船のブリッジで杖を掲げ、エマは魔術を展開する。白い光を放ち、薄らと足下に広がる魔法陣。何かを探るように意識を集中するエマの邪魔をしないように、リィンとブリッジのクルーたちは静かにエマの反応を待った。
 一分ほどそうしていただろうか?
 ブリッジを包み込む静寂が不思議な緊張を漂わせる中、エマは杖を下ろし小さく息を吐いた。

「アーティファクトと思しき魔力の波長を検知しました。数は五、恐らくは私が使っていたアーティファクトと同種のもので姿と気配を隠しているのかと。でも、よく気付きましたね」
「王都に着いてからずっと妙な視線を感じていたからな。恐らくシャーリィも気付いていると思うぞ」
「それがおかしいと言っているんですが……もう、いいです」

 リィンの話に渋々と言った様子で自分を納得させるエマ。魔女が常識を問うような日が来るとはエマも思ってはいなかったが、相手がリィンたちでは仕方がないと諦める。最近ではリィンやシャーリィだけでなく、フィーにもアーティファクトで姿を消すのは通用しなくなってきていた。
 本人たち曰く慣れと言う話だが、慣れでどうにかなるような代物でないことはエマが一番よく知っている。認識そのものを阻害し、姿だけでなく気配すらも対象に気付かせず接近することが可能なアーティファクト。悪用すれば、盗みを働くことも要人の暗殺すら容易に可能だろう。個人で所有していることが教会に知られれば、回収対象になることは間違いない一級品のアーティファクトだった。
 だから普段はこれがアーティファクトとバレないようにエマは使用を控え、腕輪に魔術を掛けて隠しているくらいだ。
 だと言うのにリィンたちには、まったくと言っていいほど効果がない。姿が見えているわけではないらしいが、それを視線や直感だけで察知するなどエマからすれば非常識にも程がある話だった。

「それで、どうされるのですか?」
「役者も揃ってきたしな。そろそろ頃合いだろ。招かれざる客には退場してもらうだけだ」

 エマに魔術による探知を依頼したのは大凡の位置を掴むためで、ただの確認だった。
 リィンの言葉からエマは自業自得とはいえ、敵ながら相手を哀れに思う。まさか、気付かれているとは考えにも及んでいないはずだ。
 同じ非常識を味わった身としては、相手に同情せざるを得なかった。

『リィン。言われた通り、こっちの準備は終わったよ』

 その時だった。ブリッジに通信が入り、騎神と同じ名前を冠した武器を肩に担ぎ、完全武装したシャーリィの姿がスクリーンに映し出される。
 その後ろには同じく武装したヴァルカンやスカーレットの姿も映し出されていた。

「エマ、敵の位置は捉えているな?」
「はい。おおまかな位置しか言えませんが……まあ、大丈夫ですよね」
「十分だ」

 エマに確認を取ると右手を空に掲げ、リィンはシャーリィたちに指示を飛ばす。

「お楽しみの狩りの時間だ。盛大に歓迎してやれ!」

 リィンの合図を待っていたとばかりに目を輝かせ、真っ先に船から飛び出して行くシャーリィ。その後を若干呆れた様子でヴァルカンやスカーレットも追い掛ける。その動きに呼応するように、太陽のエンブレムが入った黒のジャケットを纏い、ブレードライフルで武装した十名ほどの団員たちが街中へと散っていく。
 リィンが引き取った帝国解放戦線の元メンバーは、そのほとんどが非戦闘員だったが、だからと言ってまったく武器が扱えないと言う訳ではない。むしろ銃器や機械の扱いに長けた者が多く、バックアップを任せるには優れた人材が多かった。そのなかでも特に戦闘適性が高いメンバーを選出し、ヴァルカンの訓練を耐え抜いたのが彼等だ。
 今回の仕事は実戦で彼等が使えるかどうか、その運用試験も含まれていた。

「リィンさん、どちらへ?」

 てっきりブリッジで指揮を執るものと思っていたエマは、何処かへ行こうとするリィンに声を掛けて尋ねる。

「そろそろ客が来る頃だからな。後のことは任せる」

 そう言い残してエマに背を向け、リィンはブリッジを後にした。


  ◆


「騒がしいわね。何かあったの?」
「今日は部隊の運用試験があるそうなので、その所為ではないかと」
「忘れそうになるけど、猟兵団の船なのよね。ここ……」

 エリィの質問に敢えて本当のことには触れず、多少の真実を混ぜてリーシャは答える。リーシャが何か隠していることにはエリィも気付いていたが、そのことに触れるつもりはなかった。
 自分でも言ったように、ここは猟兵団の船だ。リィンの話に乗った時点で、ある程度の覚悟はしていたからだ。
 それに人の醜さをエリィはよく知っている。そうした魑魅魍魎が跋扈する政治の世界を幼い頃から祖父や両親を通して、ずっと見てきたからだ。
 そのことを考えれば、まだ契約に忠実な猟兵(かれら)の方が信用が出来るとエリィは考えていた。

(猟兵団と手を組んだと言ったら、ロイドはなんて言うかしら……。でも、クロスベルを存続させるには彼の計画に乗るしかない)

