――帝都ヘイムダル、鉄道憲兵隊庁舎。

「上手く行ったみたいですね。彼のことですから心配はしていませんでしたが……」

 専用の執務室でリベールから届いた第一報に目を通し、クレアはこれからのことを考える。リィンが騎神専用の武器に期待を寄せているように、機甲兵を更に発展させた次世代兵器の開発は、軍の再編と強化に着手するクレアにとっても可能な限り進めておきたい懸案だった。
 結社に対するカードという意味もあるが、やはり目先の問題は未だに暗躍を続ける貴族派勢力への対応と、共和国への対処にあると言っていい。 帝国からすればクロスベルの問題はあくまで数ある懸案の一つに過ぎず、優先順位は前の二つに比べればずっと低いものだった。と言うのも、いまは大人しくしている共和国も、クロスベルの問題が片付けば動き出すことは間違いない。その時、国内の不穏分子も共和国の動きに同調する恐れがあり、そのことをクレアは警戒していたからだ。
 エリィ・マクダエルを利用してクロスベルを併合する計画に帝国が乗ったのは、他のことに力を割く余裕がなかったためだ。一度は撤退に追い込まれ、ガレリア要塞を消滅させられていることを考えれば、次は以前よりも多くの戦力でクロスベルへ攻め込む必要がある。当然そんな真似をすれば共和国に動きを察知されるだろうし、最悪クロスベルを占領するだけの話では済まなくなる。国内に問題を抱えた状態で共和国との戦争に突入することは、帝国としても出来ることなら避けたい事態だった。
 ましてや考えたくもないが、ガレリア要塞を消滅させられた時のように未知の力で軍が壊滅されるような事態に陥れば、今度こそ帝国は窮地に追い込まれることになる。情報が不足している現状では、そんな危険を冒すような真似が出来るはずもなかった。

「セドリック陛下も着実に足場を固めておられるみたいですね」

 もう一通の報告書には、ここ最近の宮廷内の動きについて書かれていた。
 現在、帝国には大きく分けて三つの勢力がある。先の内戦で活躍した革新派と呼ばれる勢力。これは旧い帝国の制度を見直すことで貴族社会を廃し、国民主導による社会体制を築こうとする動きだ。
 もう一つは貴族派。こちらは逆に優れた血統によって民は導かれ、国は運営されていくべきだとし、貴族の権利を守ろうとする動きで多くの既得権益を持つ大貴族を中心に、その庇護と利益を享受する貴族たちでまとまっていた。
 これまではその二つの派閥に分かれて争ってきたが、現在は二大派閥に左右されない第三の勢力――セドリックを頂点とした皇族派が他の派閥を押し退け、急速に力を付け始めていた。その理由として、先の二つの派閥の問題点が挙げられる。
 革新派と貴族派、そのどちらにも言い分はあるが、一つ言えることは革新派は改革を是として事を急ぎすぎる傾向にあり、それが帝国解放戦線のような組織を生みだし、貴族だけでなく多くの人間の反発を招く結果へと繋がっていた。
 貴族派にも問題はある。長く続いた貴族による支配体制が政治の腐敗を生み、先の百日戦役のような問題を引き起こしたことは確かだ。改革が必要な時期に嵌まっていることは明らかであるにも拘らず、そのことから目を背け既得権益を守ることにばかり執着している。ギリアス・オズボーンの強引な政策が内戦を早めたことは確かだが、遅かれ早かれ避けられない事態だったとクレアは考えていた。

 皇族派はそうした二つの派閥のやり方に付いていけない貴族で主に構成されている。以前は中立派と呼ばれていた貴族たちが大半を占め、ログナー候や一部の協力的な貴族を除けば中堅以下の貴族が多いことが特徴に挙げられるだろう。
 改革を必要とする基本方針は革新派とそう変わりはないが、それを皇帝を頂点とした新体制で進めようとするところに大きな違いがある。時代の流れに反する、中央集権化を加速させる動きだと非難する声も少なくないが、貴族制度を廃して民に政治を委ねたところで必ずしも上手く行くとは限らない。いや、このまま国を彼等に明け渡したところで数年と国は保たないだろう。
 帝国は大きくなりすぎた。その結果、貴族同士の対立や紛争が絶えず様々な社会問題が国を蝕んでいる。どうにか現状を維持できているのは、二百五十年続いたアルノール皇家の支配体制が現在もどうにか機能しているからだ。この支配体制が崩れれば、クロスベルのように各地で独立運動が起きることは避けられないだろう。その兆しは既に見え始めていた。
 だからと言って、このまま貴族たちの好きにさせれば一層の腐敗を招くだけだ。血統主義も度が過ぎれば害悪でしかない。特に彼等の主張は自分たちの権利を守ろうとすることに傾倒しすぎている。これでは帝国の未来はない。セドリックを頂点とした皇族派は、この状況を打破するために軍の統帥権を始めとした様々な権利を一旦、皇帝に戻すことで中央集権化を進め、数十年越しの緩やかな改革を進める計画でいた。
 百年先、いまの帝国が残っているかどうかは分からない。しかし後の世のために出来るだけの手は打っておきたい。
 それがギリアスに加担した自分に出来る唯一の償いでもあると、クレアは考えていた。それに――
 ギリアスのやり方は非難されるものだったが、すべてが間違いだったとは思えない。

