――西ゼムリア通商会議。ゼムリア大陸西部に点在する自治州・国家の代表が集い、安全保障や経済について話し合われる国際会議だ。初の会議は昨年の八月にクロスベルで開催され、二回目となる今年の会議はアリシア二世の呼び掛けによって、ここリベールの首都グランセルで開催される運びとなった。
主立った参加国はエレボニア帝国、カルバード共和国と言った名だたる大国を始め、医療先進国で知られる北のレミフェリア公国。そして開催国であるリベールと、いま話題のクロスベル独立国(旧自治州)が会議への参加を表明している。
それ以外の勢力、遊撃士協会の総本部があるレマン自治州と、七耀教会が総本山を構えるアルテリア法国は、中立的な立場から会議への参加を辞退し、他の小さな都市国家や自治州もクロスベルによる資金凍結や二大国を敵に回すことを恐れて静観することを決めていた。
しかし、それも仕方のないことと言える。クロスベルの影響を受けている都市や国家は少なくなく、大陸屈指の銀行であるIBCに資金凍結をされれば、共和国のように経済的な混乱を招くことは想像に難しくない。だからと言って公の場でクロスベルの独立を支持するような真似をすれば、帝国や共和国を敵に回すことになる。そうなったら二大国に大義名分を与えることになり、軍事力で劣る自治州や都市国家は為す術もなく滅ぼされるしかないだろう。
会議に参加しようにも参加できないと言った方が正しかった。
そんな国際会議の開催場所として、いつも以上の賑わいを見せる王都グランセルの空港に一隻の飛行船が停泊していた。
カレイジャス――〈白き翼〉の名で知られるアルセイユの二番艦。紅い翼を持つ帝国船籍の船だ。
元は帝国と王国の友好の証にと建造され、アルノール皇家が所有していたのだが、先の内戦の功績から恩賞としてリィンに下賜され、彼が団長を務める猟兵団〈暁の旅団〉の足′島拠点≠ニして使われていた。その艦長室で、リィンは帝国で皇族のみが身に付けることを許された緋色の正装に身を包む一人の男と向かい合っていた。
オリヴァルト・ライゼ・アルノール。『放蕩皇子』の名で知られるアルフィンやセドリックの兄だ。
皇族らしい振る舞いを嫌い、貴族たちとの付き合いを疎ましく思い、社交の場に顔をだすことも面倒に思っている。
そんな男が慣れない正装に身を包み、硬い表情をしているのは彼の性格を知る者からすれば失笑ものだった。
「意外と様になってるじゃないか。宰相%a」
「……本気でそう思ってるかい?」
皮肉に満ちたお世辞を口にするリィンに、肩をすくめながらオリヴァルトは言葉を返す。
その態度と表情を見れば宰相の任についたことに、まだ納得していないのが一目瞭然だ。
しかし、こうしてここにいると言うことは、必要なことだと理解はしているのだろう。
「だが、わかってるんだろ? 帝国の現状を考えれば、自分以外に適任はいないって」
リィンの問いに、オリヴァルトは溜め息を持って応える。
本来であればログナー候か、ゼクス中将あたりをギリアスの後任にとオリヴァルトは考えていたのだろうが、革新派の強い反発にあってそれは叶わなかった。革新派と貴族派の双方を納得させるには、落としどころとして両派閥に所属しない第三者を擁立するしかない。そうしたところで納得しない者はいるだろうが、オリヴァルトは平民の母親を持つ庶子とはいえ、皇族に名を連ねる人物だ。表立って文句を言える人間も少ないだろう。
帝国の現状を考えれば、彼以上の適任はいないと言う訳だ。そのことはオリヴァルトも理解していた。故に反論が出来ない。
「まあ、そうなんだけどね。ただ自国の恥を晒すようだけど、まさかここまで帝国が腐敗しているなんて思ってもみなくてね」
「思いたくなかったの間違いじゃないのか?」
「……相変わらず手厳しいね」
恐らくはこうなるだろうと、随分と前からリィンは予想していた。他に適任と思える人物が思い至らなかったからだ。
リィンでもわかっていることを、当事者のオリヴァルトが想像していなかったとは考え難い。
実際のところは帝国の政治に関わる者たちが、そこまで現実が見えていないと信じたくはなかったというのが本音だろう。
貴族だ、平民だと言うのは結局のところ建て前に過ぎない。
既得権益にしがみつく者。新たな権益を貪ろうとする者。欲に駆られ、国政を担うべき者たちが足の引っ張り合いをしているのだ。
これでは改革が上手く行かないのも仕方がない。帝国が抱える問題は根が深い。そのことを、この半年でオリヴァルトは痛感していた。
「アルフィンと結婚して、僕の代わりをする気はないかい?」
「却下だ。というか、そっちの方が問題が大きいだろう。また国を二つに割る気か?」
帝国では猟兵は珍しくないとは言っても、正規軍からは危険視され、領邦軍からは疎まれていることに変わりはない。
