「導力機関との接続を確認」
「エネルギーの充填率六〇、七〇……」
カレイジャスの甲板に立つ灰色の騎神。
ブリッジから聞こえてくる声を操縦席で聞きながら、リィンは静かに深呼吸をする。
ヴァリマールの右手には、銀色の輝きを放つ巨大な銃剣が握られていた。
ラインフォルトに開発を依頼し、アリサに作らせていたヴァリマールの新武装だ。
「リィンさん、いけます」
エマの声を合図に、桜色の魔法陣が展開される。そして――
視認できるほど膨大な量のマナがヴァリマールから溢れ、白い光が船体を包み込んでいく。
「精霊の道開放」
リィンがそう口にすると、ヴァリマールから光の柱が立ち上り――
次の瞬間、空港からカレイジャスの姿は消えていた。
◆
「クローゼがさらわれた!?」
驚いた様子で困惑の声を上げるエステル。彼女は今、グランセル城の詰所にいた。
王国軍に協力し、ようやくグランセル城前の広場の制圧を完了したエステルとヨシュアは、状況を確認するためにクローディアへの面会を申し出た。
しかし二人の前に現れたのはクローディアではなくユリアだった。
そこでユリアから、クローディアがマリアベルにさらわれたと聞かされたわけだ。
「すまない。私が付いていながら……」
「ユリア准佐の所為じゃ……」
後悔の念に駆られた様子で頭を下げるユリアを慰めながら、エステルはどうしようと言った視線をヨシュアに向ける。
「何処に連れ去られたかはわかっているんですか?」
「王都の警備網にも引っ掛からず、忽然と姿を消したことから転位魔術が使われたのではないかと我々は見ている。教会にも尋ねてみたが、マリアベル・クロイスは魔導師であることから、その可能性が高いだろうと。恐らく目的地は……」
「……クロスベルですか。それで王国の対応は?」
実際、結社にも転位魔術の使い手は少なからずいた。
至宝を蘇らせるほどの魔導師なら、そのくらいのことは出来ても不思議な話ではない。ユリアの話を聞き、逃走に転位が使われたのなら、既にクロスベルへ連れ去られた可能性が高いだろうとヨシュアは考えた。
問題は王国の対応だ。自国の姫が連れ去られたのなら、王国としても何らかの対応をするだろうと考えての質問だった。
しかし、
「リベールがクロスベルへ兵を差し向ければ、帝国や共和国を刺激することになる。それにリィン・クラウゼルは我々に警告を発してきた」
「警告ですか?」
「マリアベル・クロイスの目的は千二百年前の再現、大崩壊を引き起こすことらしい。それを止める手立てを彼は持っていると言い、教会も彼を支持する立場に回った。しかも共和国がそれに賛同し、各国ともに静観することを決めた今では、我が国だけが軍を動かすことは出来ない」
想像を大きく超えた話に、ヨシュアは息を呑む。大崩壊をマリアベルが引き起こそうとしていると言うだけでも大事なのに、それを止める手段をリィンが持っていて、教会がそのことを認めたという事実は重い。確かにそれなら王国軍を動かせない事情も理解できた。
中立を謳い、平和を訴えてきたリベールが自ら戦争を引き起こすような真似は出来ないだろう。
ましてや教会がリィンの後ろ盾となり、それを各国が見守ることにしたのなら、リベールだけが異を唱えることなど出来るはずもない。
「なによ、それッ!? クローゼを見捨てるって言うの!?」
しかしそれはクローディアの救出に、リベールは動かないと言うことだ。
戦争を引き起こさないためとは言っても、自国の姫を見捨てるに等しい。
エステルが声を荒げるのも無理はなかった。
「慌てないでエステル。ユリア准佐、僕たちにその話をしたと言うことは、これはギルドへの依頼と考えていいですか?」
本来であれば、国が秘匿すべき情報だ。幾らクローディアと面識があるとは言っても、一介の遊撃士に話すような内容ではない。
だとするなら、ユリアが情報を開示した理由は別にあるとヨシュアは考えた。
「賊にさらわれた我が国の民クローゼ・リンツ≠フ保護を頼みたい。それが陛下の御言葉だ」
クローディア・フォン・アウスレーゼの救出ではなく、クローゼ・リンツの保護。
