「勝ち目なんてないのに、どうして……」

 理解できないと言った顔で、アルティナはクロウたちの戦いを観察していた。
 健闘をしたとは思えるが、それだけだ。正直に言って彼等に勝ち目はない。
 そのことは当事者である彼等が一番よく理解しているはずだ。

「そんなことも分からないから、都合良く利用されるんだよ」

 声に驚き、ハッと上空を見上げるアルティナ。
 ここは煌魔城の最上層より更に上、地上数百メートルの空の上だ。
 そんな場所に普通の人間が来られるはずがない。だが、それは相手が生身の人間だった場合の話だ。

「リィン・クラウゼル……」

 アルティナの視線の先、そこには〈灰の騎神(ヴァリマール)〉と起動者のリィンがいた。
 背中からマナを放出し、空高く浮かぶ上がるヴァリマール。
 その巨大な腕に腰を下ろし、リィンはアルティナを見下ろしていた。

「私は……」
「私は『人形』だ『道具』だっていうのはなしだ。人形はそんな顔をしたりしない」

 いつものアルティナの口癖を、つまらなそうな顔でリィンは遮る。
 自分で気付いていないのだろうが、アルティナは困惑と後悔の入り混じった酷い顔をしていた。

「お前は作り物なんかじゃない。育った環境がちょっと特殊なだけのただの人間だよ」

 だからリィンはアルティナのすべてを否定する。
 アルティナは利用されただけだ。しかし、それを選択したのはアルティナ自身だ。結果、アルフィンはテスタ・ロッサに取り込まれた。
 人形だ。道具だと自分を偽る言葉で、それをなかったことにさせるつもりはなかった。

「前に俺は言ったよな。戦争をするつもりなら容赦はしないと」

 猟兵の世界に身を置くものは、常に死と隣り合わせの日常を送っている。
 酒を酌み交わした友人や知人が敵となったり、任務の途中で命を落とすということが当たり前のようにある世界だ。
 リィンも数え切れないほど多くの戦友と、出会いと別れを繰り返してきた。そのなかには家族のように慕っていた人たちもいた。彼の養父、ルトガー・クラウゼルもその一人と言えるだろう。
 だからこそ、リィンは家族や仲間を大切にする。
 団の絆は時として血の繋がりよりも濃い。戦友とは背中を預ける仲間だ。その仲間を守ることが、結果的に団や自分の命を守ることに繋がるとリィンは知っていた。
 一方で身内と他人の線引きが厳しい。ノルド高原の一件からも分かることだが、リィンは敵を殺すことに躊躇いがない。これが法と秩序を遵守する警察官であれば、殺さずに捕らえるという選択肢もあるだろう。
 だが猟兵にとって重要なのは、最小限の被害で最大限の戦果を上げることだ。結果が伴わなければ意味がなかった。
 それに慈悲を掛けたばかりに恨みを買ったという話は枚挙に暇がない。その対象が自分だけならいいが、仲間を危険に晒す可能性がある以上、禍根を断つために敵は極力排除するというのが彼等――猟兵の常識だった。
 勿論、単純に敵と味方で区別できるほど、世の中がシンプルに出来ていないことをリィンは知っている。
 だが戦場で敵として出会えば、殺すことを躊躇ったりはしない。それが例え見知った相手であったとしてもだ。

「アルティナ・オライオン。お前は俺の敵か? それとも――」

 空気の密度が上がる。リィンの放つ雰囲気に呑まれて、アルティナは息を呑んだ。
 全身に刃物を突きつけられているような――濃密な死の気配がアルティナを襲う。
 彼女の脳裏に過ぎったのは死≠セ。この選択が命運を決めると確信できるだけの迫力が、リィンの殺気には込められていた。

「とはいえ、お前がルーファスの飼い犬だと知っていて懐に置いたのは俺の責任だ。さらわれたアルフィンや俺にも油断があったんだろう。だから、この件が終わるまで答えは保留にしてやる」

 黒幕にはいつか報いを受けさせるがな、と言ってリィンは肩をすくめる。
 すると、場を支配していた空気が拡散した。

「……警告ですか?」

 リィンが本気だったなら確実に殺されていた。そう思えるほどの殺気だった。
 答えを保留するとは言っているが、命を握られているアルティナからすれば脅しに近い。

「警告と取るか、忠告と取るか、それはお前次第だ」

 アルティナを試すように、リィンは意地の悪い笑みを浮かべながら答える。
 次はない――そんな風に釘を刺されているようにアルティナは感じた。
 それはそうと、アルティナには一つどうしても気になることがあった。

