「すみません。一緒に来てもらって」
前の席に腰掛ける男女に、ティータは丁寧に頭を下げる。
彼女は今、王都行きの飛行船に搭乗していた。
「俺等も王都に用があったさかいな。そう畏まらんでええよ。なあ、リース」
「丁度、王都の百貨店で季節のデザートフェアをやっているそうなので、いまから楽しみ」
「ああ、うん。せやな……」
雑誌に目を通しながら、修道服に身を包んだ女性は男の話に相槌を打つ。その一方で食い意地の張った相方の返事に、男は諦めにも似た溜め息を漏らす。そんな二人を見て、少しだけ気持ちが落ち着くのをティータは感じていた。カッとなって飛び出してきたはいいものの、王都に一人で行くのは少し不安だったのだ。それに責任も感じていた。オーバルギアの開発には、ティータも深く関わっていたからだ。
オーバルギア開発計画とは、リベールで起きた異変を教訓に結社の人形兵器、正確にはゴルディアス級――〈パテル=マテル〉に対抗する兵器を開発すべく立案されたプロジェクトの総称だ。発起人にはエリカ・ラッセルが、そして開発責任者にはアルバート・ラッセルの名前が並んでいる。謂わば、ZCFの立案した計画と言うよりは、ラッセル家の主導で進められている開発計画だった。
とはいえ、兵器の開発に関わるにはティータは幼すぎる。当然、彼女が計画に参加することに周りの大人たちは反対した。あのエリカでさえ、難色を示したほどだ。それでも周囲の反対を押し切り、オーバルギアの開発に携わることをティータが決めたのは、レンの存在が深く影響していた。
ティータは導力銃の扱いに長けているが、エステルのように幼い頃から武術を嗜んでいた訳でも、ヨシュアのように戦闘訓練を受けたことがある訳でもない。身体能力は年相応と言ったところだ。そのため本来であれば戦闘に参加できるほどの力はなく、リベールの異変でも仲間の助けがなければ命を落としていた可能性が高い。そのことはティータ自身が一番よく理解していた。
それでも危険だからと言って大人たちにすべてを任せ、無関心でいることは出来なかった。
――レンの力になりたい。
そう考えているのは、エステルやヨシュアだけじゃない。ティータも同じ気持ちだったからだ。
エステルがレンを家族に迎え入れようと頑張っているように、ティータは自分なりのやり方で友達の力になりたいと考えていた。だからこそ、オーバルギアの開発に参加することをティータは決めたのだ。レンのことを理解し、彼女の力になるためには言葉を尽くすだけでは足りない。友人として彼女と共に歩めるだけの力もまた必要だと、二年前の異変で学んだからだ。その答えがオーバルギアだった。
それだけにティータはエリカのしたことに責任を感じていた。オーバルギアの完成に一番拘っているのはエリカではない。ティータだからだ。
そのことからエリカがオーバルギアの研究にのめり込んだ理由が、ただの自己満足ではなく、自分のためでもあるとティータは察していた。
母親を追い詰めたのは自分だ。そんな風に考えながらティータが王都行きの飛行船を待っていると、二人が目の前に現れた。
緑色の髪を逆立てた陽気な男性の名は、ケビン・グラハム。修道服に身を包み、先程から読書に耽っている赤髪の女性はリース・アルジェント。こう見えて二人は、七耀教会に所属する神父とシスターだ。そんな二人のことをティータはよく知っていた。嘗て共に異変を解決に導いた仲間でもあったからだ。当然、二人が星杯騎士団という教会でも特別な役割を与えられた組織に所属していることもティータは知っていた。
「ティータちゃんは、どうして王都に?」
「えっと、いろいろとありまして……」
いまに始まったことではないとはいえ、身内の不始末を詳しく説明する気になれないティータは言葉を濁した。
それに三十億ミラと言えば、普通の人では一生を掛けても稼げないような大金だ。それほどの制裁金を科された原因がエリカにあると聞かされれば、ケビンでも反応に困ることは間違いなかった。
それだけに心配を掛けたくないと困った顔を浮かべるティータを見て、何か話せない事情があるのだとケビンは察する。
「なんか事情がありそうやな。てっきりエステルちゃんたちと待ち合わせでもしてるのかと思うとったけど……」
