トリスタに寄ったついでに、リィンはエマと共に別の用事を済ませるために士官学院を訪ねていた。
そして当然のように後ろをついてくる水色の髪の少女にリィンは尋ねる。
「ミリアム……なんで、お前まで一緒に付いてきてるんだ?」
「え? クレアに頼まれたからだけど?」
別れ際に「彼女のことを頼みます」と口にしたクレアの言葉が、リィンの頭を過ぎる。
てっきりエリィのことだと思っていたら、ミリアムのことも含んでいるとは思っていなかった。それだけにリィンは溜め息を漏らす。
実のところクレアとエリィが以前からの知り合いだということに、リィンは依頼を受けた時から気付いていた。
両親の離婚を契機にエリィは祖父に引き取られ、政治家への道を志すことを決め、周辺諸国を留学していた経験がある。その時、クレアと知り合ったのだろう。クレアの生家はあの楽器の製造で有名なリーヴェルト社だ。ひょっとしたら留学する以前から、互いに名前と顔くらいは知っていたのかもしれない。留学中にエリィが世話になったという人物。それが恐らくクレアなのだろうとリィンは推察していた。
だからクレアは、エリィの動きをあれほど正確に掴んでいたのだ。親切な振りをして近付き、騙していたようなものだが、エリィもクレアを利用して帝国の内情を探ろうとしていた時点でお互い様と言える。とはいえ、監視と護衛を自分に依頼したのは、クレアなりにエリィの身を心配してのことなのだと、リィンは別れ際の彼女の言葉から察していた。
「結局、情報部に戻ったのか?」
「うん。でもクレアっておじさんより人使い荒いんだよ!」
クレアに扱き使われていたことを、身体で表現しながらリィンに話して聞かせるミリアム。その話からクレアがミリアムを寄越した別の理由にも気付き、リィンは「追加報酬を請求してやる」と小さく呟く。
なし崩し的に協力させられるのを避けるため、報酬はしっかりと取るというのがリィンのポリシーだった。
そしてエマに視線で合図を送り、リィンはミリアムの状態を確かめさせる。
「どうだ?」
「はい。彼女は問題なさそうです」
「えっと……何が?」
二人して何をやっているのかと不安になり、ミリアムは怪訝な表情で尋ねる。しかしリィンは何も答えない。
アルティナと同じ細工がされていないか、それを確かめたかっただけなのだが、そのことを一から説明するつもりはリィンにはなかった。
むうと不満そうな表情を浮かべながらも、リィンやエマの後ろを付いて歩くミリアム。工事中の本校舎の横を通り抜け、技術棟から更に奥――学院の外れにある古ぼけた建物の前でリィンは足を止めた。
「リィン。ここって旧校舎だよね? なんでこんなところに?」
「ああ。目立たずに話をするには丁度良い場所だしな。噂をすれば――」
リィンに遅れて、ミリアムも異変に気付く。
いつの間にか周囲の景色が変わり、光の射さない空間に三人は閉じ込められていた。
「これって……」
「結界の一種だな。これが話に聞く〈匣〉って奴か」
ミリアムの疑問に答えるように、リィンは異変の正体を言い当てる。そして――
この空間を作った元凶は溜め息を漏らしながら、まったく驚いた様子のないリィンに声を掛けた。
「随分と張り合いのない反応ですね……」
眼鏡を掛けた男性。その傍らにはシスター服に身を包んだ金髪の少女が控えていた。学院で教官をやっているトマスと、同じくここの学生をしているロジーヌだ。
その正体はアーティファクトの管理と回収を目的とする七耀教会の実働部隊。星杯騎士団に所属する騎士だった。
聖痕の所持者にして十二人いると言われる守護騎士の一人。第二位〈匣使い〉の異名を持つのが彼、トマス・ライサンダーだ。
そしてロジーヌは、そんなトマスと行動を共にする従騎士の役目に就いていた。
「こういう手品は見飽きてるからな。驚かせたいなら、もう少し趣向を凝らすんだな。こんな風に――」
「――ッ!?」
突然、リィンの足下から炎が広がったかと思うと周囲が紅い光に包まれ、空間が消滅する。これにはトマスだけでなくロジーヌも驚かされる。
トマスの異名ともなっている〈匣〉は外界の流れから完全に隔離された空間を作り出す、謂わば出口のない檻のようなものだ。この空間に閉じ込められたら最後、自力での脱出は不可能とされてきた。この能力だけが理由ではないがトマスが副長の地位に就き、実際に教会の敵を数多く捕らえてきたことはロジーヌも知っていることだ。
それをいとも容易く、見たこともない方法で無効化されたのは、トマスも初めてのことだった。
「……随分と器用な真似をしますね」
「ちょっとしたコツを掴んでな。慣れると意外と応用が利くもんだ」
