光に包まれ、ヴァリマールのコアへ吸い込まれるリィンとエリゼ。
懐かしい操縦席に腰掛け、リィンはふうと小さく息を吐きながら、目を瞑って震えるエリゼの頭を優しく撫でる。
そして頭に乗せられた大きな手に不思議な安心感を覚え、恐る恐る目を開けたエリゼは思わず息を呑んだ。
「大丈夫か? エリゼ」
「はい、兄様。ここは……騎神の中ですか?」
初めて目にした騎神の操縦席に驚きを隠せない様子で尋ねるエリゼに、リィンは無言で首を縦に振って応えた。
ヴァリマールとの繋がりは常に感じていたが、呼び出せるかどうかは一種の賭けだった。それにもしかしたらと考えてはいたが、やはりエリゼにも起動者の適性があったかとリィンは心の中で呟く。それだけにヴァリマールには感謝していた。
あの状況でリィン一人では、エリゼを守りきることが難しいと考えていたからだ。
「ヴァリマール、来てくれて助かった」
「礼ニハ及バナイ。起動者ノ呼ビ声ニ応ジルノハ当然ダ」
そんなヴァリマールの返事に目を丸くし、少し呆けた様子を見せるとリィンは苦笑した。
そして共に激戦を潜り抜けてきたというのに、こんな風にヴァリマールと話をするのは初めてだったことにリィンは気付く。
力は所詮、力。どんなに大きく危険な力も扱う人間次第で、人を救う力にも殺す力にもなる。その考え自体は間違っていないが、騎神も戦うための手段の一つ、ただの兵器としか見ていなかった。しかし、それではダメなのだろう。
どこか〈ARCUS〉の戦術リンクにも似た感覚。ヴァリマールと心を通わせたことで全身を巡る力を感じながらリィンは思う。
「早速で悪いが、働いてもらうぞ」
そんなリィンの声にヴァリマールは瞳に焔を灯し、濃密な霊気を纏うことで応える。
ヴァリマールに魔煌兵の放った氷柱が迫るが、これを素手でヴァリマールは弾き飛ばす。そして大地を蹴ると一足で魔煌兵との間合いを詰め、白い煙の中に姿を隠す魔煌兵に強烈な掌底を放った。
壁に叩き付けられる魔煌兵を見て、そのまま追撃に入るヴァリマール。
「兄様、天井が――」
先程の衝撃で遺跡を支える柱に亀裂が入ったのだろう。
重みに耐えきれなくなり、パラパラと崩れ落ちる天井を見上げながらエリゼは悲鳴にも似た声を上げる。
「時間は掛けない。一気に片を付ける!」
騎神を呼び出した時点で、遺跡が戦闘の余波に耐えられないことは予想が出来ていた。
故にリィンは短期決戦を仕掛ける。〈オーバーロード〉を発動し、ヴァリマールの腕を巨大な砲身へと変化させ、崩れ落ちる天井目掛けて飛び上がる。
それに気付き、咆哮を上げる魔煌兵。その全身が青白い光を放ち、剣の先に膨大なマナが集束されていく。魔煌兵が何をしようとしているかに気付きながらも、リィンは地上に砲口を向け、魔煌兵に狙いを定める。
「――喰らえッ!」
解き放たれる二つの力。ヴァリマールと魔煌兵の放った極大の光が衝突し、爆風と共に遺跡を白く染め上げた。
◆
リィンに抱きつき、衝撃に耐えるエリゼ。
そして揺れが収まったことで、そーっと操縦席から見える光景に視線を向けると、地上を真っ白に染め上げる粉雪が目に入った。
「……倒したのですか?」
「たぶんな」
何も見えないが、分厚い岩壁と氷の下敷きになっては無事に済むとは思えない。そのことから恐らくは、もう大丈夫だろうとリィンは判断した。
(しかし、何も分からないままだったな)
何か手掛かりを得られるかと思ったが、こうなってしまっては調査を継続することも難しい。
やってしまったものは仕方がないと諦め、これからどうしたものかとリィンは考える。
そうして何気なく空を見上げたリィンの目に、それは映った。
「……緋い空だと?」
ありえないと言った顔で空を見上げるリィン。〈紅き終焉の魔王〉は倒したはずだ。
ましてや、ここは別の世界。追ってこられるはずがない。そう考えるリィンの耳に声が響く。
――許さナイ、許せナい。我ガ悲願を阻ム者。お前ダケは、殺ス、殺ス、殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺スッ!
