トリスタでの会談を終えて帝都に戻ったアルフィンは、他国からの来賓を招くこともある歓談室でオリヴァルトと向かい合い、その後ろには軍服に身を包んだ護衛役のミュラーが憮然とした表情で控えていた。
 早速、オリヴァルトは胸の前で手を組みながらアルフィンに尋ねる。

「アルフィン。どういうことか、納得の行く説明がもらえるんだろうね?」
「さて、なんのことでしょうか?」

 どうしてオリヴァルトが訪ねてきたのか、その理由を察しながらもアルフィンは白を切る。
 というのも、宮殿で待ち構えていたオリヴァルトから真剣な表情で話があると言われ、こんな場所にまで連れて来られたのだ。確かに話し合いに応じはしたが、質問に答えなくてはならないという義務はアルフィンにはない。それにオリヴァルトが敢えて言及を避けていることを察して、アルフィンは言葉を引き出すまでは答えるつもりはなかった。
 そんなアルフィンの態度に眉をひそめ、オリヴァルトは埒が明かないと判断して用件を口にする。

「とぼけるのもいい加減にするんだ。領邦軍の砦を襲撃した件に続き、市街地での戦闘まで……これではまるで……」
「オズボーン元宰相のようですか?」

 悪びれた様子もなくオリヴァルトの問いに答えるアルフィン。それは〈暁の旅団〉が勝手にやったのではなく自分が命じたと認めたようなものだ。
 アルフィンの依頼を受けた〈暁の旅団〉に領邦軍の砦が襲撃され、カイエン公の派閥に所属していた貴族たちが死亡したことや、トリスタでの大規模な市街地戦の報告を受けた時はオリヴァルトも腰を抜かしそうになった。しかも〈暁の旅団〉を動かしたのがアルフィンだと聞き、彼女が関与しているなど本来であれば信じたくはなかったのだ。
 リィンなら内心やりかねないと思っているところはある。いや、必要とあれば彼なら迷いなく実行に移すだろう。しかし幼少期からアルフィンのことをよく知るオリヴァルトからすれば、そのような真似に彼女が賛同するとは到底思えなかった。リィンと再び契約を結ぶことに賛同したのも、アルフィンなら彼の良い抑え役になるだろうと考えてのことだ。なのに――
 この結果は予想外と言っていい。オリヴァルトがアルフィンを心配して尋ねるのも無理のない話だった。

「それがわかっているのなら何故? 恐怖で人心を支配しようとすれば、その悪意はキミにも向かうことになるんだぞ。アルフィン」
「では、兄様。逆に伺いますが、父様のことをどう思われていますか?」
「……父上のことを? アルフィン、キミは一体なにを言って……」

 アルフィンのことを心配して尋ねてみれば、逆に質問をされてオリヴァルトは戸惑う。
 何故ここでユーゲント三世の話が出て来るのか、アルフィンの質問の意図が分からなかった。

「わたくしは父様のことを民から慕われ、家族からも愛される人格的に優れた人物であったと考えています。ですが同時に、皇帝としては相応しくなかった。為政者として見れば、まだオズボーン元宰相の方が有能だったと考えています」

 思いもしない話をアルフィンの口から聞き、オリヴァルトは息を呑んで驚く。

「平和な時代であったのなら、父様のやり方でも上手くいったかもしれない。ですが、帝国を取り巻く状況はそう優しいものではありません」
「だが、それは……」

 反論しようとするも、オリヴァルトは言葉に詰まる。
 何も言い返せないのは、アルフィンの言葉にも一理あることを認めているからだ。

「旧体制の責任にするのは簡単です。ですが、ギリアス・オズボーンを宰相に任命し、爵位を与えたのはお父様なのですよ?」

 アルフィンの言うように、ユーゲント三世がギリアスを重用しなければ、ここまで貴族派と革新派の対立が深まることもなく、先のような内戦が起きなかった可能性は高い。そのことはオリヴァルトも否定することの出来ない事実だった。
 ただ、アルフィンも改革そのものを非難しているわけではない。貴族たちの考えを改めさせ、古い因習を断ち切る意味でも改革が必要だと感じていた。
 ようは目的に至るまでの手段の問題だ。ユーゲント三世は、その方法を間違えたとアルフィンは考えていた。

「力を持つ者が力から目を背けるのは、責任の放棄と同じです。力とは、正しく使ってこそ意味があるのですから」

 他人に委ねるのではなく、真に改革を望むのであれば自分が率先して行うべきであった。アルフィンは少なくともユーゲント三世の行動について、そう思っていた。
 ギリアス・オズボーンを重用するに至った経緯や、貴族に裏切られたユーゲント三世の気持ちも分からないではない。だが、嫌われることや失敗を恐れていては為政者は務まらない。国を預かるというのは、そういうことだ。

