ノルティア州の南西、帝都へと通じる街道沿いにそびえ立つ難攻不落の砦――黒竜関。常時千人を超す領邦軍の精鋭が詰めるノルティア州屈指の要塞の地下に、帝国解放戦線の主要メンバーは収監されていた。
カツカツと軍靴の音が地下牢へと通じる廊下に響く。そして目的の人物を見つけると、鉄格子の前で足を止める五人の兵士。その視線の先には、固いベッドの上に横になり退屈そうに欠伸をする大男〈V〉ことヴァルカンの姿があった。
「面会だ。でろ」
ポリポリと頭を掻きながら、ヴァルカンは兵士に言われるがまま牢の外へ出る。
手には鋼鉄製の枷を嵌められ、前と後ろから武装した領邦軍の兵士に監視されながら上階を目指す。
そして、いつもの取り調べで使う部屋ではなく最上階の賓客用と思しき豪奢な部屋に案内されたヴァルカンは、そこで待っていた人物を見て目を丸くした。
「スカーレット……お前なんで?」
同じように手枷を嵌められているが、そこにいるのはヴァルカンと同じく黒竜関に収監されているはずのスカーレットだった。
二人揃って呼び出されるようなことは、これまでになかったはずだ。それだけに遂に来るときが来たかとヴァルカンは覚悟を決めるが、
「私に聞くより、そっちの坊やに聞いた方が早いと思うけど?」
スカーレットに言われて、ヴァルカンはようやく後ろに誰かいることに気付く。
気配に気付かなかったことに驚きながらヴァルカンが振り返ると、先程まで兵士しかいなかった扉の前に一人の男が立っていた。
「よっ、おっさん。久し振りだな」
「坊主……やっぱり生きてやがったか」
不敵な笑みを浮かべるリィンを見て、ヴァルカンは自分たちを呼び出した相手が誰かを察する。
兵士からリィンが行方知れずという話は聞いていたが、死んだなどと微塵もヴァルカンは思っていなかった。
自分を倒したフィーの義兄だ。しかも、あの猟兵王の名を継ぐと噂される男が簡単にくたばるはずがないと考えていたからだ。
「それで何しにきた? 俺等を呼びつけて何を企んでやがる?」
囚人らしからぬ威勢の良い態度で、ヴァルカンはリィンに面会の理由を尋ねる。
そんなヴァルカンを見て、腐っても根は猟兵かとリィンは愉快そうに笑みを漏らす。
「お前等の身柄は俺が預かることになった。安心しろ。上の許可は貰ってあるから」
「……は?」
予想外のことをリィンに告げられ、ヴァルカンは間の抜けた声を上げる。
そして、どういうことだと言った顔でスカーレットを見るヴァルカン。そんなヴァルカンにスカーレットは無言で首を横に振って応えた。
「ようするにスカウトだ。今度、猟兵団を結成することになってな。団員を絶賛募集中なんだわ。で、即戦力を求めてるんだが……二人とも、その歳で犯罪者じゃ働き口にも困ってるんじゃないかと思ってな」
――余計なお世話だ! と内心で思いつつ、確かに悪くない話だとヴァルカンは思った。
帝国解放戦線の扱いに、政府や軍が困っていたことにヴァルカンは気付いていた。そしてリィンは皇族だけでなく政府や軍の関係者とも面識が深い。先の内戦の立役者としても知られていることから、恐らくはその点をついて交渉したのだろうとヴァルカンは察した。
それにリィンの名前は猟兵の世界でも有名だ。猟兵王の名を継ぐ最強クラスの猟兵と評判のリィンが作る猟兵団というのに興味はある。
確かに就職先としては悪くない。いや、これ以上の話はないだろう。しかし、
「どうして俺たちなんだ?」
「おっさんは経験者で、そっちの姉さんは元従騎士だろ? スカウトする理由としては十分だと思うが?」
「そういう意味じゃない。クロウはどうしたのかって聞いてるんだ」
「ああ、アイツは学院に復帰することになったからな」
クロウが学院に復学すると聞いて、ヴァルカンだけでなくスカーレットも驚いた様子を見せる。
「クロウが学院に? それ、本当なの?」
「ああ、こんなことで嘘吐いても仕方ないだろ」
クロウの身を案じていたスカーレットは、リィンの話を聞いて「よかった」と涙を滲ませ、自分のことのように喜ぶ。
そんなスカーレットを見て、ヴァルカンも自然と笑みが溢れる。クロウのことを心配していたのは彼も同じだった。
「それにうちの団に入れば、ギリアスに一杯食わせられるかもしれないぜ?」
そして追い打ちとばかりに告げられた話に驚き、リィンが自分たちに話を持ってきた本当の理由をヴァルカンとスカーレットは察した。
