「嘘だろ!? マスターと互角に戦ってる!?」
「いえ、むしろ……」
リィンの方が押している。二人の戦う姿を見て、エンネアはそう判断する。
しかしアリアンロードの強さは、鉄機隊に所属する彼女たちが一番よく理解していた。
それだけにエンネアも、アイネスの言うように実際に目にしても信じられない。
「戦場で余所見をするなんて、随分と余裕がありますね?」
「――なッ」
咄嗟にハルバードを盾にするアイネスだったが、リーシャの放った強烈な一撃を前に弾き飛ばされる。
転がるように地面をバウンドし、肺から息を吐き出すアイネスを見て、エンネアは彼女の名を叫んだ。
「アイネス! く――ッ!」
しかし、そんなエンネアにもリーシャの追撃が迫る。
弓を構え、狙いを定めるエンネアだが、縦横無尽に戦場を駆けるリーシャの動きを捉えきれずに翻弄される。
「ちょこまかと――でも、これなら!」
エンネアの弓から放たれた一本の矢が分かれ、無数の矢となってリーシャに降り注ぐ。
しかし、放たれた矢をものともせず、迫るリーシャの姿にエンネアは戦慄する。
「嘘ッ!?」
致命傷となる矢だけを見極め、最短の道で敵との距離を詰める。言葉にするのは簡単だが、それを咄嗟に決断するのは容易なことではない。
最低でも、矢雨のなかを突き進むだけの胆力。攻撃を見極める勘の鋭さ。矢を捌ききるだけの技術が要求される。
少しでも判断を誤れば、矢の餌食になる。なのに――リーシャには少しの迷いもなかった。
鍛練に裏打ちされた絶対の自信がなければ出来ないことだ。しかし幼い頃から武術の鍛練を欠かさなかったと言う意味では、エンネアもリーシャと変わらない。剣と弓という得物の差はあるが、騎士としてアリアンロードのもとで腕を磨いてきた自分がリーシャに技量で劣っているはずがないとエンネアは思う。しかし二人の間には明確な差が存在した。
鉄機隊の隊士とは言っても、若い彼女たちは実戦経験が少ない。アリアンロードの下で結社の仕事に従事し、小規模な任務の経験はあっても、本格的な戦場を経験したことはない。父親の後を継ぎ、裏社会で暗殺者として活動し、その後はリィンの下で常に戦いに身を置いてきたリーシャとでは経験の面で大きな差があった。
「お下がりなさい! エンネア!」
エンネアの頭上にリーシャの大剣が振り下ろされようとした、その時――
二人の間にデュバリィが割って入る。
「油断大敵ですわよッ!」
その二つ名に恥じない神速で、リーシャの剣を弾くと同時に高速の連撃を放つデュバリィ。
目前に迫る無数の剣閃。怒濤の攻撃を前にリーシャは表情を歪ませ、大剣を盾にすることで、その場から飛び退くように後退する。
微かに一撃がかすめたようで、デュバリィの一撃によって斬り裂かれた頬を撫でるリーシャ。拭い去った血を見て、リーシャは唇を噛む。
周囲への警戒を怠ったつもりはなかった。デュバリィの接近にも気付いていたのだ。
しかし、彼女の攻撃が自分の想像よりも速く、鋭かったことをリーシャは認め、気を引き締める。
一方で完璧に不意を突いたと思った一撃を、こうもあっさりと回避されるとは思っていなかったデュバリィは内心焦っていた。
(東方人街の魔人。以前見た時は、それほどの強者には見えませんでしたが、見誤っていたと言うことですか……まずいですわね)
リーシャの実力は自分たちより上だと、悔しさを滲ませながらもデュバリィは認める。
結社の執行者と比べても指折りの実力。もしかすると条件次第では〈剣帝〉に迫るほどかもしれないとデュバリィは考える。
それはアリアンロードの仮面を割ったという先代の〈銀〉に、一歩も遅れを取らない強さであることを証明していた。
「さすがは鉄機隊の筆頭と言うことですか。なら、こちらも――」
大剣を中段に構えると、背筋が震えるほどの威圧感を放つリーシャ。
その凍えるような殺気に、デュバリィとエンネアは息を呑み、表情を引き締める。
「これほどとは……デュバリィ、勝てると思いますか?」
「悔しいですけど、わたくし一人の力では勝てませんわね。とはいえ……」
「鉄機隊の名に恥じぬ戦いが、我等には求められる」
突然、後ろから掛けられた声に驚き、エンネアは振り返る。
デュバリィとエンネア。二人の会話に割って入る声。それはアイネスのものだった。
傷を負い、土埃に塗れたアイネスの姿を見て、エンネアは心配そうに声を掛ける。
「アイネス、大丈夫なの?」
「右肩を少しやられたが、問題ない。しかし本当に厄介な連中だな。〈暁の旅団〉ってのは……」
デュバリィの話から〈暁の旅団〉には、リーシャのような実力者が他にも数人いることを彼女たちは知っていた。
現在〈暁の旅団〉は七耀教会や〈結社〉に匹敵する第三の勢力として一部では見られている。
その話にアイネスは半信半疑と言ったところだったのだが、こうした力を見せられれば納得せざるを得ない。
「でも、だからと言って負けられませんわ!」
