「ご無沙汰しています」
「おう。こうして直接会うのは一年振りくらいか? 今日はエステルは一緒じゃないんだな」
エステルたちがツァイスに向かっている頃、ヨシュアはボースの空港で一人の男と会っていた。
熊のような体格をした髭面の大男、名はドルン・カプア。元は帝国の貴族だったのだが、悪徳商人に騙されて莫大な借金を背負い、領地と財産の大半を失った過去を持つ男だ。その後、残された家臣や弟妹と一緒に空賊に身を落としていたのだが、ヨシュアたちと共にリベールの異変を解決に導いた功績から恩赦を受け、現在は悪事から足を洗って小さな運送会社を営んでいた。
「えっと……はい。エステルは今、別行動を取っています。それで依頼の件なんですが……」
「おお、そうだったな。こいつが、お前さん宛の届け物だ」
何かあったと察するもドルンは敢えて詮索しようとはせず、山積みにされた荷物の中から小包を探し出し、それをヨシュアに手渡す。
配達伝票には差出人の名前は記されていないが、この小包が誰からの届け物かヨシュアは察していた。
荷物の差出人はアリオス・マクレイン。いまは元が付くが、クロスベル支部を代表するA級遊撃士だ。
剣の腕だけならカシウス・ブライトをも凌ぐと噂される八葉一刀流の達人で、一度はギルドを脱退してクロスベルの国防長官に就任するも、マリアベルの企みに気付き、大統領の相談役をしていたイアン・グリムウッドと共に政府を離反する。その後、表向きは行方知れずとなっていたが、ヨシュアは密かにドルンを通じてアリオスと連絡を取り合っていた。
「すみません。危険な仕事を任せてしまって……」
「気にすんな。金をもらって荷物を送り届ける。それが俺等の仕事だ」
このことが明るみになれば、ドルンたちにも危険が及びかねない。
他に頼れる相手がいなかったとはいえ、そんな危険な仕事を彼等に任せてしまったことをヨシュアは負い目に感じていた。
しかしドルンはヨシュアの気持ちを察して、気にするなと笑って返す。そして――
「そうそう。それに、こうして商売が出来るのも、お前等のお陰みたいなもんだしな」
頭上から掛けられた声に反応してヨシュアが顔を上げると、そこにはドルンと同じ青髪の若者が飛行艇の甲板から顔を覗かせていた。
キール・カプア。そのスラリとした体型からは似ても似つかないが、これでも血を分けたドルンの弟だ。
「ヨシュア!」
「……ジョゼット!?」
そんなキールの後ろから顔を出し、船の甲板から飛び降りる青髪の少女を、ヨシュアは驚きながらも全身で受け止める。
ジョゼット・カプア。ドルンとキールの妹、カプア一家の末っ子だ。
「全然連絡を寄越さないからさ。クロスベルの話を噂に聞いて、心配してたんだからな!」
「ごめん。いろいろとあって……でも、ジョゼットも元気そうで安心したよ」
「え……あ、うん。まあ……」
実は彼女、密かにヨシュアに好意を寄せていた。
ヨシュアと再会したら、いろいろと話したいことがあったのに思うように言葉が出て来ない。
いつもの勝ち気な性格はなりを潜め、顔を赤くして俯くジョゼットを見て、ドルンは豪快に笑う。
「ガハハッ! ヨシュアに会えて、元気がでたみたいでよかったじゃねえか!」
「うっさい! ドルン兄! そういう恥ずかしいことをヨシュアの前で言うなよな!?」
あっさりと秘密を暴露されてドルンに詰め寄り、真っ赤な顔で抗議するジョゼット。
そんな相変わらずの二人を見て、キールは苦笑しながらヨシュアに声を掛ける。
「また随分と危険なヤマに首を突っ込んでるみたいだが、大丈夫そうなのか?」
「正直に言うと少し厳しいと思います。でも、止めて聞くような性格じゃありませんから……」
「まあ、そうだよな。お互い、苦労させられるな……」
それもそうかとヨシュアの話を聞き、キールは納得の表情を見せる。
暴走しがちな妹と、お人好しが服を着て歩いているような兄の二人に挟まれ、彼も言葉に出来ない苦労を背負っていた。
