空間が歪み、そこから異質な雰囲気を纏った二人の少女が姿を見せる。
片方はローブを纏い、眼鏡を掛けた落ち着いた物腰の少女。右手には銀の長杖を手にしている。
もう一人の少女は東方の装束に身を包み、背丈ほどある大剣を手にした少女。その眼光はナイフのように鋭く、銃で武装した男たちですら思わず気圧されるほどの強者の気配を纏っていた。
目の前の少女たちが只者ではないことは、戦いに疎いヘンリーにすら察することが出来た。
そんなかでダドリーは驚きを隠せない様子で少女の名前を呼ぶ。
「リーシャ・マオ!? それに――」
東方の装束に身を包んだ少女――リーシャの名を呼び、もう一人の少女に目を向けるダドリー。
彼女の顔にも見覚えがあった。例のルーレで開かれた記者会見の記事にリィンやリーシャと共に写っていた少女だ。
確か名は――そんなダドリーの疑問に答えるようにスッと頭を下げ、少女は自己紹介をする。
「初めまして。エマ・ミルスティンと申します」
「暁の旅団の……」
「私たちのことは、既にご存じのようですね」
説明する手間が省けて助かると言った様子で、エマは笑みを浮かべる。その年下の少女とは思えない落ち着いた雰囲気に、ダドリーは息を呑む。
リーシャのように強そうにも見えない。一見すると何処にでもいる町娘と言った雰囲気の少女だ。しかしダドリーの捜査官としての勘が警笛を鳴らしていた。
「どうかされましたか?」
「い、いや……」
エマに声を掛けられ、誤魔化すようにダドリーは顔を背ける。
彼女と目があった瞬間、心を覗き込まれたかのような感覚に襲われ、思わず目を逸らしたのだ。
(こいつはまずいな……)
ダドリーとのやり取りを観察していたセルゲイは、恐らくリーシャが護衛でエマが交渉役なのだろうと察する。しかし人数的に有利とは言っても戦闘になった場合、目の前の二人に勝てるイメージはまったくと言って良いほど湧かなかった。
特にエマの得体の知れなさはセルゲイも感じていた。真っ当に戦闘をするタイプではない。だとするなら姿を見せた時点で、何らかの手は打っているのだろうと予想が出来た。そもそも突然、何もない空間から姿を見せた術――あれはリーシャではなくエマがやったことだろうとセルゲイは推察していた。
それに軍に屋敷を取り囲まれている状態で、彼女たちと事を構えるなど無謀も良いところだ。ならば話し合いでどうにかするしかない。
その考えはヘンリーも同じだったようでセルゲイの視線に気付き、首を縦に振ると皆を代表してエマに尋ねた。
「先程、取り引きと言ったかね?」
「はい。取り引きに応じて頂ければ、ここにいる皆さんの安全は保障します」
「……もし断った場合は?」
「聡明なマグダエル議長なら、お分かりと思いますが?」
エマの半ば脅しとも取れる発言に眉をひそめるヘンリー。だが、彼女の言うように手詰まりだったことは事実だ。
ここでエマの提案を断れば、軍に投降するか、玉砕するかの道しかない。それはヘンリーとしても避けたい事態だった。
老い先短い自分はよくとも、まだ若いダドリーや彼等には生きて欲しいと心から願っていたからだ。
「キミたちなら、この状況をどうにか出来ると?」
「私たちが、この場にいることが証明にはなりませんか?」
エマの話を聞き、先程の不思議な術を使えば外の兵士に気付かれることなく屋敷を脱出することが可能かもしれないとヘンリーは考える。実際、彼女たちは誰にも姿を見られることなく屋敷へと潜入している。それにセルゲイやダドリーにも気配を悟らせることなく部屋に侵入したというのは、二人の実力を知る者たちからすれば驚きだった。
確かに彼女たちなら可能かもしれないと考え、ヘンリーは対価に何を求めるつもりなのかエマに尋ねた。
「そちらの条件は?」