「このまま負け犬で終わるか、それとも仲間の無念を晴らすか、好きな方を選べ」
そんな風に言われれば、答えなど決まっていた。
罪を自覚しているだけに、どんな処罰でも受ける覚悟ではいたが、ギリアス・オズボーンへの復讐を忘れたわけではない。
死んでいった仲間のために、そして自分自身のために、奴に一矢報いたい。そんな気持ちを二人は抱いていた。
「坊や……いえ、団長と呼んだ方がいいかしら?」
「たくっ、仕方ないか。その飄々としたところ、猟兵王そっくりだぜ……」
覚悟を決めた表情のスカーレットに続き、ヴァルカンも降参の手を上げる。
「……お前、性格が悪いって言われるだろ?」
「ヴィータにも言われたが、俺は正直者で通ってるんだ。言い掛かりはよしてくれ」
そんなところも猟兵王そっくりだと、ヴァルカンは嘆息した。
◆
リィンがルーレに滞在して二週間余り、ようやくその日は来た。
ラインフォルト社、そしてログナー候の協力でルーレ郊外に用意された野外会場には、大勢の記者たちが押し寄せていた。
内戦終結の立役者として噂されるリィン・クラウゼルから、帝国時報を始めとした通信各社にルーレで会見を開くという通達があったためだ。その進行役として呼ばれたのが、トリスタ放送のパーソナリティを務めるミスティだった。
活動的な印象を受ける白いハンティング帽に眼鏡をかけた長髪の美女。日曜の夜に流れるラジオ番組『アーベントタイム』の人気パーソナリティ。愛称『ミスティ』の名で知られる彼女の正体は、ヴィータ・クロチルダの持つ表の顔の一つだった。
(あの子……RFグループや領邦軍まで巻き込んで、コネを十二分に活用してるわね……)
若干、呆れた様子で会場を観察するヴィータもといミスティ。ここは本来、領邦軍が演習に使っている広場だ。こんな場所で記者会見を催すなど、明らかに何かを企んでいるに違いないとヴィータは思う。しかも、トリスタ放送のように地方の小さな局ではお目に掛かれないような最新機材まで会場には用意されていた。
(来たみたいね。お手並み拝見といきますか……)
ラジオだけでなく映像配信までも視野にいれた最新の導力通信設備が配置され、カメラのフラッシュが焚かれる中、噂の人物――リィン・クラウゼルが会場に姿を見せる。記者たちが最初に驚いたのは、猟兵王の名を継ぐと噂される青年の若さだった。
若い、余りに若すぎると誰もがリィンの姿を見て思う。だが同時に、その堂々とした姿に場慣れしているはずの記者たちの方が圧倒されていた。
「あれが内戦の立役者……」
「猟兵王の名を継ぐとか言う噂の……」
リィン・クラウゼルについては、記者たちも市井で噂されるような情報しか持ち合わせてはいなかった。
先の内戦において多大な功績を上げ、帝都で起きた異変を解決に導いた若き英雄。その正体がアルノール皇家に雇われた猟兵で、しかもあの猟兵王の義息だと聞いた時は誰もが驚き、同時に納得も行った。
それほどに〈西風の旅団〉の名は、帝国に住む人々にとって特別な意味を持っているからだ。〈赤い星座〉と並び称される西ゼムリア大陸最強の猟兵団。特に〈西風〉の団長ルトガー・クラウゼルが為した数々の偉業とその圧倒的な強さは、国内だけでなく大陸全土に知れ渡っているほどだった。猟兵について詳しく知らない者でさえ、その名を一度は耳にしたことがあるような大物だ。その後継者と目される人物であれば、先の内戦で活躍したとしても不思議な話ではない。そして、見た目や若さなど問題にならないことを記者たちは自分の目で確認した。一部の強者や英雄だけが持つ覇気のようなものを、長年多くの偉人を取材してきた記者たちはリィンから感じ取っていたからだ。
しかし、それだけに気になる。例のクロスベルから発せられた噂の真実こそ、記者たちが一番気にしていることだった。
クロスベルに侵攻した共和国軍を〈騎神〉と呼ばれる機甲兵に似た兵器で、リィンが撤退に追い込んだという話が既に帝国にまで広まっていた。そして、その理由としてギリアスとリィンの関係が取り上げられた。リィン・クラウゼルがギリアス・オズボーンの血を分けた子供であるという説だ。
最初は簡単な自己紹介から始まり、内戦での活躍や皇族との関係など質問が飛ぶが、話の流れは当然クロスベルでの一件へと移り、ミスティが記者たちを代表してリィンにそのことを尋ねる。