それだけにジョゼットを見れば、ヨシュアの苦労も察することが出来る。
それに現在の生活があるのも、ヨシュアたちとの出会いがあったからだとキールは考えていた。
「何か困ったことがあったら、いつでも俺たちを頼ってくれ。さっきも言ったが、お前等には借りがあるからな」
そんなキールの気遣いに感謝し、ヨシュアは「はい」と小さく頷き、アリオスからの小包に視線を落とす。
本来であれば、クロスベル問題にこれ以上、首を突っ込むべきではないのだろう。リィンの言うように、いまの自分たちでは介入したところで本当の意味で問題の解決にはならないとヨシュアにもわかっていた。
それでも――
家族の力になると決めたヨシュアの心に迷いはなかった。
◆
グランセル大聖堂の地下へと続く螺旋階段に四人の男女の姿があった。
先頭を歩くのはケビン。その後ろにリィンとアルティナ、リースの三人が続く。
(雰囲気が旧校舎の遺跡に似ているな)
どこか旧校舎の遺跡や、精霊窟に似た雰囲気を感じ取るリィン。
リベールとの盟約で大昔に教会が建造したものという話だが、もしかするとこの遺跡の建造にも地精と呼ばれる種族が関わっているのかもしれない。
(そう言えば、リベール王家も古代人の末裔という話だったか)
女神から託された至宝の一つ〈輝く環〉を利用することで、繁栄を極めた空中浮遊都市リベル=アーク。その管理を担っていたとされる一族が、現在のリベール王家の祖先だ。
そのことを考えれば、地精の末裔が生きていたとしても不思議な話ではない。結社や教会の持つ技術と知識は、明らかに他と一線を画していることからも、そうした古代人の末裔が組織の関係者にいるのではないかとリィンは考えていた。
そうこう考えごとをしていると、階段を降りた先で壁に行き当たり、アルティナが沈黙を破るように疑問を口にする。
「……行き止まり?」
「いや、例のアーティファクトと同じ認識阻害の術が掛けられているみたいだな」
あっさりと教会の施した侵入者除けの仕掛けを見破り、アルティナの疑問に答えるリィン。
これにケビンとリースは驚くも先日の一件を思い出し、すぐに納得の表情を見せる。
そして――
「あー。この先は暗示を受け入れて、誓約してもらわんといかんのやけど……」
「必要ない。そもそも、そうした術は俺には効果がないだろうしな」
「……は?」
教会の秘密を守るため、『この場で見たものを信用の置ける者以外には誰にも話してはならない』という誓約を受け入れなければ、奧へと続く扉が見えない仕掛けになっていた。
普通なら法術による暗示を受け入れなければ、この先に進むことは出来ない。しかし元より教会を信用していないリィンは、そんな約束を守るつもりも暗示を受け入れるつもりもなかった。
右手を壁に添え、意識を集中するリィン。すると、白い光と共に魔法陣のようなものが浮かび上がり、壁に亀裂が走ったかと思うと魔法陣が砕け散る。そして先程まで何もなかった壁に、装飾の施された巨大な扉が姿を現した。
「行くか」
「いやいや!? いま、何をしたんや!?」
「単に扉に掛けられていた術を解体しただけだ。この能力の所為で、並の魔術や異能の類は俺には効果がないしな。悪いが諦めてくれ」
特に悪びれた様子もなく、肩をすくめながらリィンはケビンの質問に答える。
アーティファクトの一件から、リィンが異能の類を無効化する能力を持っている可能性はケビンも疑っていたが、目の前で教会の施した封印をあっさりと解除されれば、その話を信じるしかない。
とはいえ――
「これ、上にどう報告すれば……」
扉に施された封印は完全に消し飛んでいた。再び術を掛け直すとなれば、本国から専門の術士を呼び寄せる必要があるだろう。
このことを上にどう説明したものかと頭を抱えるケビンを見て、リースは巻き込まれまいと後退りながら距離を取る。
「リース?」