「ところで、こんなところにいて良いんですか?」
「あー……」

 アルティナの質問の意図を察して、リィンは困った顔で頬を掻く。

「盛り上がっているところに水を差すのもな……」

 本当なら、さっさと合流して片付けるつもりだったのだ。
 ところが、ちょうどクロウがやる気をだしてテスタ・ロッサと戦っているタイミングで戻ってきてしまい、空気を読んで飛び出すタイミングを見計らっているうちに今度はシャーリィが戦闘に乱入。出るに出られず、こんなことになってしまっていた。

「いま乱入するとシャーリィに喧嘩を売られそうだし……」

 騎神を相手にするより、そっちの方が面倒だとリィンは溜め息を漏らす。
 なんとも言えない理由に、アルティナはどう反応していいか分からなくなる。

「心配ではないのですか?」

 先程の一件からも、リィンが仲間を大切にしていることはアルティナにも分かった。
 裏切りそのものよりも、アルフィンの一件がリィンの怒りの琴線に触れたのだろう。なのに、その仲間が危機に陥っている状況で、こうものんびりと傍観者に徹しているリィンの考えがアルティナには理解できなかった。

「まあ、まったく心配してないと言えば嘘になるだろうな。だけど――現実は冷酷だ。ピンチにタイミングよくヒーローが現れることなんてない」

 戦場では、すべてが自己責任だ。
 リィンが最初の頃、エリオットたちに冷たく当たっていたのは彼等が戦場に立つ者の心構えが出来ていなかったからだ。
 助けを期待するくらいなら、最初から首を突っ込まなければいい。ましてや、その程度の覚悟も出来ていない未熟な人間に背中を預けたいとは思わない。それでは仲間ではなく、ただの子守りだ。

「学生なら別にそれでもいい。だが、あいつらは仲間≠セ。なら、俺は仲間の底力を信じる」

 そう言って戦いを見守るリィンの横顔を見て、アルティナの胸がチクリと痛んだ。


  ◆


 最初にテスタ・ロッサに向かって駆け出したのはフィーだった。
 狙いを定めさせないようにジグザグに移動し、自身に向かって放たれる無数の光の矢を回避して見せるフィー。
 そんなフィーの反対側から疾走する人影があった。リーシャだ。
 フィーだけでなくリーシャにもテスタ・ロッサの光の矢が迫る。

(――掛かった)

 リーシャは直撃する矢だけを見極め、大剣で切り払いながらテスタ・ロッサとの距離を詰める。
 標的を分散した所為か、狙いが甘い。それにフィーに向けられる矢の数も明らかに少なくなっていた。
 そしてそれこそが、彼女たちの狙いだった。
 体力に限りがある以上、普通に戦ったのでは先に力尽きるのはリーシャたちの方だ。だからこそ、消耗戦ではなく短期決戦を仕掛ける必要がある。
 しかし、テスタ・ロッサの防御は堅牢だ。同じように攻撃を繰り返しても通用しないばかりか、多少のダメージを与えても時間が経てば回復されてしまう。
 そこに加え、テスタ・ロッサの武器は矢だけではない。近づけば、剣や槍と言った武器を距離に応じて使い分けてくる。まさに、千の武器を持つ魔人。言ってみれば、難攻不落の要塞と言ったところだ。
 しかし、一見すると完璧に見える怪物にも弱点はあった。

 テスタ・ロッサの最大の強みは膨大なマナに頼った力任せの攻撃だ。
 尽きることのない攻撃。圧倒的なマナに任せた堅牢な障壁。しかし、どれだけ膨大なエネルギーを保有していようと一度に使えるマナには限りがある。もし制限がないのなら、オルディーネに苦戦することはなかったはずだ。
 ならテスタ・ロッサの能力は、あくまで騎神の範疇から外れていないことになる。
 そしてそれは、フィーの予想を裏付けるものでもあった。
 テスタ・ロッサに宿る〈紅き終焉の魔王〉は、まだ完全に覚醒してはいない。
 それはコアに取り込まれたアルフィンの意識がまだあることを証明していた。