「……この声、まさかカイエン公?」
その声は〈紅き終焉の魔王〉に取り込まれたはずのカイエン公のものだった。
憎悪に満ちた叫びにリィンは眉をひそめる。そして一つの可能性に思い至った。
「追ってきたのか? ヴァリマールの気配をッ!」
いまになって思えば、この世界に飛ばされたのは、あの時に生じた時空の歪みが原因だと分かる。その時、魔王の気配――いや、人の怨念とも言える禍々しい気配をリィンは感じ取っていた。
最初は魔王の気配だと感じていたものが、カイエン公のものだったとしたら?
消滅しかけていた魔王が、最後にカイエン公の望みを聞き届けていたのだとすれば?
――我ガ悲願ヲ阻ム、すべてノ者に復讐ヲ。
空間に亀裂が走り、そこから蠢く何かが現れる。
「〈紅き終焉の魔王〉……いや、違う。こいつはなんだ!?」
それは人のカタチをしていなかった。
空に出来た亀裂から流れ出る何かは、まるで血のように地上へ流れ落ち、一本の塔を築き上げる。そこから発せられた瘴気が銀色の世界を呑み込んでいく。そして瘴気に触れた植物や動物が、塩となって崩れ落ちる様を見てリィンは驚愕した。
――塩の杭事件。凡そ三十年前、突如ノーザンブリア旧大公国を襲った悲劇。〈塩の杭〉と呼ばれるものによって国土の大半が塩へと変えられた事件は大勢の人命を奪い、現在でもノーザンブリアの人々を苦しめ続けている。
「兄様、このままでは郷が!」
エリゼに言われて、ハッとユミルの方角を見るリィン。このまま、あの瘴気が広がっていけば、ユミルを呑み込むのも時間の問題だ。
そうなったら郷の住民がどうなるかなど考えるまでもない。
顔を青ざめるエリゼを見て、リィンは苦悶に満ちた表情を浮かべながらヴァリマールに尋ねる。
「ヴァリマール。霊力はどのくらい残ってる?」
「全力ノ三割ト言ッタトコロダ」
集束砲でどうにか食い止められるか? とリィンは考えるが、恐らくは無理だと結論を出す。
規模が大きすぎる。これだけの現象を止めるには、集束砲では威力不足だ。グングニルでも不可能だろう。
何か、何かないかと必死に考えるリィン。そして一つの方法に思い至った。
「……エリゼ。いまから言うことをよく聞いてくれ」
突然、畏まった様子でリィンに声を掛けられ、エリゼは困惑した表情を浮かべる。
エリゼを困らせることはわかっている。それでも最後の手を切る前に、どうしてもエリゼには本当のことを話しておきたかった。
「俺はお前の義兄のリィンじゃない」
「兄様……何を?」
「俺の名はリィン・クラウゼル。別の世界からやってきた、もう一人のリィンだ」
唐突なリィンの告白に困惑を隠せないエリゼ。それも当然だとリィンは思う。
「信じられないような話だと思うけどな。だが、いま話しておくべきだと思った」
これからしようとしていることは、失敗をすればユミルだけでなくエリゼや、もっと多くの人々の命を奪いかねない行為だ。
最悪の場合、リィンも無事では済まない。だからこそ彼女には尋ねておきたかった。
「俺はお前の義兄じゃない。それでも、俺を信じてくれるか?」
無理を言っていることは理解している。恐らく、エリゼのなかでは様々な感情が渦巻いていることだろう。信じてもらえないかもしれない。騙していたことを責められ、恨まれるかもしれない。それも仕方がないとリィンは考えていた。
