「この資料をデータにまとめておいてくれ」
そう言って艦長席に腰掛けたリィンは、ファイルにまとめた紙の束をフランに手渡す。
警察署で働いていた頃の経験を生かし、現在フランはカレイジャスのオペレーターとして働いていた。
「フラン?」
「……了解しました。団長=v
フランが団員として〈暁の旅団〉に迎えられ、リィンの下で働き始めて既に三日。物怖じしない性格と明るい性格もあって、概ね団員たちには受け入れられていた。
しかし素っ気ないフランの態度に、リィンは溜め息を漏らす。皆にフランのことを紹介した日から、リィンは彼女に避けられ続けていた。
仕事はきちんとこなしてくれるし、こうして頼めば言うことも聞いてくれる。他の団員たちとの関係も良好で他に言うことはないのだが、どう言う訳かリィン相手には素っ気ない態度を取る。
ノエルの命を盾に半ば脅すようなカタチで仲間に引き入れただけに、まったく心当たりがないと言う訳ではないのだが、どうにもそういうこととは違う気がしてならない。しかし他に嫌われるようなことをした記憶はリィンにはなかった。
そんなリィンを見て、呆れた様子で溜め息を漏らしながらエリィはエマに話を振る。
「アリサとリーシャから話を聞いて何となく思っていたけど、お互いに苦労するわね……」
「はい。もう少し自重をしてくれれば助かるんですけど……いまは抑え役の姫様やエリゼさんがいませんから……」
意味は分からないが、フランの件で非難されていることはリィンにも分かった。
言いたいこと聞きたいことは山ほどあるがブリッジを見渡し、この件に関して言えば味方はいないと悟り、リィンは肩を落とす。
そして気を紛らわせるように近くの封筒を手に取ると、リィンは中身に目を通す。
それは今朝早く城から届けられた通商会議の日程を報せる手紙だった。
「八月三十一日か。予想はしていたが、昨年と同じ日程とはな」
各国の代表を招く関係から日程の調整はギリギリまで進められ、ようやく開催日が確定したのは昨日のことだった。
八月三十一日というのは、クロスベルが各国の代表の前で独立を宣言した日だ。それから丸一年。同じ日にクロスベルの運命を決める会議が催されると言うのだから、運命的なものを感じずにはいられない。
とはいえ、いまが七月の頭。開催予定日まで二ヶ月を切っている。準備は着実に進んではいるが、それでも残りの日数を考えれば、時間に余裕があるとは言えなかった。
「エリィ。渡した資料には目を通したのか?」
「ええ。どうやってあれだけの情報を集めたのか気になるけど……」
エリィはリィンから渡された資料の山に目を通し、すべてを頭の中に叩き込んでいた。
大変な作業ではあったが、丁寧にまとめられていたこともあって、思ったほどに時間が掛からなかったというのがエリィの感想だった。とはいえ、その情報量の多さには、ただただ驚かされるばかりだった。
半年やそこらで集められるような情報量ではない。もっと前からクロスベルに目を付けていなければ、到底あそこまで深くクロスベルの内情を調べることは出来ないだろう。
それほど前からクロスベルの動きを予見していたのなら敵わないのは当然だと思う一方で、リィンについては知れば知るほどに疑問が湧いてくる。教団事件の真相について知っていることは帝国との繋がりを考えればまだ理解できるが、至宝のことやクロイス家の成り立ちや目的なんて、クロスベルの事件に直接関わっていないはずのリィンがどうやって自分たち以上に詳しく知ったのか、そこからしてエリィには分からなかった。
独自の情報網を持っているにしても、当事者しか知らないようなことまで余りに詳しく知りすぎているのだ。しかし、そうしたことを疑い始めたらキリはない。リィンが何かを隠していることは確かだが、反撃の機会を探るにしても彼の協力がなければ、もっと多くの時間が掛かっていただろう。
だからエリィは感謝していた。少なくともリィンがいなければリーシャが救われることも、クロスベルを自分たちの手で取り戻す機会を得ることも難しかっただろうとわかっていたからだ。
故に疑問はあるが、そのことを追及しようとは思わなかった。
必要なら話してくれるだろう。そうしないということは何か理由があるのだと考える。
「なら、これから俺がどういう行動に出るか、もう理解してるな?」
「ゼムリア通商会議。そこで亡命政府の存在を公表し、小父様……ディーター・クロイスの正当性を否定する。そのためにお祖父様を誘拐し、帝国への亡命を勧めたという認識であっているのよね?」
