「シズクちゃんが来てるなら教えてくれてもよかったじゃない」
「はは……ごめん。黙ってた方が驚くかな、と思って」

 笑って誤魔化すヨシュアを、エステルは訝しげな表情で睨み付ける。実際ヨシュアはエステルに隠しごとを幾つかしていた。
 それは彼女のためを思ってというだけでなく、エステルが隠しごとが苦手なことを知っているからだ。

「それでシズクちゃんは?」
「疲れたみたいで、いまは上で寝てるわよ? それで事情は聞かせてくれるんでしょうね?」

 王都観光の最中、眠ってしまったシズクをエステルが背負い、ギルドへ連れ帰ってきたのが一時間ほど前のことだ。
 外はすっかり暗くなっており、いまはエルナンが二階のソファーで眠るシズクの様子を見守っていた。
 エステルにジト目で質問され、観念した様子でヨシュアは降参の手を挙げる。
 これ以上は隠し通せないと判断してのことだった。

「前に言わなかったけど、いまアリオスさんはキリカさんと同じ共和国の諜報機関にいる。〈風の剣聖〉の名はクロスベルだけでなく周辺諸国にも轟いてるからね。共和国としても彼の亡命を受け入れることは利点があったんだと思う。でも裏切り者を簡単に信じるほど共和国もバカじゃない」
「それじゃあ、シズクちゃんは……」
「アリオスさんを共和国に繋ぎ止めるための人質だ」

 予想はしていたとはいえ、ヨシュアから聞かされたシズクの立場にエステルは不快感を顕にする。
 唯一の救いと言えば、キリカのもとにシズクがいることだろう。シズクの話を聞けば、彼女が不自由なく生活を送れていることは想像が出来た。
 恐らくはキリカがシズクのことを不憫に思い、便宜を図ってくれているのだと予想が出来る。
 そうでなければ、シズクがリベールに来ることは出来なかったはずだ。

「でも今回の一件が片付けば、アリオスさんに対する疑いも少しは晴れる」
「共和国はまだ、アリオスさんがクロスベルと通じている可能性を疑っていると言う訳ね」

 アリオスの疑いが晴れる時。それはディーター・クロイスが失脚し、クロスベルの体制が崩壊することを意味する。アリオスがクロスベルと通じていないことを証明するには、それしか手はないだろう。
 しかし、それでも完全に疑いが晴れるとは言えない。アリオスは既に二度、組織を裏切っている。一度失った信用を取り戻すことは難しい。簡単に裏切るような人間を信用する者はいないだろう。
 だからこそキリカはシズクを人質に取っているように見せかけ、懸念を抱く者たちの声を押さえ込んでいた。
 それに〈風の剣聖〉を取り込むことは、まだ組織を立ち上げたばかりで人材の乏しいロックスミス機関にとって、リスク以上のメリットがあると考えてのことだ。
 とはいえ、事情を理解したからと言って納得が行くかと言えば別の話だった。

「……どうにかならないの? 例えば、このままリベールで一緒に暮らすとか……」
「いまのリベールに大国の圧力をはね除けるほどの力はないよ。それにそんな真似をすればリベールに迷惑を掛けるだけでなく、僕たちを信じてシズクちゃんを預けてくれたキリカさんの顔も潰すことになる」

 膝の上で拳を握り締め、悔しげな表情を浮かべるエステル。
 事情を話せばクローディアは力になってくれるかもしれないが、それでは王国と共和国の関係にヒビを入れることになる。
 キリカが依頼というカタチでギルドに話を通したのも、そのことを考慮しての結果だった。

「心配しなくてもアリオスさんの疑いは晴れる。そう考えているからキリカさんもシズクちゃんをリベールに連れてきたんだと思う」
「それって……」

 近いうちに〈暁の旅団〉とクロスベルの戦争が始まる。
 自分たちと同じことをキリカも考えているのだと、ヨシュアの話を聞きエステルは察する。
 しかし、そうなると一つ問題があった。

「……シズクちゃんはどうするの?」
「一緒に連れて行くのは危険だからね。他に護衛を手配してもらえるように、エルナンさんに相談してある。でも、このままシズクちゃんと一緒に大人しく結果を待つって手もあるよ」
「……ヨシュアはそうして欲しい?」
「本音を言えばね」

