『アルフィン殿下やオリヴァルト殿下とは連絡を取っているのに、私には音沙汰なしというのは少し薄情ではありませんか?』
「いや、別に忘れてたわけじゃなくてだな……」
『〈暁の旅団〉でしたか? いろいろと忙しくしていたことは理解しています。ですから、そのことを責めるつもりはありません』

 思いっきり機嫌が悪いじゃないかと思うが、リィンは泥沼に嵌まる気がして言葉を控えた。
 実のところ、いろいろとあって本気で忘れていたのだが、それを口にすれば更に問題が悪化することは目に見えている。
 故に自業自得と諦め、クレアの気の済むようにリィンは話に耳を貸すことにした。

『代わりと言ってはなんですが、一つ相談に乗っては頂けませんか?』
「……相談?」

 嫌な予感がするが断れそうな雰囲気ではないので、取り敢えず話を聞くことにする。

『クロスベルと密かに通じている人間が帝国内部にいるようです』
「それって、いま片付けた連中とは別でか?」
『はい』

 やはりアルフィンの依頼についても把握していたかと、いまの会話からリィンは察した。
 ここにいたのが現体制に不満を持つ貴族の全員でないことはリィンも理解しているつもりだ。だから敢えて見せしめとすることで警告を発した。
 しかしクレアの言い方では、そうした貴族たちのことを指摘しているようには思えなかった。だとするなら――

『貴族ではなく政界や軍にいるギリアス・オズボーンの信奉者です。そして、この件に恐らく――』
「帝都知事のカール・レーグニッツが関わっていると?」
『……お気づきでしたか』

 やはりそうか、とクレアの話でリィンは大凡の事情を理解した。
 カール・レーグニッツ。帝都知事を務めるマキアスの父親だ。そしてギリアス・オズボーンの盟友と噂されていた人物だった。
 実は内戦終結後、カールがどうしているのか気になってリィンは一度そのあたりのことも調べたことがあった。てっきり失脚しているものと思いきや、内戦が起きる前と変わらずに帝都知事を務めていたのだ。どういうことかと思えば、先の内戦でレジスタンスを率い、異変から住民を守るために尽力したことからも、ギリアスと結託して内戦を引き起こしたとするには動機と証拠が不足しているという理由で処分が見送られたのだ。特にカールの処罰には、革新派に籍を置く官僚たちの反発が強かったという話だった。
 これが貴族派の弁護ならまだしも、革新派は正規軍の勝利に貢献した派閥だ。それだけに彼等の意見を無視することは出来なかったのだろう。

「確証はないんだろ? いまのところは疑惑の段階か」
『はい。かなりの数の協力者がいるようで、なかなか尻尾を掴ませてもらえません……』
「泳がせるつもりで様子を見ていたんだろうが、少し甘く見ていたな」
『……面目ありません。思いの外、ギリアス・オズボーンが帝国に残した爪痕は大きかったようです』

 カールの処分に反対したという官僚たちも協力者であることは間違いない。恐らく他にも政界や軍部にそうした人間が大勢いるのだろう。ギリアス・オズボーンはクロスベルにいながら、帝国に未だ影響力を残し続けているということだ。
 それだけ根が深い問題だと、自分に出来ることは何もないようにリィンには思えた。それこそカールを物理的に始末するか、すべての元を断つくらいしか方法が思いつかない。しかし元凶を排除するにしても、まだ団を結成して日が浅い。そのための準備が整うには時間が掛かる。だからリィンは時間を稼ぐためにマスコミを使って、あんな策にまで打って出たのだ。
 クレアがそのことに気付いていないとも思えず、何をさせるつもりなのかとリィンは尋ねる。

「それで何をさせたいんだ?」
『現在、協力者の洗い出しを行っていて、私たちは思うように身動きが取れません。その間、監視と護衛を頼みたい人物がいます』
「……監視と護衛?」

 監視と護衛。どちらか片方なら分かるが、両方となるとリィンは首を傾げる。
 ようするに監視対象ではあるが、誰かに狙われていて護衛を必要とする人物ということだ。
 クレアがアルフィンを介さず、通信で直接依頼してくるような人物にリィンは心当たりがなかった。
 しかし、

