ツァオとの話を終えてカレイジャスへ戻ったリィンは、帰りを待っていたエマたちに隠し立てすることもなく事の次第を説明した。
 どちらにせよ、アリオスのことは黙っていたところで何時かは知られることだ。早いか遅いかの違いでしかない。
 特にエリィには下手に隠し事をして不審を持たれるよりは、今後のことを考えて正確に情勢を把握しておいて欲しいという思惑があった。

「アリオスさんが、どうして……」
「そんなことわかりきっているだろう。クロスベルのためだ」

 困惑を隠せないエリィの質問に、リィンは簡単なことだと答える。
 例えクロイス家の支配からクロスベルを解放したとしても、その後に待っているのは大国による支配とより厳しい現実だ。リィンと同じくアリオスもその考えに至り、占領後もこれまで通りにクロスベルの自治を現地政府に任せてもらえるように、自らを交渉の材料に共和国と取り引きをしたのだろう。
 今回の〈黒月〉の動きや、先の共和国のクロスベルへの侵攻も、そうした思惑と事情が絡んでいると考えれば納得が行く。
 そうした話をリィンから聞き、エリィは思い詰めた様子で複雑な表情を見せる。

「ようするに俺たちがやろうとしたことと一緒だ。俺たちは帝国の力を利用し、アリオスは共和国の力を借り、それを実現しようとした。結果だけを見れば、アリオスの目論見は失敗したわけだが、どちらにせよ目的は果たされたと言う訳だ」

 だから姿を見せた。共和国との関係を隠す必要がなくなったからだ。目的が同じなら、どちらに転んだとしてもアリオスに損はない。問題はどこまで帝国や〈暁の旅団〉を信用することが出来るかだが、それを確かめるためにアリオスはツァオと共にリベールへ赴いたのだろう。
 その結果、リィンがクロスベルの害になると判断したなら、アリオスは勝てないとわかっていてもリィンの計画を止めるために剣を振ったはずだ。
 そうまでしてクロスベルのために尽くす理由が彼にはあった。

 アリオスにはシズクという幼い娘と、サヤと言う名の妻がいた。しかし六年前、クロスベルで起きた導力車の爆発事故で妻を亡くし、同じく事故に巻き込まれた娘のシズクも両目の光を失ってしまう。しかし表向きは事故として処理されているが、実際には帝国と共和国のクロスベルの領有権を巡る争いが事故の原因だった。
 クロスベルの立場では真相を究明することも、両国の責任を追及することも叶わず、そんな現実に失望してアリオスは警察を辞め、遊撃士へと転身したのだ。だからこそ誰よりも強く、クロスベルの現状を変えたいとアリオスは願ったのだろう。
 イアンから事件の真相を聞き、持ち掛けられたクロイス家の計画に乗ったのも、それが主な理由と言っていい。そして計画を突き止め、自身を止めようとした親友の命さえもアリオスは奪ってしまった。その親友というのがロイドの兄――ガイ・バニングスだ。実際に手に掛けたのはイアンだったが、それでも親友の命を奪ったことに変わりはない。だからアリオスは計画の成就に、クロスベルの独立に拘ったのだろう。妻の死を、親友の死を無駄にしないために――

 その結果がこれだ。マリアベルの思惑を察することが出来なかったために状況を更に悪化させ、クロスベルを窮地に立たせてしまった。だからこそ、その責任を取らなくてはならない。そうして考えた答えが、自身を取り引きの材料に共和国と交渉することだったのだろう。
 しかし、その目論見も上手くはいかなかった。共和国のクロスベル侵攻は二体の騎神によって阻まれ、その後もリィンがギリアスと結託したクロスベルへ宣戦布告をしたことで、共和国は再侵攻のための機会を逸してしまったからだ。アリオスからすれば、完全な空回りと言っていい。

「目的が一緒なら、アリオスさんと協力することも――」
「それは無理だ。いまのアリオスは共和国の人間だ。目的は同じでも、立場が違えば優先すべきものも変わる」

 縋るようなエリィの問いに、リィンは首を横に振って答える。リィンたちは帝国と手を結び、アリオスは協力者に共和国を選んだ。その時点で、アリオスがどちらの国を優先すべきかわかりきっている。リィンたちが帝国に味方するように、アリオスも共和国の利益のために動くだろう。
 目的が同じでも、そこに至る考えや優先すべき事柄が大きく違うと言うことだ。