「議長の身柄は、こちらで預からせて頂きます。ですが、ご安心ください。私たちはただ議長が安心して余生を暮らせるように、亡命先のお世話をさせて頂きたいだけです」
「逃亡≠フ手伝いではなく亡命$謔フ世話ときたか。それはキミたちの背後にいる国と言うことでいいのかな?」
暁の旅団が帝国の皇女に雇われていることは周知の事実だ。だからこそ今回の件にも、彼女たちの背後に帝国がいるものとヘンリーは考えていた。
そんなヘンリーの疑問に、エマは懐から取り出した一通の手紙を手渡すことで答える。
訝しげな表情を浮かべながらも、受け取った手紙に目を通すヘンリー。そして中身に目を通していく内に段々と表情が強張っていく。
「これは……まさか、本当にエリィが……」
「そのことも私たちに付いてきて頂ければ、お分かりになるかと」
その手紙はエリィのしたためたものだった。孫娘の筆跡をヘンリーが見間違うはずがない。
想像を遙かに超えた事態に、ヘンリーは驚きを隠せない様子でエマに尋ねる。無理もない。帝国が背後にいるのかと思えば、まさか今回のことに孫娘が関与しているとは彼も思ってはいなかったからだ。
この手紙の内容を何処までを信じていいものか、判断に迷うヘンリー。だが少なくとも確かなことが一つだけあった。
このまま国防軍に捕まってしまえば、手紙の内容を確かめることも出来ないと言うことだ。
そう考えたヘンリーは覚悟を決め、賭に出ることにした。
「条件がある」
「議長!?」
そんなヘンリーとエマのやり取りを見守っていたダドリーは堪らずに声を上げる。帝国へ亡命すれば身の安全は保障されるかもしれないが、それでは人質と変わりがない。ましてや、この時期にヘンリーの身柄を帝国が欲しているということは、明らかに通商会議を見越してのことだと目に見えていた。最悪の場合、クロスベルに介入するための口実として利用されかねない。そのことにヘンリーが気付いていないはずもなかった。だが――
「取り引きとは言ったが、彼等がその気になれば私を拉致することなど難しい話ではない。ならば条件の良い内に、取り引きに応じるべきだろう」
ヘンリーの言うように〈暁の旅団〉が本気なら、このような取り引きを持ち掛ける必要はない。ダドリーもそのことには気付いていた。
取り引きと言ってはいるが、最初から答えは一つしか用意されていないと言うことだ。
それに自分たちだけでは、ヘンリーを無事にここから逃がすことが出来ないことも理解していた。それだけにダドリーは悔しさを表情に滲ませる。
(暁の旅団か……。ただの猟兵と言う訳じゃない。まだ、こりゃ何かあるな)
セルゲイもダドリーの悔しさや、ヘンリーの覚悟を感じ取っていた。だから敢えて口を挟まず、静かに経緯を見守っていた。
そんなセルゲイとダドリーを見て、ヘンリーは笑みを浮かべる。自分がいなくなったとしても、彼等なら後のことは上手くやってくれるだろうと確信してのことだ。
これで後顧の憂いはなくなった。ヘンリーはエマに取り引きに応じるための条件を提示する。
「キミたちの団長と話がしたい。それと、ここにいる全員を無事に逃がすことが条件だ。その約束が守られるなら、私はキミたちの言葉に従おう」
ここにいる全員の安全を保障すると言うのは、元よりエマから言いだしたことだ。彼等――反政府勢力には、まだやってもらうことがある。ここで彼等に死なれると困る事情がエマたちにもあった。
だからヘンリーを無理矢理連れ去るではなく、姿を晒して交渉を持ち掛けたのだ。グレイスに接触したのも計画の内だった。
しかし、そのことをこの場で知るのはエマとリーシャの二人だけだ。なのに――
敢えてリィンと話をすることを条件に付けたヘンリーの真意をエマは測りかねていた。
(もしかして、こちらの思惑に気付いた?)
