「ちょっとリィン! あれ、どういうこと!?」
いつものように艦長室でリィンが書類整理を行っていると、ノックもしないでアリサが部屋に飛び込んできた。
随分と慌てた様子のアリサを見て、リィンは首を傾げながら尋ねる。
「なんのことだ?」
「格納庫にある機甲兵のことよ! なんで、あれがここにあるのよ!?」
本社に発注していた騎神用の武器のフレームが届いたという連絡を受けたアリサが、王都に戻ったのは今朝のことだ。
カレイジャスに着くなり、早速届いた荷物の確認しようと格納庫に向かったアリサは目を丸くした。そこにあるはずもない機体を目にしたからだ。
機体名称ケストレル。ほっそりとした外見からも想像が出来るようにスピードを重視した機体で、従来の機甲兵とは比べ物にならない機動力が売りの機体だ。ただ同時期に開発されたゴライアスと同様、導力機関に致命的な欠陥を抱えていることから量産が見送られ、ルーレの本社で厳重に保管されているはずの試作機だった。
それがどうしてここ≠ノあるのかと、アリサが疑問を持つのは当然だ。
「買った」
「買ったって……」
そう簡単に買えるようなものではないことはアリサが一番よく理解している。
金銭の問題ではない。ラインフォルトにとって、あれは機密の塊のような機体だ。
ましてや帝国が、まだ軍にも配備されていない次世代兵器の売却を簡単に認めるとは思えなかった。
だとするなら、なんらかの裏取引があったと考えるのが自然だ。
「実戦データを提供するという条件で、格安で譲ってもらったんだよ。まあ、押しつけられたとも言うが……」
リィンの説明を聞いて、そういうことかとアリサは理解する。兵器に最も求められるのは性能ではなく信頼性だ。いざという時に故障をしたり性能を発揮できないようでは、どれだけカタログスペックが高くても兵士には受け入れられない。実証データの乏しい兵器が、軍で嫌煙される理由はそこにあると言ってもよかった。
クロスベルには内戦のどさくさに紛れて、帝国から持ちだされた機甲兵が複数配備されている。
その数はわかっているだけでも三十機以上。話を聞く限りでは、次の戦いで〈結社〉の神機も出て来る可能性が高い。
実戦データを得るには最適の戦場、最良の相手と言う訳だ。
「と言うことは、稼働時間の問題は改善されたのね?」
「爺さんが言うにはZCFから提供されたデータで、その辺りの問題点は解決済みらしい」
安定性よりも性能を重視した結果、導力機関の方がついて行けず、稼働限界を超えると機体が爆発すると言った致命的な欠陥をケストレルとゴライアスは抱えていた。
だからと言って導力機関の出力を抑えれば、従来の機甲兵と大差がない。だからこそ開発が中断し、本社の倉庫に眠っていたのだ。
そんな大きな欠陥を抱えていた兵器なだけに、問題が解消されたからと言って、そのまま軍に受け入れられるかと言うと難しい。
だから兵器としての信頼性を確保するため、実戦データの提供を条件に〈暁の旅団〉にケストレルを託したのだろうとアリサは察した。
「まあ、こっちとしても戦力が増えるのは悪い話じゃないしな」
「呆れた……ヴァリマールとテスタ・ロッサだけで戦力は十分でしょ?」
「クロスベルを落とすだけならな。だが、それは街への被害をまったく考慮しなかった場合だ。俺とシャーリィだけじゃ、広い戦場をカバーしきれない」
クロスベルを壊滅させるだけなら、ヴァリマールだけでも可能だ。しかしそうした場合、もう一つの目的を果たせなくなる。
それでは意味がない。これまで教会やギルド、大国に対して根回しを行ってきたのは、そうした被害を減らすために他ならないからだ。
それに〈碧の大樹〉が健在な以上、クロスベルを守護する力が予期せぬ方向に働かないとも限らない。
因果すら操るという至宝の力は強大だ。そうしたリスクは少しでも減らしておきたいと考えてのことでもあった。
「いろいろと考えてるのね」
「命懸けだからな。慎重にもなる」