「……父上のやり方が間違っていたと、そう言いたいのかい?」
「はい。父様さえ、しっかりとしていれば先の内戦は起きなかった。ギリアス・オズボーンに必要以上の権限を与え、勝手を許したのは父様の責任です。そのことには、兄様もお気づきだと思いますけど?」

 それは否定の言葉が見つからないほど正しいものだった。
 そもそもの発端は百日戦役に遡る。リベールの国境に近い街〈ハーメル〉が襲われ、それを口実に始まった帝国と王国の戦争。開戦当初は王国製の武器が使われたことでハーメルの壊滅はリベールの仕業と思われていたが、実際には先のクロスベルでの発表からも明らかな通り、帝国の主戦派による自作自演であったことが後に判明する。一部の貴族たちの暴走が原因だったとはいえ、最終的に戦争の許可を与えたのは皇帝だ。そのことが原因でユーゲント三世が苦悩していたことをオリヴァルトは知っていた。
 ギリアス・オズボーンを重用し、改革を支援していたのも罪滅ぼしの意識があったからだろうと推察できる。オリヴァルトが察していたのだ。そのことを聡いアルフィンが知らないはずもない。
 だからこそ、彼女の口から父親を非難する言葉など、出来ることなら聞きたくはなかった。

「兄様が帝国の将来を憂い、これまでに様々な手を講じて来られたのは承知しています。ですが、理想を現実にするには力も必要なのです」
「アルフィンの考えは分かった。しかし……だからと言って人を恐怖で支配するなど間違っている。そんな真似をすれば、アルフィン。キミも傷つくことになるんだぞ」
「……兄様なら、そう仰るでしょうね」

 オリヴァルトが放蕩皇子と侮られながらも機会を窺っていたのは、可能な限り血を流さない方法でギリアス・オズボーンに対抗するためだとアルフィンは気付いていた。
 力による解決ではなく対話によって問題の解決を図る。それは不戦条約を提唱したリベールの女王のようでもある。オリヴァルトは庶子であるため、皇位継承権を持たない。それだけにオリヴァルトの立場で力に物を言わせて帝国を変えようとすれば、賛同者の協力を得て先のように内戦を起こすしかない。現在のセドリックの立場にオリヴァルトが名乗りを挙げ、皇位を簒奪するということだ。しかし、オリヴァルトはそうしなかった。国と同じくらい家族を愛するが故に、そこまでの決断が出来なかったのだ。
 しかし、だからこそ後手に回らざるを得ない状況に追い込まれたのだとアルフィンは考えていた。
 相手はあらゆるものを駒と見なし、手段を選ばない怪物だ。理想と志を高く持つことは大切だが、それだけでは国や大切なものを守ることは出来ない。ましてやエレボニアのように大きく古い国を、血を流さずに変えることなど不可能と言ってもいいだろう。
 先の内戦でアルフィンはそのことを嫌と言うほど理解させられた。そうして手をこまねいた結果、いつも犠牲となるのは民たちだ。
 ケルディックの焼き討ちも、本来であれば防げたはずの犠牲だった。その責任はユーゲント三世だけではない。帝国そのものにある。

「それでも、わたくしは国のため……いえ、あの人の力になりたいんです」

 そのことを教えてくれたのはリィンだ。そして現在も帝国は彼に頼り切っている。いや、守られていると言ってもいい。だがそのことから目を背け、リィンを猟兵と侮り、悪しく言う者も少なくない。このことをリィンに話せば、きっと「猟兵が嫌われるのは当然だ」と笑って答えるに違いない。しかしリィンだけが悪者となり、自分たちだけが救われることなどアルフィンは望んでいなかった。
 そもそもの原因は帝国にあるというのにだ。そんな理不尽な話がまかり通って良いはずがない。

「兄様が何を仰ろうと、わたくしの意志は変わりません。皇家の人間として相応しくないと言われるのであれば、すべてが片付いた後にアルノールの名を捨てても構いません。周りにどう思われようと、わたくしはあの人≠フ味方でいると心に誓ったのですから――」

 そうまで言われてはオリヴァルトも引き下がるしかなかった。いや、何も言えなかった。そして――

「はあ……」

 アルフィンが立ち去るのを無言で見送り、オリヴァルトは肩を落としながら溜め息を吐く。
 そんなオリヴァルトを見て、ミュラーは苦笑する。

「お前の負けだな」
「まったく……子供だと思っていたら、いつの間にあんな顔をするようになったのか……」
「恐らくは、彼の影響だろうな。叔父上がこのことを知れば、逞しく成長なされたと言って喜びそうな話ではあるが、お前は気に入らないか?」
「アルフィンの成長は素直に嬉しい。だけど、兄としては複雑な気分だね……」