「無理。私は何も見てない。だから、こっちに話を振らないで」
相方の無慈悲な言葉に打ちのめされ、床に両手両膝をつくケビンだった。
◆
(これが〈始まりの地〉のレプリカか)
円状に広がる巨大な空間を眺めながら、リィンは周囲に漂う力の密度に眉をひそめる。
恐らくは高位属性が働いているのだろうと予想するが、このマナの濃さは異常と言っていい。
(なるほどな。確かにこれなら外に影響がでることはない。アーティファクトの封印には打って付けの場所と言うことか)
仕組みまでは分からないが、この場所全体が一種の異界と化していると考えれば納得が行く。
以前、煌魔城に乗り込んだ時と同じ空気を、リィンはこの場から感じ取っていた。
「早速はじめるとしよか。中央の祭壇に進んでくれるか?」
ここまできた目的を果たすため、アルティナに指示をだすケビン。
そして確認を取るように、アルティナはリィンを見上げる。
「行ってこい。何があっても尻拭いくらいはしてやる」
リィンの言葉に静かに頷き、アルティナは中央へと歩みを進める。不安がないと言えば嘘になるが、彼女は既に覚悟を決めていた。
命令されるがまま動くのではなく、自分で考えて初めてだした答え。まだ人間らしく生きるという意味の答えはでていないが、アルフィンたちと接するうちに自分のなかの何かが変わっていくのをアルティナは感じ取っていた。
「空の女神の名において、聖別されし七耀、ここに在り――」
聖句を口にすると、空に向かって腕を掲げるケビン。すると白い光がアルティナの身体を包み込み、光の紋様を床に刻み込んでいく。
恐らくは精神に干渉する類の術なのだろうが――
「なんだか、やばそうな雰囲気だが大丈夫なのか?」
「少し様子がおかしい」
まるで反発するようにバチバチと音を立てる光を見て、様子がおかしいことにリィンとリースは気付く。
瞳孔が開き、アルティナの額に浮かび上がる黒い紋様。それが彼女に埋め込まれた疑似聖痕だということは、魔術や法術に詳しくないリィンにも察することが出来た。そして――
アルティナを中心に光の柱が立ち上り、突風のような衝撃がリィンとリースに襲い掛かる。
姿勢を低くして、その場に踏み止まる二人。霊力を帯びた煌めく風が渦を巻くように収束していく。
「成功したのか?」
ようやく風が止み、リィンが中央の祭壇へと視線を向けると糸が切れた人形のように首と肩を落とし、静かに佇むアルティナの姿があった。
それだけではない。いつの間に着替えたのか?
全身を包み込む漆黒の衣装は、出会った頃のアルティナが身に付けていたものだ。
その様子に嫌な気配を感じ取り、リィンは思わず身構える。
「成功した……と言いたいところやけど、悪い。敵の方が上手やったみたいや」
リィンの問いに汗を滲ませながら答えるケビン。その時だった。
「――空間転位!?」
リースの悲鳴にも似た声が辺り一帯に響く。
アルティナの頭上の空間が歪み、そこから漆黒の影が姿を見せる。
「……クラウ=ソラス?」
まさかと言った顔で、影の正体を呟くリィン。
それは動きを停止し、カレイジャスの倉庫に保管されているはずのアルティナの相棒の姿だった。
青い光を関節の隙間から放ち、無言で宙に浮かぶ姿は異様な不気味さを感じさせる。
「深層心理に干渉すると自動的に働くトラップが仕組まれてたみたいや……」
「ようは失敗したってことか?」
「いや、術は成功した。せやけど、あの傀儡が外部の干渉から守るために、彼女の精神を取り込んでもうたみたいや」
ケビンの話を聞き、そういうことかとリィンは納得する。アルティナと〈クラウ=ソラス〉は、騎神と起動者の関係のように精神で繋がっている。だからこそアルティナの感応力をエマの魔術で抑え込んでいたのだが、ケビンの法術によって魔術の効力が弱まり、〈クラウ=ソラス〉との精神リンクが再び効力を発揮したのだろう。