トマスはリィンが何をしたのか、大体のところは察しが付いていた。空間を形成する術式ごと解体され、マナへと還元されたのだ。
しかし、それを考慮しても対策が思いつかない。言ってみれば、トマスのような異能の使い手にとって天敵とも言える能力だった。
相性が悪すぎるとトマスは判断する。もし戦闘になった場合、自分ではリィンに勝つ方法が思いつかなかった。
それこそ星杯騎士団の長にして〈紅耀石〉の異名を持つアイン・セルナードでなければ、目の前の青年に勝つことは難しいだろうとトマスは考える。
いや、下手をすれば総長でも――そんなありえない考えがトマスの頭を過ぎった。
「やはり、あなたとは敵対したくありませんね」
「それはお前たち次第だ」
冷や汗を滲ませながら話すトマスに、リィンは挑発するかのように答えた。
これまでの価値観を揺るがしかねない会話を耳にして、ロジーヌも困惑した表情を見せる。従騎士の彼女からすれば、守護騎士の一人にして騎士団の副長を務めるトマスなどは雲の上の存在だ。そんな彼が慎重に言葉を選び、手玉に取られる光景など滅多に目にするものではない。故にリィンに対しては、どう接していいか判断を下せずにいた。
そんなロジーヌの様子にリィンは気付き、場の雰囲気を和ませようと声を掛ける。
「ロジーヌも久し振りだな。学院の奪還作戦以来だから三ヶ月ぶりくらいか?」
「……はい。リィンさんも、お元気そうで何よりです」
警戒と困惑を隠せない様子のロジーヌを見て、仕方ないかとリィンは頭を掻く。
怖がらせるつもりはなかったのだが、トマスに話の主導権を握らせないため、結果的にそうなったことは否めなかった。
気持ちを切り替え、リィンはトマスに話を振る。
「さてと、それじゃあ本題に入るか。まずはそっちからだ。何が聞きたい?」
ここまで足を運んだ目的を告げる。以前に校舎の屋上で交わした約束をリィンは忘れていなかった。
◆
「素直に話してくれたことには感謝しますが、どこまでが本当の話なのですか?」
「信じる信じないは、お前たちの勝手だ。俺の知ったことじゃない。だが――」
自分とキーアの関係を伏せながら、リィンは以前アルフィンに話したことをそのままトマスに話して聞かせた。
下手に嘘を吐くよりは真実を含ませた方が信憑性は高い。ましてや相手は教会の人間。それも星杯騎士団の副長を務める人物だ。
ならば、アーティファクトに関しても詳しいはず。適当に至宝の存在をにおわせておけば、勝手に解釈してくれるだろうと考えてのことだった。
「〈始まりの地〉のオリジナルを管理している教会なら、嘘か本当か判断が付くんじゃないのか?」
「……そこまでご存じでしたか。やはり食えない人ですね」
教会の人間でも一部の者しか知らない秘密をあっさりと追及され、トマスは困った表情で答える。
リィンの口を塞ぐことなど出来るはずもなく、精々が他言しないようにとお願いするくらいしか出来ないことがわかっているからだ。
そんなトマスの反応を見て、リィンは自分の番だとばかりに質問をする。
「じゃあ、今度は俺からの質問だ。教会はどうするつもりだ?」
「いまのところは何も……。それよりも問題はあなたのことです。リィン・クラウゼル」
「俺のこと?」
「教会の上の方はあなたの扱いで意見が分かれ、議論が紛糾しているそうです。十三番目の守護騎士として迎えるべきだという案や、なかには騎神の件を持ち出し『外法』認定すべきだという過激な案まで……」
そんなトマスの話はあらかじめ予想していたものだったらしく、特にリィンは驚いた様子を見せなかった。
教会はアーティファクトの個人所有を認めていない。そのため、時にはアーティファクトを不法に所持する者を取り締まることもある。その役目を担っているのが星杯騎士団だ。なかでもトマスの言う『外法』認定は最も悪質なケースに適用されるもので、対象の捕縛ではなく抹殺が目的とされる。そして騎神も暗黒時代以前に造られたとされるアーティファクトだ。帝国の管理下にある〈蒼の騎神〉は別として〈灰〉や〈緋〉を猟兵が個人所有することなど教会が認めるはずもない。そういう意味で結社以上に教会とは相容れないことを、リィンは自覚していた。
それだけにそんな話を聞かされても、言えることは一つしかなかった。
「まあ、勝手にやらせとけばいいんじゃないか?」
「他人事じゃないですよ? 外法に認定されれば、教会に狙われることになるというのに……」
心配しているように見えるが、トマスの言い分はあくまで教会の都合でしかない。それだけにリィンは冷ややかな視線をトマスに向ける。