リィンの話にアリサは納得した様子で頷く。
フィーと二人で猟兵をやっていた頃と違い、いまのリィンは猟兵団の長だ。
自分だけでなく他人の命も預かっているのだから、慎重になるのも当然と言えるだろう。
「ところで荷物≠ヘ確認したのか?」
「あ、うん。さすがはラインフォルト≠フ工房よね。こちらの要望通りの仕上がりだったわ」
満足げに胸を張り、そう答えるアリサを見て、やれやれとリィンは溜め息を吐く。
確かに兵器の設計や鉄鋼などの加工技術ではラインフォルトの右にでる企業はないと言っていいが、それを言えばZCFの協力がなければケストレルも完成を見なかったわけで、どちらが優れているという話でもない。そのくらいのことはアリサも理解しているはずだが、エリカとの一件があって優越感に浸っているのだろう。
「それで期日までに完成しそうなのか?」
「そこは大丈夫。でも、テストをしている時間はなさそうね」
アリサの話を聞き、その点は仕方がないかとリィンは考える。
むしろ時間がないと言うのに、よくやってくれた方だとリィンは感謝していた。
「アリサ。欲しいものはないか?」
「……え? 何よ、唐突に?」
「ボーナスだよ。今回は無理を言ったからな」
だから、その礼を兼ねてリィンはアリサに尋ねる。
「……それってなんでもいいの?」
「俺に叶えられる範囲ならな。余り高いものは勘弁して欲しいが……」
限度はあるが、大抵の望みは聞くつもりでリィンはいた。
それだけアリサの働きは大きい。特に今回の件は、アリサ抜きではカタチにすることは難しかっただろう。
働きに応じた報酬は与えられるべきだとリィンは考えていた。
「なら――」
思い切って願いを口にするアリサ。それはリィンにとって意外な願いだった。
◆
『それでアリサさんと何があったんですか?』
「……なんのことだ?」
人払いの済ませたブリッジで、何食わぬ顔でとぼけるリィンをモニター越しにアルフィンは睨み付ける。
『とぼけても無駄です。進捗状況を聞くためにアリサさんに連絡を取ったら様子がおかしいので、何があったのか聞いてみたんです。結局、教えてはもらえませんでしたけど、あれは乙女の顔でした。確実にリィンさん絡みだと、わたくしの勘が言っています』
ZCFやヴェルヌ社と共同で進めている開発の進捗状況を尋ねるために連絡してみれば、気味が悪いほど機嫌の良いアリサを見て、アルフィンは何かあると考えた。
はっきりとした返事はもらえなかったが、リィン絡みであることは疑いようがない。
じーっとアルフィンに半目で睨まれ、リィンは「はあ」と観念した様子で溜め息を漏らす。
「全部片が付いたら、遊園地に連れて行ってやると約束しただけだ」
『遊園地? それってミシュラムにあるテーマパークのことですか?』
「ああ、『ボーナスは何がいい?』って聞いたら、ミシュラムのテーマパークに連れて行って欲しいと言われてな。あいつ、これから俺たちがどこと戦争をするか、本気でわかってるのか心配になってきた……」
アリサのお願いと言うのは、クロスベルの保養地ミシュラムにあるテーマパーク〈ミシュラム・ワンダーランド〉――通称〈M・W・L〉に連れて行って欲しいというものだった。
思いもしなかったお願いに戸惑ったリィンだったが、一度口にしたことを反故にする訳にもいかず、クロスベルの問題が片付いた後ならという約束で、アリサの願いを聞き届けたのが一週間前のことだった。
しかしアリサの願いを叶えようと思えば、可能な限りクロスベルへの被害を抑える必要がある。元からそのつもりだったとはいえ、そんな風に頼まれれば手を尽くさないわけにはいかなかった。エリィやリーシャとも最近仲が良いという話だし、意外とそれがアリサの狙いだったのかもしれない、とリィンは考える。
『……狡いです』
「はい?」
『アリサさんだけ狡いです。私もご褒美が欲しいです!』
「いや、アルフィンは俺たちの雇い主だろ? むしろ渡す方じゃ……」