特にリィンは先の内戦のこともあって、多くの貴族たちから恐れられている。しかも、リィンとしては認めたくないが、あのギリアス・オズボーンと血を分けた親子であることは既に知れ渡っている。そんな男とアルフィンが結ばれることに帝国の貴族たちが納得するとは思えなかった。
下手をすれば、再び国を割ることになりかねない。ましてやリィン自身、ギリアスの後継者として見られるのは死んでも嫌だった。
帝国の宰相になるというのは、そういうことだ。オリヴァルトとしても、いまの地位に自分がいるのは複雑な心境だろう。
「良い案だと思うんだけどね。実際、キミを英雄視する声は大きい」
「それ以上に恐れられ、恨みも買っているけどな」
確かにリィンを英雄視する声は多い。特に前線で貴族連合と戦っていた兵士や、貴族たちに虐げられていた平民たちの評判は良い。
だがこれは百日戦役の真実を公表することで自分たちの正当性を主張し、ルーファス・アルバレアを英雄に仕立てようとしたギリアスへの牽制と、リィンを自国へ取り込むために帝国政府が取った施策の結果と言った方が正しい。確かに内戦を終わらせるのに手を貸したが、それはアルフィンとの契約があるからだ。リィンからすれば、本人の与り知らぬところで英雄に祭り上げられ、本音を言えば迷惑をしていた。
帝国に求めた高額の報酬は、その迷惑料も入っていると言っていい。そもそもリィンは猟兵だ。貴族でもなければ軍人でもない。帝国に対する愛国心や帰属意識などまったくなく、必要以上に彼等と馴れ合うつもりはなかった。そのことはオリヴァルトもわかっているのだろう。だから残念そうにしながらも、あっさりと引き下がる。ここで無理を言ってリィンの機嫌を損ねたところで、何一つ得をすることはないとわかっているからだ。
それに帝国の問題を抜きにしても、兄としてアルフィンには幸せになって欲しい。そのためには、リィンにその気になってもらわなければ意味がない。いまはまだ、その時ではないとオリヴァルトは考えていた。
だから思考を切り替え、別の話を振る。元より本題は別にあった。
「それはそうと、明日の会議にはキミも出席するんだろ?」
「招待状が届いているしな。その話を持ちだすと言うことは、カール・レーグニッツのことか?」
「……やはり、お見通しか。表向き協力的ではあるんだが、どうにも彼の狙いが読めなくてね」
「ギリアスと通じ、クロスベルと協調されることを心配してるのか?」
「ありえない話じゃない。しかし、そんな真似をすれば立場上どうなるか、分からないほど愚かではないはずだ」
クロスベルの独立宣言に端を発するガレリア要塞消滅の一件もあって、クロスベルの独立を認めない方向で帝国政府の方針は既に決定している。そのためにヘンリー・マクダエルの帝国への亡命を認め、彼が擁立する新政権を支持する立場で政府内の意見を固めていた。
そんななかでクロスベルを擁護するような発言をすれば、カール・レーグニッツと言えども政府内での立場を失うことは避けられない。
これまで尻尾を掴ませることなく慎重にことを進めてきた男が、そのような浅はかな行動にでるとはオリヴァルトには思えなかった。
だとするなら、他に狙いがあると考えるのが自然だ。可能性として一番考えられるのは――
「となると、ああ……なるほど。狙いは俺たちにあると見てるんだな?」
「ああ、それしか考えられない。実際、今回の会議の主役はクロスベルとキミたちだからね」
クロスベルに対する帝国政府の対応は統一の見解を示しているが、〈暁の旅団〉の扱いに関しては意見が割れていた。
先程オリヴァルトがアルフィンと結婚し、自分の代わりをする気はないかとリィンを誘ったのも冗談などではなく、政府内の意見を考慮した結果だ。〈暁の旅団〉の保有する戦力は、一国の軍隊と渡り合えるほどだ。そうした戦力が、どこの国に所属することもなくフリーでいる。いまはアルフィンと契約を結んでいるとは言っても、彼等が猟兵である以上は将来的に帝国の敵となる可能性はゼロとは言えない。そのことを恐れている人間は貴族だけでなく、政府関係者のなかにも大勢いると言うことだ。
「首輪でも付けるつもりか?」
「比喩でもなんでもなくね。実際、キミたちを危険視している国は多い」
そうした国と協調されたら、オリヴァルトも庇い切れないと話す。クロスベルも間違いなく、その点を突いてくるだろう、と――
いや、カールがギリアスとまだ通じていると過程した場合、既にその方向で話がまとまっている可能性が高い。
明日の会議は荒れると、オリヴァルトは予想していた。
「まあ、だからと言って俺たちがそれに従う理由はないけどな」
確かにその通りだとオリヴァルトも思う。しかし、そう単純な話でもなかった。
会議そのものに強制力はないとはいえ、各国に与える影響は大きいのだ。もし会議で決定したことを拒んだ場合、国際社会を敵に回すことになりかねない。幾ら〈暁の旅団〉が大きな力を持っているとは言っても、孤立無援となれば厳しいだろう。
