「あれって、ツァイトのお友達だよね?」
『我と同じく女神と盟約を結びし守護獣の一体だ。似た宿命を持つと言う意味では間違ってはいないが、友と言う訳ではない』
「ダメだよ。そんなこと言っちゃ。お友達は大切にしないと」
『いや、だから……もういい』
背に乗ってそう話すノルンに、疲れた表情で溜め息を漏らしながらツァイトは答える。
どのように説明したところで、ノルンには伝わらないだろうと諦めてのことだった。
『そんなことよりも上手くやったようだな』
「うん。あそこはキーア≠フ領域だから、大樹の中にはノルン≠ヘ入れないからね」
碧の大樹とは、キーアそのものだ。彼女の力が具現化したものと言って良い。
故に同質の存在であるノルンでは干渉することは疎か、内部の様子を窺うことも出来なかった。
しかし大樹が崩壊を始めたことで、その力が弱まっていることをノルンは感じ取っていた。
恐らくはツァイトの言うように、リィンが上手く大樹の力を削いでくれたのだろうとノルンは推察する。
「でも、ちょっとやり過ぎかな?」
この場には信じられないほどのマナが溢れ返っていた。
いま世界中に散っている力など、ほんの一部に過ぎない。神の力の一端を行使したのだ。それも当然と言えるだろう。
大樹のそびえ立つ湿地帯からは魔獣の気配が消え、聖なる力が満ちた一種の〈聖域〉と化していた。
事が終われば、また騒ぎ始める者も現れるだろう。ここら一帯の管理を、教会が主張し始めるかもしれない。
もっともそれは人間たちの問題でノルンには関係のないことだ。とはいえ、リィンがうんざりした顔を浮かべることは容易に想像が出来た。
それが分かるだけに、ノルンはリィンの顔を想像して苦笑を漏らす。
『破壊神にでもなる気か、あの男は……』
「一応は、世界が歪みを正すために呼んだ代行者。紛い物じゃない。本当の意味での守護者なんだけどね」
紛い物――その言葉に込められた意味を、ツァイトは正確に感じ取っていた。
リィンは世界の意志が至宝という存在を消すために呼んだ代行者だ。人々の声を聞き、願いを叶えるために生み出された虚なる神≠ニは違う。世界に選ばれた存在だ。リィンにその気があれば〈空の女神〉に成り代わり、新たな秩序を世界に築くことも難しくはないだろう。
もっとも本人にその自覚はない。そうでなければ、ノルンを家族に迎え入れるなんて真似はしないと言えた。
しかし本来、神とは勝手で気侭なものだ。人間の都合など配慮してくれない。一種の災害のようなものだ。
そういう意味ではリィンの我が道を行くと言った行動も、力を持つ者の特権、神らしいと言えなくもない。
リィンがこの世界へ転生したのが世界の意志だと言うのなら、それもまた運命なのかもしれないとツァイトは考えていた。
『キーア。いや、ノルン。心の準備は良いか?』
「大丈夫だよ。これは私にしか出来ない――ううん、私がやらないといけないことだから」
それはノルンの意志。
誰に言われたからではなく、彼女が自分で決めた――彼女の為すべきことだった。
嘗て〈幻の至宝〉と呼ばれる少女が出来なかったこと。
終わらせるためじゃない。明日を迎えるための一歩を、少女は踏み出そうとしていた。
◆
その頃カシウスは、カレイジャスでエリィとエマの二人と面会していた。
「なるほど、そういうことですか」
カシウスの話を聞き、エマは納得した様子で頷く。神機の能力の秘密に納得してのことだ。
無尽蔵とも言えるエネルギーの正体。それが至宝であるという予想はしていたのだ。その確証を得ることが出来ただけでも、カシウスを船に招いた甲斐はあった。ツァイトと同じ聖獣の言葉なら、これ以上に信憑性のある証拠はない。言葉を濁すことはあるが、彼等は人間のように嘘を吐かない。幼い頃より魔女としての教育を受け、様々な伝承を見聞きしてきたエマは、そのことをこの場にいる誰よりもよく知っていた。
しかし、それと同時に面倒なことになったとエマは嘆息する。神機に取り込まれているというクローディアのことだ。
クローディアを助ける理由が〈暁の旅団〉にはない以上、シャーリィがクローディアの身を気遣うことはない。
カシウスが船に乗り込み、交渉を持ち掛けてきた理由もそこにあると想像が付く。エマが面倒なことになったと思うのは、そこだった。
どうするのかと言った表情で、エマはエリィに視線を送る。
