「綺麗……良い街ですね」
「ありがとうございます。ですが帝国にも歴史的な建造物や、自然が豊富な場所は幾つもあると思いますが……」
「確かにそうした場所や建物は数多くありますが、これまで景色に目を向ける余裕なんてありませんでしたから」
宴が開かれている場所は、城の屋上に造られた空中庭園だ。そこから見下ろす街の景色はとても美しかった。
オレンジ色の導力の灯りが街を彩り、星の煌めきのように様々な瞬きを見せてくれる。帝国にも美しい景色が見られる場所はたくさんあるが、こんなにも伸び伸びと景色を眺めたのは随分と久し振りのことだった。
そんなアルフィンの話を聞き、先の帝国で起きた内戦のことがクローディアの頭を過ぎる。アルフィンがどういう気持ちで街の景色を眺めているかを察し、クローディアは少し寂しげな表情を見せる。
そんな彼女にアルフィンは微笑むと、確認をするかのように尋ねた。
「リィンさんだけでなく、わたくしにも聞きたいことがあるのではありませんか?」
「……よろしいのですか?」
「構いません。そのためにお誘いしたのですから」
クローディアが何か思い悩んでいることは察していた。
そして、その悩みにリィンが関係していることにもアルフィンは気付いていた。
恐らくはクロスベルのことをリィンに言われ、あんな風に感情を剥き出しにしたのだろうということも――
「帝国はクロスベルをどうされるおつもりなのですか?」
そんなクローディアの質問は、アルフィンが予想した通りのものだった。
これがアリシア二世やカシウスなら、こんな風に真っ直ぐな質問をぶつけてはこないだろう。
だからこそアルフィンも、クローディアの問いに嘘偽りなく答えることを決めていた。
「すべての問題に片が付いた後、クロスベルは帝国領に併合します」
目を瞠るクローディア。それは予想していた答えではあったが、こうまではっきりと告げられるとは思っていなかった。
「我が国はクロスベルの自治を保障する立場にありますが、国家主権まで承認した覚えはありません。なのにクロスベルは勝手に独立を宣言したばかりか、宗主国である我が国にあろうことか牙を剥き、ガレリア要塞を消滅させると言った凶行に及んだ。帝国臣民の怒りと不安を考えれば、クロスベルを併合する以外に道はありません」
アルフィンがそう口にすると言うことは、帝国は既にクロスベルを併合する方向で動いていると考えていいだろうとクローディアは思う。
しかし帝国の事情がどうあれ、クロスベルの併合を共和国が認めるはずもない。そんな真似を強硬すれば、確実に共和国との間に諍いが起きることは目に見えていた。
最悪そのまま帝国と共和国の戦争へと発展しかねない問題だけに、クローディアはアルフィンの考えを尋ねる。
「ですが、そのような真似をすれば共和国が黙っていないはずです。貴国は戦争を望んでいるのですか?」
「御言葉ですが、これは帝国とクロスベルの問題です。そこで共和国が出て来ること自体が、そもそもおかしいとは思いませんか? 我が国は戦争を望んではいませんが、もし共和国がそのような主張をなさるのであれば、それなりの対応をするしかないでしょうね」
詭弁だ。クローディアはそう思った。
クロスベルの宗主国は帝国だけではない。クロスベルは共和国もずっと領土の主張を続けてきた緩衝地帯だ。
それを一方的に帝国の言い分だけで併合などすれば、諍いが起きないはずがなかった。
「それは詭弁です……」
「これを詭弁と言うなら、リベールの行いがすべて正しいとでも? わたくしたちをリベールに招いたのも、その詭弁を取り繕うためなのではありませんか?」
しかし帝国の行為を非難したつもりが、その矛先がリベールへと向かい、クローディアは動揺する。確かに今回、リベールがアルフィンたちを招いたのは、三国の間で結ばれた不戦条約が大きく関係している。
国際平和を唱え、対話による問題の解決を訴えてきたリベールがクロスベルの問題を放置し、そのまま戦争に発展するようなことになれば、不戦条約そのものが欺瞞だったのではないかと言った印象を持たれる可能性がある。そうした国際非難を避けるため、国民や周辺諸国に対し目に見えるカタチで行動を示す必要があった。
そのことはクローディアも気付いていた。だがリベールの平和のため、クロスベルのためと自分に言い聞かせ、必要なことだと目を背けてきたのだ。しかし、それが詭弁だと言われれば反論することは出来なかった。
「不戦条約――力ではなく対話による問題の解決を図る。その理念は素晴らしいとは思いますが、言葉だけで人が分かり合えるのであれば争いは起きません。それに対話による解決が必ずしも良い結果に結び付くとは限らない。そもそもクロスベルが独立を宣言することがなければ、ハーメルの悲劇を暴くような真似をしなければ、このような結果にはならなかった。我が国だけを非難するのは間違っているとは思いませんか?」
百日戦役のことは、半ば帝国の自業自得と言える部分もある。しかし、それを言うならクロスベルも同じだ。