「もう一緒に夢を見ることは出来ませんが、私は私のやり方でこの国を変えていきたいと思います」

 決着の日が近づいていることを察し、窓ガラスに右手を添え、黄昏に染まる空を見上げながらクレアは呟いた。


  ◆


「待たせたね」
「いえ、僕も少し前に手が空いたところですから」

 遅れてやってきたオリヴァルトを出迎えるセドリック。バルフレイム宮殿上層の懇談室で二人は待ち合わせをしていた。
 ここで話をしようと呼び出したのはセドリックの方だ。懐から一通の手紙を取りだし、それをオリヴァルトに見せるセドリック。

「リベールから通商会議への参加要請がきました」
「なるほど、やはりそうきたか。では、話と言うのは?」
「はい。兄様には帝国の代表として、昨年と同じく会議への参加をお願い出来ないかと」

 呼び出された理由を察して、オリヴァルトは納得の表情を見せる。
 アリシア二世がアルフィンを通じてリィンを自国へ招いたことから、こういう流れになるのではないかと予想は出来ていた。
 だから特に驚きはなかったが、

「浮かない顔をしているね。何か気になることでも?」

 少し思い悩んだ表情のセドリックを見て、オリヴァルトは気になって尋ねる。これだけであれば呼び出すほどの用事でもない。元より、この大事な時期にセドリックが帝国を離れるわけにはいかないことはわかっていたので、オリヴァルトは自分が行くつもりでいたのだ。
 それにセドリックが略式の戴冠式を済ませて、まだ半年と経っていない。年若い皇帝と侮られ、プリシラ皇妃に至っては息子を傀儡として後見人に収まった簒奪者と揶揄されているくらいだ。勿論、表立ってそんなことを口にする者はいないが、そうした噂が宮廷内で囁かれていることは確かだ。いま国の中核である二人を失うわけにはいかない。暗殺の危険も考えると、この時期に帝都を離れるのは愚行と言えた。
 そのことはセドリックもわかっているはずだ。だからオリヴァルトに自分の名代として通商会議へ出席してくれないかと頼んでいる。
 ならば相談したい話と言うのは、別にあるのだとオリヴァルトは考えた。

「アルフィンのことです。兄様もお気づきですよね?」
「ふむ……それは〈暁の旅団〉を使って、アルフィンが領邦軍の砦を壊滅させた件についてかい?」
「それもありますが、ここ最近のアルフィンは彼女らしくないと言うか……。こんなことを続けていれば、いつか帝国にアルフィンの居場所はなくなってしまう。そんな気がするんです……」

 セドリックが何を危惧しているかを察したオリヴァルトは、どうしたものかと迷う。
 それはオリヴァルトも感じていたことだが、むしろアルフィンはそうなることを望んでいるように思えてならなかったからだ。
 アルフィンは帝国の皇女という身分に執着はしていないのだろう。それどころか、いまの彼女はそれを煩わしく思っているのかもしれないとオリヴァルトは考える。帝国のため、セドリックのために打てるだけの布石を打ち終わったら、潔く身を引くつもりのだとオリヴァルトはアルフィンの考えを察していた。だから躊躇いがない。その覚悟と決意を見たからこそ、オリヴァルトもアルフィンの行動を見守ることにしたのだ。
 しかし、それをセドリックに説明したところで理解を得られるかどうか、そこが問題だった。

「セドリックはどうしたいんだい?」
「アルフィンや兄様が僕のために、いろいろと手を回してくださっていることは理解しています。でも、僕だって守られてばかりは嫌なんです。こんなことを言うのは皇帝として失格かもしれませんが、僕は家族の力になりたい」

 しかしオリヴァルトが思っているよりも、ずっとセドリックは大人だった。
 何も先の内戦を通して成長したのはアルフィンだけではない。迷いながらも一歩ずつ足を踏みしめ、セドリックも成長をしていると言うことだ。
 真剣な眼差しで訴えてくるセドリックを見て、オリヴァルトは自分の愚かさに気付かされる。

「本当なら兄様にも余り負担を掛けたくない。でも他に相談できる相手もいないから……だから力を貸してもらえませんか? アルフィンには幸せになって欲しいんです」
「……そういうことか。フッ、さすがは僕の弟だ」
「兄様?」

 そういう話なら断る理由はなかった。オリヴァルトはアルフィンが決めたことなら成り行きに任せようと考えていた。しかし双子の姉のために出来ることをしたいと言うセドリックの気持ちも分からなくはない。いや、家族の幸せを願うのは当然のことだ。そんな簡単なことをセドリックに教えられるとはオリヴァルトも思っていなかった。
 それだけに自然と笑みが溢れる。