ティータと空港で会ったのは本当に偶然だった。王都のカラント大司教からケビン宛に手紙が届いたのが昨夜のことだ。そこにはアルティナのことや、ロジーヌからケビンを紹介して欲しいと頼まれたことなどが記載されていた。
暁の旅団が現在、リベールを訪れていることはケビンも知っていたが、このタイミングでまさか向こうから接触してくるとはケビンも思ってはいなかった。
罠の可能性をすぐに疑ったが、カラント大司教だけでなくロジーヌが間に入っていることがケビンは気に掛かっていた。トマスの従騎士を務めるロジーヌの噂はケビンの耳にも届いていたからだ。
トマス・ライサンダー。守護騎士のなかでも特に異能の扱いに長け、総長のアイン・セルナートを除けば一、二を争う実力を持つと噂される男だ。そんな男と行動を共にする若い女騎士がいると言う噂は、騎士団の中でも有名な話だった。
実力が何よりも優先される世界だ。リースのように若くして守護騎士の補佐に任命される従騎士も確かにいるが、副長のトマスは騎士団のなかでも古参の騎士だ。普通に考えれば、従騎士になって数年の若い騎士が補佐を任される相手ではない。その異例とも言える抜擢をされた従騎士がロジーヌだった。
「え? エステルさんたち、いま王都にいるんですか?」
「聞いとらんのか? 一ヶ月ほど前にツァイスを訪ねてきてたから、その時に約束してたんかと……」
王都に向かうと聞いて、てっきりエステルたちに会いに行くものだとケビンは思っていたのだ。
しかし何も聞かされていない様子のティータの反応から、それは勘違いだったのだと気付かされる。
「エステルさんがツァイスに? そんな話、誰からも……」
「ああ、もしかして俺……なんか、余計なことを言ったぽい?」
「ケビンは余計な一言がいつも多い」
リースの容赦のないツッコミが、ケビンの胸に突き刺さる。
落ち着いているように見えて考えが足りないというのは、師であるアインからもよく言われていたことだった。
「ケビンさん、お願いします。知っていることがあったら教えてください!」
「いや、でもな……ちょい、リースさん。急に立ち上がって何処に行く気――」
「うっかり口を滑らせたのはケビンの責任。だから責任はケビンが取る」
ケビンを置いて、その場を逃げるように立ち去るリース。そんなリースを引き留めようとケビンは腰を上げるが、ティータの小さな手がそんなケビンの服の裾をギュッと掴んで放さなかった。そして――
「はは……こりゃ、まいったわ……」
薄らと涙を浮かべ、真剣な眼差しで尋ねてくるティータを見て、ケビンは観念した。
◆
あの会談から三日が経過し、朝早くから勇ましい声と激しい音が船に響いていた。
「くっ! なんで当たらないのよ!?」
カレイジャスの一角に設けられた訓練室で向かい合うリィンとエステル。愛用の棍を振り回すが、そのすべてが尽くリィンに避けられ、エステルは焦りを隠せない様子で叫ぶ。模擬戦を開始してから三十分以上が経過しているが、リィンは反撃するどころか腰の武器すら抜いていなかった。
リィンが強いことはわかっていたつもりでも、こうも簡単にあしらわれると思っていなかったエステルは悔しさを表情に滲ませる。これでも少しは自信があったのだ。少なくともB級遊撃士の名に恥じない実力はあるつもりだった。
しかしリィンから言わせれば、この結果は当然と言えるものだった。
「そんな腑抜けた攻撃が当たるか。やるからには殺す気で来いと言っただろ」
「模擬戦でも打ち所が悪かったら大怪我じゃすまないわよ」
「そういう心配は俺に武器を抜かせてからにしろ。半端な実力で加減なんかして本気で鍛練になるとでも思っているのか?」
「うっ……それは……」
「訓練に参加したいと言ってきたのはお前だ。なら、こちらの流儀に従え」
団の訓練に参加させて欲しいと申し出てきたのはエステルの方だった。
少しでも〈暁の旅団〉の情報を得るために訓練への参加を申し出たと考えるのが普通だが、エステルの場合は裏を考えるだけバカを見る。シャーリィに「レンより弱い」と言われたことが気になっていたのだろう。本気で悔しがっているエステルを見れば、何も考えていないことは明白だった。
