「今回の件、わたくしは完全にとばっちりですよね?」
「ああ、まあ……そうとも言えなくはないかな?」
アルフィンにジト目で睨み付けられ、リィンはそっと目を逸らしながら答える。
あれから三日。リィンの起こした騒ぎにより、城の方は大きな騒ぎになっていた。
というのも粛清と言っては大袈裟かもしれないが、今回の件に関与した者たちを中心に大規模な人事異動が行われていたからだ。
リィンの狙い通り、カシウス・ブライトが動いたと言うことだ。とはいえ――
「大変だったのですよ。最初は無視しようと思っていたらクローゼに泣きつかれて、仕方なく対応に回ったら王国軍からは〈暁の旅団〉が捕らえた罪人をリベールへ引き渡すようにと、しつこいくらい何度も何度も何度も同じことを要求されて……」
「まあ……俺たちの雇い主ってことになってるしな。普通に考えれば、帝国に容疑者を確保されたら焦るだろうしな。うん、悪かった」
「……本当に悪いと思っています?」
アルフィンが怒るのも無理はなかった。今回の件、彼女は何も聞かされていなかったのだ。
なのに矢面に立たされ、その尻拭いを手伝わされたのだから文句の一つも言いたくはなる。
リィンが何故そのような行動を取ったのか、大凡の予想は付いているが、それでも本人の口から説明してもらわなくては気が収まらなかった。
「それで、どうされるのですか?」
「どうするも何も……連中なら、もうここにはいないぞ」
「……え? どういうことですか?」
確保した容疑者のことをアルフィンは尋ねたのだが、既にここにはいないと聞いて目を丸くする。
「帝国大使館から迎えがきたからな」
「……迎えですか?」
帝国大使館から迎えがきたと聞いて訝しげな表情を浮かべるアルフィン。
そんな話は聞いていないし、予想もしていなかった展開だった。だが――
「ミュラーだよ。オリヴァルトに頼まれて様子を見に来たみたいだな。そういうことだから、後の交渉は帝国政府に任せることにした。その方が嫌がらせ……リベールも手を出し辛いだろうしな」
「いま、嫌がらせと言いかけませんでしたか?」
「気の所為だ」
リィンの話を聞いてアルフィンも納得する。このまま〈暁の旅団〉の元に彼等を置いておくよりは、帝国の管理下に置いた方が国としてリベールも手を出し辛くなることは間違いない。リィンとしても煩わしい交渉をせずに済み、帝国に貸しも作れるという算段だ。
クレアあたりなら、この件を上手く利用するだろうとリィンは考えていた。それはアルフィンも同意見だ。
しかし問題がまだ一つ残っていた。
「リベールはそれで良いとしても、教会がそれで納得するでしょうか?」
「回収したアーティファクトは返却したしな。トマスが上手くやっていれば、それ以上は何も言って来ないだろう」
トマスの思惑が上手くいけば、今回の件に関与していた首謀者は更迭され、騎神の確保に執着していた勢力は大きく数を減らしているはずだ。利用されたのは気に食わないが、そのことで教会から狙われる可能性が少しでも減るならリィンとしても喜ばしいことだった。だから敢えてトマスの思惑に乗ったという部分もある。捕らえた騎士の件は、ちょっした意趣返しのようなものだ。
しかしアルフィンはまだ納得していない様子でリィンに尋ねる。
「何もせず、素直に返還したのですか?」
「なんだ? 意外そうな顔をして」
「いえ、リィンさんなら相手が教会でも容赦なく法外な金銭を要求したり、無茶な条件を突きつけていそうだと思って……」
酷い言い草だが、これまでのリィンの行いを考えれば否定も出来なかった。
実際、帝国すら半ば脅しのような交渉を持ち掛けられ、騎神の権利や法外な契約金をせしめられた過去がある。相手が七耀教会だからと言って遠慮をするような性格でないことは、アルフィンが一番よく知っていた。
それに、もう一つ懸念があった。騎士が所持していたというアーティファクトのことだ。