「なら、交渉というのは……」
「協力を持ち掛けられたが、そっちは当然断った」

 出来ることならアリオスと事を構えたくはないのだろう。暗い表情を浮かべるエリィに、当然のようにリィンは答える。
 しかし、いまツァオやアリオスと協力関係を結べば、共和国を利することになってしまう。〈黒月〉やアリオスを利用して、クロスベルに対する共和国の影響力を高めようというロックスミスの思惑が見え隠れしていたからだ。
 後からしゃしゃりでてきて、美味しいところを持っていこうとする共和国のやり方は素直に言えば気に食わない。それにエリィは少なからずアリオスを気に掛けている様子だが、リィンはアリオスのことを信用していなかった。まだアリオスと手を結ぶくらいなら、ツァオの方がマシと思えるくらいだ。
 どんな事情があろうと、仲間を裏切るような人間を信じる猟兵はいない。そんな人間と協力関係を結ぶなど、絶対にありえない話だった。

「そっちと言うことは、他にも何か?」
「さすがに鋭いな。エルザ大使との事前交渉で、ラインフォルトとZCFの共同開発に共和国の技術者を参加させる話になってたんだが、その共和国が寄越した技術者と言うのが厄介な人物でな……」

 エマの鋭い質問に、扱いの面倒な人物を寄越してくれたものだと、リィンは愚痴を溢す。
 正直この展開はリィンにとっても予想外だった。今回に限っては、完全に予想の上を行かれたと言っていい。
 しかしあちらが約束を守った以上、この件は断れないというのがリィンのだした答えだった。

「何か、問題のある人物なのですか?」
「問題と言うか……恐らくエリィは面識があるはずだ」

 エマの問いに、エリィに視線を向けながらリィンは答える。
 自分の知っている人物だと言われ、一体誰のことかとエリィは記憶を辿る。少なくとも共和国にそんな知り合いは思い当たらなかった。
 だがリィンの口からでた名前で、その疑問もはっきりとする。

「ヨルグ・ローゼンベルク。十三工房の一つ、ローゼンベルク工房の工房長だ」

 クロスベルの郊外――マインツ山道の片隅に工房を構える高名な人形師。
 その正体は十三工房に名を連ねる技術者にして、F・ノバルティスの師と目される老人。
 ヨルグ・ローゼンベルク。それが共和国の用意した技術者の名前だった。


  ◆


「どうして……」

 ガーディアン一号機が眠る工房の一角で、レンは作業に没頭する老人の姿を見つけ、困惑に満ちた声を上げる。
 老人の名は、ヨルグ・ローゼンベルク。レンもよく知るローゼンベルク工房の人形師だった。
 そして彼こそ〈パテル=マテル〉の生みの親でもある。しかし十三工房に席を置く人形師の老人がどうしてここにいるのか、その理由がレンには分からなかった。

「少しばかり借りを返しておかねばならぬ相手のことを思い出したのでな」
「……それって博士≠フこと?」
「あ奴等に工房≠好き勝手されるのは気に食わん」

 それだけの会話で、ヨルグがここにいる大凡の事情をレンは理解する。
 結社の動きまでは、さすがに情報が少なく予見することまでは出来ずにいたが、これまでのクロスベルの動きを考えれば、ローゼンベルク工房が敵の手に落ちた可能性は考えていたからだ。そのことからヨルグの言うあ奴等≠ニいうのはF・ノバルティスを含め、マリアベルたちのことを指しているのだろうと察することが出来た。
 ヨルグが直弟子――ノバルティスのことをよく思っていないことは、二人の関係を知る者なら誰でも知っていることだ。
 恐らくは十三工房に動きを察知されないために結社とは連絡を取らず、アリオスたちと行動を共にしていたのだろう。

「おじいさん……〈パテル=マテル〉は……」
「お前さんが何を期待しているのかは分かる。しかしメモリが破壊されておる以上、復元は不可能だ」

 ヨルグなら、もしかしたらという期待を込めてレンは尋ねるが、その答えは無情なものだった。
 幾ら天才と呼ばれる人形師であっても、彼は人であって神ではない。出来ることと出来ないことがある。人工知能を持つ人形兵器にとって、記憶を司るメモリとは核のようなものだ。失われた命が戻らないように、記憶領域を破壊された〈パテル=マテル〉を復元することは、生みの親の彼にも不可能なことだった。
 落ち込むレンを見て、小さく溜め息を漏らすとヨルグはおもむろに口を開く。