 切り札はあるが、それでも成功する見込みは薄いとヨシュアは考えていた。それほどにリィンは強い。
 失敗すれば、リィンが見逃してくれるとは思えない。だから出来ることならエステルにはクロスベルのことを忘れ、このまま大人しくシズクとここですべてが終わるのを待っていて欲しかった。

「……ごめん」
「いいよ。そう答えるとわかってて、協力すると決めたんだしね」

 しかし、それは無理な願いだということも理解していた。
 ここで引き下がるようならエステルとは言えない。彼女のそういうところに惹かれ、救われた身としては、それ以上ヨシュアは何も言うことが出来なかった。
 何があったとしてもエステルだけは守り抜いて見せる。そんな誓いを立て、ヨシュアは話そうか迷っていたことを口にする。

「それとエステル。レンのことなんだけど……」
「レンがどうかしたの?」
「ツァイスで開発されていた機体と共に今朝、姿を消したらしい」

 一瞬、エステルは何を言われているのか分からず、ポカンと呆気に取られた表情を見せるも、

「あんですって〜ッ!?」

 次の瞬間、建物に響くほど大きな声を上げるのだった。


  ◆


「レンが姿を消したか」

 ツァイスであった話をアルティナに聞き、リィンは考え込む様子で顎に手を当てる。
 レンが姿を消した理由。それは考えるまでもなく〈パテル=マテル〉の仇を取ることだと想像が付く。狙いは〈結社〉の神機だろう。だとするなら敵となる可能性は低い。
 どちらにせよ、姿を消したレンを捕まえるのは難しい。出て来たところを捕捉する以外に、捕まえる手はないだろう。
 その上で、邪魔になるようなら排除する。そうでないなら静観が最適かとリィンは結論をだす。

「アルティナはどうするつもりだ……とは、聞くまでもないか」
「ここが私の居場所ですから――それに戦う理由なら私にもあります」

 フラガラッハに抱えられたアルティナが同行者≠伴い、リィンたちに合流したのが半刻ほど前のことだ。
 アルティナ自身に戦う意志があると言うのなら、それを拒む理由はリィンにはなかった。
 彼女も〈暁の旅団〉のメンバーだ。戦いに参加する資格は十分にある。問題はアルティナが連れてきた同行者の方だった。
 額にトレードマークのゴーグルを付け、作業服に身を包んだふくよかな体格の男。
 ――ジョルジュ・ノーム。トールズ士官学院の卒業生で、内戦時には学生離れした知識と技術力を買われ、〈紅き翼〉の整備主任も務めたことのある顔馴染みの男がリィンの視線の先にいた。

「しかし、そんな状況でよくZCFがアルティナを外にだしたな?」
「正確には許可なんてだしてないけどね。レンくんの件もそうだけど、黙認というのが正しいかな。盗まれたことにしておけば、クロスベルの戦闘で使われても言い訳は立つからってエリカ博士が……」
「そうして俺たちに責任を被せて、自分たちは実戦データを得るってか?」

 闇夜に紛れ、人目を避けるようにやってきたかと思えば、そういうことかとリィンはジョルジュの話を聞いて納得する。エリカの性格を知っていれば、彼女の考えそうなことだと想像が付いた。
 どちらにせよ、レンを止めることは無理だっただろうし、アルティナの行動も予想が出来ていたはずだ。そもそも〈クラウ=ソラス〉を提供する条件は、完成した機体の所有権をアルティナに譲渡することだった。
 そういう意味では泥棒とは言えない。抗議されたところでアルティナに関しては言い訳が立つ。しかし、それではZCFの旨味が薄い。
 レンの件も含めて実戦データを得ることで、アルティナやレンの暴走を黙認するというカタチに持っていきたいのだろう。

「気に入らないという顔をしてるね」
「当然だろ?」

 ジョルジュを寄越した理由も、そのことを考えれば合点が行く。
 彼なら機体の整備と称して、データを取ることも容易だ。ましてやリィンとは顔馴染み。
 下手な人材を送るよりは、リィンの警戒も薄れるだろうという打算があったのだと予想が出来た。