そもそも独立宣言などをしなければ、このような事態にはならなかった。民間人の味方である遊撃士あたりに言わせれば、戦争で犠牲になるのは力を持たない弱者であり、彼等に罪はないと言うのかもしれないが、ディーター・クロイスを市長に選んだ責任はクロスベルの市民にもある。甘い言葉に惑わされ、目先の勝利と繁栄に酔いしれた人々の責任とも言えた。
「リィンさんが何を仰ったか、大体のところは想像が付きます。その上でわたくしの考えを述べるのなら、王国が本当に平和を望んでいるのか疑っています。リベールが心配しているのは大陸全体の平和などではなく、自国が再び戦火に見舞われることなのではありませんか?」
「そんなことはありません! お祖母様は――」
「それならば逆に尋ねますが、リベールはクロスベルをどうしたいのですか?」
その問いにクローディアは答えられなかった。
クロスベルを取り巻く状況は厳しい。例え、帝国がクロスベルを併合しなくとも共和国が攻めてくるかもしれない。それを一時的に防いだところで、以前のように自治権を行使することは難しいだろう。
ならば、リベールが帝国や共和国に代わってクロスベルを守る? いや、それでは大国とやっていることは同じだ。ましてや、その二つの国と戦争が出来るほどの力はリベールにはなかった。
リィンが責任が持てないのなら何もするなと言ったのは、最後までクロスベルの面倒をリベールは見れるのかと言った問いでもあった。
「クローディア姫。いえ、王太女殿下とお呼びした方がいいですか?」
「クローゼで結構です。親しい者は皆、そう呼ぶので……」
「では、わたくしのこともアルフィンとお呼びください」
互いに呼び名を交換するアルフィンとクローディア。しかし、その表情は対照的だった。
「わたくしも昔は同じでした。どうすることが国のためになるのか、民にとって一番いいのか思い悩んでいた時期がありました。クローゼも幼い頃に戦争を経験し、リベールで起きた先の異変でも活躍されたと聞いています。ならば、本当は気付いているはずです」
アルフィンにそう言われて、クローディアはふとエステルたちとの旅のことを思いだす。
「平和とは何か、正義とは何か? その答えは、国や立場によって大きく異なるでしょう。わたくしにとって優先すべきことは国益です。それが国のため、民のためになると信じているから――。クローゼ、あなたにとって一番優先すべきこと、大切なものはなんですか?」
立太女の儀を終えて二年。少しでも早く立派な後継者と認められるべく、努力を続けてきたつもりだ。しかし祖母に追いつくことに必死で、大切なことを忘れていたのかもしれないとクローディアは思った。
六十を超える高齢にも拘わらず身を粉にして国のために働く祖母の姿を見て、自分にも何か出来ることはないか、ずっとそんなことを考えてきた。そして真っ先に思い浮かんだのは、お世話になった孤児院のことだった。
クローディアの原点は幼少期にある。百日戦役の混乱で両親とはぐれ、クローディアは保護された孤児院で過ごしたことがあった。いまでもその孤児院にはよく足を運ぶが、その度に思うことがある。
あの戦争で多くの人が帰らぬ人となった。そのなかには両親を亡くし、行き場を失った子供たちの姿もあった。だから同じような悲劇を繰り返してはならない。そうクローディアは心に誓ったのだ。
「アルフィン、ありがとうございます。少しだけ迷いが晴れた気がします。私は大切なことを忘れかけていたみたいです」
何故これほどにクロスベルの問題を気に掛けていたのか、その理由にクローディアは気付いた。過去のリベールとクロスベルの状況を重ね合わせていたのだ。
本当に守りたいもの。それは、この国にある。勿論クロスベルのことも出来ることならどうにかしたいと考えてはいるが、優先順位を間違えるようでは為政者として失格だ。恐らくアリシア二世やカシウスも、そうしてリベールのために決断をしたのだろうとクローディアは思った。
それは目の前にいるアルフィンも同じだ。彼女も自国のために動いている。クローディアはリベールの都合と立場を述べたに過ぎず、アルフィンにも国の立場と守るべきものがあるということだ。
その上でクローディアは気になっていたことをアルフィンに尋ねた。
「一つ、お尋ねしてもいいですか?」
「ええ、わたくしに答えられることなら」
「アルフィンはリィンさんのことが好きなのですか?」
「え……」
予想もしなかった質問をされて、アルフィンは目を丸くして固まる。
そして逡巡すること一分ほど。正気を取り戻したアルフィンは顔を真っ赤にして、動揺を隠しきれない様子でクローディアに詰め寄った。
「ど、どうして!?」
「え……リィンさんだけを悪者にしないために、私に厳しいことを仰ったんですよね?」
ぐうの音も出ない的確な指摘だった。
そういう思惑があったことは確かだ。あの場でエリゼがリィンを嗜めたのも、場を収めるのにあれが最善だと判断したからだ。そのまま放置すればクローディアに恥を掻かせたとして、会場の悪意はリィンに向かっていたはずだ。