アリサはラインフォルトからの出向という扱いではあるが、カレイジャスで働く船員であることに違いはない。しかしアルフィンは〈暁の旅団〉の団員でもなければ、リィンに雇われていると言う訳でもない。むしろ報酬を払う側の人間だ。なのにご褒美≠ェ欲しいと言うのは、明らかにおかしい。
しかし、そうした正論を説いたところでアルフィンが納得して引き下がるとは思えず、先にリィンの方が折れた。
「……分かった。余り無茶なものでなければ……」
『絶対ですよ? 約束しましたからね!』
言質は取ったとばかりにアルフィンは念を押す。一方で、面倒なことになったと心の中で呟くリィン。
アルフィンだけで話が済むとは思えず、後でフィーやエリゼあたりの頼みも聞くことになりそうだと嘆息した。
「それより、さっきの話の続きを頼めるか?」
『ああ、そうでしたね。先程も話しましたが、会議にはオリヴァルト兄様が出席することで決まりました』
話が脱線したが、元々アルフィンがリィンに連絡をしてきたのは、目前に控える通商会議について相談をするためだった。
ギリアスの後任について、ずっと決まらず先送りされていたのだが、アリシア二世から通商会議参加の要請を受けて正式にオリヴァルトに決まったらしい。本人は最後まで宰相の任に就くことを渋っていたそうだが、革新派と貴族派の対立が決め手となったと言う話だった。
どちらか一方から宰相を任命するようなことになれば、選ばれなかった方の勢力から反発を招くことは必至だ。
その点、オリヴァルトは中立派の代表で知られ、皇族にも名を連ねる人物だけに反対意見も少ないだろうと考えての人事だった。
話を聞く限り、順当な結果だとリィンは思う。しかし話はそれだけで終わらなかった。
『ミュラー少佐の他に護衛と補佐役が十数名、それとレーグニッツ知事がお兄様に同行することになりました』
「……どういうことだ?」
タイミングが悪かったとアルフィンは話す。当初予定されていたログナー候の同行に革新派が難色を示したのだ。
現在ログナー候は皇帝の相談役という立場にあるが、一時は貴族連合に参加していたこともあり、革新派のなかには彼がそうした重要な役目に就くことを快く思っていない者が少なくなかった。そこに加えて先日の事件だ。アルフィンが元カイエン公派の貴族の嫡子に襲われたことで貴族派に対する疑惑が膨れ上がり、どうにか押さえ込んでいた革新派の不満が噴出したらしい。
そこでオリヴァルトの補佐には貴族以外の人間を付けるべきだという声が上がり、議会に選ばれたのがカール・レーグニッツと言う訳だった。こうも話が上手く行きすぎていると、これを狙ってアルフィンを襲わせたのではないかという疑惑すら浮上してくる。しかし証拠はない。革新派の中核を担う官僚たちの後押しもあって、どうすることも出来なかったとアルフィンは話した。
「帝国は大丈夫なのか? ギリアスを排除しても、内戦前と何も変わってないんじゃないか? いや、むしろ酷くなってるような……」
『……仰る通りです。正直ここまで酷いとは思っていませんでした』
取り敢えず内戦を終結させれば、後のことはどうにかなると思っていただけに、アルフィンは帝国の現状に落胆を隠せないでいた。
問題があるのは貴族だけではない。革新派にも解決すべき問題が山積していたからだ。ギリアスを恐れ、これまで大人しく従っていた者たちも、ここにきて欲をかき始めたと言ったところだろう。アルフィンの話を聞き、これには皇帝が幼いことにも原因があるとリィンは考えた。
ようはセドリックに、ギリアスほどの求心力がないから下が好き勝手する。アルフィンは〈暁の旅団〉との関係を前面に押し出し、そうした者たちを力で押さえ込んで黙らせようとしたのだろうが、相手を貴族だけに限定したのでは片手落ちだ。新体制の発足に協力的だったこともあって、革新派のそうした動きに気付くのが遅れ、判断を見誤ったと言うことだ。いや、この場合はギリアスの方が上手だったと見るべきか?
