迷宮の深奥を目指し急ぎ駆けていると、突然――地響きがロイドたちを襲った。
 歩みを止め、何かに気付いた様子で振り返るロイドたち。すると遥か上空に空間の揺らぎのようなものが確認できた。
 驚きに満ちた顔で目を瞠りながら、隣で空を見上げているランディにティオは尋ねる。

「私たちが来た方角から凄いエネルギーを感じます。ランディさん、これは……」
「ああ、あの野郎と〈鋼の聖女〉が戦ってるんだろ。チッ、かなり距離を稼いだって言うのに、この身震いするほどの闘気。叔父貴より上……いや、闘神を超えるか。どっちも正真正銘の化け物だ」

 これほどの闘気はランディも感じたことがなかった。
 最強クラスの武人に比肩するほどの力を、二十に満たない若者が得るなど不可能に近い。才能もあるのだろうが、それだけでは理解できない。
 ランディがリィンのことを化け物と称したのも、その得体の知れなさを感じ取ってのことだった。

「もし、説得に失敗したら……」

 両手で肩を抱き、身体を震わせるティオ。レンやエマを超える高い感応力を持つティオだからこそ、より正確にリィンとアリアンロードが放つ力の大きさを感じ取っていた。
 リィンはマリアベルの説得に失敗したら〈碧の大樹〉を消滅させると言った。戦いの余波だけで空間を歪ませるほどの力だ。もしそうなったら、大樹と同化したキーアは確実に助からないとティオは考える。いや、最悪の場合、その余波を僅かでも受けることになったら、自分たちも全滅は避けられないだろう。
 死ぬことが怖いわけじゃない。特務支援課に出向した時点で危険は覚悟していたし、それ以上の地獄をティオは目にしてきた。

 いまでも目を瞑れば、幼い日の光景が昨日のことのように思い出される。
 実験のために集められた子供たち。目を覆うような凄惨な実験の数々。
 一人、また一人と減っていく子供たちのなかで、最後まで生き残っていたのはティオ一人だった。

 こうして生きているのは、教団のロッジから救い出してくれたロイドの兄、ガイ・バニングスのお陰。
 昔のように笑えるようになったのは、育ての親である財団の人たちや、仲間として受け入れてくれた特務支援課の皆のお陰だ。
 すべてを失い、そして再び手にした家族と仲間。もう二度とあんな想いを、大切な人たちを失いたくない。
 そんな想いが、ティオの胸を締め付ける。

「大丈夫だ。いざとなったら、奴の相手は俺がする」

 またすべてを失うかもしれない。そんな不安に駆られるティオの頭を、ランディはガシガシと撫でる。

「……ランディさん。頭、痛いです」

 そう言いながらも、少しずつ不安が和らいでいくのをティオは感じていた。
 相変わらず、よく分からない人だとティオは思う。しかしランディが元気づけようとしてくれていることは理解できた。
 しかし――

「……死ぬ気かい?」
「まるで、やる前から俺がアイツに勝てないみたいな言い方だな……」
「逆に聞くけど、本気で勝てると思っているのかい?」

 ティオの不安を代弁して、ワジがランディに尋ねる。
 強がってはみたものの、リィンに勝てないことはランディ自身が一番よく理解していた。それこそアリアンロードとの戦いでリィンが消耗していたとしても、埋まるような差ではない。百に一つも勝ち目はないだろう。しかし、もしもの時には全滅を避けるために、誰かがリィンの足止めをする必要がある。以前戦った時とは違い、次にリィンと戦ったら見逃してはくれないだろう。高い確率で死ぬ。そのことはランディもわかっていた。
 しかし、それでも譲れないものがある。ランディがシグムントに頭を下げ、古巣に戻って自分を鍛え直すことを決めたのも、すべては仲間のためだ。ここでキーアや仲間を死なせてしまったら、それこそランディは生き残ったとしても自分を許すことが出来ないだろう。

「決意は固いようだね。まあ、骨くらいは拾ってあげるから」
「……そこは引き留めるか『キミだけに危険な真似はさせられない。僕も一緒に戦うよ』とか言うところじゃねえのか?」
「まだ死にたくないからね。勝算のない戦いはしない主義なんだ」

 ワジらしいとランディは苦笑する。しかし、その気遣いが今は嬉しかった。
 このなかで、最も現実的な判断を下せるのはワジだ。だからこそランディの言うように、彼一人に任せた方が全滅を免れる可能性が高いことを理解しているのだろう。少なくとも生存能力≠ニいう一点においては、このメンバーのなかでランディが一番優れた能力を持っている。

(私はどうすれば……)

 キーアを助けたいという想いは変わらない。しかし、それは他の皆も同じことだった。
 ワジやランディのように割り切ることも、誰かを犠牲にするなんて選択をティオは取れない。

(こんな時、ロイドさんなら……)

 難しいことは理解している。でも、ロイドさんならもしかして――
 と、そんな僅かな期待を込めて、ロイドを見るティオ。
 いつもならこんな時、ロイドが黙っているはずがないのだが、じっと何か考えごとをしていた。