敢えて、そう口にしたユリアの言葉の意図をヨシュアは正確に汲み取る。
国家間の問題であれば、ギルドは動くことが出来ない。しかし民間人の保護となれば話は別だ。
ギルドがリィンと交わしたのは相互不干渉の契約だ。ギルドの活動を妨害するものではない。
民間人の保護という名目があれば、介入の口実にはなるとヨシュアは考えた。
「陛下から〈白き翼〉の使用許可を得ている。幸い〈暁の旅団〉もまだ動いてはいない。いまなら――」
「大変です!」
話の途中で王国軍の軍服を纏った兵士が詰所に駆け込んできた。
息を切らせ、随分と慌てた様子の兵士にユリアは何ごとかと尋ねる。
「何があった?」
「空港に停泊していた〈暁の旅団〉の船が姿を消しました!」
「姿を消した? 出航したと言うことか?」
「見ていた兵士の話では、白い光を放ったかと思うと忽然と姿を消したそうです」
カレイジャスが姿を消したという報告を聞き、ユリアは理解が追いつかず呆然とする。
しかし、その後ろでヨシュアは冷静に事態を把握していた。
「……やられた。恐らくは、船ごと転位したんだと思います」
右手で顔を覆いながら、ヨシュアはそう話す。
暁の旅団が転位を使えることは、先のヘンリー・マクダエルの救出からも想像は付いていた。
しかし、まさか船ごと転位が可能とは思ってもいなかったのだ。それだけにユリアも驚きを隠せない様子でヨシュアに尋ねる。
「そんなことが可能なのか?」
「僕が知っている限りでは、それほど大きなものは転位させられなかったはずです。結社でさえ、巡洋艦クラスの船に転位装置は搭載されていなかった。でも状況から考えて……」
ヨシュアの知る限りでは、転位魔術とは人間なら最大でも十数人。大きなもので機甲兵クラスのものを転位させるのが精一杯だった。
当然、巡洋艦クラスの船を転位させる技術など〈結社〉にすらない。教会のメルカバにも搭載されていない機能だ。
しかしカレイジャスは姿を消した。どうやったのかは分からないが、船ごと転位したとしか考えられない状況だ。
だとするなら彼等の目的についても察しが付く。
(最初から、これが狙いで……)
悔しげな表情を滲ませるヨシュア。〈暁の旅団〉がクロスベルに向かったことは間違いない。
しかもタイミングの良さから考えるに、通商会議に人々の目が集まる瞬間を狙っていたのだと推察が出来る。
「ここからクロスベルまでアルセイユを使っても半日は掛かる。しかし、それでは……」
「すべて終わった後でしょうね」
「そんな……」
ユリアとヨシュアの話を聞き、エステルは絶望した様子でフラフラと壁に手をついた。
◆
その頃カレイジャスは、ヴァリマールの開いた〈精霊の道〉を使い、クロスベルへ向かっていた。
「でも、よく思いついたわね。こんな方法」
「転位魔術と〈精霊の道〉を使った移動は似て非なるものだからな」
感心するやら呆れるやら複雑な気持ちを吐露するアリサに、リィンは淡々とした様子で答える。
魔術による転位と違い〈精霊の道〉は龍脈――七耀脈に通じるゲートを開き、そこを行き来するための技法だ。開くゲートの大きさによって必要な霊力の量は変わるが、そこさえクリアすれば船ごと転位することも不可能ではないと、リィンはエマから話を聞いていた。そこで考えたのが足りないマナを外から持ってくるという方法だった。
アリサに依頼し、開発を進めていたヴァリマール専用の武装。リィンが愛用している銃剣を模したその武器には最新の導力機関が搭載されており、騎神にマナを供給する外付けのバッテリーの役目を果たすようになっている。コードを接続すればカレイジャスの導力機関との連結も可能で、より多くのマナを騎神へと供給することが可能と言う訳だ。
「上手く出し抜けましたね」
「ああ。仮に転位魔術を使えたとしても、〈碧の大樹〉の結界が邪魔をしてクロスベルへ直接飛ぶことは出来ない」
エマの話に、そう言って頷くリィン。作戦は上手く行ったと言っていい。今頃は王国軍やギルドも慌てていることだろう。
しかし浮かない表情をするリィンを見て、アリサは首を傾げながら尋ねる。
「作戦は上手く行ったのに、まだ何か気になることでもあるの?」