エマの物を見て、その効果はアルフィンもよく知っている。それだけに悪用された時のことを心配していたのだ。
実際、教会はその力を利用して〈暁の旅団〉を監視、リィンの暗殺を企てていた節がある。
そんなものを教会に返還すれば、また悪事に利用されるのではないかと考えるのは自然なことだった。だが――
「また悪用されることを心配しているなら大丈夫だ。もう、ただの古い腕輪だしな」
アルフィンが何を心配しているか察したリィンは肩をすくめ、アルフィンの疑問に答えた。
◆
「それが例のアーティファクト?」
「ああ、そうや」
「でも、普通の腕輪にしか見えない。ケビン、騙されたんじゃ……」
大聖堂の一角に用意された滞在中の部屋で、何の力も感じない腕輪をケビンに見せられたリースは訝しげな表情を浮かべる。
「間違いない。これは〈隠者の腕輪〉や。どう言う訳か、力を失っとるみたいやけどな……」
「……まさか、封印されてるの?」
アーティファクトの封印。言葉にするのは簡単だが、それが事実ならリースがこれまでに学んできた常識を覆す話だった。
アーティファクトに封印を施せるほどの術者は教会でも限られている。そのため、〈始まりの地〉のレプリカが各地の大聖堂の地下に建造され、秘匿されているのだ。そのことを考えれば外部の人間が、力を微塵も感じさせないほど完璧な封印をアーティファクトに施せるなんて俄には信じがたい話だった。
実際リースにも同じ真似が出来るかと問われれば、不可能と答えるしかない。
「いや、文字通り力が消失しとる。どうやったかは知らんけど、また分かり易い警告をしてくれるで……」
「……どういうこと?」
「教会がアーティファクトの回収を主張する根拠はなんや?」
「知識の乏しい人間がアーティファクトの使用を誤れば暴走の危険がある。だから教会が適切に管理をする必要がある」
「そうや。実際にアーティファクトの暴走が原因で起きた悲惨な事件は過去に幾つもある。騎士団の仕事は、そうした悲劇を未然に防ぐことにあると言ってもいいやろ。まあ、表向きの理由はな……」
自分たちのやってきたことが、すべて間違っていたとはケビンも思っていない。確かにリィンの言うように教会にも負の側面がある。しかし教会の働きによって災厄を免れた事件、救われた人々がいることも事実だ。
同じような悲劇を繰り返さないため、誤った知識での使用と暴走を防ぐために教会が危険なアーティファクトを回収し管理する。
そのこと自体にケビンは異を唱えるつもりはないが、それには問題が一つあった。
「だが、教会の力を借りんでもアーティファクトの暴走を止める手段があるとしたら、どうや?」
「……アーティファクトの封印は教会にしか出来ない」
「一応、そういうことになっとる。でも……」
リースの言うようにアーティファクトの封印は教会にしか出来ない。一応そういう風にはなっているが現実は違う。
教会は確かに優れた技術と知識を有しているが、それは唯一無二のものではない。教会と同じか、それ以上の技術と知識を持っている組織は他にも存在する。通称〈結社〉の名で知られる〈身喰らう蛇〉などが最たる例で、教団を裏で操っていたとされる錬金術師の末裔――クロイス家もそのなかに含まれるだろう。
「リィン・クラウゼルは、アーティファクトの効果を無効化できる?」
「たぶんな。いや、無効化なんて生易しいもんと違う気がするわ。これ……」
そして信じられないような話だが、アーティファクトの機能を無効化できると言うことは、〈暁の旅団〉――リィン・クラウゼルもそのなかに含まれると言うことだ。
それは教会がアーティファクトの回収と管理を主張する根拠が崩れることを意味する。
教会の力を借りずとも自分たちの力で対処が出来るのなら、そうした者たちにアーティファクトの危険性を訴えたところで意味はない。