ユーゲント三世を連れ、あっさりとクロスベルに亡命したのは、こうなることを最初から見越しての行動だったのだろう。
「アルフィンはどうするんだ?」
『すべてお任せするようで申し訳ありませんが、お兄様が帝都を離れるのにセドリックを一人にはしておけませんから、こちらに残るつもりです。それにギルドへの依頼の件もありますし……』
だから律儀に連絡してきたのか、とリィンは大凡の事情を理解する。
「グノーシスの件なら話は聞いてる。災難だったな」
『そのことなのですが、このままフィーとミリアムをお借りしていても構いませんか?』
「元からそのつもりで護衛に付けたんだ。こっちのことは気にするな」
最初から、こうなる可能性はリィンも考慮していた。
だからフィーをアルフィンに同行させ、事前にギルドへ働きかけておいたのだ。
それにミリアムは帝国の人間だ。元よりクロスベルとのいざこざに関わらせるつもりはなかった。
『――ご武運を』
話を終え、通信が切れたことを確認すると、リィンは「ふう」と息を吐きながら背もたれに身体を預ける。
厳しいようだが、帝国の問題は帝国の人たちで解決するしかない。少なくとも、この件でアルフィンの力になれるようなことは何もないと、リィンは自分の領分を弁えていた。
そして、それはクロスベルも同じだ。
「キーア。見てるんだろ?」
リィンがそう口にすると、月明かりが差し込むブリッジに青白い光を纏った少女が姿を見せる。
至宝を身に宿し、神へと至った少女。因果の果てに生まれた、もう一人のキーア。
碧き虚ろなる神――それが彼女だ。
「……何時から気付いていたの?」
「確信したのは、つい最近だ。以前にも増して感覚が鋭くなっててな。見てたってことは、俺の身に何が起きてるか、わかってるんだろ?」
一瞬どうするか迷った表情を見せるも、キーアはコクリと頷き、リィンの問いに答える。
「うん。感覚が鋭くなっているのも、力を使った代償だと思う」
「なら教えてくれ。もう一度、あの力を使ったら俺はどうなる?」
「……人間じゃなくなる。キーアと同じ、世界から外れた存在になる」
やっぱりそうか、と呟くリィン。
目に見えないものを捉え、異能を探る感覚。それは並行世界でレーヴァティンを初めて使った頃よりも更に強くなっていた。
先日もアルティナを助けるために力を使ったばかりだが、前のような疲れは感じない。自分の身体のことだ。分からないはずがない。
覚醒した力に適応するため、魂に引き摺られるように身体が変質を始めていることにリィンは気付いていた。
「いまなら、まだ引き返せるよ?」
「それが出来るなら、とっくに猟兵なんて辞めてるよ」
キーアの問いに、リィンは首を横に振る。
とっくに引き返せないところに自分がいることを自覚しての答えだった。
「怖くないの?」
「人間じゃなくなることがか? だから、どうしたって話だな」
「……どういうこと?」
「俺は俺だ。生まれ変わっても、人間じゃなくなっても、別の誰かに変わるわけじゃない」
自分で選んだ道だ。後悔なんてするはずもない。それに――
重要なのは人間かどうかではなく、目的と意志をはっきりと持つことだとリィンは考えていた。
ようは、自分を見失わなければいいだけの話だ。それは一度この世界に転生し、とっくに乗り越えたことでもあった。
そのことを考えれば人間でなくなったからと言って、今更慌てるような話でもない。
「お前にはないのか? やりたいことが?」
「……キーアのやりたいこと?」
考えもしなかったという顔で、キーアはリィンを見上げる。
ここにいるキーアは、キーアの願いが生んだ存在だ。
彼女はあくまで観測者。キーアの願いを肯定する存在に過ぎない。
だから自分の願いなど考えたこともなかった。それが当たり前だと思っていた。
「……分からない」
「そうか。なら、考えとけ」
「……え?」
「助けてもらった借りがあるからな。アリサやアルフィンの頼みを聞いて、お前だけなしってわけにもいかないだろ。ついでに、お前の願いも俺が叶えてやる」
戸惑いの色が、キーアの瞳に宿る。
願いを聞く立場だった彼女が願いを尋ねられるのは、それが初めてのことだった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m