「……ここは?」
「目が覚めたか」
「先輩?」

 ぼんやりとした頭でクローディアは自分の置かれている状況を確認する。椅子に座らされ、手足は革の拘束具で固定されていた。
 そして目の前には懐かしい顔が――赤い髪に黒いスーツに身を包んだ若者が立っていた。

(そうか。私さらわれて……)

 薄暗い部屋の景色からはここが何処かまでは分からないが、連れ去られたのだとクローディアは理解する。

「どうして、こんな真似を……」

 だから目の前の人物に尋ねる。
 レクター・アランドール。鉄血の子供たちの一人にしてギリアスの右腕と目される男だ。
 そして彼はクローディアにとって学生時代の先輩にして恩人の一人でもあった。

「……何も答えてはくれないんですね」

 憂いを帯びた表情で、そう呟くクローディア。
 彼には彼の事情があるのだろうと言う程度のことは理解できるが、どうしてレクターがこんな真似をしたのか、クローディアには分からない。学園を黙って去った、あの時もそうだ。レクターは何一つ肝心なことを話してはくれない。クローディアにはそれがどうしようもなく寂しく哀しかった。

「その質問、代わりに私が答えてもいいかね?」
「あなたは……」
「F・ノバルティス。気軽に〈博士〉と呼んでくれたまえ」

 薄暗い部屋の奥から姿を見せる白衣姿の老人。F・ノバルティスと名乗った男のことをクローディアは知っていた。
 いや、こうして会うのは初めてだ。聞かされていたと言った方が正しい。〈結社〉に所属する使徒の一人にして〈博士〉の愛称で知られる科学者。
 先のクロスベルの事件で一気に名が売れ、大陸諸国の間でも要注意人物として注目を集めている人物だった。

「キミをさらった理由だがね。セレスト・D・アウスレーゼという名に心当たりは?」
「どうして、その名前を……」
「〈輝く環〉を封印した古代人のリーダーにしてリベール王家の始祖。遺伝子的にも、彼女と近い適合率をキミは持っているそうじゃないか。だとすれば零の巫女ほどではないにせよ、キミにも似た適性があるのではないかと考えてね。それを確かめたくて、ついでに連れてきてもらったと言う訳だ」

 セレスト・D・アウスレーゼとは、クローディアの祖先にあたる人物だ。
 輝く環――空の至宝を封じ、浮遊都市(リベル=アーク)を捨て、地上に降りた人々と共にリベールを建国した女性。そんな彼女とクローディアは限りなく近い生体パターンを持っていた。そのことが発覚したのは三年前のリベールの異変でのことだ。このことを知る者は少ないが、浮遊都市を復活させ異変を引き起こしたのは〈結社〉の使徒――ゲオルグ・ワイスマンと呼ばれる男だ。
 彼は浮遊都市の崩壊と共に亡くなっているが、同じ組織に所属する〈博士〉がそこから何らかの情報を得ていても不思議な話ではないとクローディアは考える。
 問題は始祖――古代人に近い生体パターンを持つことに、なんの意味があるのかと言うことだった。

「性能で劣る〈パテルマテル〉がTYPE-γに勝てた理由。共和国軍を撤退に追い込んだ騎神のあの強さ。その秘密は適格者の有無にあるのではないかと私は睨んでいてね。そこでキミにはこれに乗ってもらうことにしたのだよ」

 ノバルティスがバッと大仰に手を広げると、それを合図にスポットライトが点る。
 彼の後ろに照らし出されたのは、白い装甲を持つ巨大な人型機動兵器だった。
 ――神機TYPE-α。〈パテル=マテル〉のデータを基に開発されたゴルディアス級の最終型だ。

「そして、現在この機体には〈輝く環〉の力が注ぎ込まれている」

 思いもしなかったノバルティスの言葉に、クローディアは目を瞠る。〈輝く環〉は〈リベル=アーク〉の崩壊と共に消滅したはずだった。
 いや、消滅を確認したわけではないが――その後、至宝の反応が掴めなかったために消滅したと思われていたのだ。

「どうして? と言った顔をしているね。その答えは簡単だ。〈輝く環〉は失われていなかった。結社が回収し、現在は盟主の手の内にある。もっとも、この機体に注ぎ込まれている力はオリジナルのものではないが……それでも、その力はオリジナルに決して劣らない。いやはや錬金術の叡智には驚嘆させられるよ」

 結社が至宝を回収していたと聞き、クローディアは茫然自失とする。
 少なくない犠牲を払った戦い。三年前のリベールの異変では、敵味方ともに少なくない犠牲者がでた。
 そのなかにはヨシュアにとって兄のように慕っていた青年もいた。彼のお陰で大切な友人を失うこともなく、リベールも救われたとクローディアは感謝していた。
 なのに――