だからリィンも訓練への参加を許可したのだが、予想通りと言った結果に半ば呆れていた。
「動きはそこそこって感じだけど、やっぱり猟兵向きじゃないね」
「ん……背中を預けるには不安なタイプ」
「アンタたち容赦がないわね……彼女って、そんなに弱いの? B級って話を聞いたけど……」
ガラス越しにリィンとエステルの模擬戦を観察しながら、さらりと容赦のない感想を漏らすシャーリィとフィーに、アリサは溜め息交じりに尋ねる。
C級で一人前と言われるように、B級ともなればベテランと呼んで過言ではない。相手が悪すぎるだけで、シャーリィやフィーの言うようにエステルの実力が不足しているようにアリサには見えなかった。
そんなアリサの疑問に、フィーは表情一つ変えず淡々とした様子で答える。
「サラほどじゃないけど、強さだけならA級に近い実力があると思う。問題はそこじゃない」
「……どういうこと?」
「急所を避けて攻撃してるから狙いが読みやすい。たぶん殺さないように意識してるんだろうけど、それじゃ格下が相手ならともかく格上の相手には通用しない。リィンもそこに気付いている。だから――」
なるほど、とフィーの話に納得するアリサ。いまでは慣れてしまったが、最初の頃はリィンたちの訓練風景を見て、よく大怪我をしないものだとアリサも驚かされたことがある。勿論、本気で命の奪い合いをしているわけではないが、実戦を想定した訓練が彼等の日課になっていた。
それに比べエステルは強さだけならA級に近い実力を有しているが、人の命を奪うことに過剰なほど忌避感を抱いている。訓練でさえ、相手の身を気遣うくらいだ。甘いと言ってもいいだろう。
殺人を忌避するのは人として当然のことだ。一般人ならそれでもいい。しかし彼女は遊撃士だ。猟兵でなくともA級以上の遊撃士ともなれば、命の奪い合いを前提とした危険な依頼を受けることも珍しくはない。エステルが実績と実力の両方を満たしていながらA級に昇格できずにいるのは、そうした精神的に未熟な部分が大きく影響しているのだろう。
魔獣討伐や街の雑用など程々の依頼をこなして生活を送るだけなら、いまのエステルでも十分にやっていけるだろうが、先のクロスベルの一件からも明らかな通り、大人しく平穏な生活を享受できるような性格ではなかった。ましてや彼女はカシウス・ブライトの娘だ。望む望まないに関係なく、周りが放っては置かないだろう。
「半端な考えは捨てろ。いい加減、覚悟を決めるんだな」
だからこそ、リィンは冷たく言い放つ。エステルに足りないのは実力以前の問題だと考えてのことだった。
「覚悟って何よ……」
「わかってるんだろ? 敵を殺す覚悟だ」
以前にも味わった強烈な殺気を全身に浴びせられ、エステルは床に膝をつく。だが――
逃げ出したいという本能に駆られながらもエステルは唇を噛み、正気を保つことでリィンを睨み付ける。
「どうして……どうして簡単に殺すなんて言えるのよ!」
「なら逆に尋ねるが、相手が降参すればお前は助けてやるのか?」
「当然でしょ。戦意を喪失した相手に武器を振うことなんて出来るはずがないじゃない」
胸を張り、自信に満ちた声でリィンの問いに答えるエステル。確かに良識のある人間からすれば、模範的な回答と言えるだろう。
しかしそれはリィンの聞きたい答えではなかった。
「なら、その見逃した相手が他の場所で別の誰かを殺したら、お前はどうする?」
「……え?」
一瞬、リィンが何を言っているのか分からずエステルは呆ける。そんなことは考えたことがなかったからだ。
見逃してやったところで、その場凌ぎの言い逃れという可能性もある。実際、戦場で命を拾った猟兵崩れと呼ばれる者たちの大半は野盗に堕ちることが多い。何もこれは猟兵に限った話ではなく、世の中には真っ当な生き方の出来ない連中が大勢いると言うことだ。
「それどころか、逆恨みからお前の友人や家族を襲うこともあるかもしれない。その時、お前はどうするんだ?」
「そ、そんなこと……」
「遊撃士は困った人の味方だから、人の恨みを買わないとでも思っているのか? なら、その甘い考えを捨てろ。どこでどんな恨みを買っているかなんて誰にも分からない。そんな甘い考えじゃ、いつか大切なものを失うことになるぞ。カシウス・ブライトのようにな」