「ロイドさん?」
「……ずっと引っ掛かっていたんだけど、たぶんキーアは大丈夫だと思う」
「え?」

 目を瞠り、驚いた様子を見せるティオ。真剣な表情のロイドを見て、更に困惑する。
 皆を元気づけるために、嘘を言っているようには見えなかった。
 だとするなら、ロイドにはそう話す根拠があると言うことだ。

「リィン・クラウゼルの行動と言葉には、すべて裏がある。嘘は吐いていないけど、本当のことも言っていない。キーアのことも恐らくは大切な何かを隠している。そんな感じがするんだ」
「だから、キー坊は大丈夫だってか? ロイド。言っておくが、奴はそんなに甘い人間じゃない。叔父貴やシャーリィのように戦闘狂と言う訳じゃないが、あの〈猟兵王〉の名を継ぐと噂されるだけあって、猟兵としての本分を見誤るような男じゃない」

 ロイドの言うことにも一理あるが、ランディにはリィンがそんな甘い相手のようには思えなかった。
 あのシグムントが認めるほどの男だ。以前戦った時にも感じたことだが、ランディから見てリィンという男は、良くも悪くも生粋の猟兵と言った感じの男だった。
 女子供だからと手心を加えるような相手ではない。そして、それは正しい。
 ランディの考えを、ロイドも否定するつもりはなかった。しかし、

「だと思う。でも、彼は猟兵だ。メリットとデメリットを天秤に掛け、自分たちの損になるようなことは絶対にしない。契約を重んじるのも、そうしたプロ意識から来てるんじゃないかと思うんだ」
「それは……」

 そこはランディも否定できなかった。
 だとするならロイドは、キーアを殺すことがリィンにとってデメリットになると考えているということだ。
 そして、そんなランディの疑問に答えるべくロイドは話を続ける。

「〈暁の旅団〉がエリィと手を結んだのは、恐らく先を見越してのことだ。クロスベルを落とすことは出来ても、猟兵の彼等では街を治めることは出来ない。だからマクダエル議長の孫娘であるエリィに目を付けたんだと考えられる。ならエリィの心象を悪くするようなことは、彼としても避けたいはずだ」

 そういうことかとランディは納得する。
 エリィとの関係が悪化することを考えれば、ロイドの言うようにキーアを殺すことはリィンにとってデメリットとなりかねない。
 なによりエリィの性格を考えれば、キーアに危害を加えるような相手と協力関係を結ぶとはとても思えなかった。

「だから、キー坊を殺せない。いや、それが事実ならキー坊の扱いに関して、既にお嬢と何らかの契約を結んでいる可能性があるな」

 これまでの態度からも、リィンが猟兵としての立ち位置に拘っていることは明らかだ。
 だとするなら、既にそうした契約をエリィとの間に結んでいてもおかしくないとランディは考える。
 しかし、そうなると分からないことがあった。

「では、どうしてあんなことを?」

 ティオは当然の疑問を口にする。
 リィンはマリアベルの説得に失敗した場合、〈碧の大樹〉ごとキーアを消すと言った。
 もしエリィと契約を結んでいるのだとすれば、それは矛盾する話だ。キーアの殺害を彼女が容認したとは思えない。
 ましてや、あれほど契約に拘りを見せていたリィンが、自分から約束を違えるとは思えなかった。
 なら、どうしてそんな嘘を吐く必要があったのか、そこにティオは疑問を持った。

「俺たちの危機感を煽るため、というのも考えられるけど……彼はたぶん嘘は言っていない。さっきも言ったけど、本当のことを話していないだけだ」

 ロイドの推察を聞き、「なるほど」とワジは納得した顔で答える。

「彼女にここで死んで欲しい。いや、死んだことにして欲しいと言うことか」

 ワジの話にロイドは頷き、そして確認を求める。

「教団のような組織がまた出て来ないとも限らない。それにキーアはクロイス家が千年にも及ぶ研究の結果、完成させた錬金術の集大成とも言える存在だ。考えようによっては、アーティファクト以上の価値がある。ワジ、以前キミはクロスベルの件に教会は介入しないと言った。それは今も変わらないのか?」
「……答えにくい質問をするね。ただ一つ言えることは、前と今では状況が違う。いまのところ教会は積極的に介入する気はなさそうだけど、それもリィン・クラウゼルの存在があるからだ」

 キーアの存在が明るみになれば、またよからぬことを考える輩が出て来るだろう。それに彼女が生きていると知れれば、その危険性を訴え、どこかの国や組織が彼女の身柄を確保しようと動くかもしれない。そのなかに教会も含まれている可能性があると言うことを、ワジの話は示唆していた。
 ロイドたちは知らないことだが本来の歴史の流れと違い、大陸の各地で暴動が発生し、その原因がクロスベルにあると考えられている現在の状況では、各国ともに今回の事件を無視できない事態にまで推移は進んでいる。それに都合良く、本来の歴史のようにキーアが至宝の力を失うとは限らない。彼女を手に入れて、また非道な実験を繰り返そうとする者たちが現れる可能性がゼロとは言えなかった。
 教会はそうした者たちの手からアーティファクトを回収し、管理する使命を負っている。そう考えれば、十分に現実味のある話だ。