「ようするに騎神を回収する根拠を教会は持たないと言うこと?」
「そうなるな……。もっともアーティファクトの悪用も教会は禁止しとる。極論を言えば、猟兵の仕事は戦争をすることや。戦争に騎神を用いれば、それを悪用と見做すことも出来なくはない。そやけど……」
騎神の戦争利用を非難することは簡単だ。しかし、それは猟兵の存在を否定することに繋がる。
当然そんな主張をすれば、〈暁の旅団〉を完全に敵に回すことになるだろう。それでは元の木阿弥だ。
ケビンとしても〈暁の旅団〉と事を構えるのは出来る限り避けたかった。
「副長が警戒していたのは、この力?」
「恐らくな。これがアーティファクトだけに限定された方法なのか、それとも異能全般に効果があるのか、そこが問題やけど……」
「……もしかして聖痕の力も無効化される?」
「もしそうなら、総長と互角って話も誇張やないかもな……」
聖痕の力がなければ、守護騎士など普通の人間だ。ケビンよりも剣や術の扱いに長けた騎士は大勢いる。実際、聖痕抜きであれば、ケビンとリースの実力に大きな開きはなかった。
そんな教会の騎士を、殺さずに捕らえて見せた〈暁の旅団〉の実力は本物だ。なかでもリィンの実力は猟兵王に迫るとさえ噂され、最強の一角に数えられるほどであることを考えれば、聖痕の力抜きで敵うような相手ではない。まともに地力で渡り合えるのは、アインくらいだろうとケビンは考えていた。
「問題はこの手紙の中身か……」
「ケビン。盗み見ようなんて考えないでよ? 総長の怒りを買って巻き添えは困る」
「そんな恐ろしいこと、俺でもようやらんわ。せやけど、この手紙に下手したら教会の命運が懸かってるかと思うとな……」
この手紙が原因でアインの怒りを買い、リィンと敵対することにならないかとケビンは心配していた。
アインは私情で組織を動かすような人間ではないと理解しているが、それでも不安は尽きない。
だからと言って中身を確認せずに手紙を捨てることも出来ないし、盗み見るなんて恐ろしい真似が出来るはずもない。
正直なところ自分の手に余る仕事だとケビンは痛感し、安易に引き受けたことを後悔していた。
「今更だけど、大変な仕事を引き受けたよね。割に合ってない?」
「……後悔してるところやから、それ言わんといてくれるか?」
リースの改めて現実を突きつけられ、ケビンは深い溜め息を漏らす。
この先も騎士団と〈暁の旅団〉の間で板挟みとなり、終わりの見えない苦労を背負い込むことになるのだが、そのことをケビンは知る由もなかった。
◆
「――ちゃん! エステルお姉ちゃん!」
「え……」
自分を呼ぶティータの声に気付き、ハッと顔を上げるエステル。
エステルは今、レンとティータと一緒にツァイス行きの飛行船に搭乗していた。
「ツァイスに着いてからの予定を確認してたんですけど、聞いてました?」
「あ……ごめん。ちょっと、ぼーっとしてたわ」
あはは、と誤魔化すように頭を掻きながらティータに頭を下げるエステル。
そんなエステルを見て、ティータは心配そうな表情を浮かべる。
「あの……体調が優れないなら酔い止めのお薬ありますけど……」
エステルの様子がおかしいことを心配して、どこか体調が優れないのではと考えるティータ。
しかしエステルは「大丈夫だから」と、なんでもないかのように答える。とはいえ、明らかにエステルの様子がおかしいことは誰の目にも明らかだった。
そんななか不安げな表情でエステルを見詰めるティータを見て、レンは溜め息を吐きながら二人の間に割って入った。
「放って置けばいいわ。リィンに一方的にボコボコにされたことを、まだ気にしてるのよ」
「ぐっ!」
ティータにだけは知られまいと隠していたことをレンに暴露され、エステルは呻き声を上げながら胸を押さえる仕草を見せる。
「リィンさんって、やっぱり強いんですか?」