実のところクローディアもそのことに気付き、アルフィンの誘いに乗ったのだ。
「恐らく私がリィンさんのことを誤解していると思われたのでしょうが、それは杞憂です。あれは私のために仰った言葉だというのは、ちゃんと理解していますから。リィンさんの叱り方は、学生の頃お世話になった先輩によく似ていたので……」
学生時代を思い出しながら、クローディアはアルフィンの疑問に答える。あれはルーアン地方にあるジェニス王立学園に通っていた頃の話だ。その頃のクローディアは王位を継ぐことに不安を覚え、自分に自信を持つことが出来ないでいた。そんな彼女の意識を変え、自分を見つめ直す切っ掛けをくれた先輩がいたのだ。
生徒会長という立場にありながら不真面目でサボリ癖のある、どうしようもない先輩ではあったが、彼の言葉には不思議と惹きつけられる魅力があった。
それは一見すると適当に言っているように見えても、彼の言葉には相手を思い遣る優しさが込められているからだとクローディアは感じていた。
だから、リィンの言葉の裏に隠された想いにも気付くことが出来たのだろう。
厳しさのなかに隠された優しさを――
「あの……よろしければ、リィンさんのことを教えては頂けませんか?」
リィンのことを教えて欲しいと頼むクローディアを見て、アルフィンは訝しむ。
以前フィーも言っていたことだが、リィンは自然と女性を惹きつけ、無自覚に虜にする癖がある。自分を含め、その犠牲となった女性を数多と知るアルフィンからすれば、またかと考えが先走るのも無理のない話だった。
そんなアルフィンの様子に気付き、何を勘違いしているかを察したクローディアは慌てて首を横に振って否定した。
「い、いえ、そう言う意味ではなくて! 彼がハーメルの出身だと聞いたので、そのことが気になって……それに……」
「……それに?」
「話し方とか性格は全然違いますが、昔お世話になった先輩に似ているというか……。だから本当は悪い人ではないのではと……」
ルーレでの記者会見以降、クローディアはリィンのことを気に掛けていた。
というのも、リィンと同じくハーメルを故郷に持つ青年のことを、クローディアはよく知っていたからだ。
名はヨシュア・アストレイ。現在はヨシュア・ブライトと名乗っており、クローディアの親友でもある遊撃士の少女と共に目覚ましい活躍を見せているギルドのホープだ。先のリベールで起きたクーデター騒ぎや異変の解決を通じて交流を持つようになり、そうした経緯からクローディアはヨシュアに自然と惹かれて行き、遂には彼に自分の想いを打ち明けたことがあった。
しかしヨシュアには既にエステルという心に決めた相手がいて、クローディアの初恋は失恋に終わる。だが、そのことを後悔しているわけではなかった。元々二人が両思いであることはわかっていたことだし、告白そのものは自分の気持ちに区切りを付けるためにしたことだ。悲しくなかったと言えば嘘になるが、結果には納得していた。
だが、本音で言えば、まだ少しだけ未練があったのだ。気持ちに整理を付けたとはいえ、彼への想いが完全になくなったわけではない。そんな時に飛び込んできたのが、リィンがハーメルの遺児だというニュースだった。
リィンが本当に彼と同じ村の出身なのか、その裏を取るのに国が抱える情報機関ではなく民間の調査会社に依頼をしたのは、ハーメルの悲劇の隠蔽に王国も関わっていることを危惧してのことだ。
あれはリベールにとっても余り触れられたくない話だ。実際、百日戦役の真相が発表されてからは、その説明を求める声が相次ぎ、困惑と不安を隠しきれない様子で城にまで国民が押し寄せるほどの騒ぎに王国は見舞われていた。その騒ぎもようやく収まってきたかと思えば、今度はルーレでの記者会見だ。あれ以降、王家に対する不審の目は日に日に大きくなっており、クーデター騒ぎの時のような体制への非難の声も高まっている。ともなれば、再び真実を覆い隠す可能性は否定できない。
リィンを呼び寄せた理由も表向きはクロスベルの問題を危惧してとあるが、そうした国民の目を気にしてのことだとクローディアは気付いていた。だからリィンに対して、少し負い目のようなものを感じていたのだ。
「そういうことですか……。わかりました。わたくしに話せることなら」
「――ありがとうございます!」
自分の勘違いだと気付き、アルフィンはクローディアの頼みを聞き入れる。しかし手を取って感謝を口にするクローディアを見て、ほんの少し引っ掛かるものをアルフィンは感じていた。
切っ掛けはどうあれ、リィンのことを誤解せずに話を聞こうとするクローディアの姿勢をアルフィンは嬉しく思う。
だが、その感情がいつ恋心に発展してもおかしくないと思えるほどに、女性関係に限ってはリィンに対する信用がまったくと言って良いほどなかった。
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