それでも従わないとなれば、世論が〈暁の旅団〉を排除する方向に動く可能性もないとは言えなかった。
しかし、その程度のことをリィンが理解していないとは、オリヴァルトには思えない。
「……本気じゃないよね?」
「さてな。だが俺がそう尋ねられたらどう答えるか、分からないほど短い付き合いでもないだろ?」
そう言われてしまえば、オリヴァルトとしても唸るしかない。会議で決まったことだからと言って素直に従うようなら、自分たちがこれほどまで彼等の扱いに困ることはなかったとオリヴァルトは理解しているからだ。
邪魔をする者は誰であろうと例外なく敵と見なす。それは以前、リィンが口にしたことだ。
普通なら世界を敵に回すような発言など一笑するところだが、実際にリィンたちは実力の片鱗を幾度となく世界に見せつけてきた。
各国が連携すれば勝てないとは言わないが、大国でさえも彼等と事を構えれば無事では済まないと思わせるほどの力が〈暁の旅団〉にはある。
そう思わせるように、リィンは敢えて力を隠さず見せつけることで、各国の動きを制限してきたのだ。必然の結果と言える。
しかし、いま思えば加減を誤ったとリィンは反省していた。
恐怖は人の心を縛り付けるが、同時に大きな脅威に対して人は徒党を組み、排除しようと動くことがある。
今回の件がまさにそれだ。力を示したことはいいが、少しばかりやり過ぎてしまった。
カール・レーグニッツはそこを突き、議会を煽ったのだろう。この点においては平民も貴族もない。
カールがオリヴァルトの同行者に選ばれたのも、その辺りに事情があるとリィンは見ていた。
しかし――
「まあ、そうはならないさ。心配するな」
最悪の状況をオリヴァルトは想定しているのだろうが、そうしないためにリィンはこれまで布石を打ってきた。
リスクはある。だが、それは相手も同じだ。むしろ、相手がそのつもりなら遠慮の必要はないと言うことだ。
元より手を抜くつもりはないが、この機会に邪魔となるものは徹底的に叩き潰すつもりでリィンは腹を決める。
「それに、そんな暇を与えるつもりはない」
既に賽は投げられている。
なのに悠長に権力争いに興じている連中の思惑に従ってやるつもりはない。
――やるからには一切の猶予を与えることなく徹底的に。
それがリィンのだした答えだった。
◆
「指名依頼?」
王都のギルドに顔をだして見れば、エルナンから指名依頼が入っていると相談を受け、エステルは少し困った顔で首を傾げる。依頼の内容は王都観光の案内と護衛を頼みたいと言うものだった。
エステルは、リベールでは名の売れた遊撃士だ。こうした指名依頼が入ることは、最近では珍しい話ではない。しかし通商会議を前日に控え、〈暁の旅団〉の動きを警戒している状況の中で、長時間拘束されるような依頼は避けたかった。
それに自分で決めたことなのに、ヨシュアに頼り切りの現状をエステルは気に掛けていた。
ヨシュアは現在、通商会議当日の警備体制を確認するためにシード中佐のもとへ出向いており、エステルもそんなヨシュアの負担を減らすために、エルナンに明日のことを相談しようとギルドに出向いたのだ。
というのも、国家に対して不干渉がギルドの原則だ。そこに加え〈暁の旅団〉とギルドの間に相互不干渉が結ばれたことで、クロスベルの問題に対してギルドは静観することを決めていた。ギルドの総本部があるレマン自治州が通商会議への参加を辞退したのも、そうした思惑と事情が重なった結果と言ってもいい。しかしクロスベルの街に何かあれば、『支える籠手』の理念に沿って民間人の保護に動くことは出来る。だから〈暁の旅団〉の動きを警戒することで、そのタイミングをエステルたちは見計らっていた。
そのため、いつ動き出すと分からない以上、下手な依頼は受けることが出来ない。そう考えたエステルは、エルナンに悪いが依頼を断ろうと声を掛ける。
「エルナンさん。悪いけど……」
「エステルさん?」
依頼を断ろうとしたところで後ろから声を掛けられ、エステルは「え?」と振り返る。
すると二階の待機所へと続く階段のところに、白いワンピースを纏った見覚えのある少女が立っていた。
「シズクちゃん?」
「はい。キリカさんの仰っていた方って、エステルさんだったんですね」
「え? ちょっと待って。じゃあ、この依頼って……」
依頼の相手がシズクだとわかり、困惑しながらも頭の中で状況を整理するエステル。
何か手伝いたいと迫るエステルに、ギルドへ行くように勧めたのはヨシュアだ。
だとするなら、ヨシュアがこのことを知らなかったとは思えない。
(ヨシュア。このことを最初から知ってて……)
ぐぬぬと唸るエステルに、エルナンは苦笑を交えながら尋ねた。
「どうされますか?」
「あ、えっと……受けます」
ここまでお膳立てをされて断れるはずもなかった。
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