「まあ、いい。今回は思惑に乗ってやる。ただしZCFに提出するデータに関しては、先にアリサを通して確認を取ってからにしろ」
「当然の要求だね。でも、僕がこういうのもなんだけど本当に良いのかい?」
「〈クラウ=ソラス〉の件で、アルティナが世話になったのは事実だしな。それに少なくとも、お前のことは信用しているつもりだ」

 エリカが記憶していたチグハグな情報を考えれば、ジョルジュが内戦に参加していた学生なら誰でも知っているような情報しか、ZCFに漏らしていないことは一目瞭然だった。ZCFからすれば、当てが外れたと言ったところだろう。下手をすれば、組織内での立場が悪くなったかもしれない。なのに、それをしなかったということは、ジョルジュが義理堅い男であることを疑うべくもなかった。
 敵には容赦をするつもりはないが、恩には恩で報いる。それがリィンの考え方だ。
 今回の話をジョルジュが持ってこなかったから、きっとリィンは断っていただろう。そういう意味ではエリカの人選は最適だったと言える。

「で、こいつが二代目〈クラウ=ソラス〉か」
「違います。この子の名前は〈フラガラッハ〉です」
「そうか。記憶は受け継いでいないんだったな……」

 白銀の騎士を見上げながら感想を口にするリィンに、アルティナは不満げな表情で訂正を求める。
 クラウ=ソラスの部品や技術が使われていても、記憶が残っていないのであれば同じ存在とは言えないだろう。
 見た目の違いもそうだが、精神で繋がっているアルティナには〈クラウ=ソラス〉との明確な差が理解できているのかもしれない。

「悪かったな。〈フラガラッハ〉――アルティナを守ってやってくれ」

 言葉を発することはないが、意思は伝わっているような感じをリィンは受ける。
 相手が人工知能を宿した兵器である以上、魂の定義は分からないが、確かに意思は宿っているのだろう。
 それはそうと、

「ジョルジュ。このまま〈紅き翼(ここ)〉で働く気はないか?」
「……引き抜きかい?」
「スカウトの件といい、今回の一件といい、ただ利用されているだけだということには気付いているんだろ?」

 ジョルジュについては高く評価しているが、リィンの中でZCFの評価は低かった。
 エリカとの出会いが最悪だったことも理由にあるが、ジョルジュの受けている扱いは傍から見れば正当なものとは言い難いからだ。

「アリサくんじゃ不足かい?」
「いや、よくやってくれてるさ。だが、アリサはラインフォルト≠フ人間だ」
「なるほど……そういうことか」

 ラインフォルトの人間だからと言われれば、ジョルジュも納得するしかない。
 アリサ自身がどう思っているかは別として、彼女がラインフォルトから出向してきている人間だという事実は変わらない。
 最終的に団を去るかもしれない人間に過度な期待を寄せるのは酷な話だ。
 団にとっても、それはよくないことだとリィンは考えていた。

「正直、キミの言うとおりだと思う。卒業したら技師としての腕を磨くため、武者修行にでるなんて大きなことを口にしてはいたけど、世の中そんなに甘くない。いまの僕は大人の都合に振り回され、上手く利用されているだけなんだろう」
「それがわかってるなら、ZCFに義理立てする理由なんてないだろ?」
「確かにね。だけど、僕にも意地がある。だからキミに甘えるわけにはいかない」

 そう話すジョルジュの瞳は真剣味を帯びていた。
 自身の選択を後悔している男の目ではない。本気でそう思っているのだろう。

「〈フラガラッハ〉はね。僕が調整したんだ」

 これには目を瞠ってリィンは驚く。てっきりジョルジュは冷遇されていると思っていたからだ。
 いや、リィンたちとの関係を考えれば大事にはされているのだろうが、ZCFの機密に関わるような仕事を任せてもらえるような立場にいるとは思ってもいなかった。ましてやオーバルギア計画は、ラッセル家が主導で開発を進めていた国家プロジェクトと呼ぶべきものだ。その機体の調整を任せられるには、知識や技術が優れているだけでなく信頼されていなければ難しいだろう。