 テスタ・ロッサの胸部の隙間から微かに見えるコアを一瞥し、フィーは加速する。
 先程までとは段違いの速さで、一気にテスタ・ロッサとの距離を詰めるフィー。
 だが、矢を放ちながら右手に槍を出現させ、テスタ・ロッサはフィー目掛けてその槍を振り抜いた。
 巨大な槍の一撃は地面を穿ち、その衝撃は下層にまで突き抜ける。風と共に巻き起こる土煙。それは例え、直撃を避けられたとしても、かすっただけで致命傷を負いかねないほどの一撃だった。
 そう並の相手であれば――
 煙から飛び出すフィー。額から血を流してはいるものの、大きなダメージを負った様子はない。
 テスタ・ロッサの一撃が貫いたのは、フィーの残像だった。
 〈西風の妖精〉の異名を持つフィーの最大の武器はスピードだ。西ゼムリア大陸最強と謳われる団のなかでも一、二を争う身軽さを誇っていた。それは即ち、スピードだけならリィンやルトガーと言った最強クラスに比肩するということでもあった。
 とはいえ、シャーリィのようにテスタ・ロッサの障壁を破壊し、ダメージを与えるほどの力はフィーにはない。彼女に出来るのは、あくまで敵の注意を引き付けることだけだった。

「リーシャ!」
「はいっ――」

 フィーの声に頷き、リーシャは鎖のついた八個の鉤爪をテスタ・ロッサ目掛けて放つ。
 テスタ・ロッサの身体に絡みつく鋼鉄の鎖。とはいえ、騎神の力の前では拘束が十分とは言えない。リーシャ一人の力では引き寄せることも難しく、すぐにでも鎖は引き千切られるだろう。
 だが、一瞬でも動きを封じられれば、それで十分だった。

「待たせたな! 行くぜ、相棒っ!」

 先程の土煙の中から飛び出す巨大な影――それはオルディーネだった。
 テスタ・ロッサ目掛けて、頭上高く掲げた双刃剣をオルディーネは振り下ろす。

「うおおおおおっ! デッドリー・クロス!」

 マナで強化されたゼムリアストーン製の刃が蒼い輝きを放ち、テスタ・ロッサの身体を十字に斬り裂いた。
 オルディーネの一撃によって胸部装甲を破壊され、露出するコア。その瞬間を待っていたかのように、オルディーネの陰からシャーリィが飛び出す。そのままシャーリィは鎖を巻き付けたチェーンソーライフルを、テスタ・ロッサのコアに突き立てた。
 それを合図に、リーシャとフィーは一斉に鎖を引く。

 ――ウオオオオオオンッ!

 だが、最後の抵抗とばかりに絶叫を上げるテスタ・ロッサ。その直後、テスタ・ロッサの頭上に無数の光の矢が浮かび上がる。コアに武器を突き刺し、身動きの取れないシャーリィを光の矢が襲う。
 ――直撃する。
 シャーリィが身構えた次の瞬間、二枚の障壁がシャーリィを救った。
 そう、ヴィータとエマの張ったマナ障壁だ。

「はああああっ!」

 そんな好機を逃すわけもなく、シャーリィは咆哮を上げる。
 ウォークライ。闘気を爆発させ、能力を倍加する猟兵の切り札とも言える技。
 闘気を身に纏ったシャーリィは、武器に巻き付けた鎖を全力で引いた。


  ◆


「……どうにか、なったね」

 フィーは息を切らせ、力尽きた様子でぺたんと床に腰を落とす。
 その視線の先には、コアを抜かれ動きを停止させたテスタ・ロッサと、地面に横たわるアルフィンの姿があった。

「かなり消耗しているようだけど、命に別状はないようね」

 アルフィンの容態を確認するヴィータ。
 フィーはアルフィンが無事だと知り、ほっと安堵の息を吐く。アルフィンはフィーにとって数少ない友達と呼べる存在だ。そういう意味で、このなかで一番アルフィンの無事を喜んでいるのは間違いなくフィーだろう。

「ふざけるなああっ!」

 アルフィンの無事と作戦の成功を喜ぶ中、何者かの絶叫が響き渡る。

「あ、生きてたんだ」

 一同が声のした方角を振り返ると、そこには土埃に塗れたカイエン公の姿があった。
 存外にしぶといと、フィーは呆れた視線を向ける。

「これで終わりだと……そんなふざけたことがあるものかっ!」

 カイエン公は真っ赤な顔で喚き立てる。このような結果を受けいられるはずがなかった。
 本来であればテスタ・ロッサの力を手に入れ、帝都を包囲する邪魔者を排除し、祖先の為し得なかった野望を叶える予定だったのだ。
 それが終わってみれば、頼みの綱であった騎神はあっさりと倒され、計画の協力者であるはずのマクバーンやブルブランはカイエン公をおいて、さっさと姿を消してしまった。

「まだだ……まだ終わっていない! 魔女よ、貴様なら出来るはずだ! 今度こそ騎神を完全なカタチで復活させ、我が野望を成就させるのだ!」
「あなた、エマにまだ――」
「五月蠅い、この裏切り者が! 貴様さえ裏切らなければ、こんなことにはっ!」