「……この程度で諦めるような連中には思えなくてな」
「それってエステルたちのことよね? でも、さすがに無理じゃない?」
「だと良いんだがな」
転位魔術の使い手は少ない。ましてや教会に協力を求めたところで、既に根回しを終えているので不可能だ。
それに〈碧の大樹〉の結界が邪魔をして、通常の転位では直接クロスベルへ向かうことも出来ない。
足掻いたところで、エステルたちにはどうすることも出来ないだろう。完全に詰んでいると言っていい。
しかしエステルの諦めの悪さは筋金入りだ。このままで終わるとは、リィンには思えなかった。
「ところで、そろそろその子のこと聞かせて欲しいんだけど」
リィンの背中に隠れる蒼い髪の少女に目を向けながら、アリサは尋ねる。
「キーアちゃん……よね?」
声を震わせながら尋ねるエリィ。ずっと気になっていたのだろう。
リィンからは後で説明すると言われ、声を掛ける機会をずっと窺っていたのだ。
「私はあなたの知っているキーアじゃない。ノルン・クラウゼル。それが現在の名前」
もう一人のキーア。いや、ノルンと名乗った少女はエリィの問いを否定する。
しかし、どう見てもキーアにしか見えず、エリィは困惑の表情を浮かべる。
「クラウゼルって、どういうこと? まさか、リィンの隠し子!?」
「そんなわけあるか!?」
的外れな勘違いをするアリサに、リィンは声を上げて反論する。
大人びて見えるリィンだが、実際の年齢はアリサと変わらない。
少し考えれば分かることだが、キーアのような大きな子供がいるはずもなかった。
「願いを一つ聞いてやるって約束をしてな。名前を考えて欲しいって言われたから付けてやっただけだ。クラウゼルは勝手にノルンが名乗ってるだけで――」
「……ダメ?」
「いや、ダメと言う訳じゃ……もう好きにしてくれ」
フィーよりも更に幼い少女に上目遣いで頼まれれば、嫌と言えるはずもなかった。
そんなリィンを見て、訝しげな表情を浮かべるアリサ。
「レンちゃんやアルティナのことでも思ったけど、アンタって小さい子には優しいわよね。やっぱり、ロリコ……」
「それ以上、言ったら船から叩き出すぞ?」
殺気の籠もった目でアリサを睨み付け、黙らせるリィン。
しかしブリッジの片隅で様子を見守っていたアルティナが「不埒な人ですね」と呟いているのを耳にして、リィンは「濡れ衣だ」と肩を落とす。
そして――まだ何か尋ねたそうなエリィを目にして、「はあ」と更に深い溜め息を吐いた。
「ノルンは別世界のキーアだ。いや、それも正しくはないか。キーアが至宝の力を使い、因果を操作した結果生まれた――まあ、神様みたいなもんだ」
リィンの説明にエリィだけでなく、初耳だったメンバーは驚いた様子で目を丸くする。目の前の少女が別世界からきた神様だと言われても理解しがたいだろう。
ブリッジには〈暁の旅団〉の主要メンバーが、ほとんど集まっていた。この場にいないのは、ジョルジュやロジーヌと言った計画に直接関わっていない部外者だけだ。ロジーヌの場合はノルンを見て薄々勘付いている様子だったが、話を聞けば上に報告しないわけにはいかなくなるからと自主的に席を外していた。
「キーアちゃ……ノルンちゃんが神様って……本当なんですか?」
「ああ、可愛い女神さまだろ? そう言う意味じゃ、俺も似たようなものらしいけどな」
「え?」
リィンに尋ね、思わぬ答えが返ってきたことでフランは更に困惑する。
彼女もキーアと面識がある。故にどう反応していいのか分からなくて、そんな質問をしたのだろう。
しかし、もう一人のキーア――ノルンを仲間に迎える以上は、このまま黙っていると言う訳にもいかない。元よりリィンは時期がきたら信頼の置ける仲間には、自分たちのことを打ち明けるつもりでいた。戦いが始まってしまえば、それどころではない。いまを逃せば説明する機会を逃すかもしれないと考えてのことだった。
とはいえ、こめかみを指で押さえながら、少しは空気を読めとアリサはリィンを睨み付ける。次々に明かされる理解しがたい情報に、皆が混乱していることは誰にでも察することが出来た。こんな話を当たり前のように受け入れられるのは、そうした伝承や魔術に詳しいエマか、一部の頭のネジがイカれた変人くらいだ。ヴァルカンですらリィンの説明に頭が付いていかず、あんぐりと口を開けていた。