(私たちのしたことは無駄だった? そんなこと……)

 マリアベルの功績を称え、ワイスマンの研究は無駄ではなかったと嬉々と語る博士の姿が、クローディアには悪夢のように思える。
 彼にとってはリベールの異変も、好奇心と知識欲を満たすための研究材料に過ぎないのだろう。

「博士。そろそろ時間だ」
「おおっと。確かに、余り彼等≠待たせるのは良くないね」

 ノバルティスを諫めるレクター。これ以上、余計なことを話させないためというのもあるが、クローディアを見かねてのことだった。常人ではノバルティスの狂気を受け止めることは出来ない。ワイスマンという男も狂ってはいたが、ノバルティスはそれ以上に道徳や常識の欠落した男だった。
 彼にとって自分以外の存在は興味をそそられる存在か、それ以外の有象無象かの二種類しかない。人間らしい会話を望める相手ではなかった。

「……あなたの思い通りにはなりません」

 それでも心を折られることなく、クローディアは抵抗の意思を見せる。
 しかし、そんなクローディアの拒絶の言葉も、ノバルティスにとっては想定の内に過ぎない。
 ニヤリと笑い、クローディアの顔を覗き込むノバルティス。その眼鏡の奥に潜む瞳は、狂気に彩られていた。


  ◆


 既に地上では戦いが始まっていた。
 カレイジャスの甲板に立ち、ヴァリマールの操縦席から街の様子を観察するリィン。
 市内の至るところで火の手が上がり、銃声と爆発音が響き渡る。

「何がどうなってる?」

 リィンたちが望んでやったわけではない。クロスベルへ到着した時には、既にこの有様だった。
 通商会議の様子は周辺諸国にも放送されていた。ディーター・クロイスが捕らえられた情報も既に伝わっていると考えていいだろう。だとするなら先走った感じがあるとはいえ、クーデターが起きた理由も分からないではない。しかしエリィやフランからレジスタンスについて話を聞いているリィンは、いまの状況に腑に落ちないものを感じ取っていた。
 これまで慎重に事を進めてきた彼等にしては、余りに軽率な行動に思えたからだ。
 ましてや、民間人への被害を考えないような連中にギルドが手を貸すとは思えない。だとするなら、これは――

『リィンさん。ブリッジに通信が入っています』
「通信? 誰からだ」
『それが……』

 フランからの報告にリィンが尋ね返すと、ダドリーという名前が返ってきた。
 アレックス・ダドリー。セルゲイ・ロウと共に、レジスタンスを率いているというクロスベル警察捜査一課の元刑事だ。
 フランに通信を回すように言うと、リィンの前に眼鏡にスーツ姿の生真面目そうな男の顔が映る。
 こいつがダドリーかと、知識を辿りながらモニター越しに目の前の男を値踏みするリィン。

『アレックス・ダドリーだ。通信に応じてくれたこと感謝する』
「〈暁の旅団〉団長リィン・クラウゼルだ。率直に聞く。何があった?」

 ダドリーの話によれば、街の様子がおかしいことに気付いたのは通商会議の放送を見ていた時らしい。街の防衛に当たっていた兵士だけでなく市民までもが人が変わったように暴れ出し、周囲の人々を襲い始めたという話だった。
 市内に詰めていた兵士は大半が暴徒となり、民間人も旧市街の住民を中心に半数近くがおかしくなっているとダドリーは話す。状況的に考えて、八ヶ月前に帝都で起きた現象と酷似している。だとすれば、現在他の国でも起きているように、異変の背景にはグノーシスが使われている可能性が高い。
 実際そのことをダドリーに尋ねてみると、ここ最近クロスベルでは食糧や医療品などの物資が不足していたらしい。そのため、街では炊き出しなどの配給が行われており、恐らくその食事を口にした住民がおかしくなったのだろうとリィンは結論付けた。
 クロスベルは金融と貿易で成り立っている街だ。豊富な七耀石の産地として知られてはいるが、食料自給率はそう高くない。雑貨や医療品の多くも国外からの輸入に頼っているのが現状だ。帝国や共和国との関係が悪化したことで物流が滞り、そのような状況を招いたのだろう。いや、敢えてそうすることで、こうした状況を作り出したとも考えられる。クロスベルにとって最大の商売相手を敵に回すのだ。少なくとも帝国や共和国を敵に回せば、こうなることは想像が出来ていたはずだ。
 そうして話を聞いていくと、暴動の鎮圧にはタングラム門・ベルガード門の兵士が当たっていると聞き、そういうことかとリィンは納得する。