 ミュラーの言う彼が誰かなど聞き返すまでもなかった。
 アルフィンがあそこまではっきりと意志を示し、実の父親を非難するとは思っていなかっただけにオリヴァルトは複雑な感情を抱く。
 常日頃から愛の大切を説くオリヴァルトではあるが、それもアルフィンのこととなると思いのほか弱かった。
 最愛の妹が自分の手を離れ、嫁にでてしまったくらいのショックを受けたのだ。とはいえ――

「……すべてが終わったら、リィンくんには責任を取ってもらわないとね」

 兄としては複雑だが、アルフィンの幸せを願っていないわけではなかった。質実剛健を地で行く帝国の気質があるとはいえ、猟兵に皇女が嫁ぐというのは、なかなかにハードルが高い問題だ。権威と伝統に縛られた従来の帝国では不可能と言ってもいいだろう。それこそアルフィンが自分で言っていたようにアルノールの名を捨て、国をでるくらいしかリィンと結ばれる道はない。しかし、それだけに遣り甲斐のある仕事だとオリヴァルトは考える。
 アルフィンの言うように、どちらにせよ帝国を変えていく以外に取れる道はない。それが例え血塗られた道であったとしても、後には引けないところにまで来ていることはオリヴァルトにもわかっていた。
 本音を言えば、そんな真似をアルフィンやセドリックにさせたくはなかった。オリヴァルトが一番恐れ、避けたかったのはそうした事態だ。しかしそれこそ偽善でしかなかったのだとオリヴァルトは気付かされた。オリヴァルトが考えているほどに、アルフィンは守られるだけの子供ではなかったということだ。むしろ、まだ覚悟が足りていなかったのは自分の方かとオリヴァルトは自嘲する。

「それで、どうするつもりだ?」
「アルフィンの覚悟は確かめた。ならば、こちらも覚悟を示すだけだよ」
「……付き合わされる方の身にもなって欲しいのだがな」
「そうは言っても付き合ってくれるんだろ? なんなら今晩どうだい? ベッドのなかまで付き合ってくれても――」

 そんなオリヴァルトの言葉に、ミュラーは拳で応えるのだった。


  ◆


「……リィンって出掛ける度に、女の子を拾ってくるよね」
「は?」

 ルーレに停泊しているカレイジャスへと戻ったリィンは、帰りを待っていたフィーにそんなことを言われて目を丸くした。
 ロジーヌとミリアムのことを言われているのだと察することは出来るが、二人の件は不可抗力と言ってもいい。
 リィンにも言い分はあった。それを伝えようとするが、フィーに先手を打たれてしまう。

「家族じゃなくてハーレムを作る気とか?」
「……人聞きの悪いことを言わないでくれるか?」
「でも、ゼノがハーレムは男の夢だって言ってたよ?」
「あのエセ関西人め……」

 フィーに余計なことを吹き込んだ元凶に、リィンは怒りを募らせる。
 そんなことを普段から言っているから女にモテないんだ、とゼノが聞けば血の涙を流しそうなことをリィンは心の中で呟く。

「でも、まだ増えそうな気がする」
「いや、さすがにもうないだろ……」
「言い切れる?」
「あ……ああ」
「じゃあ、また増えたらストレガー社の新作シューズ買ってくれる?」
「うっ……男に二言はない」

 フィーに念を押されて躊躇うも、こんなことはそう何度も続かないはずだと考え、リィンは約束した。
 確かに〈暁の旅団〉は男女比率が女に傾いている。帝国解放戦線の元メンバーも含め、七対三くらいの割合で女性の方が多かった。
 それに主力のほとんどが女性だ。ハーレムと揶揄されても仕方のない状況が揃っていると言えるが、リィンはそれを認めるつもりはなかった。
 そもそも誰にも手をだしていないのだ。団長と言っても、普段はフィーにすら頭が上がらない。この状況をハーレムと呼ぶには無理がある。
 そんな風に自分を言い聞かせ、フィーと並びながらリィンが廊下を歩いていると、見慣れた金髪が視界に映った。

「……なんでアリサが(ここ)にいるんだ?」
「ラインフォルトから出向してきたのよ。船に詳しい人材を寄越して欲しいって母様と交渉してたでしょ?」

 以前に要望していた技師の件だとリィンは気付く。そして交渉の際に、イリーナにアリサのことを頼まれていたことをリィンは思いだした。
 あの時はこれからもアリサと仲良くしてやって欲しいと、そういうことだと思っていたのだ。
 それがまさか、アリサがラインフォルトから出向してくるとは思ってもいなかった。いや、アリサだけではない。

「……おい。どうしてお前もいる?」
「メイドですから♪」

 リィンの問いに笑顔で答えるシャロン。自分はラインフォルト家のメイドだから、一緒でも不思議ではないと言いたいのだろう。
 もはや何を言っても無駄だと悟ったリィンは項垂れる。
 そんなリィンを見て、勝ち誇った笑みを浮かべるフィー。そして――

「ん……リィンの奢り決定だね」

 その言葉がトドメとなって、リィンはガクリと肩を落とした。



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