「気難しい人だから、エリカ博士に認めてもらうのは苦労したけどね。それにまだ工房の人たち全員に認められたわけじゃない。でも中途半端に投げ出して、自分から逃げるような真似を僕はしたくない」

 それは上の思惑など抜きに、ゼロから現場の信頼を勝ち取ったと言うことだった。
 ジョルジュの決心が固いことを知り、リィンは「惜しいな」と呟きながら溜め息を漏らす。

「決心は固そうだしな。分かった。今回は諦める」
「……今回は?」
「そのうち気が変わるかもしれないだろ?」

 肩をすくめながら、そう答えるリィン。それは本心からの言葉だった。


  ◆


「ジョルジュ先輩に会ったわ。団に入らないか、誘ったんだって?」
「断られたけどな。てか、なんで不機嫌そうなんだ?」
「私は誘わないくせに……そりゃ、ジョルジュ先輩の方が優秀なのは認めるけど……」

 その日の夜、部屋にやってきたアリサにリィンは不満げな視線を向けられていた。
 自分は誘われなかったとぼやくアリサを見て、リィンは呆れた様子で溜め息を吐く。

「お前は一応、ラインフォルトの一人娘だろうが……」
「会社を継ぐ気なんてないわよ?」
「お前はそれで良くても周りはそうは思ってないだろ」

 なかにはハイデル・ログナーのように自分がグループの実権を握り、ラインフォルト家に変わって会長になると言った野望を抱いている者がいないとは言わないが、現会長のイリーナの血を分けた子供はアリサしかいないのだから、当然周囲も彼女が会社を継ぐことを期待しているはずだ。
 それに流れから言って、このまま実績を重ねればアリサが次の会長に指名されることは間違いない。
 実際、新兵器の開発やZCFやヴェルヌ社との技術提携は、グループ内ではアリサの実績という扱いになっていた。

「その気があるなら、ラインフォルトの名を捨てろ。そしたら考えてやる」
「え……」

 未だに出向という扱いになっているのも、アリサがラインフォルトとの関係を切れないことに原因がある。結局のところ母親のことを色々と言っている割には、家族のことを嫌ってはいないと言うことだ。むしろ家族を大切に想っているからこそ、アリサはラインフォルトを離れられないのだろう。そんなアリサの気持ちがわかっているからこそ、リィンは彼女を団に迎え入れる気はなかった。
 しかし顔を赤くして何やら狼狽えるアリサを見て、リィンは首を傾げる。また妙な勘違いをしているなと思いつつ、リィンはこのままでは埒が明かないと考え、自分から話を切り出した。

「それより頼んでおいた装置の方は準備が出来てるのか?」
「あ……ええ、ヴァリマールに確認を取って、エマにも見てもらったけど動作はすると思うわ」
「どうにか間に合ったか。なら予定通りに作戦を決行できそうだな」
「正直ぶっつけ本番で試したいことじゃないけどね……」

 リィンに頼まれ、カレイジャスに設置した装置を頭に思い浮かべ、アリサは溜め息を漏らす。
 騎神は謎が多い兵器だ。エマの魔術にしても、さっぱり仕組みが理解できない。理解の及ばない力を理解できないまま利用することは、技術者としても余り気持ちの良いものではなかった。
 出来ることなら検証を重ねてから使用したいところだが、その時間もない。アリサが不安に思うのも当然だった。
 そして視線を下げると、ふとアリサの目にリィンの手元にある一枚の紙が目に入る。

「……その手紙は?」
「教会からの返事だ。ロジーヌが置いていった」

 以前、ケビンを通じて星杯騎士団の総長アイン・セルナートに手紙を送ったのだが、その返事がこの手紙だった。
 そこに書かれている内容まではアリサには分からないが、リィンが教会を相手に何かをしていたことは知っていた。
 ならば、その手紙は計画を進める上で重要なものなのだろうと考える。

「これで準備はすべて整った。そう思っていいのよね?」
「ああ。船を降りるなら今のうちだぞ? 始まってしまえば、逃げ道などないからな」
「まさか。そのつもりなら、最初からこの船に乗ってないわよ」

 それもそうか、とリィンは頷き、苦笑を漏らすのだった。



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