(そう言えば、同じようなことが一年前にもあったんだったな)

 一年前、クロスベルの警備隊は薬を盛られ、事件の首謀者であるヨアヒム・ギュンターの精神支配を受け、本来守るべき街を襲うと言った事件を引き起こしている。あの事件は市民の信頼を大きく損なう、彼等にとっても痛恨の事件だったはずだ。そのための対策を講じていても不思議な話ではない。
 この上、国境の兵士までおかしくなっていれば厄介だったが、不幸中の幸いと言ってよかった。

「話は分かった。で、そっちの要望は?」
『市民を逃がす助けが欲しい。市外に通じる街道と港を押さえられ、苦戦している。可能であれば、機甲兵を主力とした部隊の相手を頼みたい』

 ギリアスが手土産に持ち込んだ機甲兵が十数機、市内には配備されている。
 それがすべて敵に回れば、確かに彼等の戦力では心許ないだろうとリィンは考える。
 それにまだ姿が確認されていないが、神機が出て来れば彼等の戦力では対抗することは出来ないだろう。

「条件がある。お前等、全員エリィの指揮下に入れ」

 リィンの提示してきた条件にダドリーは息を呑む。
 それがどういうことを意味するか、分からないほど彼はバカではなかった。

『……断ればどうなる?』
「どれだけ崇高な目的を掲げようと、お前等が反社会勢力であることに変わりはない。断る理由はないと思うが?」

 半ば脅しとも取れる内容に、ダドリーは顔を強張らせる。勿論なんのメリットもなく〈暁の旅団〉が力を貸してくれるとは思っていなかった。しかし、その対価がエリィの指揮下に入ることと言われれば、即断するのは躊躇われた。
 ヘンリーやエリィを疑っているわけではないが、その背後には〈暁の旅団〉や帝国の影がある。クロスベルに住まう者として警察官として、猟兵や帝国には複雑な想いがダドリーにはあった。
 この提案は呑むべきだと理性が訴えるが、感情がそれを押し止める。
 そんな二人の話をブリッジで見守っていたエリィは、溜め息を溢しながら間に割って入った。

『ダドリー警部、お久し振りです』
『マクダエルか。お前がそこにいると言うことは、やはり議長は……』
『放送をご覧になっていたのなら状況は理解されていると思いますが、お祖父様はクロスベルの自治を守るために帝国の提案を受け入れました』
『……帝国に頭を下げることが、クロスベルの自治を守ることに繋がると?』
『少なくとも以前より酷くならないはずです。いえ、よくしてみせます』
『それがマクダエル議長の政治家としての判断……そして、お前がそこにいる理由か』
『はい。その上で正式に政府の代表としてクロスベル警察&タびに警備隊≠ヨ協力を要請したいと思います。どうか、請けては頂けませんか?』

 敢えて警察と警備隊への要請とするエリィの言葉にダドリーは目を伏せた。
 リィンと違い、彼女が自分たちの立場に配慮してくれていることは、その言葉からも感じ取れた。
 ここで提案を蹴れば、自分たちの立場を悪くするだけでなく、エリィやヘンリーの顔も潰すことになるとダドリーは考え、

『……了解した。我々はマクダエル代表≠フ指揮下に入る』

 苦渋に満ちた表情で条件を呑んだ。
 その表情を見れば、まだ納得していないことが分かる。しかし少なくともエリィが自分の考えを示したことで、帝国の言いなりになっているわけではないと理解したのだろう。その裏で満足げな笑みを浮かべるリィンを見て、エリィは「やっぱり」と嘆息する。敢えてダドリーを挑発することで、心情的にもエリィの味方に付くことを受け入れやすい状況を作ったのだと想像が出来た。
 ダドリーの性格を理解していなければ、思いつかない手だ。しかしリィンらしいともエリィは思う。
 冷静沈着に見えて、意外と直情的なところがあるダドリーでは、一癖も二癖もあるリィンの相手は務まらない。
 実際に似た手口で嵌められたことがあるエリィには、そのことがよくわかっていた。

『感謝します。早速ですが、暴動の鎮圧に当たっている部隊の指揮官は?』
『ダグラス司令だ。ソーニャ司令が更迭され、タングラム門の責任者から外されたため、現在は両部隊の指揮に当たっている』
『ソーニャ司令が……わかりました。リィンさん』

 ダドリーには悪いが、この状況は利用できるとエリィは考え、リィンに話を振る。
 ここで警察と軍の双方に貸しを作ることが出来れば、その後の話も通しやすくなると考えてのことだった。
 そんなエリィの考えを読み、団員たちに指示を飛ばすリィン。