「だが〈パテル=マテル〉が命を賭して守ろうとしたものは残り、その意志と魂は新たな命に受け継がれている。少なくとも儂はそう思っておるよ」

 そう言って、目の前の兵器――ガーディアン一号機をヨルグは見上げる。
 パテル=マテルによってレンは命を救われ、そして〈パテル=マテル〉の意志は、こうして次の命に受け継がれようとしている。
 パテル=マテルの設計を心掛けた者として、これほど誇らしいものはないとヨルグは思っていた。

「安心しなさい。儂の誇りに懸けても、この子は完成させてみせる」

 共和国の大統領、サミュエル・ロックスミス。厄介な人物に借りを作ってしまったと思うが、それでもヨルグはこれでよかったと思う。
 弟子のノバルティスに研究成果を奪われ、その結果〈パテル=マテル〉の起動実験と称して多くの子供たちが犠牲となり、一時は自分のやってきたことに疑問を持ちもしたが、それも無駄ではなかったとレンと〈パテル=マテル〉が証明してくれた。ならば、その借りは返さなくてはならない。
 それに――

「……おじいさん?」

 作業手袋を外し、ゴツゴツとした手で優しくレンの頭を撫でるヨルグ。
 老い先短い命に、再び生きる目標を与えてくれた少女。
 血は繋がっていなくとも「おじいさん」と慕ってくれる孫娘≠フために出来ることをしてやりたい。
 そう考えるのは祖父≠ニして当たり前のことだった。


  ◆


「ヨルグ・ローゼンベルク。出来れば、いろいろと話を聞きたいところなんだけど……」
「エリカさんでも、あの二人の邪魔をしたら許さないから……」

 エステルに睨まれ、バツの悪そうな顔をするエリカ。あの〈パテル=マテル〉の設計者と聞けば、話を聞きたいと思うのは技術者であれば当然の欲求だ。オーバルギアはそもそも、その〈パテル=マテル〉に対抗する兵器を開発するために企画されたプロジェクトなのだから、エリカがヨルグのことを気にするのは当然と言えた。
 言ってみれば、結社の開発した人形兵器の第一人者とも言える人物。この機会に得られる情報は得ておきたいというのがエリカの本音だ。
 しかしそれをエステルに阻まれ、困り果てていた。

「御主の負けじゃな、エリカ。どのみち起動実験も上手く行かず、開発も行き詰まっておったのじゃろう? ここは一つ任せて見て、お手並みを拝見するのもよかろうて」
「五月蠅いわよ。実験に失敗してるのは、アルバート・ラッセル。アンタも一緒でしょうが!」

 祖父――アルバート・ラッセルに嗜まれ、子供のように反論するエリカ。しかしアルバートの言うように、二号機の実験は概ね順調に進んでいると言うのに一号機の実験はあまり上手くいっていなかった。
 理由としては〈クラウ=ソラス〉と違い〈パテル=マテル〉はパーツの損傷が激しく、どうにか騎神の解析データや機甲兵の技術を用い、破損したパーツの復元を試みたりもしたが、ラインフォルトやZCFの技術ではブラックボックス化されたメモリの解析が困難を極め、それ以上は手の施しようがなかったためだ。
 このままいけば、一号機は完成を待たずに凍結という可能性すらあった。
 そんな時、政治的な判断もあって共和国のプロジェクト参加が決まり、ヴェルヌ社から派遣されてきた技師たちと共に姿を見せたのが、ヨルグ・ローゼンベルクと言う訳だった。

「折角〈パテル=マテル〉の設計者に話を聞けるチャンスなのに……」

 パテル=マテルの設計者ということは結社の関係者となるが、ヨルグは表向き高名な人形師として名前が売れている人物だ。しかも共和国が身元を保証し、ヴェルヌ社が人形師としての腕を買ってプロジェクトへの参加を要請したという話になれば、リベールとしてもヨルグのプロジェクト参加を断ることは出来なかったという政治的事情があった。
 それだけに、いつもと違ってエリカも思い切った行動に出られずにいた。特に騎神のことで無茶をしすぎたため、国から制裁金を科された件でマードック工房長にこってりと絞られたばかりだ。これ以上、問題を起こせばどうなるか、そのくらいのことはエリカにもわかっていた。ここで無茶をして、プロジェクトから外されてしまえば意味がない。

「まあ、いいわ……これからチャンスは幾らでもあるんだし、今日くらいは目を瞑りましょう」

 と言って、自分を納得させるエリカ。それに――
 科学者としての欲求はある。しかし彼女とて子を持つ親だ。
 エステルが頑なに譲らない理由。ヨルグやレンの気持ちが分からないわけではなかった。



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