リィンは船をエリィに任せ、エマに彼女のことをサポートするように指示した。それはようするに不測の事態には、エリィの判断に任せると言うことだ。
今回の仕事を〈暁の旅団〉に依頼したのは、表向きエリィと言うことになっている。雇われている以上、依頼主の方針に従うのが猟兵だ。となれば、シャーリィもエリィの下した判断になら従うだろう。
それにクローディアがさらわれたと言うことはリィンも知っている。だとするなら、こうした状況をリィンが予想していなかったとは考え難い。何せ、リィンには未来の知識がある。それが十全なものでないことは、一部とはいえ記憶を読んだエマも理解しているが、クローディアのことや〈輝く環〉についてリィンが何も知らなかったとは思えなかった。ならば、エリィに船を任せたのにも、何か意味があると考えるのが自然だ。
「准将。それは王太女殿下を救出するために、私たちと共同戦線を張りたい。そういうことですか?」
一通り話を聞き、エリィはエマの視線の意図を察してカシウスに尋ねる。
本心で言えば、協力してもいいとエリィは思っている。余計な敵を増やしたくないというのはカシウスも同じだろう。最悪のパターンは互いに足を引っ張り合い、敵を利することだ。それにそのことを抜きにしても、クローディアとは面識があるため、個人的にエリィは彼女を助けたいと考えていた。
ただ個人的な感情で動くことを、エリィの立場が許さない。
彼女は〈暁の旅団〉への依頼者。クロスベル政府の代表として、戦いの結果を見守るために、この船に乗っている。
クローディアを救うことが、クロスベルにとって益となるのであれば喜んで協力するが、簡単に頷くことは出来なかった。
「概ね、その通りだ。だが一つだけ訂正させてくれ。俺はもう¥y将ではない。ギルドの遊撃士として協力を要請している」
「……王国軍を退役されたのですか?」
「良い機会だと思ってな。まあ、俺も歳だ。そろそろ引退を考える歳ではあったしな」
他国の問題にリベールは積極的に介入することはしない。それは中立を貫いてきた国の方針と言ってもいい。
クロスベルの益となるのであれば、エリィもそこを追及することで有利な交渉を進めようと考えていたのだが、カシウスは先手を打ってきた。
やられた――とエリィは内心で呟く。軍属ではない。ギルドの依頼で動いていると言われれば、エリィとしても返す言葉がない。
ギルドが国の問題に介入しないように、国家もまたギルドには不干渉を装っている。ギルドの依頼で動いていると言われてしまえば、リベールの責任を追及することは難しい。依頼主の詮索も御法度だ。ギルドが依頼の情報を漏らすはずもなく、痛くもない腹を探られて困るのは何処の国も同じなだけに、この件に関してクロスベルの味方をする国はないだろう。
不干渉と言う名で守られてきた暗黙の了解。それが国家とギルドの間に結ばれている絶対のルールだった。
「……では、あの竜は?」
「友人だ。クロスベルに用事があると言うので乗せてきてもらった」
ならばとレグナートについて追及するも、それもかわされてしまう。
まったく考える素振りを見せないところからも、あらかじめ答えを準備していたことが分かる。
竜の気まぐれ。そう言われてしまえば、これ以上の追及は厳しい。クロスベルにどんな用事があったかを知るのはレグナートだけだ。カシウスの話にしても、人間と竜が知り合いなどと普通であれば正気を疑うような内容だ。そのことを考えれば、レグナートとリベールの関係を結びつけ証明するのも難しいだろう。
そうまでしてリベールの関与を否定すると言うことは、国家間の問題にはしたくないのだとカシウスの思惑を察し、エリィは切り口を変えて質問することにした。
「お話は理解しました。ですが、あの神機は強固な結界に守られ、我々も苦戦しています。何か、良案をお持ちなのですか?」
答えによっては、クロスベルにも益はあると考えての質問だった。
マリアベルが勝手にやったこととは言え、王太女誘拐の件に関してはクロスベルもリベールに負い目があるのだ。
カシウスがリベールとの関係を否定している以上、そのことを問題とすることは出来ないが、あちらも誘拐の件を黙ってくれるのなら悪い話ではなかった。
「確かなことは言えないが可能性が一つある。そのためにも力を貸して頂きたい」
腰を曲げて深々と頭を下げるカシウスを見て、エリィは確信する。
カシウスがどういう覚悟を決めて、ここに来たのか?