リィンがそこまで口にすると、エステルは感情を顕にした。
いまにも飛び掛かってきそうな表情で睨み付けてくるエステルに、リィンは容赦なく言葉を叩き込む。
「はっきりと言ってやる。お前の母親を殺したのはカシウスだ。親子揃って同じ失敗を繰り返すつもりなら勝手にしろ」
その直後だった。姿勢を低くし地面を大きく蹴ると、一気にリィンとの距離を詰めるエステル。一瞬の迷いもなくリィンの喉元目掛けて根を突き出す。しかし攻撃を予測していたかのように、上半身を横に反らすことでエステルの攻撃をリィンは難なくと回避する。
だが、そこで終わりではなかった。続けて弧を描くように根を横凪に振うエステル。今度の攻撃は避けきれないと判断したリィンは右手で腰のブレードライフルを抜き、下から得物を弾くように振り上げる。そして――
体勢を崩したエステルの腹部に武器を持っていない方の手で、掌底を叩き込んだ。
「あっ、加減を間違えたか……」
大きく宙を舞い、地面を転がるエステルを見て、リィンはしまったと言った表情で呟く。思いの外、エステルの攻撃が鋭かったために力の加減を誤ったのだ。だが、エステルは立ち上がった。
立ち上がるのがやったと言った感じではあるが、まだそれだけの体力が残っていることにリィンは驚かされる。三十分以上、根を振り回した後であれだけの動きをして、致命的とも言えるダメージを負ったのだ。常人であれば、起き上がる体力など残っているはずもない。まだまだ未熟な点が多々あるが、さすがに幾つもの激戦を潜り抜けてきただけあって根性と体力はなかなかのものだとリィンは感心する。
「あたしは何を言われたっていい……でもっ!」
根を握り締めてリィンを睨み付けるエステル。その目はまだ戦意を失っていなかった。
母親を亡くしてエステルも辛い思いをしたが、そんなエステルから母親を奪ってしまったこと、最愛の妻を守れなかったことを最も後悔したのはカシウスだ。そのことはエステルが一番よく理解していた。同じようなことを自分も考えたことがあるからだ。
百日戦役と呼ばれる戦争が起きた時のことだ。帝国軍の砲撃によってロレントの街は壊滅的な被害を受け、エステルの母親は彼女を庇って死んだ。幼いエステルの代わりに崩落した時計塔の下敷きになって命を落としたのだ。
自分がもっと早く避難していれば、家で大人しくしていれば、母さんは死ななかったかもしれない。そんな風に考えることもあった。
だけど、そうして悲しみや後悔を引き摺って生きることを、母さんはきっと望んでいない。そうエステルは自分に言い聞かせ、後ろを振り返ることを止めたのだ。
哀しくない。寂しくないと言えば嘘になるが、前を向いて生きること――
それが母さんの死を無駄にしない。命を救われた自分に出来る精一杯のことだと思ったからだ。
皆、辛くても前を向いて生きている。そんな人たちの頑張りを嘲笑うかのように、何も知らない人に父さんや母さんのことをバカにして欲しくはなかった。
満足に武器を振う力も残されてはいないだろう。それでも構えを解かないエステルを見て、リィンは笑みを漏らす。
「やれば出来るじゃないか」
何を言われているのか分からず警戒するエステルだったが、リィンの右手にある武器を見てようやく気付く。
あれだけやっても無理だったのに、いつの間にかリィンに武器を抜かせることに成功していた。
その事実に無我夢中でエステル自身、気付いてはいなかったのだろう。
「さっきのは言葉が過ぎた。死者を愚弄するつもりはなかったんだ。許してくれ」
「え……あ、うん」
あっさりと謝られると思っていなかったエステルは話の流れについて行けず、反応に困った様子を見せる。だが冷静に考えれば、おかしな点に気付く。
あんなことがあった後なのに周りの反応が普通なことが、エステルの推測を裏付けていた。
「根性だけは認めてやる。だが本当に守りたいもの、大切なものを見誤るなよ」
そう言い残して立ち去るリィンの背中を、困惑を隠せない様子でエステルは静かに見送った。
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