 あれからいろいろとエリィは考えたが、やはりどう考えてもリィンの案以外にクロスベルが生き残る道は思いつかなかった。
 独立宣言やクロイス家の問題を差し置いても、クロスベルの社会情勢は末期状態に陥っていると言っていい。やり方はともかくディーター・クロイスがあのような強硬手段に出ざるを得なかったのは、普通のやり方ではクロスベルを変えることなど出来ないと考えたからだ。その点はエリィも同意見だった。
 リィンの計画にもデメリットがないわけではない。帝国に併合されれば共和国との関係は悪化するだろうし、下手をすれば戦争に巻き込まれる可能性もある。しかしそれは何もしなくても同じだ。
 どちらにせよ大国の庇護を受けることでしか、いまのクロスベルが存続する道はない。
 ならば、少しでも条件の良い方にエリィは賭けることにしたのだ。

「これは?」

 そんな風にエリィが考えごとをしていると、リーシャが一通の手紙をエリィの前に置いた。
 机の上に置かれた手紙を見て、誰からの手紙なのかとエリィは疑問を口にする。
 しかし、次の瞬間――その手紙に貼られた封蝋を見て、驚きから声を失った。

「隼の紋章……まさか、これはリベール王家の……」
「はい。女王陛下からの招待状だと、リィンさんからは伺っています」

 リーシャの話に緊張した面持ちで、中身に目を通すエリィ。そこには丁寧な文章で通商会議への参加要請が綴られていた。
 恐らくこれはリィン宛てに届けられたものだろう。それを自分に見せた意味をエリィは考え、息を呑んだ。

「私にも、この会議に出席しろと……そういうことなのね?」

 エリィに問いにリーシャは無言で頷く。
 その意味を考え、エリィは呼吸を整えると来るべき時が来たと言った様子で覚悟を決める。
 それは、決行の日が近いことを示していた。


  ◆


「どうした! 返事をしろ! 何があった!?」

 次々に連絡が途絶していく仲間たちの通信。黒い外套に身を包んだリーダー格と思しき男は、焦りを隠せない様子で通信機に向かって叫ぶ。外套の下に覗き見えるのは騎士服と、腰に下げた剣の柄には天秤の紋章が刻まれている。その装備や服装からも分かるように、彼等はリースやロジーヌと同じ従騎士だ。いや、正確には守護騎士を補佐する騎士ではなく、封聖省の指示で主に対象の調査や監視などを請け負う、教会の狗だった。
 その監視対象は教会の敵だけでなく、本来は味方のはずの騎士団にまで及ぶ。そのため、姿を悟られないように強力なアーティファクトが与えられており、現在もその力を使って身を隠し、〈暁の旅団〉やケビンたちのことを密かに監視していた――はずだった。

「くそっ! どうなってる!?」

 男が焦るのも無理はない。彼等が身に付けているのは、エマの物と同じ姿や気配を隠すアーティファクトだ。これを身に付けている限り、存在を認識されることはない。ましてや位置を特定され奇襲を受けたことなど、これまでに一度もなかったことだ。なのに――彼等は奇襲を受けていた。
 ケビンがリィンの暗殺に成功すればよし、失敗したとしても消耗したケビンやリースの口を封じることは難しい話ではない。
 その罪をリィンになすりつけることで騎士団を〈暁の旅団〉にぶつける。それが彼等に指示をだした上の計画だったのだ。
 ここまでは上手く行っていた。容易い仕事のはずだった。だが、結果は大きく違っていた。それと言うのも――

「みーつけたっと」
「な――ッ!?」

 背後から掛けられた声に驚き、男は大きく後ろに飛び退き腰の剣を抜いて構える。
 男の前に立っていたのは、身の丈ほどある巨大な武器を携えた赤毛の少女だった。
 血染めのシャーリィ。その名が男の脳裏に浮かぶ。

「うん、こっちも見つけたよ。そっちはどう? あ、じゃあ、こいつで最後だね。了解」

 陽気な声で通信機に耳をあて、誰かと連絡を取るシャーリィを見て、男は背筋に冷たいものを感じる。逃げられるなら、いまのうちに逃げたい。しかし背を向けた瞬間に、背中からバッサリと斬られるイメージしか男には浮かばなかった。
 見た目通りの少女でないことは、その肩に担いだ巨大な武器を見れば分かる。
 ――テスタ・ロッサ。騎神と同じ名前を冠するチェーンソーライフル。血染めの名の代名詞ともなった武器だ。〈赤い星座〉とは星杯騎士団も任務で衝突したことがあり、大きな痛手を負わされたことのある相手でもあった。
 アーティファクト絡みではなかったため、これまで〈外法〉認定を受けることもなく教会の粛清対象に名が挙がることはなかったが、それでもシャーリィ・オルランドと言えば、騎士団の危険人物リストのなかでも最高クラスの脅威度に認定された怪物だ。守護騎士に劣る自分では、まともに戦って敵う相手でないことは男も理解していた。