あの手紙には何一つ核心に触れることは書かれていない。手紙から分かることはエリィが〈暁の旅団〉と手を結んだということくらいだ。普通ならそこから核心に近い答えを導きだすことは不可能に等しいだろう。
しかし目の前にいる人物は、ただの老人ではない。魑魅魍魎が跋扈するクロスベルの政財界で一癖も二癖もある議員たちの手綱を握り、帝国や共和国を相手に対等に渡り合ってきた大物政治家だ。リベールのアリシア二世に匹敵する外交手腕と実績を合わせ持った人物だった。だとするなら、何か勘付いたのかもしれないとエマは考える。
「わかりました。その条件を呑みます」
どちらにせよ、ヘンリーをカレイジャスへ招く予定だったのだ。
後のことはリィンが上手くやるだろうとエマは考え、ヘンリーの提案に頷いた。
◆
「これは……」
呆然とした表情で辺りを見渡すロイド。彼が到着した時には既にこの有様だった。
地面に横たわる白い軍服の兵士に近付き、ロイドは首筋に手を当てると息があるかを確かめる。
「生きてる。いや、これは……」
「ロイドさん。やはり全員、眠らされているようです」
周囲の様子を確かめて戻ってきたティオが、ロイドに状況を報告する。やはりそうか、と焦りと困惑を隠せない様子でティオの報告に頷くロイド。
明らかに普通ではない。誰がこれをやったのかは分からないが、これだけの人数を殺さずに無力化するなんて普通の人間に出来ることではなかった。
ハッと顔を上げ、屋敷を見上げるロイド。嫌な予感が頭を過ぎる。
「――ロイドさん!?」
急に走り出し、屋敷の中へと入って行くロイドを、ティオは慌てて追い掛ける。
元よりここにはヘンリーたちを救出するためにやってきたのだ。罠だということはわかっていたが、それも考慮して彼等を逃がすための準備を整えてきていた。
まさか、こんなことになっているとは思ってもいなかったが――
ふと、グレイスの言葉がティオの頭を過ぎる。
(強力な助っ人を頼んであるから心配は要らないとグレイスさんは言ってた。でも……)
助っ人と言うのは、最初はアリオスのことだとティオは考えていた。
しかし状況から察するにアリオスの仕業とは思えない。明らかに異質な力によるものだ。
(まさか、これは……)
嫌な記憶が蘇り、震える身体を押さえるようにティオは両手で自分の肩を抱く。
次に頭を過ぎったのは、ロイドのことだった。
「すぐにここから離れないと……ロイドさん!」
ロイドの姿を捜して屋敷の中を走り回るティオ。
手当たり次第に扉を開け放ち、二階の廊下を突き当たった先――奧の書斎でロイドの姿を見つけ、ほっと安堵の表情を浮かべる。
だが、その表情はすぐに一転した。
「……リーシャさん?」
部屋の奥、ロイドが見詰める先には、身の丈ほどある大剣を手にしたリーシャの姿があった。
街に現れた時のように、忽然と姿を消した劇場アルカンシェルの舞姫。その正体が、東方人街で語り継がれる伝説の凶手〈銀〉であることをロイドとティオの二人は知っていた。
そして消息不明になっていた彼女が帝国で目撃され、〈暁の旅団〉のメンバーとなっていることも――
それでも信じたくなかった。こんなカタチで彼女と再会をしたくはなかった。
「リーシャ。これをやったのはキミなのか?」
「はい。正確には、私の仲間≠ェですけど」
だからロイドは尋ねる。嘘であって欲しいという願いを込めて――
しかしリーシャはそんな二人の気持ちを知ってか知らずか、あっさりと自分たちのしたことだと認めた。
「ロイドさんなら必ず来ると信じていました。あなたが仲間を見捨てられるはずがありませんから……」
ここで待っていればロイドが必ず来ると、リーシャにはわかっていた。
リーシャもまた、そんな彼の正義感とお節介な性格をよく知る一人でもあったからだ。
「マクダエル議長や皆さんのことなら安心してください。今頃は船で市外へ向かっているはずです」
取り引きの内容を伏せながら、彼等が無事であることをリーシャは話す。
リーシャがまだ何か隠していることはロイドも察していたが、そのことを尋ねようとはしなかった。
聞いたところで素直に教えてはくれないだろうということはわかっていたし、それよりもリーシャと再会したら尋ねたかったことが一つあったからだ。
「聞かせてくれ。俺たちの前から姿を消した事情については理解できる。でも、どうして猟兵に?」
「私を必要としてくれる人に出会えたからです」
「でも、それは俺たちやイリアさんだって……」
リーシャを必要としている人たちは、このクロスベルにだって大勢いる。
それはイリアやアルカンシェルの皆だったり、ロイドやティオもそのなかの一人だ。
そのことはリーシャもわかっていた。
「ええ、きっと私の正体を知っても、イリアさんなら笑って受け入れてくれたと思います。ロイドさんたちも、そんなことで態度を変えたりなんてしない。そのことはわかっています。でも――だからと言って私のしてきたことが、過去がなかったことになるわけじゃない」