『エリィ・マクダエル。クロスベルを代表する政治家、ヘンリー・マクダエル氏の御息女です』

 リィンは驚く。その名前に聞き覚えがあったからだ。
 クロスベルを代表する政界の重鎮、ヘンリー・マクダエルを祖父に持つマクダエル家の令嬢。そして――
 ランディと同じく特務支援課に所属する新米の女性警官。それが、エリィ・マクダエルだった。


  ◆


「クレア。言われてた仕事終わらせてきたよ」
「ご苦労様です。少し休憩しても良いですよ」

 扉をノックする音が聞こえたと思うと、随分と疲れた表情のミリアムが姿を見せた。
 そんなミリアムに労いの言葉を掛けるクレア。ここは帝都にある鉄道憲兵隊の庁舎だった。
 山積みの書類を次々に処理していくクレアを眺めながら、ミリアムは怪訝な表情を浮かべる。

「……何かあった?」
「何がですか?」

 ミリアムが何を言っているのか分からず、手を動かしながらクレアは質問を返す。
 しかしクレアのそんな態度が、余計にミリアムの不安を煽る。

「いつもなら帰ってきたら報告書をまとめて提出しろだとか五月蠅いじゃない? それが休憩してもいいなんて……。それになんだか嬉しそうだし、仕事のしすぎで頭がおかしくなったんじゃ?」
「ミリアムちゃん。そんなに仕事がしたいなら、いつでも言ってくれていいんですよ?」

 先程と変わらない表情だが、どこか笑っていないクレアの顔にミリアムは悪寒を覚える。
 蛇に睨まれた蛙のように大人しくなり、自主的に報告書の整理を始めるミリアム。
 そんなミリアムを見て溜め息を吐くと、クレアは本来なら後でするつもりだった仕事の話をミリアムに振った。

「それはそうとミリアムちゃん。しばらく出向してもらえませんか?」
「え……今度はどこに行かせる気?」

 クレアの機嫌を損ねてしまったために、次はどこに飛ばされるのかとミリアムは怯える。実は内戦が終結してからというもの、軍に戻ったミリアムはクレアに扱き使われていた。最初はリィンの捜索に駆り出され、最近ではカール・レーグニッツの協力者を洗い出すのを手伝わされたりと、ほとんど休みなしで忙しい日々を送っていた。いまも帝国西部へ調査に出掛けていて、ようやく帰ってきたばかりなのだ。
 なのに、また仕事の話を振られれば、ミリアムが警戒するのも無理のないことだった。

「〈暁の旅団〉――次の出向先は猟兵団です」

 警戒していただけに予想外のことを告げられ、ミリアムは目を丸くして呆ける。
 そしてクレアの様子がおかしかった理由を察し、ミリアムは疑問に思った。

「でも、まだ仕事が残ってるよね? そっちはどうするの?」

 ミリアムが忙しく駆け回っていたのは、それほど帝国の置かれている状況が切迫しているためだ。
 国内に残るギリアス・オズボーンを信奉する勢力や、カイエン公やアルバレア公亡き後、既得権益を守るために再び結束しつつある貴族派の動き。そしてクロスベルや共和国と言った帝国を取り巻く国際情勢の流れなど、これらの問題にクレアだけで対応するのは無理があり、ミリアムも手伝わされていたというわけだ。
 そんななかでミリアムが抜ければ、その穴はどうするのかと言った疑問が湧くのは当然のことだった。

「そのことなら大丈夫ですよ。これ以上ないほど優秀な人材を確保しましたので」
「優秀な人材?」

 クレアが優秀というほどの人材に心当たりがなく、ミリアムは誰のことかと首を傾げる。
 そんなクレアの手元の資料には『トワ・ハーシェル』の名前があった。


  ◆


「……やっぱり来なかったわね」

 送別会を終え、皆を駅まで見送った後、アリサは一人で学院に残っていた。
 しかし待てど現れない待ち人。アリサの眉間にしわが寄り、段々とイライラが募っていく。

「すみません。わたくしがリィンさんに仕事を頼んだばかりに……」
「姫様が悪い訳じゃ!? とにかく悪いのはアイツで――ああっ、もう!」

 アルフィンに頭を下げられ、逆に申し訳ない気持ちになるアリサ。これというのもすべてリィンが悪いと心の中で悪態を吐く。
 そして肩を落とすアルフィンを見て、どうにかして話題を変えないとと考えたアリサは気になっていたことを尋ねた。