しかし、エリゼの答えは違った。静かに首を縦に振ると、エリゼは白状するかのように内心を打ち明けた。
「……信じます。薄々、感じてはいたんです。どこか私の知る兄様とは違うと……」
ずっとリィンのことを想い、その背中を見続けてきたエリゼが気付かないはずがなかった。
本当はわかっていたのだ。どうしてアルフィンが詳しいことを教えてくれないのか、リィンが帰ってこない理由にもエリゼは薄々気付いていた。
だけど、それを確かめるのが怖かった。だから現実から目を背け、どこかおかしいと思いながらもエリゼは甘い夢に身を任せていた。
しかし、リィンの言葉で目を覚ます。それではダメなのだとエリゼは思い、リィンに頭を下げる。
「お願いします。ユミルを――私と兄様の故郷を救ってください!」
ユミルには大切な人たちがたくさんいる。多くの思い出がある。
現実から目を背けたところで義兄は帰って来ない。ならせめて、故郷だけでも守りたいとエリゼは願った。
そんなエリゼの想いにリィンは頷き、応える。
「任せろ。猟兵は受けた依頼は必ず守る!」
エリゼと契約を交わし、心の中でクラウゼルの名にリィンは誓う。
そして覚悟を決め、リィンは叫ぶ。
「いくぞ、ヴァリマールッ!」
大切な人たちを、家族との思い出が残る故郷を守りたい。
そんな少女の当然の願いに応えるために、リィンは内なる力を解放する。
リィンの強い意志にヴァリマールは唸り声を上げ、全身からマナを放って応える。
「終焉の炎」
リィンがそう呟くと、ヴァリマールから黄金の炎が立ち上った。
◆
黄金の炎がすべてを呑み込んでいく。
炎に呑み込まれたものは存在そのものを焼き尽くされ、ありとあらゆるものが灰燼と化す。
世界を滅ぼす終焉の炎。それがリィンの最後の切り札。マクバーンにすら見せなかった奥の手だった。
だが――
「ぐああああああッ!」
「兄様ッ!?」
魂が引き裂かれるような痛みに耐え、絶叫を上げるリィン。普段は意識的に制御している〈王者の法〉の力を、敢えて全力で解放することでラグナロクは完成する。言ってみれば、文字通りの自爆技だ。
この場にリィンしかいないのであれば、迷うことなく力を解放すればいいだけの話だ。しかしそれをした場合、ヴァリマールだけでなくエリゼやユミルの人々も炎に呑まれ、灰と化す恐れがある。
だから黄金の炎を制御しようとリィンは試みた。しかし耐えがたい激痛がリィンを襲う。
(また……ダメなのか。これじゃ、四年前と同じじゃないかッ!)
暴走してフィーを殺しそうになった時のことを思いだし、リィンは後悔にも似た苦悶の表情を浮かべる。
もうあんな思いをするのは二度とごめんだった。だから、この力と付き合っていくために制御する術を学び、必死に鍛えてきたのだ。なのに、また同じことを繰り返そうとしている自分に嫌気がさす。
『ようやく至ったんだね。でも、それじゃあ、ダメ』
そんなリィンの頭に聞き覚えのない声が響く。
『制御をしようとしても無理だよ。すべてを受け入れないと』
少女の声だった。恐らくシャーリィやフィーよりも幼い少女の声。
見知らぬ少女の声がどうして聞こえるのか分からずリィンは困惑する。
「……お前は……誰だ?」
腹の底から絞り出すような声で、リィンは少女が何者かを尋ねる。それは自身への問いでもあった。
聞き覚えのない声。なのに不思議な懐かしさを感じる。
自分は少女のことを知っている?
どこで少女と会った?