デュバリィのその言葉に、アイネスとエンネアは頷く。
確かにリーシャは強い。しかし、だからと言って敗北が許される理由にはならなかった。
この上、三対一で敗れたとあっては鉄機隊の名が廃る。主の名を汚さないためにも絶対に負けられない。
負けじと、全身に闘気を漲らせる三人。その姿を目にして、リーシャもまた丹田に力を込める。そして――
「――ッ!」
剣を構え、飛び出そうとした瞬間、何かに気付いた様子でリーシャは足を止め、振り返る。
肌を刺すような感覚。圧倒的なまでの力の奔流。それはリーシャに〈煌魔城〉での戦いを思い起こさせる。
この場にいると、まずい――そう感じたリーシャの判断は早かった。
「どこにいきますの!? まだ勝負はついていませんわよ!」
「死にたくないなら早く避難することをおすすめします」
「あ、ちょっと!」
デュバリィの制止も聞かず、凄まじい速さで戦場を離脱するリーシャ。
そんなリーシャの後ろ姿を呆気に取られた表情で見送ると、デュバリィは「納得が行きませんわ!」と地団駄する。
仲間との絆を確かめ合い、決着を付けようと覚悟を決めたところで逃げられたのだ。彼女が憤るのも無理はなかった。
しかし、
「まずいぞ、デュバリィ。アイツの言うとおりだ。ここにいると巻き添えを食らう」
「ああ、もう! 二人とも、さっさとここから離れますよ!」
そんなデュバリィの手を引き、エンネアは一目散に逃げの姿勢に入る。
その後を追い掛けるアイネス。それから、すぐのことだった。
巨大な光の衝突が、デュバリィたちの背後で起きる。
そして突風のような衝撃が三人を襲い、悲鳴は風と共に呑み込まれるのだった。
◆
「さすがだな。顔色一つ変えないなんて」
アリアンロードの動きを奪ったはいいが、攻め手に欠けるのはリィンも同じだった。
膨大な力の衝突は、こうして向かい合っているだけでも二人の体力を奪い、精神力を削っていく。
余裕な表情を見せてはいるが、実のところリィンも相当に辛い状況だった。
なのにアリアンロードはリィンの炎に呑まれながらも、まったく表情を変えていない。
「それはこちらの台詞です。正直まだ、あなたの力を見誤っていたことを認めましょう。あなたは強い。〈劫炎〉を退かせたという話も頷けます。しかし――同じことが出来るのが、あなただけとは思わないことです」
アリアンロードの全身から放たれる風に、リィンの炎が呑み込まれていく。
せめぎ合う炎と風。触れるものすべてを灰と化す結界が、二人を中心に構築される。
「その力……やはりアンタは……」
炎と風。属性は違えど、根元は同じものだとリィンは気付く。
外の理へと通じる力。この世界の摂理に反するもの。それは一つの答えを示していた。
「よく気付いた、とだけ言っておきましょう」
「自分だけが特別だなんて考えるほど、俺は自惚れていないんでね。それに〈零の巫女〉という例もあるんだ。他にいても不思議じゃないだろ? 第一、普通の人間は何百年も生きられねえよ。隠す気があるなら、もうちょい上手くやるんだな」
「なるほど。道理です」
二百五十年も生きられる人間がいるはずもない。しかし嘗て〈槍の聖女〉と呼ばれた彼女は、アリアンロードと名を変えて現在もこうして生きている。リーシャのように名を継承したと考えることも出来るが、彼女の強さはそういう話の次元を超えていた。
どう考えても本物にしか見えないのであれば、アリアンロードの正体はリアンヌ・サンドロット本人だと考えるのが自然だ。
なら、零の巫女という例がいる以上、同じような存在が他にいても不思議ではないとリィンは考えた。
彼女に人の身で勝てないのは当然だ。文字通り彼女は人ではない。神の領域へと足を踏み入れた存在。
ノルンを『虚なる神』とするなら、彼女は差し詰め『武神』と呼ばれる存在なのだから――
そしてリィンの想像をアリアンロードは否定するつもりはなかった。それどころか、彼女はリィンに忠告する。
「ならば、先達者として一つ忠告しておきましょう。気付いていますか? 自分の身体のことに?」
「当然だろ? そのためにアンタには付き合ってもらったんだ。馴らし≠ヘ必要だからな」
「……そういうことですか。試すことはあっても、そんな風に利用されたのは初めてです」
リィンはこの戦いのなかで人の殻を破り、アリアンロードと同じ領域に立とうとしていた。
それは人としての生を捨てるということだ。しかしリィンからすれば、それがどうしたと言った話だった。
最初から覚悟を決めていたことだ。敵に心配をされるようなことではない。
「良い経験が出来たじゃないか。なら俺からも一つ忠告だ。自覚はないのかもしれないが、アンタは自分の強さに自信がありすぎて油断しすぎなんだよ。相手の力を無意識に推し量ろうとする癖、直した方がいいぜ?」
「……その忠告、真摯に受け止めましょう」
遙か高みから相手を見下ろすのは、強者の特権であり驕りと呼んで間違いではない。