「ところで、今日はクレア大尉の姿も見えませんし、お一人で来られたんですか?」

 アリサがアルフィンと再会したのは本当に偶然だった。
 校門でリィンを待っていると黒塗りの導力車が停車して、その中からアルフィンが姿を見せたのだ。
 運転手以外は供も連れずに一人で学院を訪れたアルフィンのことを、アリサはずっと疑問に思っていた。

「護衛ならいますよ。アルティナ」

 アルフィンが名前を呼ぶと〈クラウ=ソラス〉と共にアルティナが姿を現す。
 突然なにもないところから現れたアルティナに驚くアリサ。心臓に悪い登場だった。
 しかし、確かにこれならと納得する。

「久し振りね。えっと、元気してた?」
「はい。体調は良好です」

 なんとなく噛み合ってるようで噛み合ってない会話をする二人。実のところ誘拐の一件もあって、アルティナに対してはアリサも複雑な感情を抱いていた。
 誘拐された当事者であるアルフィンのように、なかなか割り切ることは難しい。いや、この場合はアルフィンの方が特殊なのだろう。
 そんなぎこちないアリサを見て、アルフィンは事情を察した様子で自分から話題を振る。

「実は今日、学院を訪問したのは、ヴァンダイク学院長から紹介したい方がいると相談を受けたからなのです」
「学院長が?」

 誰だろうと首を傾げるアリサ。態々アルフィンを呼びつけるくらいだ。自分の知っている学院の生徒ではないだろうと考えた。そして――
 てっきり姿を消してついてくるものと思っていたら、アルティナは〈クラウ=ソラス〉だけを隠すとアルフィンの後ろを付いてきた。
 その光景を見て、本当にアルフィンの護衛をしているのだとアリサは実感する。

「すみません。態々、案内までしてもらって」
「いえ、私も今日で最後ですから、学院長に挨拶をしておきたかったので……」

 丁寧に御礼を言うアルフィンに恐縮しながら、アリサは二人と一緒に学院長室を目指す。先の奪還作戦の際に流れ弾が当たり校舎の一部が崩壊したことで、本校舎の修復作業が済むまでの臨時として職員施設は現在、学生会館の方に移されていた。
 しばらく廊下を進むと目的の扉が見えてくる。学院長室の前に到着し、スッと息を吐くと扉をノックするアリサ。すると扉の向こうから野太い男性の声が返ってくる。少し緊張した様子でノブに手を掛け、アリサは「入ります」と入室の挨拶をしながら扉を開けた。
 部屋に足を踏み入れると、まず目に入ったのは床一面に敷き詰められた赤い絨毯だった。臨時とはいえ来客を招くことを配慮してか、部屋の中は思いの外しっかりとしていた。壁には歴代の学院長の肖像画が並び、調度品も品を損なわない程度に良質なものが揃えられている。学院長の趣味を反映してか、槍や大剣と言った武器も壁に飾られているのを見て、アリサはようやく学院長の姿に気付く。
 そんなアリサたちを出迎える学院長。緊張している様子を感じ取ってか、学院長は自分から話を切り出す。

「お待ちしておりました、皇女殿下。それにアリサくんも殿下の案内ご苦労だったね」
「いえ、私も今日で学院を去るので、最後に学院長に挨拶をと……」

 学院長はアルフィンに恭しく頭を下げ、アリサにも礼を言う。
 まだ少し緊張した様子で、学院長に訪問の目的を告げるアリサ。そして――
 ふと、アルフィンが後ろに控える女性に気付き、学院長に尋ねた。