「概ね、その通りだ。しかし、この程度のことは相手も予想しているだろう。あちらには〈鉄血宰相〉もいることだしな」
ギリアス・オズボーンの異名を聞いて、眉をピクリと動かすエリィ。身分制度が蔓延る帝国で数多の改革を成し遂げた政治手腕はエリィも噂で耳にし、実際に前回の通商会議では本人と顔を合わせてすらいた。その感想は噂に違わず、底の見えない人物という印象だった。
まるですべてを見透かされているかのような――リィンとはまた違った怖さを感じる人物だった。
確かにあちらにギリアスがいる以上、この程度の策は読まれていると考えるのが自然だ。当然、対策も練られていると考えて行動した方がいい。次にクロスベルが打ってくる手。考えられるとすれば、それは――
「エリィ。前にも言ったが、会議にはお前も出席してもらう。亡命政府――いや、エレボニア帝国クロスベル州の代表としてな」
「……お祖父様はどうなるの?」
「すべての問題が片付いた後に政治家を引退してもらう。クロイス家の暴走を食い止め、クロスベルを解放に導いた英雄。一方では孫娘を利用し、クロスベルを帝国に売った売国奴という謗りを受けてな」
クロスベルを帝国に売った売国奴として、ヘンリー・マクダエルを非難すること。
それが恐らくクロスベルの取る次の手だろうとリィンは読んでいた。そして、それはエリィも考えていたことだった。
だからこそ、敢えてヘンリーには汚名を被ってもらうつもりでいたのだ。この役目はエリィには出来ない。既に実績があり名前を大勢の人々に知られているヘンリーだからこそ、生け贄とするには打って付けだった。
当然そんな人間を政府の代表に就けたところで、街の統治が上手く行くはずもない。
だからエリィには祖父に利用され、帝国の傀儡にしたてられた哀れな被害者を演じてもらう必要があった。
「言っておくが、お前も新政府の代表となる限りは、多くの期待と悪意に晒されることになる。ヘンリー・マクダエルの孫としてな」
ヘンリー・マクダエルの孫。その肩書きは、今後エリィにずっとついてまわる呪いのようなものだ。
エリィが失敗すれば、ヘンリーの孫だからと謗られる。成功を収めたとしても、マクダエルなら当然だと思われる。
わかってくれる人もなかにはいるだろうが、全員がそうとは限らない。
決して報われることのない道。それが、これからエリィが挑もうとしている世界だ。
「……わかっているわ。その覚悟は出来ているつもりよ」
そう言って、エリィは真っ直ぐな瞳でリィンを見返す。
長く政治の世界で生きてきた祖父の苦悩をわかっているなんて、そんなおこがましいことを言うつもりはない。きっと半分も理解できてはいないだろう。しかし両親が――祖父が繋いでくれた道を、自分の代で閉ざすことだけはしたくなかった。
皆それぞれ抱えている事情や想いは違う。ロイドが兄の死の真相を探るために捜査官になったように、リーシャが自分の居場所を自分で見つけたように、エリィにも彼女にしか為せないことがある。迷い、そしてようやく自分の立つべき場所を見つけたというだけの話だった。
そんなエリィの想いを汲み、リィンは彼女を信じることにする。どちらにせよ、リィンに出来ることは舞台を調え、障害となるものを排除するくらいしかない。猟兵では壊すことは出来ても、新しい制度や秩序を生み出すことは出来ない。それが出来るのは、その街に住む人々だけだ。そのことをリィンは誰よりもよく理解していた。
「これって……」
「どうした?」
そんな時だった。
ブリッジに着信を告げるアラームが鳴り響き、フランが端末を見て困惑と驚きに満ちた声を上げる。
僅かに逡巡するも気持ちを落ち着かせると、声を絞りだすようにフランはリィンの問いに答える。
「外部から通信でメッセージが入っています」
「誰からだ?」
「差出人はツァオ・リー。〈黒月貿易公司〉のクロスベル支社長です」
◆
「いやはや、本日はお呼び立てして申し訳ありません。既にご存じかと思いますが〈黒月貿易公司〉のクロスベル支社を任されているツァオ・リーと言うものです」
「リィン・クラウゼルだ。しかし――」
罠という可能性も考えたが、少なくとも〈暁の旅団〉に〈黒月〉と敵対する理由はない。それは向こうも同じはずだ。
それにツァオ・リーという人物は、狡猾で強かな人物だという話をリーシャから聞いていたリィンは、彼に一度会ってみたいと思っていた。問答無用で命の奪い合いになるような相手ではない。少なくとも話の通じる人物だと考えていたからだ。