 カイエン公は、その怒りの矛先をエマとヴィータへ向ける。
 隠し持っていた短剣を抜き、二人に攻め寄ろうとした、その時――彼の視界に一筋の光が走った。

「見苦しいよ」
「ひっ……」

 ハラリと床に落ちる数本の髪の毛。
 足下に突き刺さったチェーンソーライフルの先端を見て、カイエン公は腰を抜かす。
 自身に向けられる殺気に息を呑み、顔を青ざめるカイエン公。

「待ってください。シャーリィさん」

 そんなシャーリィの凶行を止めたのは、アルフィンの一言だった。
 リーシャに支えられながら、ゆっくりとアルフィンは身体を起こす。

「カイエン公には、この戦いの責任を取ってもらわなくてはいけません。ですから……」

 お願いします、とシャーリィに頭を下げるアルフィン。
 本来、内戦の責任は帝国にある。この国の人間の問題だ。そのなかには皇族である自身も含まれているとアルフィンは考えている。だからこそ、首謀者の裁きをシャーリィに委ねるわけにはいかなかった。
 やる気を削がれた様子で頭をポリポリとかきながら、シャーリィはカイエン公に向けていた殺気を解く。元よりカイエン公を殺したところで、シャーリィには一銭の得にもならない。しかし逆に言えば、帝国の事情も知ったことではなかった。
 素直に矛を収めたのは、アルフィンの顔を立てたからに過ぎない。それは言ってみれば、彼女がリィンの雇い主だからだ。
 アルフィンも、そのことは理解しているのだろう。だから今一度、しっかりと頭を下げる。
 ――その時だった。

「――ッ!」

 シャーリィは何かを感じ取った様子で、その場から咄嗟に飛び退く。
 次の瞬間、動きを停止していたはずのテスタ・ロッサから――風が吹き荒れた。

「この紅い風は……」

 ヴィータは瞠目する。それは触れた者のマナを奪い去る紅の風だった。
 だが、アルフィンを奪われ、コアを失ったテスタ・ロッサにそんな力があるはずもない。
 なのに――テスタ・ロッサの瞳には、確かな光が宿っていた。

「ひえっ――た、たすけ――」

 テスタ・ロッサの巨大な腕に掴まれ、カイエン公は助けを求める。しかし、その悲鳴も長くは続かなかった。
 マナを吸い取られ、瞬く間に髪が白く染まっていくカイエン公。
 そんなカイエン公を取り込むことで、抜き取られたはずのテスタ・ロッサのコアが再生していく。
 テスタ・ロッサの起動にはアルノール皇家の血筋が必要だ。そういう意味では、カイエン公も偽帝と呼ばれたオルトロス・ライゼ・アルノールの血を継ぐ子孫だ。多少なりとも皇族の血が流れている。
 それでも本来であれば、カイエン公ではテスタ・ロッサの起動に必要な条件を満たすことは出来なかった。だが、一度アルフィンを取り込み起動の条件を満たしたことで、テスタ・ロッサは休眠状態から目覚めてしまった。
 野心に狂い、自らの欲望に酔いしれる彼の後ろ姿から、嘗ての起動者であるオルトロスの気配を僅かながらに感じ取ったのだろう。十全とは言えないが、仮初めの起動者を得ることでテスタ・ロッサは力を取り戻した。

「まずい! 皆、逃げて!」

 エマの声が広間に響く。
 確かにカイエン公の起動者としての素養は、アルフィンに比べてずっと低い。
 しかしアルフィンとは違い、カイエン公は完全に取り込まれてしまった。
 彼の狂気が、欲望が、魔王を目覚めさせる呼び水となる。
 それは〈紅き終焉の魔王〉の覚醒を阻むものが存在しないことを示していた。

「あぶねえっ!」

 咄嗟に、クロウはオルディーネと共に前にでる。
 光の大剣を出現させ、ヴィータたち目掛けて振り下ろすテスタ・ロッサ。

「間に合え――っ!」

 だが、そこにクロウのオルディーネが割って入る。
 頭上に迫る攻撃を避けられないと判断してか、振り下ろされる剣を前に、そっとクロウは目を閉じる。
 そんな時――ヴィータの脳裏に、以前リィンから受けた警告が過ぎる。

「――クロウッ!」

 手を伸ばし、クロウの名を叫ぶヴィータ。その直後、テスタ・ロッサの頭上に光の柱が降り注いだ。



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