「ヴァルカンは部隊を率いてオルキスタワーの制圧に向かえ。スカーレットとシャーリィには機甲兵の相手を任せる」

 リィンの言葉を合図に、待ち侘びたとばかりにシャーリィの〈緋の騎神〉とスカーレットの〈ケストレル〉がカレイジャスを飛び出し、その後を追い掛けるように団員たちは空に身を投げる。ビル三階分はあろうかという高さから飛び降りたにも拘わらず、一人も怪我することなく軽やかに手近なビルの屋上に降り立つと、ヴァルカンの率いた部隊はオルキスタワーへ向かって侵攻を開始した。

「安心しろ。約束は守る」
『……はい。お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします』

 その光景を見て、不安げな表情を浮かべるフランにリィンは心配するなと声を掛ける。
 彼女が姉――ノエルのことを心配しているのだと言うことは、その表情を見ればすぐに分かった。

「エマは後詰めだ。船に残ってエリィのサポートをしてやってくれ。アルティナとリーシャは俺について来い。後は――」

 指示を出し終えるとブリッジとの通信を切り、リィンは艦首で地上を見下ろすメイドに視線を向ける。
 シャロン・クルーガー。アリサの世話役と称して、カレイジャスの一員となったラインフォルト家のメイドだ。
 ヴァリマールの操縦席で小さな溜め息を漏らすと、リィンはシャロンに声を掛けた。

「本当にこっち≠ノ付いていいのか?」
「私はアリサお嬢様のメイドですから」
「まあ、お前がそれでいいなら構わないんだが……」

 ラインフォルト家のメイドであると同時に、シャロンは〈結社〉の執行者でもある。仮にも〈結社〉に身を置く彼女が〈結社〉の者たちと事を構えるわけにはいかないだろうとリィンは気を利かせ、作戦の前に彼女を船から降ろそうとしたのだが、それを彼女は拒否した。それどころか、リィンの作戦に協力してもいいとまで言いだしたのだ。
 本来であれば裏切りを疑うところだが、仲間になったように見せかけて寝首を掻くような卑怯な真似をシャロンがするとは思えない。シャロンはどちらかと言えば、リーシャや猟兵(じぶん)たちに似ているところがあるとリィンは感じていた。プロ意識が強い。だからこそ、自分の信念を曲げるようなことは絶対にしない。協力すると言ったからには、彼女は与えられた仕事を全うするだろう。
 しかしメイドとして働いてくれれば十分だっただけに、どういう心境の変化かとリィンは訝しんでいた。しかし、それは彼女も同じだった。

「私からも一つ、お尋ねしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「アリサお嬢様たちにした話です。どうして私にも聞かせたのですか?」

 ノルンの話をする時、リィンは敢えてシャロンをブリッジから追い出すような真似をしなかった。
 シャロンがイリーナと繋がっていることや、〈結社〉の執行者であることはリィンも承知しているはずだ。
 彼女の口からイリーナに、そして〈結社〉へと話が漏れる危険がある。なのに話を聞かせた理由がシャロンには分からなかった。

「お前にだけ内緒にしたところで意味がないからだ。盟主≠ヘ既に俺たち≠フことに気付いている。それにイリーナ会長は合理的な思考の持ち主だ。俺たちの話を聞いたところで、愚かな選択はしないだろう。それに……」
「……それに?」
「アリサお嬢様のメイド≠ネんだろ? そんなお前が、アリサの不利になるようなことをするとは思えないからな」

 キョトンと目を丸くするシャロン。まさか、そんな風に返されるとは思っていなかった。
 前の理由は説明されれば納得が行く。しかし、取って付けたような後の理由の方が本音に思えるのだから不思議だ。
 いや、彼にとっては執行者やラインフォルト家のメイドである前に、アリサが信頼を置くメイドであると言うことが一番重要なのだろうとシャロンは思った。
 確かに、そう言われてしまえば話せない。アリサの居場所を奪うような真似が、メイドのシャロンに出来るはずもなかった。

「納得したか?」
「はい。この上なく――ではお嬢様≠フメイドとして未来のご主人様≠フために愛≠ニ献身≠ナ応えることにします」

 そう言って、カレイジャスから身を投げるシャロン。あっと言う間に、市街地へと姿を消してしまう。
 リィンに依頼された仕事を果たしに向かったのだろう。しかし、

「……どう言う意味だ?」

 アリサの恋が実れば、自動的にシャロンの献身はリィンにも向けられることになる。
 とはいえ、そのことにリィンが気付くことはなかった。



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