そんな人物が、この時期に接触を図ってきた。ならば、何か裏があると考えるのが自然だった。そして周りの反対を押し切り、書かれていた場所に一人で出向いて見れば、東方の衣装に身を包み、眼鏡を掛けた優男ツァオ・リーと、腰に刀を携えた護衛と思しき長髪の男が待っていたと言う訳だ。
カシウスやヴィクターに勝るとも劣らない覇気を纏った長髪の男。リィンはその男に見覚えがあった。
「まさか、〈風の剣聖〉まで一緒とはな」
直接こうして会うのは初めてだが、その顔には覚えがあった。アリオス・マクレイン。〈風の剣聖〉の名で呼ばれる元A級遊撃士だ。
クロスベルが独立した際、国防長官の任に就き、クロイス家の計画に力を貸していたかと思えば、オルキスタワー攻略戦の後にイアン・グリムウッドと共に姿を眩ませ、行方知れずになっていた男がどうしてツァオと一緒にいるのかとリィンは疑問を持つ。だが、その答えはすぐにツァオの口から語られた。
「彼は私の雇った護衛です。最近、腕の立つ協力者≠引き抜かれてしまいまして新しく雇ったのですよ」
「そりゃ災難だったな。だが、それは単にアンタに人望がなかっただけじゃないか?」
「フフッ、確かにそうかもしれませんね。彼女を引き抜いた方は随分と女性の扱いに慣れた方のようですから、私もあやかりたいものです」
ツァオの皮肉に、リィンはまったく悪びれた様子もなく皮肉で返す。話の流れからリーシャのことを言われているのだということはリィンも察していた。それだけツァオは〈銀〉に目を掛けていたのだろう。だからと言って、リーシャの件で謝罪をするつもりなどなかった。
最初に誘ったのはリィンだが、団に入ることを決めたのはリーシャ自身だ。引き留めることが出来なかったからと言って、そのことで恨み言をいわれる理由はない。ツァオに人望がなかっただけというのは、本音の入った皮肉だった。
それに――
「行方を眩ませて何処で何をしているかと思えば、〈黒月〉の連中とつるんでいるとはな。クロスベルを共和国に売る算段でも付けていたのか?」
「……否定はしない。目的を果たすには外部の協力者が必要だった。だが、それはお前も同じだろう? 妖精の騎士」
アリオスの返しに「違いない」とリィンは肩をすくめて笑う。
ギリアス・オズボーンが今回の件に関わっていることから、帝国ではなく共和国を頼ったのだろう。実際のところアリオスの行き先については、ある程度の予想はついていた。
こうして堂々とツァオと共に姿を見せたことには驚いたが、それは言ってみれば隠れる必要がなくなったという答えでもある。
「まあいいさ。いまのところ、お前等と事を構えるつもりはないしな」
「いまのところは、ですか? 私としては友好的に行きたいのですが……」
「それは、そっち次第だ。猟兵のスタンスはわかってるんだろ?」
ええ、と冷や汗を滲ませながらツァオは頷く。
敵には容赦をしない。それが彼等――猟兵のやり方であると、ツァオは嫌というほど理解していた。
赤い星座には、随分と苦労をさせられたのだ。そのことを思えば、猟兵を敵に回したいとは思えない。
「これは?」
「手土産と言ったところです。まずは我々を信用してもらわないことには話が進みませんからね」
手土産と言って渡された封筒の中身を見ると、なかには一枚のデータチップと共和国政府からヘンリー・マクダエルに宛てたものと思われる一通の書状が入っていた。以前、エルザ大使に約束させた話の答えが、これなのだろう。
てっきり黙認で済ませるかと思えば、内々で亡命政府を認めるかのような動き。書面で残してしまえば、帝国へのクロスベルの併合を半ば認めることにもなりかねない。そうしたリスクを犯してまで書状を寄越した理由を考え、リィンは心の中で舌打ちをする。
「抜け目がないな。お前等も、お前等のバックにいるタヌキ≠焉c…」
クロスベルの帝国への併合の流れは、どうやったところで止められない。それを強引に止めようと思えば、戦争を起こすしかないだろう。しかし帝国と同じように、国内に問題を抱えている状態では共和国も戦争を起こしたくはないはずだ。
だから布石を打ってきた。ヘンリー・マクダエルを支持すると言うことは、何か困ったことがあれば共和国が手を貸すと言っているようなものだ。これでは帝国もクロスベルの自治を容認するしかない。強引に力で押さえつけようとすれば、共和国に介入する口実を与えることにもなりかねないからだ。言ってみれば、正面から堂々と離間工作を仕掛けてきたようなものだった。
