を食らって無事とは到底思えなかった。
 しかしリィンは警戒を解かず、穴の底を窺うように空中に静止していた。

「ヴィータ。転位術は使えるか?」
「え、使えるけど……」
「なら、いますぐ皆を連れて、ここから逃げろ」

 一瞬、何をリィンが言っているのか理解できず呆けるヴィータ。
 しかし、穴の底からおぞましい気配を感じ取り、すぐにその理由を察する。

「嘘だろ!? あの攻撃を食らって――」

 クロウも気付いた様子で、驚きの声を上げる。
 穴の底で蠢く紅い光。それが魔王の名を持つ騎神のものであることは明らかだった。
 すぐに上がってこないところを見るとダメージは負っているようだが、穴の底から感じ取れる気配は弱くなるどころか、むしろ濃くなっているの感じる。これほどおぞましい気をヴィータも感じ取ったことはなかった。

「……転位術を展開するわ。皆、集まって」
「おい――ヴィータ!」
「私たちがここに残っても彼の邪魔になるだけよ」

 既に戦う力が残されていない以上、ここにいてもリィンの邪魔になる。
 それはヴィータに言われずとも、クロウもわかっていた。しかし感情の上で納得が行くかというと話は別だ。
 リィンの強さは理解しているつもりでも、今回のは相手が相手だ。

「……リィン。勝算はあるの?」
「逆に聞くが、勝ち目のない勝負を俺がすると思うか?」
「ん……ならいい」

 すんなりとリィンに説得されたフィーを、クロウは驚きの表情で見る。
 リィンとの関係を考えると、彼女が真っ先に反対すると思っていたからだ。

「――って、そんなにあっさり納得していいのか!?」
「リィンは無理なことは口にしない。リィンが出来るというのなら、それを信用するだけ」

 リィンと一番付き合いの長いフィーにそう言われては、クロウも反論の言葉を失う。
 リィンとフィーは国に仕える兵士でなければ、民衆の味方の遊撃士でもない。彼等は猟兵だ。
 戦場で生き残る術を誰よりもよく熟知している。それだけに危険に対しての察知能力が高い。
 勝ち目のない戦いは極力さけるし、能力的に不可能な仕事は受けない。
 自分の力を過信し、見誤った者から死んでいく。そんな世界で生きてきた戦闘のプロだ。
 そう言うからには絶対にリィンが勝つと、フィーは信じていた。それに体力を大きく消耗し、戦力にならない自分が残っても、リィンの足手纏いにしかならない。その結果、リィンの勝率を下げてしまっては、なんの意味もないことがわかっていた。
 一方で、そう言われても素直に受け入れられない者たちもいる。アルフィンもそんな一人だった。
 どこか不安げな表情で、じっとリィンの乗ったヴァリマールを見詰めるアルフィン。
 これには困った様子で、リィンは搭乗席で頭を掻く。

「まだ受け取るものと受け取っていないからな。報酬をたんまり用意して待っていてくれ」
「リィンさん……はい。ボーナスを用意して、お待ちしています」

 納得したわけではない。だが無理を言えば、リィンを困らせることがわかっていた。
 せめて心配させられた分も、リィンが帰ってきたら利子をつけて受け取らせようと、アルフィンは不安を押し隠すように自分に言い聞かせる。

「リーシャ。なし崩し的に巻き込んでしまったが、どうかアルフィンのことを頼む」
「いえ、むしろ感謝しています。姫殿下のことはお任せください」

 リィンからアルフィンのことを任され、リーシャは余計な心配を掛けまいと頷く。
 それにリィンには感謝こそすれ、巻き込まれたとは思っていなかった。
 死に場所を求めていた自分が、いまはこうして誰かを守るために戦っている。あの時リィンに出会わなければ、シャーリィに助けられなければ、いまの自分はないとリーシャは思っていた。

「あとクロウ……最後のは悪くなかった。よく彼女たちを守ったな。お前のカタキは俺が取ってやるから安心してくれ」
「勝手に殺すな!? 死んでねえよ!」

 リィンの冗談を真に受け、クロウは反論する。
 相変わらず調子の狂う奴だと、クロウは疲れきった表情で溜め息を漏らす。
 だが、クロウもバカではない。リィンが皆に心配を掛けまいと、そういう態度を取っていることはわかっていた。

「絶対に勝てよ」
「愚問だな」

 自信に満ちたリィンの回答に、ほんとに嫌な奴だとクロウは呟く。
 だが、同時に頼もしくもあった。少しだけ、フィーの気持ちが理解できた気がする。

「リィン・クラウゼル」
「ん?」
「あなたには大きな借りがあるわ。だから――」

 必ず生きて帰って来なさい。
 そう言って、転位術を起動するヴィータ。足下に転位の魔法陣が展開される。
 光の中に姿を消す仲間たちを見送りながら、リィンは溜め息を吐いた。