「……どうして、俺たちの位置が分かった?」
「直感かな? まあ、あんなに分かり易い視線を飛ばしてたら、誰だって分かるよね」

 化け物め――と、男は心の中で悪態を吐く。
 一級品のアーティファクトだ。その程度のことで位置を特定できるはずもないことは、男が一番よく理解していた。
 一か八か、男はアーティファクトを起動し、再び姿を消すことで逃走を試みる。だが――

「だから無駄だって――の!」
「ガ――ハッ!?」

 あっさりと男の位置を特定し、シャーリィは力任せに武器を横凪に振い、男に叩き付ける。
 メリメリと身体に武器が食い込む音が聞こえ、全身の骨が軋むような衝撃に襲われたかと思うと、男は床を転がって民家の壁に叩き付けられた。

「リィンからは捕らえるように言われてるけど、抵抗されるのも面倒だし手足の二、三本は折っても仕方ないよね」
「な、な……にを……言って……」

 二、三本どころの話ではない。会話をするのすら困難なほど、さっきの一撃で全身の骨を砕かれ、男の意識はいまにも途絶えそうになっていた。

「あれ? もしかして――もう終わりなの?」

 かなりの加減をしたつもりだったのに、あっさりと意識を失った男を見て、シャーリィは予想外と言った顔を浮かべる。
 教会の騎士という話を聞いていたから、少しは期待をしていたのだ。ゆっくりと楽しむつもりだったのだろう。しかし強くなっているのは、リィンやフィーたちだけではなかった。
 ノルド高原での猟兵との戦いや、暴走した騎神との一対一での戦闘。更には異世界での経験が糧となり、シャーリィは眠っていた力を開花させつつあった。
 バルデルやシグムントと言った最強クラスの領域に足を踏み入れつつあることに、まだシャーリィは気付いていなかった。


  ◆


「これが〈紅き翼〉……」

 リースは目の前の船に圧倒された様子で、溜め息交じりに呟く。
 カレイジャスの全長は七十五アージュ。これはアルセイユの二倍近いサイズに相当する。
 当然、アルセイユとそう変わらないメルカバよりも大きく、物々しくも重厚感溢れる姿は戦艦と呼んだ方がしっくりとくる存在感を放っていた。

「話には聞いとったけど、ごつい船やな。こんな船を下賜されて普通に運用できるやなんて……猟兵ってのは、そんなに儲かるんか?」
「私も部外者なので詳しくは知りませんが、皇女殿下との再契約で帝国から受け取った報酬は十億ミラを軽く超えていると聞いていますね」
「じゅっ……!?」

 ケビンとロジーヌの会話を隣で聞いていたリースは悲鳴にも似た声を上げる。
 無理もない。幾ら最強クラスの猟兵団だからと言っても、普通では考えられないような額だ。
 帝国がどれほど〈暁の旅団〉との関係を重視しているか、その話を聞くだけで窺えるような報酬の額だった。

「こちらへどうぞ」

 ロジーヌの案内で船の中へ足を踏み入れるケビンとリース。昨晩ケビンに話したこともあって、リースは周囲を警戒しながらロジーヌの後を付いていく。普段と彼女の様子が違うのは、〈暁の旅団〉を警戒し過ぎて神経が過敏になっていることも理由にあった。
 そのことにケビンは気付いていたが、いまのリースに何を言っても怒らせるだけだと思い、敢えて黙っていた。
 どちらにせよ、ここまできてしまった以上、もう逃げ道はない。腹を括るしかないのはケビンも同じだったからだ。

「ん? 下に降りるんか?」
「はい。格納庫でリィンさんがお待ちです」

 なんで、そんな場所にと不思議に思うケビンだったが、船倉――格納庫に到着して、その理由をすぐに察した。
 緋と灰、目の前にそびえ立つ二体の騎神。リィンが見せたかったのは、これなのだとケビンは気付く。
 そして、それは一つの答えを示していた。

(やっぱり全部お見通しってことか……ほんと、侮れんやっちゃな)

 教会が騎神の回収を諦めていないことに、最初から気付かれていたのだとケビンは理解する。
 ここに案内されたと言うことは、自分の狙いにも恐らく気付かれているのだろうとケビンは察し、息を呑んだ。
 これは警告だ。それでも教会の指示に従って行動をするのなら受けて立つ、というリィンの意志なのだとケビンは受け取った。
 だとするなら――

「ロジーヌさん。アンタもやっぱり……」
「すみません。出来ることなら事情を説明したいところですが、私も詳しいことは教えられていないので。ですが、ライサンダー卿はすべて承知の上だと言っておきます」

 詳しく話を聞かずとも、それだけで事情を察するには十分だった。
 騎神を見上げて放心するリースの手に、ケビンは何も言わずに自分の手を重ねる。
 無言で手を繋いできたケビンに驚きながらも、リースは手を握り返す。その時だった。

「さすがに理解が早いな。もう、大凡の事情を察したか」

 背後から掛けられた声に驚き、ケビンとリースは振り返る。
 そこには胸と背に太陽のマークが入った黒いジャケットを纏った黒髪の若者が立っていた。

「自己紹介の必要はないと思うが、〈暁の旅団〉団長リィン・クラウゼルだ」



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.