併合後も共和国の影響力を残し、最大限に上手く立ち回りたいのだろう。となれば、ツァオを使いに寄越した理由についても察しが付く。クロスベルへの経済的な進出を企んでいた〈黒月〉も、思惑の意味では共和国政府と考えが一致する。表向き、貿易を生業とする企業である〈黒月〉を窓口とすることで、国と国の問題にしないための体裁を整えたということだ。帝国が〈暁の旅団〉を前面に押し出し、言い逃れをしているのとほぼ同じ状況だ。
恐らく彼等の背後にいるのは、共和国の大統領サミュエル・ロックスミス。やはり一筋縄ではいかない人物だと、リィンは素直に認めた。
「どうやら話を聞く気に、なって頂けたようですね」
「完全に信用したわけじゃないがな。話くらいは聞いてやる」
ここからが本題なのだろうと、リィンも腹を括る。
ロックスミスは侮れない人物だが、ツァオという男も使いっ走りに甘んじるような男でないことは見れば分かる。
この男とは長い付き合いになる。そんな予感がリィンにはあった。
◆
「ツァオ・リー。あの男をどう見る?」
交渉を終え、リィンが立ち去ったことを確認すると、アリオスはツァオに尋ねた。
剣で語ることしか知らない自分よりは、ツァオの方が客観的にリィンの人となりを見抜いているのではないかと思ったからだ。
「初対面のはずなのに、すべてを見透かしているかのような眼差し。用心深く、観察眼に非常に優れた人物のように思えました。正直、余り敵に回したい相手ではありませんね。彼等とは良い関係を築きたい。そう心から思いますよ」
それは概ね、アリオスが感じていたことと同じだった。ただツァオの感想と少し違うのは、自分の知らない自分を知られているかのような、そんな不思議な感覚をアリオスはリィンとの会話から感じ取っていた。
荒唐無稽な話だと思う。互いに名と顔は知っていたが、リィンと会ったのは初めてのはずだ。
そうして思考に耽るアリオスに、今度はツァオが聞き返す。
「私では底を測ることすら出来ませんでしたが、腕の方も相当に立つようですね。あなたなら彼に勝てますか?」
「無理だな。剣の勝負なら俺が勝つ。しかし命の奪い合いなら確実に負ける。あれは人≠ェ敵うような存在ではない」
ツァオの質問に対して、アリオスは感じたことをそのまま伝える。剣の腕は恐らく自身の方が上だろうと思うが、戦えば確実に負けると思った相手は〈鋼の聖女〉と対峙した時以来だった。
恐らくはリィンもアリアンロードと同じく、人という枠を超えた存在なのだろうとアリオスは思う。
「それほどの相手ですか……。やはり敵に回すのは得策とは言えないようですね」
勝てないとわかっている相手と付き合っていく上で、最も重要なのは戦わないことだ。
争う理由を潰してしまえば、どれほど強い相手であっても脅威になりえない。それがツァオの考えであり、そうして彼は多くの人間を味方に付け、自らの力とすることで現在の地位を得た。
ロックスミスやアリオスに力を貸しているのもそうだ。大統領の権力。そして〈風の剣聖〉の名声と強さは、彼の目的――野心を満たす一助となるだろう。そのことがわかっていて、アリオスもまたツァオを利用していると言っていい。
一つ残念なことがあるとすればリーシャのことだが、それもリィンと顔を繋ぐことが出来たことを考えればデメリットにはならない。
着実に野望へと一歩ずつ近づいている。その実感をツァオは得ていた。
「しかし、よかったのですか? 我々に力を貸すと言うことは、また彼等≠裏切ることになりますよ?」
「もはや、ギルドに俺の居場所はない。託すべきものは託した。俺は俺の道を行くだけだ。それが義に背き、道を外れた行いだとしても……」
アリオスが裏切ることはないとわかっていて、ツァオは敢えて尋ねる。
ディーターがアリオスに見限られたのは、彼が理想を語るだけの道化だったからに過ぎない。
利を与えれば、利で応えてくれる。それこそが自分たちに必要な関係だとツァオは思っていた。
だからこそ信頼が出来る。
愛や友情などと不確かなものではなく、明確な絆≠ェそこにあるのだから――
「では頼りにさせて頂きましょう。ロックスミス機関の諜報員――アリオス・マクレイン殿」
それが悪魔と契約を交わしたアリオスの現在の肩書きだった。
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