「それでは事実だと認めるんですね?」
「ああ、確かに俺はギリアス・オズボーンと血が繋がっている」
そうした噂があったとはいえ、本人が認めたことで会場にどよめきが走る。
「だが、勘違いしてもらっては困る。俺はあの男を父親だとは認めていない」
「ですが、血を分けた親子なのでしょう? それにクロスベルへ侵攻した共和国軍を退けた兵器に乗っていたのは、リィン・クラウゼルさん。あなただと言う確かな筋の情報があります。そんな言い訳が通用するとは――」
ミスティは毅然とした態度で、リィンの退路を断つように質問を飛ばしていく。しかし、これはあらかじめ打ち合わせしていたことだった。
記者の中には帝国の人間ばかりでなく、共和国やクロスベルと言った他国の報道関係者も混じっている。そうした人間が何かを仕掛けてくる可能性もないとは言えず、最初からリィンは記者たちに主導権を握らせるつもりはなかった。だから、こんな茶番を演じて見せたのだ。
すべては自分の存在を世に知らしめるために――
「いや、わかってもらえるはずさ。何故なら俺はハーメルの遺児だからだ」
嘗て無いほどの驚きが記者たちを襲った。ハーメルの真相は先日クロスベルで発表されたばかりだ。当然、エレボニアが行った非道に対して憤りを覚えるものも少なくなかったが、真実を公表するために真っ向から貴族と対立し、国を追われることになっても自分の非を認め、謝罪した皇帝の姿には心を打たれる民衆も少なくなかった。
しかし、ハーメルの村人は虐殺され、全員が死亡したと発表されていたはずだ。その生き残りがいるなどと思ってもいなかった記者たちは動揺を隠せず、リィンの言っていることが真実なのか判断に迷う。
「疑うようなら調べればいい。十二年前に亡くなったギリアスの妻が、ハーメルの出身者だということは調べれば分かることだ」
ハーメルの真相について裏付けを取ろうにも、事件の隠蔽に国が関与している以上、記録は既に改竄されている可能性が高い。当時のことを知る人物にしても、ハーメルの人々と同じく口封じに殺害されている可能性は否定できないため、いままではユーゲント三世の言葉とクロスベルの発表を信じるしかなかった。
しかし、リィンが本当にハーメルの生き残りであるのなら、この件には当時からギリアス・オズボーンが関与していた可能性が高くなる。そうなると彼の友人や親戚を含めて、関係者全員の口を塞ぐなど不可能だ。これまで謎と疑惑に包まれていたハーメルの真実に繋がる糸口となりかねない貴重な情報だった。
そのことに気付いた記者たちは所持していた通信機で、どこかに連絡を取り始める。
そんな慌ただしく動く記者たちを眺めながら、リィンは話を続けた。
「ハーメルが襲われた日、俺は母親と共に実家に帰省していた。そして、あの事件に巻き込まれた。生き別れたとか記事に書かれていたが、それは事実じゃない。あの男は復讐という行為を正当化するために幼い子供を捨てたんだ」
リィンの放った『復讐』という言葉に息を呑む一部の記者たち。ただの憶測だと切り捨てるには思い当たる節が多すぎた。
これまでギリアスが行ってきた政策を振り返り、貴族を煽るように革新派が対立を深めていたことも、根底にハーメルの事件があるのだとすれば納得の行く話だ。だとすれば、帝国は一人の人間の私怨によって踊らされていたということになる。
先日のクロスベルで発表されたハーメルの真相についても、贖罪と復讐では大きく意味が違ってしまう。これまで同情的だった大衆の中からも、亡命政府に対する不審の目と疑惑の声が上がりかねない。どうしてリィンがハーメルの関係者であることを明かしたのか、記者たちは理解した。
「わかってもらえたようで何よりだ。でないと話が進まないからな」
そう言ってリィンが壇上の袖に合図を送ると、ぞろぞろと姿を見せる人影。年若い少女も混ざっているが、明らかに全員が一般人とは思えない雰囲気を纏っており、記者たちはこれから何が起こるのかと不安に駆られた表情を浮かべる。
「今日ここに集まってもらった理由は理解してもらえたと思うが、実はもう一つ重大な発表がある」
まだ何かあるのかと言った顔で、リィンの言葉を待つ記者たち。
正直なところ驚かされてばかりで、頭の整理が追いつかないというのが彼等の心境だった。