「キーアのためと言うことですか?」
「ああ。それに勘だけど、もしかしたら彼はキーアと面識があるのかもしれない」

 まだ信じられないと言った様子のティオに、ロイドは自分の考えを告げる。
 キーアとリィンには面識がある。そうロイドは考えていた。
 確かな証拠があるわけではないが、そう考えればリィンがキーアをそこまで気に掛ける理由にも納得が行くからだ。
 これは推理と呼べるものではなく、警察官としての勘と言ってもよかった。

『フフッ、僅かな情報から真実へと辿り着く推理力。さすがですわね』
「この声は……」

 その時だった。
 どこからともなく聞こえてくる声に、ロイドが空を見上げると、そこに半透明の人影が映っていた。
 空に投影された映像。そこに映る金髪の女性。漆黒のローブを纏い、禍々しい長杖を携えた彼女の顔にロイドは見覚えがあった。

「マリアベルさん」
『ようこそ、皆さん。始まりと終わりの地へ』

 ――マリアベル・クロイス。
 教団事件を始め、先のクロスベルの集団催眠事件や、現在大陸中を騒がされている暴動騒ぎなど――
 すべての事件の黒幕にして元凶とも言える魔導師の姿がそこにあった。

『まさかキーアさんとの関係まで突き止めるとは思いませんでしたが……』
「その口振り……やはり彼のことを何か知っているのか?」
『やはり≠ナすか。その様子では、わたくしの目的についても察していそうですわね』

 僅かな情報からリィンとキーアの関係ばかりか、自身の目的にまで辿り着いたロイドにマリアベルは心からの驚きと賞賛を贈る。
 実のところロイドなら、いつかは真実に辿り着くのではないかという予感がマリアベルにはあった。
 それほど彼には期待を寄せていたのだ。そしてロイドは見事にその期待に応えてみせた。

『ワジ。やっぱりテメエも一緒だったか』

 マリアベルの隣にもう一人、赤いベストに髪の毛を逆立てた大柄な男が立っていた。
 ワジは目を瞠り「ヴァルド……」と呟きながら、複雑な表情を滲ませる。
 ヴァルド・ヴァレス。クロスベルの旧市街で社会に馴染めない札付きの若者たちを纏め上げていた青年だ。
 その関係から正体を隠し、同じく不良チームのリーダーをしていたワジとよく対立をしていた。
 紆余曲折あって本気のワジと決闘し、敗れてからは旧市街から姿を消していたのだが、次に会った時にはマリアベルの仲間となっていた。

 ――その身に魔人の力を宿して。

 恐らくは『力が欲しくないか?』とでも誘われ、グノーシスに手を出したのだろう。
 本来であれば理性を失い、怪物と成り果てるところだが、ヴァルドにはマリアベルも驚くほどの意志の強さと適性があった。
 そして、そこまで彼を追い込んでしまった責任をワジは感じていた。

(ワジ・ヘミスフィア。教会の守護騎士〈蒼の聖典〉の異名を持つ第七位でしたわね)

 そんなワジの姿を見て、マリアベルはクスリと微笑みを漏らす。
 マリアベルにとってヴァルドはグノーシスに適性を持った稀有な成功例と言うだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。
 しかし、ヴァルドがグノーシスに呑まれることなく力を手にすることが出来たのは、ワジへの執着があってこそだ。
 望んで手にしたわけではない。聖痕を身に宿す若者と、力を渇望し、自らの意志で魔人と化した男。
 そんな二人の関係をマリアベルは面白いと感じていた。そして――

『あなた方は、わたくしを説得にいらしたのでしょう? 立ち話もなんですし、どうぞ奥まで』

 それよりも興味をそそられる存在≠ェ、いま彼女の目の前にいた。
 マリアベルが杖を地面に打ち付けると、ロイドたちの前に扉のようなものが現れる。
 魔術や異能について詳しい知識も持たないロイドでも、その先がマリアベルのいる場所へ通じているということは理解できた。
 不安げな表情でティオはロイドを見上げる。

「……ロイドさん」
「行こう。そのために、ここにきたんだ」

 ロイドの意志は決まっていた。
 折角手にしたチャンスだ。例え、この先に罠が待ち受けていようと為すべきことは変わらない。
 まだ微かに肩を震わせるティオの手を掴み、ロイドは彼女を勇気付けるように「大丈夫だ」と言葉を掛ける。
 少し迷った様子を見せるも「はい」と頷き、ロイドの手をしっかりと握り返すティオ。

「まったく相変わらずだね。彼は……」
「これだから、弟ブルジョワジーは……」

 仲良く手を繋ぎ、扉へ向かう二人にワジは苦笑し、ランディは盛大な溜め息を漏らす。そして――
 そんな二人の後を追って、ワジとランディも扉の向こうへ姿を消すのだった。



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