  ◆


「どうにか、転位は成功したみたいね」

 周辺を確認しながら、転位の成功を確認するヴィータ。
 恐らくは帝都の北西、山間のどこかに転位したものと推測できた。
 転位術は扱いの難しい繊細な魔術だ。精神の集中を必要とするために戦闘中には使えないし、周囲のマナの影響を受けやすい。そのことを考えれば、目標地点から多少ズレてしまったものの許容範囲だろうとヴィータは考える。

「おい、ヴィータ。エマの嬢ちゃんがいないぞ」
「……シャーリィもいない」

 ――は?
 と、クロウとフィーの言葉に呆けるヴィータ。
 ヴィータの魔術は確かに全員を範囲に捉えていた。一瞬、別の場所に飛ばされたかとも考えるが、他の皆はちゃんといることを考えると、エマとシャーリィだけ別の場所に転位したとは考え難い。

「あ、あの()たちっ!?」

 考えられることは一つしかない。
 エマが魔術をキャンセルしたのだとヴィータは気付き、焦りと怒りの混じった声を上げる。
 ここでシャーリィはエマの魔術に巻き込まれたと考えるのが普通だろうが、あのエマがそんなミスをするとは思えないし、シャーリィの性格を考えると自分の意思で残ったと考えるのが自然だろう。

「ちょっとは落ち着け、ヴィータ。嬢ちゃんにも何か考えがあるんだろう」
「ん……シャーリィも心配はいらないと思う」

 二人に諭され、不満そうな顔で堪えるヴィータ。
 彼女がこんなにも感情を顕にして動揺するのは珍しいことだった。
 それだけにエマがヴィータにとって、どれだけ大切な存在なのかをクロウは理解する。
 本人は隠しているつもりなのかもしれないが、傍から見れば丸わかりだ。

(まあ、素直じゃないのは俺も同じか)

 他人のことばかり言えないな、とクロウは苦笑する。
 以前のヴィータなら、もう少し上手く内心を隠せていただろう。
 リィンとの出会いで変わったのは自分だけではないと再確認するクロウだった。


  ◆


「で? なんで、お前等は残ってるんだよ……」
「ピンチにタイミングよく現れて良いところ取りは、どうかと思うんだよね」
「お前、まさか気付いて……」
「うん。ずっと上から観察してたでしょ?」

 まさか気付かれているとは思わず、リィンはグッと言葉を呑み込む。
 タイミングを逸して出る機会を窺っていたなど言えるはずもない。
 正直、他のメンバーには気付かれていないと思うが、念のためシャーリィに口止めをする。

「はあ……絶対にアルフィンたちには言うなよ」
「うんうん。黙っててあげるから、シャーリィにもやらせてくれるよね?」

 ダメとは言えなかった。
 それに、こんなでもシャーリィは一流の猟兵だ。なんの考えもなしに我が儘をいう人物でないことはわかっていた。
 問題は――リィンは、シャーリィの後ろに隠れる少女へと目をやる。
 エマ・ミルスティン。ヴィータと同じ魔女の一人にしてVII組の一員。そして禁術を用いて煌魔城を現界させた元凶ともなった少女だ。
 詳しい事情を知っているわけではないが、エマがこんな真似をした原因が自分にあることをリィンはなんとなく察していた。

「それで? エマだったか? 危険なのはわかってるだろう。どうして残った」
「あの魔王が復活した責任は私にあります。それに……」
「それに?」
「〈魔女の眷属(ヘクセン・ブリード)〉の私ならリィンさんの力になれます。その騎神、まだ完全に乗りこなせていないんですよね?」

 エマの言うとおり、リィンはヴァリマールの力を完全に引き出せていなかった。
 異能を用いることで誤魔化してはいるが、実際にはクロウの方が上手く騎神を扱えていると言っていいだろう。
 さすがに魔女(エマ)は誤魔化せないかとリィンは嘆息する。そして彼女の言うように、いまのままでは負けないまでも、テスタ・ロッサを依り代に覚醒した〈紅き終焉の魔王〉を倒せないことも理解していた。
 集束砲はリィンの技のなかでも最高クラスの威力を誇る技だ。それが通用しなかったとなると、他に通用しそうな技は〈必滅の大槍(グングニル)〉しかない。あの魔王が異界の存在であるのなら、恐らく最大の攻撃手段となるだろう。しかし、それでも倒し切れるかというとリィンは難しいと答える。
 せめてクロウが使ったような、一時的にでも騎神の潜在能力を引き出すことが出来れば可能性はある。だが幾らリィンの適性が高くとも、ヴァリマールを乗りこなすには時間が足りなかった。
 クロウでさえ、あそこまで乗りこなすのに三年以上の時間が掛かったのだ。

「……可能なのか?」
「はい」

 エマの提案を吟味するリィン。
 この際、彼女のやったことに目を瞑るとして、試す価値はあるかと考える。
 問題はエマの目的がはっきりとしないことだ。彼女の狙いがヴァリマールにあるということは分かるが、それだけのために魔女の禁忌を破って、ここまでのことをしでかしたとは思えなかった。