それでも彼等が必要としているのはリーシャ≠ナあって銀≠ナはない。
「私は〈銀〉――東方人街で語られる伝説の凶手。その姿もまた私≠フ一面なんです」
濃密な殺気が場を支配する。この姿では、まだロイドたちに見せたことのない〈銀〉としての彼女の力だった。
リーシャが彼等と共に表の世界で生きていくためには〈銀〉の仮面を脱ぎ捨てるしかない。しかし〈銀〉としての顔もまた、リーシャの一部だ。血に塗れた強さではあるが、父と娘を繋ぐ大切な絆であることも確かだ。数百年に及ぶ歴史の重みと歴代の〈銀〉の想いが、彼女の技のなかには受け継がれていた。その両方を受け入れ、肯定してくれたのはリィンただ一人だった。
「彼――リィンさんは私の過去や現在も関係無く受け入れてくれました。それにあの人たちは世間に疎まれ、人々に恐れられる立場にいても、自分を見失うことなく自然に生活を営んでいた。裏や表なんて関係ない。彼等にとっては、それが当たり前なのだと気付かされた時、私は心に決めたんです」
表の世界で生きるためには、裏の自分を殺すしかない。そう考えていたリーシャにとって、常識に囚われないリィンやシャーリィの自由な生き方は意外なものだった。
裏の世界の住人だからと言って、幸せになってはいけないなんて決まりは何処にもない。明日を後悔しないために、現在を精一杯楽しむ。そんな彼等の生き方がリーシャには眩しく思えた。
自分に正直なシャーリィの有り様が羨ましかったのだと思う。だからリーシャはリィンの誘いに応じた。自分らしく生きるために――
「もう二度と自分を偽ったりしない。彼のように――彼等のように生きてみたい、と」
それがリーシャが〈暁の旅団〉に入った理由だった。
ロイドはリーシャの想いに触れ、どうして彼女がクロスベルを離れて行ったのか、その本当の理由にようやく気付く。
ロイドは警察官だ。目の前の犯罪を見過ごすことは出来ない。だからこそリーシャが裏の世界から足を洗い、光の世界で生きることを心の何処かで望んでいた。それが彼女を悩ませ、苦しめていたことに気付かないまま――
ありえたかもしれない未来。クロスベルが〈赤い星座〉に襲撃されたあの日、イリア・プラティエが怪我を負わなかったことで運命は変わってしまった。
リィンがルトガーに拾われなければ、シャーリィと出会わなければ、また違った未来が待っていたかもしれない。でも、これがこの世界の現実だ。
拳をギュッと握り締め、苦しげな表情を浮かべるロイドを見て、自分のために思い悩んでくれているのだとリーシャは察する。そんな彼が相手だからこそ、リーシャは嘘を吐きたくなかった。だから――
ロイドの隣に立つティオに笑いかけ、リーシャは白い封筒に入った手紙を差し出す。
リーシャから不思議そうな表情で手紙を受け取るティオ。
「……これは?」
「エリィさんから、お二人に宛てた手紙です」
目を瞠って驚くティオ。ロイドも、まさかと言った様子で手紙に目を向ける。しかしエリィの無事を喜ぶよりも先に、ロイドの頭に疑問が過ぎった。
ずっと連絡が付かず、その安否を心配していたエリィからの手紙を、どうしてリーシャが持っているのか?
それは一つの答えを示していた。
「まさか、エリィも――」
「はい。〈暁の旅団〉にいます」
出来ることなら聞きたくなかった答え。しかし、それならエリィと連絡が取れなかった理由にも説明が付く。問題はエリィがどうして〈暁の旅団〉のもとにいるかだ。捕らえられている可能性も考えられなくはないが、こうして手紙を用意できると言うことは少なくともある程度の自由は与えられていると言うことだ。それにエリィに酷いことをするような連中の言うことに、リーシャが従うとは思えなかった。
さっきのリーシャの話からは、少なくともリィンたちに対する確かな信頼が読み取れた。だとするならエリィは無理矢理従わされているのではなく、何か理由があるものと考えられる。
「リーシャ。キミは……」
リーシャが仲間と一緒に逃げず、ここに残った理由を察したロイドはリーシャにそのことを尋ねようとする。
しかし、そんなロイドの疑問に答えず、リーシャは笑って誤魔化す。
そして一転して冷徹な表情を浮かべると、リーシャは二人に警告を発した。
「次に戦場で敵として見えれば、遠慮をするつもりはありません。私たちの障害として立ち塞がるのなら、その時は――」
――〈暁の旅団〉のリーシャ・マオとして相手をさせて頂きます。
そうリーシャが話を終えた直後、屋敷を眩い光が包み込んだ。
ティオを庇うようにロイドは抱き寄せる。そして――
「リーシャ……」
呆然とした声で、リーシャの名前を呟くロイド。
ようやく光が収まり、視界が晴れた時には彼女の姿は消えていた。
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