「ここにいる連中は、うちの団員たちだ。そして――」
一瞬、リィンが何を言っているのか分からず呆ける記者たち。それはヴィータも同じだった。こんな話は打ち合わせにはなかったはずだ。
そんな彼等に追い打ちを掛けるかのように、リィンは空に向かって相棒の名を叫ぶ。
「来い、灰の騎神――ヴァリマール!」
「出番だよ――テスタ・ロッサ!」
それに続きシャーリィも騎神の名を叫ぶと空間を跳躍し、騎神が会場に姿を現した。
灰と緋。共和国軍を撤退に追い込んだ二体の騎神が地上に舞い降りたことで、会場は半ばパニックになる。
そんな慌てふためく記者たちに向かって、リィンは手を空に掲げると宣言するかのように叫んだ。
「これが〈暁の旅団〉――俺たちの猟兵団だ」
騎神の戦闘力は、先のクロスベルで起きた共和国との戦闘からも知れ渡っている。既存の兵器を遥かに凌駕する力を有した暗黒時代の遺産。共和国が為す術もなく撤退させられたことは記憶に新しい。そんな騎神を二体も所有する猟兵団――
その先を想像した記者たちは顔を青ざめ、騒ぐことも忘れて呆然と騎神を見上げる。
「ここからが本題だ。〈暁の旅団〉はアルフィン・ライゼ・アルノールと契約を結んだ」
リィンの一言に嘗てないどよめきが走ったかと思うと、様々な感情が会場に渦巻く。帝国の人々からすれば、これほどの戦力を有した猟兵団が味方に付いてくれるのは悪い話ではない。しかし帝国を脅威と捉える周辺諸国からすれば悪夢のような話だ。特にエレボニア帝国と対立を深めるカルバート共和国からすれば、クロスベルの一件もあって受け入れ難い話だった。
当然、会場からは「ふざけるな!」と言った抗議の声が上がる。しかし次に発したリィンの一言が、そうした非難の声を封じた。
「勘違いするな。俺たちは猟兵だ。仕事を受ける受けないは自分で決める。お前等の都合や意見なんて聞いちゃいないんだよ」
リィンに睨まれ、小さな悲鳴を上げて腰を抜かす一部の記者。そして理解する。彼等は国家に庇護される民間人ではなく、金を得るために戦場を渡り歩く猟兵だ。故に、その行動を制限することや強制することは、どの国にも出来ない。彼等を縛れるものがあるとすれば、それは契約と報酬だけだ。そして仕事を受ける受けないは、彼等に許された権利であり自由だった。
当然だろう。彼等は報酬を得る代わりに自らの命を戦場というテーブルに載せているのだ。
「だが、あくまで共通の敵に対して手を結んだに過ぎない」
共通の敵という言葉に記者たちは疑問を抱く。だが、その疑問もすぐに解消された。
「ギリアス・オズボーン。奴が俺たちの目的だ」
会場から動揺の声が上がる。それは宣戦布告だった。
「ちょろちょろと目障りなハエもいるようだしな。ここではっきりと言っておいてやる。ギリアスに味方する奴は例外なく誰であろうと俺たち≠フ敵だ。戦う意志のない者、命が惜しい者は何もするな。ただ、すべてが終わるのを黙って見ていろ」
ギリアス・オズボーンに味方するものは、すべて敵として見なす。それは個人だけではない。クロスベルという都市そのものを含んでいることは明らかだ。下手をすれば戦争になりかねない挑発。いや、目の前の青年は戦争を望んでいるのだと、その場にいる誰もが理解した。
そして同時に理解する。その邪魔をする者は国家であろうと例外なく〈暁の旅団〉が敵に回るということを――
これには先程、騒いでいた他国の記者たちも黙るしかなかった。自国を危険に晒したいと考える者はいない。カルバート共和国にしても、ギリアス・オズボーンは長年の宿敵と呼んでいい相手だ。〈暁の旅団〉の存在は確かに脅威ではあるが、その厄介な存在が潰し合ってくれるのなら都合が良いと考えるはずだ。
リィンもそのことがわかっていて敢えて彼等を挑発していた。誰にも、あの男との決着を邪魔させないために――
「最初にアンタから仕掛けてきた喧嘩だ。俺のことを『息子』と呼ぶなら腹を括れ」
放送の向こうで話を聞いているであろう男に向かって、リィンは最後通告を突きつける。
「喧嘩をしようぜ。盛大な親子喧嘩をなッ!」
搦め手や国家間の難しい問題など関係ない。
やられたらやり返す。その言葉にはリィンの強い意志が込められていた。
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