「自分で思っているより、立派な皇帝をしていると僕は思うよ。父上を越える名君と噂される日も遠くはないかもね」
「そ、そんなこと……僕なんて、まだまだで……」

 少なくとも姉想いの弟であることは間違いない。家族一人幸せにできない、人の想いを理解できない人間に皇帝となる資格があるはずもない。
 本人は否定するが、人の上に立つ資質をセドリックは十分に備えているとオリヴァルトは感じていた。
 何よりアルフィンの驚く顔が見られるかと思うと、久し振りに悪戯心が芽生えてくる。
 この場にミュラーがいれば呆れたことだろうが、これはオリヴァルトなりの愛情表現でもあった。


  ◆


 ティータと同じ便で王都に到着したケビンとリースは、カラント大司教の計らいでグランセル大聖堂で世話になっていた。
 ベッドの上であぐらを掻き、愛用のボウガンを手入れをするケビンに不安そうな表情でリースは尋ねる。

「ケビン、どうしても行くの? 総長に掛け合えば、まだ……」

 夕食の席でカラント大司教より、明日カレイジャスより迎えが来ることを二人は知らされた。
 元よりそのつもりで王都に来たとは言っても、相手が相手だけにリースは言葉には出来ない不安を抱えていた。
 アルティナの話はカラント大司教からも聞かされているが、未だに罠の可能性を捨てきれないからだ。

「幸い、あちらさんから接触してくれたお陰で口実を考える手間も省けた。折角やから招待に与ろうやないか」

 落ち着いた様子でリースの質問に答えるケビン。そんなケビンの姿を見て、リースは不満げな表情を浮かべる。別にリースは我が身可愛さに言っているのではない。ケビンの身を心配してのことだった。
 クロスベルでも無茶をして聖痕の力を使いすぎた影響で、先日まで満足に動き回ることも出来なかったのだ。ほぼ完治したとは言っても力が完全に戻ったわけではない。次に無茶をすれば命に関わる可能性もある。もし罠だった場合、そんな状態で戦える相手でないことはケビンにもわかっているはずだった。
 それだけに、どうしてそんなにも落ち着いていられるのかとリースが思うのも当然だった。

「どうして、そんなに落ち着いていられるの?」
「警戒したところで、どうにかなるもんやないしな」
「警戒しない方が変。これまでの相手とは比較にならないこともそうだけど、特に団長の彼――リィン・クラウゼルは得体が知れなさすぎる。注意しすぎることはないと思う。ケビンは考えが足りなすぎる」

 遠慮のないリースの物言いに、ケビンは苦笑いを浮かべる。言いたいことは分からないでもなかった。
 実際、戦って勝てるような相手でないことはケビンも理解している。トマスが教会に提出した報告書には、リィン・クラウゼルの強さはアイン・セルナートに匹敵するほどだと記されていたからだ。
 メルカバ経由で送られてきたその報告書には、ケビンとリースも目を通していた。恐らく守護騎士全員に通達がされているはずだ。アインの強さをよく知るケビンとリースには到底信じられないような話ではあったが、最低でも最強クラスの達人と考えて対処しなければ痛い目に遭う相手だということは理解した。
 教会が最高クラスの脅威度を与えた相手だ。騎神などの装備も加味すれば、本気で小国程度なら落とせるのではないかと思えるほどの戦力を〈暁の旅団〉は有している。そのくらいのことはケビンもわかっていた。
 だが――いや、だからこそ必要以上に警戒したところで、どうしようもない相手だとケビンは考えていた。
 ある意味で開き直りと言ってもいいだろうが、まったく考えなしと言う訳ではない。
 リースには話していないが、騎士団の上――封聖省からケビンに内密の命令が下っていたからだ。

(リィン・クラウゼルを〈外法〉として処分せよか。まったく無茶を言ってくれるで……)

 上の命令は絶対だ。しかし、この命令はどこか変だとケビンは感じていた。
 星杯騎士団は確かに封聖省の管理する組織だが、ケビンの直接の上司は総長のアインをおいて他にいない。それがどう言う訳か騎士団を通り過ぎて、ケビンに直接命令が通達されることなどこれまでになかったことだ。状況から察するに、恐らくはアインもこのことを知らされていないのだろうとケビンは察していた。
 頑なに総長に助けてもらおうと話すリースを諫め、騎士団に連絡を取らせないようにケビンがしているのはそのためだ。

「もう、どうなっても知らないから」

 ベッドに横になり、背中を向けて毛布に包まるリースを見て、怒らせてしまったかとケビンは頭を掻く。
 しかし、本当のことを話すわけにはいかなかった。恐らく自分たちの行動は監視されている。下手な行動を取ればアインに迷惑を掛けるだけでなく、リースも危険に晒す可能性をケビンは危惧していた。そのことに気付いたのは、ロジーヌの名前がでた時だ。
 メルカバ経由で守護騎士に届けられた調査報告書。あれはトマスからのメッセージだったのではないかとケビンは考えていた。

(いずれにせよ、明日になればすべて分かるはずや)

 何が待ち受けていてもリースだけは守って見せる。そんな覚悟を滲ませながら、ケビンは眠りに付くのだった。



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