故に皆を代表してアリサは尋ねる。それは、この場にいる誰もが疑問に思っていることだった。
「いま、さらりと爆弾発言をしなかった? 自分も似たようなものとか……」
「そのことか。俺も半分人間をやめてるからな。でも、今更だろ?」
今更だろうと言われれば、「確かに」とアリサは思わず頷いしまう。
目の前の少女が別世界からやってきた神様だと言われるよりは、まだリィンが人間じゃないと言われる方が納得の行く話だった。
一撃で山を吹き飛ばし、魔王を力尽くでねじ伏せ、生身でも近代兵器を凌駕するような力を持っている人間が普通のはずもない。
「そうよね。リィンだものね……。今更よね」
そんなアリサの言葉に頷き、先程よりも納得した様子を見せる一同を見て、リィンは眉間にしわを寄せる。
ただ、そんななかで一人、エリィだけは険しい表情をリィンに向けていた。
「信じられないか?」
「正直に言えば、混乱しているわ。でも嘘を吐いていないことくらいは分かる。あなたが会ったこともないはずの私たち≠フことを詳しく知っていたことについても、これで説明が付くもの……」
エリィのことを知っていたのはノルンから聞いたからではないのだが、原作知識があると説明したところで更に混乱を招くだけだ。
敢えてリィンは誤解を解くつもりはなかった。しかし――
「言っておくが、ノルンのことは……」
「誰にも言わないわ。言えるわけがないでしょ」
そんなエリィの言葉に、他のメンバーも頷く。こんな話をしても頭を疑われるだけだ。
それに一年にも満たない短い期間ではあるが、キーアはエリィにとって本当の家族のように接してきた少女だ。
例え、目の前の少女が自分の知る少女とは別人だと言われても、彼女の不利になるようなことをエリィはするつもりはなかった。
それはキーアのことをよく知るフランやリーシャも一緒だった。
「キーア……いえ、ノルンちゃん。一つだけ聞かせて頂戴。この世界のキーアちゃんは無事なの?」
まだ半信半疑だが、ここまで明確に否定されれば、少なくとも目の前の少女が自分の知るキーアとは別人だと言うことくらいはエリィにも分かる。だからこそ、聞いておきたかった。ノルンがもう一人のキーアだと言うなら、この世界のキーアのことを誰よりもよく彼女は知っているのではないかと考えたからだ。
そんなエリィの問いに、ノルンは僅かに逡巡すると、リィンに視線を送る。
(いいの?)
(……好きにしろ)
リィンが頷くのを確認して、ノルンはエリィの問いに答えた。
「まだ間に合うよ。リィンなら助けられる」
リィンになら助けられる。その言葉の意味を完全に理解したわけではない。
しかし、まだキーアを救える可能性があると聞き、エリィは迷わずリィンに頭を下げる。
「お願いします。対価が必要だと言うなら、私に出来ることなら何でもします。だからキーアちゃんを――」
「連れて行ってくれとは言わないんだな」
「……自分の役目は理解しているつもりです」
マリアベルの件といい、やはりエリィは変わった。
ここで連れて行って欲しい。自分も戦うと言えば、リィンは彼女の訴えを無視しただろう。
「リィンさん。そろそろゲートを抜けます」
エマの声で船の外に目を向けると景色が変わり、その先に目的の街が見えてくる。
――魔都クロスベル。懐かしい街の姿を目にして、ようやく帰ってきたのだとエリィは実感する。
そんなエリィに、リィンは先程の答えを返す。
「猟兵は契約を違えない。お前が俺たちを裏切らない限りは、期待に応えてやる」
エリィは覚悟を示した。自分の為すべきことを、ちゃんと理解していると言うことだ。
ならば、次に覚悟を示すのは自分たちの番だとリィンは考える。
「さあ、野郎ども――戦争の始まりだ」
右手を空に掲げ、獰猛な笑みを浮かべながら、リィンは作戦開始の合図を告げた。
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