知らないはずなのに知っているかのような――
『私はキーア。嘗て〈零の巫女〉と呼ばれた存在』
「……零の巫女だと?」
古の時代、〈空の女神〉が人々に授けたと言われる七の至宝。その内の一つ〈幻の至宝〉を再現するために生み出され、創造の過程で〈幻〉だけでなく〈時〉と〈空〉の力を加えることで、オリジナルさえ超える力を持つに至ったと言われる錬金術の産物。それが〈零の至宝〉だった。零の巫女とは、その至宝の力を身に宿した少女のことだ。
そして女神より〈幻の至宝〉を授かったとされる錬金術師の一族、クロイス家の失われた至宝を取り戻すという妄執を叶えるために、至宝を再現するための核として生み出された哀れな少女。それが彼女――キーアだった。
だが、なぜ彼女の声が聞こえるのか、リィンは疑問に思う。
『そうだよ。私は〈奇跡〉の代行者。あなたと同じ〈大いなる秘法〉を司る者』
リィンは目を瞠る。キーアがその身に宿す〈零の至宝〉の力とは因果律に干渉し、歴史を改変できるほど強大なものだ。
それが破壊しか生み出さない自分の力と、どうして同じと言えるのかリィンには分からなかった。
そんなリィンの疑問に答えることもなく、キーアは淡々と話を続ける。
『だから、分かるんだよ。リィンがキーアを知っているように、キーアもリィンを知っている』
不思議と否定することが出来なかった。前世の知識があるからじゃない。
キーアがリィンのことを知っているように、リィンはキーアを知っている。
彼女とどこかで会ったことがあるような、そんな感覚を覚えていたからだ。
『恐れないで、すべてを受け入れて』
困惑を隠せない様子のリィンにキーアは語る。
『その〈奇跡〉はあなたのもの。だから、あなたが望むものを傷つけたりはしない』
力の意味を、奇跡の使い方を、キーアはリィンに伝える。
そのために彼女は理≠フ地平から、リィンに語りかけたのだから――
「……兄様?」
急に静かになり俯いたまま動かないリィンを心配して、エリゼは声をかける。
「……そういうことか。ほんとに情けないな」
ポツリと、そう呟くリィン。
声はもう聞こえない。どうしてキーアの声が聞こえたのかとか、彼女と自分にどういう繋がりがあるのかとか、分からないこと知りたいことはたくさんある。だが一つだけ、はっきりとしたことがあった。
「俺は恐れていたんだな……」
四年前の事件。力を暴走させた挙げ句、フィーを傷つけそうになったあの出来事はリィンの心に深い傷痕を残していた。
また力が暴走して大切な人たちを傷つけることがないように、リィンは力を制御することに邁進するようになった。
下手をすれば仲間すら傷つけかねない力だ。力を制御する術を学び、努力をすることが間違いだったとは思わない。だが、それだけではダメだったのだとリィンは気付く。
――心のどこかで自分の力を恐れていたのだと。
「すべてを受け入れろ、か」
力を抑えつけるのではなく受け入れる。簡単なようで難しいことはわかっていた。
それは過去のトラウマを克服するということ、四年前のように仲間を危険に晒すということだ。
下手をすれば、エリゼを殺してしまうかもしれない。それでも――
「大丈夫です。兄様」
「……エリゼ?」
「確かに目の前にいる兄様は、私の知る兄様ではないのかもしれない。ですが、どの世界で生まれようと兄様は兄様です。エリゼは――兄様を信じています」
そうだ。強さを手に入れたつもりで大切なことを忘れていた。それは仲間を信じることだ。
信じてくれるか? と聞いておきながら、自分は仲間を信じ切れていなかったのだとリィンは気付く。
エリゼはとっくに覚悟を決めているというのに、その覚悟をリィンは侮っていた。
守られるだけの弱い人間じゃない。彼女は彼女で戦っているのだ。
(そうか。守っているつもりで、俺も守られていたんだな)
ふと、リィンの脳裏にフィーの顔が過ぎる。
エリゼの信頼に応えるため、リィンは決意を口にする。
「――神気合一」
そうリィンが口にすると、ヴァリマールの全身が光に包まれ、金色の騎神が姿を現した。
これまで暴れ回るように周囲を焼き尽くしていた炎が、リィンの意思に応えるように〈塩の杭〉から放たれる瘴気だけを呑み込んでいく。
「俺を恨むなら勝手にすればいい。だが――」
そしてヴァリマールの右手が変化し、剣が現れると広がっていた炎が収束して行き――
剣の先から黄金の炎が立ち上る。
「他所の世界にまで迷惑を掛けるな」
そのまま剣を上段に構え、空高く飛び上がるヴァリマール。
リィンは〈塩の杭〉に狙いを定め、
「――黄金の剣」
剣を一気に振り下ろした。
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