「学院長? もしかして、そちらの方が?」

 アルフィンの問いに学院長は首を縦に振る。そして学院長に促され、前にでる女性。腰元まで届く長い銀色の髪に、透き通るような翡翠の瞳。一際目を引く大きな胸を包み込むのは、余り帝国では見ない上品な淡い色合いのスーツだった。どこか高貴な雰囲気さえ漂うお嬢様然とした女性の姿に、思わず同性のアリサも溜め息を漏らす。
 そんなアリサの視線に気付き、にこりと微笑むと女性はアルフィンに向かって恭しく頭を下げた。

「エリィ・マクダエルと申します。お会い出来て光栄です。皇女殿下」
「アルフィン・ライゼ・アルノールです。しかし、マクダエルですか。その名前どこかで……」

 アルフィンは挨拶を返し、彼女の名乗ったマクダエルという名前に反応する。
 どこかで聞き覚えのある名前。名のある貴族かとも思うが、アルフィンは帝国貴族であれば大体の名前は覚えている。
 そのなかに思い当たる名前がなく、近隣諸国の王侯貴族かと考えたところで一人の人物が頭を過ぎった。

「お察しの通り、ヘンリー・マクダエルは私の祖父です。今日は折り入ってご相談したいことがあり、学院長に無理を言って席を設けて頂きました」

 ヘンリー・マクダエル。それはクロスベルの元市長の名だった。市長を退任後は議長に就任したはずだが、クロスベル自治州が独立して『クロスベル独立国』と名前を変えたことで表向きは職を辞したということになっていた。そしてマクダエル議長は、オルキスタワーの襲撃にも関わっていたとされ、現在は指名手配されているはずだ。その孫娘ということは、帝国にとってもクロスベルにとっても扱いの難しい立場にあることが想像できる。そんな彼女が危険を冒してまで自分に会いに来た理由にアルフィンは興味を持つ。
 一方で静々と手を上げながら、アリサは話に割って入った。

「あの……私は席を外した方がいいのでは?」

 明らかに政治的な問題が絡む話なのは予想が付く。それなのに自分が一緒にいていいのかという遠慮からの言葉だった。

「いえ、アリサ・ラインフォルトさんですよね。あなたとも出来れば、話がしたいのですが」

 しかし、エリィの反応は違った。
 まだ自己紹介をしていないのに、自分の名前を言い当てられたことにアリサは驚く。

「……どうして私の名前を?」
「ラインフォルト社はクロスベルでも有名ですから。それに知っているのは、あなただけではありません。エリオット・クレイグ、ラウラ・S・アルゼイド、マキアス・レーグニッツ、ユーシス・アルバレア、エマ・ミルスティン、ガイウス・ウォーゼル。特科クラスに在籍していた方々の名前はすべて記憶しています」

 ここでVII組の名前が出て来るとは思っていなかったアリサは驚きと困惑を顕にした。
 VII組――特科クラスは昨年新設されたばかりのクラスだ。しかも試験的なクラスで、いろいろな事情もあって一年で解散となった。それだけに学院の案内書にも載っていないし、関係者でもなければ存在を知らないことの方が普通だ。なのに特科クラスの存在だけでなく、そこに在籍していた生徒の名前まで熟知しているというのは明らかにおかしい。
 それを知っているということは、事前に調査をしたということだ。それも学院の事情に詳しい人物の協力を得て――
 そのことに気付き、ヴァンダイク学院長に目を向けるアリサ。彼女が学院長と知り合いなら、VII組のことを知っている理由にも納得が行く。
 問題はアルフィンだけでなく、アリサにも聞いて欲しいという相談の内容だった。

「どうやら、こちらの事情にお詳しいようですね。それで相談というのは?」
「お伺いしたいことが幾つかありますが、まずは一つだけ。私に〈騎神〉の起動者を紹介しては頂けませんか?」

 アルフィンがそのことについて尋ねると、思いもしない答えがエリィから返ってきた。
 ようやく学院にまで呼び出された理由をアルフィンは察する。確かにエリィの立場や相談の内容を考えれば、公の場では話せないことだ。
 そして騎神の起動者と言われ、真っ先にアリサの頭を過ぎったのは、クロウでもシャーリィでもなくリィンの顔だった。



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