(とはいえ、疑ってても答えはでないか)

 隠し事をしているのはお互い様だ。
 信頼はまだ出来ないが、この件に関しては彼女を信用してみようとリィンは結論をだす。

「ヴァリマール。二人をコアに収容できるか?」
「可能ダ。ソノ二人ニハ、準契約者ノ資格ガアル」
「……準契約者?」
「起動者としての適性がある者のことです。騎神との契約を結んでいないため、動かすことは出来ませんが……」

 ヴァリマールの説明を補足するエマ。
 そう言えばそんな話もあったな、とリィンは薄れつつある前世の記憶を思い出す。

「なら、やってくれ」
「了解シタ」

 球状の光に包まれ、ヴァリマールのコアに吸い込まれるエマとシャーリィ。

「せ、狭い……」
「あ、あの……すみません」
「いや、謝られるようなことでもないんだが、それよりむしろ……」

 さすがに一人乗りの機体に三人は狭すぎた。
 席を詰めれば乗れないことはないが、問題は振り落とされないようバランスを取るため、リィンの腕に掴まっているエマだった。
 圧倒的なボリューム。これでもかと主張する柔らかな物体がリィンの男を刺激する。本気でわかっていないのか首を傾げるエマの傍らで自分の胸と見比べ、その豊かな二つの膨らみを吟味するシャーリィの姿があった。

「確かにこれはなかなか……ねえ、ちょっと揉んでいい?」
「え、ええ!? ダメです!」

 わなわなと指を動かしながら、エマに迫るシャーリィ。
 一方エマは胸を手で覆い隠し、顔を真っ赤にして必死に拒絶する。
 そんな二人のやり取りに呆れた表情を浮かべるリィン。

「バカなことやってないで、しっかり掴まってろ。――来るぞ」

 光の矢が穴の底から放たれ、ヴァリマールを襲った。
 しかし攻撃を予測していたかのように、リィンは余裕を持って回避する。
 先程の集束砲でヴァリマールのマナは三分の一ほど消耗していた。
 当然、無駄弾を撃つような余裕はない。なら、取れる手段は一つしかない。
 先程の集束砲で作った縦穴へとリィンはヴァリマールを進める。迫る光の矢を僅かな動きで回避し、最短距離で穴底へと向かう。そのリィンの操縦技術の高さにエマは驚きを隠せない様子で魅入っていた。
 騎神は起動者の精神と同調し、イメージをフィードバックすることで生身と変わらない動きを再現する。その副作用として騎神の受けたダメージなども起動者に伝わってしまうのだが、その欠点を補って余りある操作性と反応速度を得られるのが特徴だ。
 しかし直感的な操作が可能とは言っても、人間は空を飛ぶことが出来ない。だからこそ幾ら騎神が空を飛べるとは言っても、空中での動きはぎこちなくなることが多い。騎神の扱いに慣れたクロウでさえ、空を飛びながらの戦闘は難しいだろう。
 リィンのように自在に空を飛び、迫る矢を高速機動で回避するなどと言った真似は、クロウは勿論のこと歴代の起動者にも出来なかったことだ。
 しかし、リィンには地球という星で生まれ育った前世の記憶がある。直感で動かせるということは、難しい知識がなくとも前世の経験を活かせるということだ。そして彼は、この手のゲームが得意だった。

(まさか、こんなところで前世の経験が役立つとはな……)

 実際に空を飛んだことはないが、それに近い体験なら飽きるほど経験がある。
 世間一般でゲームオタクと呼ばれる部類の人間で、新しいハードやお気に入りのソフトの発売日には深夜から店に並んだり、仕事が休みの日には一日中ゲームをしていても苦にならなかったほどだ。
 そのなかには実際にロボットや戦闘機を操縦しているような体験が出来る『体感型ゲーム』と呼ばれるものもあり、一時期嵌まって呆れるほど金を注ぎ込んだことがあった。
 ゲームとリアルは違うとは言っても専門的な知識が必要なく、騎神のように自動制御の発達した機体の操作は半ばゲームと変わらない。特にイメージが反映されるシステムというのが、リィンにとっては好都合だった。
 猟兵として戦場で培った技術。そして前世の知識と経験が合わさった結果とも言えた。

「――捉えた」

 遂に魔王と化したテスタ・ロッサの姿を捉えるリィン。だが、そこでヴァリマールの動きが止まった。
 ヴァリマールに向けられた銃口を見て、リィンは驚きと戸惑いを見せる。
 腕と一体化した巨大な砲。その銃口に膨大なマナが集束されていく。
 見間違うはずがない。それは間違いなくリィンの放った集束砲と同じものだった。

「こいつ俺の真似を――」

 その直後、銃口より放たれた光の奔流がヴァリマールを呑み込み、天を貫いた。



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