リィンの言うように、この状況を招いたのは自身の油断が招いたことだとアリアンロードは素直に認めた。
そんなアリアンロードを見て、リィンは捕まえていた彼女の槍から手を放す。
先に忠告を返しておきながら、どういうつもりかとアリアンロードがリィンを睨むのも当然だった。
「このまま続けても千日手だからな。互いに力を使い果たすまで付き合うつもりもない。だから――」
決して舐めたつもりはない。そう返すと、リィンは両手をだらりと下げ、大きく息を吸い込んだ。
「終焉の炎」
リィンがそう口にした瞬間、白と黒の闘気が混じり合い、黄金の炎が全身から立ち上る。
ありとあらゆるものを呑み込み、灰の世界へと変える黄金の炎。
初めて使った時には周囲のものを片っ端から呑み込んでいた炎は生き物のように蠢き、リィンの意志によって制御されていた。
そして――黄金の柱の中から炎≠纏ったリィンが姿を見せる。
「その姿は……」
アリアンロードは目を瞠る。先程までと一転してリィンの姿は変貌した。
膝下にまで届こうかという炎髪。背に揺らめく炎の翼。光輝く黄金の炎は、リィンの全身に纏わり付いていた。
神々しいまでのその姿。こうして対峙しているだけでも感じ取れる圧迫感。それをアリアンロードは感じたことがあった。
盟主の御前で――そして至宝の力に目覚めた〈零の巫女〉を初めて目にした時だ。
「神――なんて大層なもんを気取るつもりはない。俺は俺だ。〈西風の旅団〉団長ルトガー・クラウゼルが息子にして、その名と意志を継承する者。だから、こう名乗らせてもらうぜ」
しかし、そんなアリアンロードの考えを読み、リィンは否定する。
確かにノルンに近い存在となったのかもしれない。至宝の力を超え、女神をも殺しうる力。そういう意味では神の力を宿していると言っても間違いではないだろう。
しかし、だからと言って神になったと偉ぶるつもりはなかった。
どんな存在になろうと、自分は自分だという強い意志を持ってリィンは告げる。
「猟兵王、リィン・クラウゼル」
リィンにとって『最強』と呼べる人物は一人しかいない。
――猟兵王。その名は彼にとって、特別なものだった。
だからルトガーの後継者と目されながらも、いままで一度もその名を自分から口にはしなかったのだ。
しかし今なら言える。その名を継ぐのは自分しかいない、と。
リィンの意志。その力を目の当たりにして、アリアンロードもまた覚悟を決めた。
「若き王よ。あなたの意志、確かに受け止めました。次の一撃を持って雌雄を決しましょう!」
ここまで気持ちが高ぶるのは、獅子戦役以来と言ってもよかった。
盟主の命に背いてまで、彼に会いに来たのは間違いではなかったとアリアンロードは歓喜の声を上げる。
アリアンロードの全身から嘗て無い闘気が溢れ出す。
リィンの放つ闘気と競り合い、その力は空間をも歪ませ、世界が悲鳴を上げる。
そして、
「――黄金の魔剣!」
「――聖技・グランドクロス!」
放たれる最大の秘技。黄金の炎と青き風がぶつかる。
極限まで高められた力の余波により、引き裂かれる大樹。そして世界は――
光に包まれた。
◆
「なに、この揺れは――」
カレイジャスの船体が激しく揺れる。
いや、カレイジャスだけではない。街が、世界が大きな揺れに襲われていた。
近くの椅子にしがみつくことで身体を固定し、その原因へと目を向けるエリィ。
「大樹が……」
黄金の光に包まれる大樹。その大樹を中心に、光が波となって広がっていく。
そして雪のように街へと降り注ぐ光の粒。それはクロスベルだけでなく光の波が届く先――
ゼムリア大陸全土に降り注いでいた。
「地上から通信です。暴徒と化していた人たちが――」
フランの報告にエリィは驚きを見せる。
それは暴れていた人たちが動きを止め、次々に正気を取り戻しているという話だった。
原因はこの光にあると考えるのが自然だ。
でも、どうしてと困惑を見せるエリィの疑問にエマは答えた。
「たぶん、リィンさんでしょうね」
グノーシスの精神支配から人々を解放するほどの強力な破邪の光。
このような真似が出来るのは、エマが知る限りでは一人しかいない。
大樹に向かったリィンが、この状況を作り出したと考えるのが自然だった。
その話に、リィンのことを知る皆も納得の表情を浮かべる。そんな時だった。
「今度は何!?」
「空間の揺らぎ――何かが転位してくる?」
再びカレイジャスを襲う揺れ。今度は〈碧の大樹〉が原因ではない。
巨大な空間の揺らぎを観測し、別の何かが転位してくる前兆だとエマは予想する。
「オルキスタワー上空に導力反応。これは――」
フランの声と共に、ブリッジのモニターにオルキスタワーが映し出される。
その上空に、空間を引き裂き、現れる一体の白き巨人。
「神機」
エリィの呟きがブリッジに響いた。
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