いや、ケビンの話から察するに、こうなることを見越して〈クラウ=ソラス〉にも細工をしていたと考えるのが自然だ。
(嫌な予感の正体はこれか……)
ケビンが万が一に備えて、この場所を選んだようにリィンも最悪の事態を想定していた。
だからアルティナと〈クラウ=ソラス〉を引き離していたと言うのに、まさか空間転位まで備えているとは考えてもいなかった。
しかし騎神にも可能な以上、結社の人形兵器に同じことが出来ないというのは甘い考えだったと、いまになると思う。
実際ヴィータたちが転位魔術を行使しているところを何度も目にしているのに、まるで考えが足りていなかった。
自分の考えが甘かったことを認め、リィンは腰の武器を抜きながら前へと歩み出る。
「どうするつもりや?」
「決まってるだろ? アレが暴走する前に破壊する」
「待つんや! そんなことしたら――」
「アルティナの精神にも影響がでかねないって言うんだろ? そんなことはわかってるさ」
通常の精神リンクと違い、アルティナの精神は〈クラウ=ソラス〉に取り込まれている状態だ。
クラウ=ソラスを破壊すれば暴走は止まるかもしれないが、同時にアルティナの精神も破壊しかねない。そのことはリィンもわかっていた。
だが、空間転位を備えている以上、ここに閉じ込めておくのは不可能だ。逃走を許せば、街に被害がでかねない。
そうなる前に片を付ける必要があるとリィンは考えていた。そのことはケビンも理解しているのか、苦い表情を浮かべる。そして――
「なんのつもりだ?」
「引き受けた仕事を途中で投げ出すほど、俺は無責任な男やないで」
「私はケビンの従騎士だから……。それに、ご馳走してもらった御礼もまだしてない」
武器を構え、リィンの横に並び立つケビンとリース。そんな二人に訝しげな視線を向けながらも、呆れた様子でリィンは溜め息を漏らす。
幾ら引き受けた仕事とは言っても、この二人にとっては他人事だ。出会って数日の少女のために命を張る理由はない。
お人好しにも程がある危険な行為だ。だが――
(類は友を呼ぶと言うが、俺も他人のことは言えないか)
エステルの顔が頭を過ぎり、そんなことを心の中で口にするリィン。
だがアルティナの件に関して言えば、他人のことをとやかく言えないことはリィンも自覚していた。
思えばアルティナに、ルトガーに拾われた頃の無気力なフィーの姿を重ねていたのかもしれないとリィンは考える。
彼女を殺さなかった――いや、殺せなかったのは、その所為とも言えるだろう。
「……アルティナを救えると思うか?」
「そんなことやってみんと分からん。でも最初から諦めるような真似はしとうない。あんな想いをするのは二度とごめんや……」
過去の出来事を思い起こしながら、ケビンは悲痛に満ちた顔でリィンの問いに答える。その隣でリースも哀しげな表情を浮かべる。
打算など抜きに本気でアルティナを救いたいという想いが、その言葉と表情から察することが出来た。
(切り捨てるのではなく、救うための戦いか……)
リィンは目を伏せ、逡巡する。エステルにも言ったように、自分の考えが間違っていたとリィンは思っていない。
一瞬の躊躇いが、自分だけでなく仲間の命をも危険に晒す。そうした世界でリィンはこれまで生きてきた。
いまも頭の何処かで最悪の結果を招く前に、早くアルティナを殺すべきだと囁く声が聞こえる。
だが、それと同じくらいアルティナを助けたいと考えている自分がいた。
「足を引っ張るなよ」
「それは、こっちの台詞や。リース! フォローは任せたで!」
「了解。ケビンも無茶をしないで」
合理的ではないと思いつつも、リィンは余計な考えを振り払う。
術は成功したとケビンは言っていた。ならば、まだ手は残されている。
少しでもアルティナを救う可能性を上げるため、リィンは二人と共闘することを決めた。
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