二年前にリベールで起きた異変にせよ、アーティファクトを巡って諍いや不幸な出来事が起きていることは確かだ。しかし、だからと言って教会のやり方に納得しているかと言えば、話は別だった。実際、教会はアーティファクトを適切に管理する知識を持っているのかもしれないが、その一方で彼等もアーティファクトを兵器として利用している。自分たちはよくて他はダメというのでは理屈が通らない。それではアーティファクトの管理を謳いながら、力の独占を目論んでいるのではないかと疑われても仕方のない行動だ。
大体、個人所有を認めないなどと言ってはいるが、ここは七耀教会の総本山があるアルテリア法国ではない。ましてやリィンは猟兵だ。教会が勝手に決めたルールに従うつもりなど微塵もなかった。
「その時は教会が敵になるだけだ。そうなったら、いっそ〈結社〉と手を組むのもおもしろいかもな」
「正直、笑えない冗談なのですが……」
共通の敵という意味で、結社と一緒になって教会を潰すのも悪くないと、リィンは半ば本気とも取れる考えを口にする。
しかしトマスからすれば、冗談では済まされない。それは言ってみれば共和国軍を退けた二体の騎神と、最強クラスの猟兵が教会の敵に回ることを意味する。しかも結社と手を組まれれば、星杯騎士団の長にして最強の使い手であるアイン・セルナートでも対処しきれるかは怪しいとトマスは考える。教会にとっては悪夢のような話だった。
一人の青年が世界のバランスを握っているかと思うと、トマスは頬を引き攣るしかない。それだけに敵に回すことは避けなければならないが、このまま放置も出来ないというのがトマスのだした答えだった。
「いまはどうにか総長が抑えてくださっていますが、どう転んでも不思議ではない状況です」
「自重しろって言われても無理だぞ。そんな器用な真似が出来るなら、こうはなってない」
「わかっていますよ。言うだけ無駄だと理解しています。ですから……」
リィンに自重を促したところで、それが無駄だということはトマスも先の内戦から学習していた。故に考えを改めることにしたのだ。
リィンを説得することが無理なら、教会を納得させる理由を作ってしまえばいい。そうして考えたのが彼女≠セった。
トマスに促され、前にでるロジーヌ。リィンも話の流れからトマスが何を言おうとしているのかを察し、面倒臭そうな表情を浮かべる。
「彼女を、あなたの船に置いてはもらえませんか?」
「……お前、自分が何を言っているのかわかってるのか?」
「勿論、団員と同じ扱いで構いません。法術も使えますし、各地の教会に顔も利きます。シスターという立場は役に立ちますよ?」
猟兵団にシスター。遊撃士以上に冗談かと思える組み合わせだ。しかしトマスの言うことも一理あった。
猟兵が嫌われ、恐れられる理由はリィンが一番よく理解している。簡単に人を殺せる武装した集団が近くにいて警戒しない人間はいないだろう。猟兵団が副業を持っているのは情報収集や活動資金を得るためというのがあるが、そうした表社会との調和を図るためというのも理由の一つにあった。それでも周囲との軋轢は避けられない。よく知らない連中から一方的に非難を浴びせられることも少なくない職業だ。
一方で、七耀教会のことを悪く言う者は少ない。一般人に限って言えば、ほとんどいないと言っていいくらいだ。ゼムリア大陸最大の規模を誇る宗教と言うこともあるが、〈空の女神〉の教えを広めるだけでなく日曜学校を始めとした様々な慈善活動を通して社会に貢献し、多くの人々の心の拠り所にもなっている組織だ。
それだけにロジーヌの存在は、民間人との摩擦を緩和するという意味で重要な役割を持つことが予想できた。
教会の協力が得られるのであれば、各地での活動もしやすくなるだろう。とはいえ――
「お前はそれでいいのか?」
「はい。自分に与えられた役目は理解していますから。それに――」
「それに?」
「個人的にリィンさんには興味があります」
無理矢理であれば断ることも出来た。しかしロジーヌには確かな意志があった。
となると、ここで断ったところで彼女も納得はしないだろう。下手をすれば知り合いを巻き込んで面倒なことになるかもしれない。
そう考えたリィンは渋々と言った様子で、ロジーヌを受け入れることを決めた。
「いいだろう。俺もまだ°ウ会と事を構えるつもりはないしな」
「まだ……ですか? そこは絶対と断言して欲しいところなのですけど……」
「さっきも言っただろ? それはお前たち次第だ」
今回は譲ったが、次はないとリィンはトマスに釘を刺す。そんなリィンの意志を確認し、トマスは冷や汗を拭いながら頷いた。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m