「そうね……レンの知ってる人のなかで一、二を争うくらい強いと思うわ」
勿論、他にもっと強い人がいることくらいはティータもわかっているが、それでもエステルはティータにとってヒーローのような存在だった。自分にはないものを持っているエステルに憧れのようなものを抱いていたのだ。
だからこそ、レンから話を聞いたティータは驚きを隠せなかった。
話には聞いていたもののリィンがどの程度強いのか、はっきりと理解はしていなかったためだ。
「レンでも敵わないのだもの。エステルじゃ勝てなくて当然。それなのに一人で挑むなんて勇気を通り越して無謀よ。その上、最初から結果のわかりきったことで悔しがって落ち込んでるんだから――ただのバカね」
「あ、アンタね……」
「だから気にする必要なんてないのよ。自分より強い相手に負けるのは当たり前のことなんだから――」
眉間に青筋を立てるも目を逸らしながら話すレンを見て、呆気に取られた表情を見せるエステル。
頬を紅く染めるレンを見て、言い方はともかく彼女なりに励ましてくれているのだとエステルは理解した。
「ありがとね、レン。でも悔しいことは確かだけど、負けたことはそこまで気にしてないわ。ただ、アイツのことが分からなくて……。言葉はきついし、人の傷口を平然と抉ってくるし、偉そうで無神経で人の命なんて何とも思ってない冷血な奴なのに……」
言葉にするだけで、リィンに対する怒りが湧き上がってくるのをエステルは感じる。なのに――
嫌な奴だとは思う。だけど不思議とリィンのことを嫌いにはなれなかった。
その理由が分からず、言葉に出来ないモヤモヤを胸に抱えて思い悩んでいたと言う訳だ。
そんなエステルを見て、不思議そうにティータは首を傾げる。
「どうかしたの? ティータ」
「えっと、なんだか話を聞いてるとアガットさんみたいだなって……」
「アガットみたい?」
「なんとなくそう思ったんですけど、態とそういう態度を取ってるんじゃないかなって」
ティータの話を聞き、まさかと言った顔を浮かべるエステル。
だが、そう言われてみれば思い当たる節がないわけではなかった。
とはいえ、そのことを素直に認めたくないエステルは否定の言葉を口にする。
「とても演技には見えなかったけど……」
「でも話に聞いていたより、ずっと優しい人だと思いますよ」
味方だと思っていたティータの口から、そんな言葉がでると思っていなかったエステルは驚きと困惑の入り混じった複雑な表情を見せる。
少なくとも他の誰に聞いたところで、リィンを見て第一印象が『優しい人』と答えることが出来る人物はいないだろうとエステルは断言できた。
ティータがリィンのどこを見て優しいと判断したのか分からず、そのことをエステルは尋ねる。
しかし意外な答えが返ってきた。
「だってレンちゃんのことも助けてくれましたし、お母さんのことも許してくれましたから。アガットさんもよく周りの人に誤解されるけど、本当は凄く良い人だって知ってるから、リィンさんもきっと良い人だって思うんです」
心の底から、そう思っているのだろう。キラキラとした眼で語りかけてくるティータに気圧され、エステルは堪らず目を背ける。
そんな二人を見て、呆れた様子で肩をすくめるレン。リィンが良い人というのは疑問が残るが、ティータの言っていることも間違いとは否定しきれなかった。
他に思惑があったのは確かだろうが、こうしてツァイスに向かっているのもレンのためと言えなくもないからだ。
(やっぱり、あたしはアイツを認めることは出来ない。でも……)
ティータに言われたからではないが、少しだけリィンのことを信じてみようとエステルは考える。
――本当に守りたいもの、大切なものを見誤るなよ。
そんなエステルの頭を過ぎったのは、リィンが残した言葉だった。
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