そしてリィンが不測の事態に備え、自分に後を任せた理由を察したからだ。
「噂通りの方のようですね。では請求はギルドの方に回しておくことにします」
カシウスの提案を受けることを決めるエリィ。しかしカシウスは提案が受け入れられたというのに、少し苦い表情を浮かべていた。
無理もない。今回の件でカシウスはギルドに大きな借りを作ることになる。そして大陸全土に四人しかいないというS級遊撃士の一人を、ギルドが易々と手放すはずもない。以前カシウスがギルドを辞める時にも一悶着あったという話だ。そのことを考えれば、以前のように遊撃士を辞めて軍に戻ると言ったことは簡単に出来なくなるだろう。
エリィがカシウスの提案を受け、敢えて『請求をギルドに回す』と口にしたのはそれが理由だった。
――国と家族。
追い詰められたカシウスがそのどちらを取るか、リィンにはわかっていたのだろう。
リベールもまた王太女を失うことと、英雄を失うリスクを天秤に掛け、前者を選んだと言うことだ。
これからリベールは一人の英雄に頼り切ってきたツケを支払うことになるだろう。
しかしエリィはリベールが、この程度で潰れるほど弱い国だとは考えていなかった。
それはカシウスの表情を見れば分かる。国を捨て、家族を取った者の顔ではない。
(お祖父様……)
エリィには、カシウスの顔と祖父の顔が被って見える。
信じているのだ。自分が育った国を、志を託した者たちのことを――
それが英雄と呼ばれた男のだした答えだった。
◆
「ああ、もうッ! こいつ硬すぎ!?」
執拗に攻撃を続けているが、未だにシャーリィは神機の結界を突破できずにいた。
騎神の霊力が少しずつ減っていくのを感じる。持久戦に持ち込めば不利なことはわかっていた。
しかし攻略の糸口が掴めない。
「無理しないで下がったら? 心配しなくても、アイツの相手はレンとアルがしてあげる」
「そんなこと言って威勢良く出て来た割りには、そっちの攻撃も利いてないじゃん」
シャーリィのツッコミに「ぐっ……」と唸るレン。〈緋の騎神〉の攻撃が通じないように、レンも苦戦を強いられていた。
いや、まったく手がないわけじゃない。奥の手は隠し持っているが、それが通用するという確証が持てないため、様子を窺っていたのだ。
そしてレンの導き出した答えは、いまのままでは奥の手を使ったとしても神機に勝てないと言うことだった。
認められない。ヨルグや〈パテル=マテル〉のためにも認めたくない。しかしレンは正しく自分の置かれている状況を理解していた。
だからこそ苛立ちが隠せない。
『はい、そこまで。喧嘩するなら団長に言い付けるって言ったわよね?』
眉間にしわを寄せたスカーレットの顔が操縦席の画面に映り、レンとシャーリィは不機嫌さを隠そうともせずに押し黙る。
そんな二人の態度に呆れた様子で溜め息を漏らすスカーレット。しかし戦場に立つ以上、子供も大人もない。
強さがすべてだとは言わないが、実力が伴わなければ与えられた仕事を全うすることも出来ず、命を落とす。
蛮勇と勇気は違う。これだけ戦って攻略の糸口を掴めない以上、いまのままでは敵わないことは理解しているだろう。
その点で言えば、スカーレットはシャーリィのことを強く信頼していた。そうでなければ、とっくにシャーリィは戦場で命を落としているはずだ。
生身ではないとはいえ、そのシャーリィと張り合えるのだ。レンも弱いはずがない。
それだけの実力を見せられれば、子供だからと侮るはずもなかった。
『それが嫌なら、こっちの指示をちゃんと聞いて。いまから作戦を伝えるわよ』
神機の攻撃を回避し、距離を取りながら渋々と言った様子でスカーレットの話に耳を傾ける二人。
「……エステルとヨシュアが?」
そのなかでレンはエステルとヨシュアの名前を聞き、モニターの端に映るレグナートに目を向ける。
拡大すると、その背には確かに見覚えるのある二人の姿が映っていた。
「……いいわ。協力してあげる。エステルとヨシュアには借りがあるし、あのお姫様のことはレンも嫌いじゃないしね」
このままでは神機に勝てない。しかしスカーレットの語った作戦なら、確かに可能性はあるとレンは瞬時に答えを導き出す。
それにクローディアがここで死ねば、きっとエステルとヨシュアは悲しむ。ヨルグや〈パテル=マテル〉のことは大切だが、レンは同じくらい二人にも感謝していた。少なくともリィンが嫌うエステルのお節介でレンは救われたのだ。ならば、その借りを返す意味でも作戦に協力すべきだとレンは判断した。
一方でシャーリィは悩む素振りを見せ、作戦に協力するための条件を口にした。
「シャーリィのお願い≠一つ聞いてくれるなら、その依頼受けてあげてもいいよ」
『ちょっとシャーリィ――』
『構いません。猟兵に頼みごとをするのであれば、報酬を支払うのは当然のこと、ですよね?』
スカーレットはシャーリィを諫めようとするが、通信をブリッジで聞いていたエリィが話に割って入って、それを止めた。
既に〈暁の旅団〉とは契約を結んでいるとはいえ、契約にない仕事をさせるのであれば、追加報酬を支払うのは当然のことだ。クローディアを殺さずに助けると決めたのはエリィの都合であって、それをシャーリィに強制する権限は彼女にはない。しかしリィンに好意を寄せる彼女が、団の不利益になるようなことをするとは思えない。
エリィがシャーリィのだした条件を呑むことを決めた理由。それは――
こんなことを彼女が言いだすということは、金銭目的ではなく他に目的があると察してのことだ。
「わかってるじゃない。さすが、リィンが認めただけのことはあるね」
モニター越しに喜ぶシャーリィを見て、エリィは『お願い』の内容をその場では尋ねなかった。
しかしそれが甘い考えだったと、エリィはスカーレットが止めに入ろうとした理由を後ほど知ることになる。
シャーリィがオルランドの血を引いていることを、ランディの従兄妹であることをエリィは失念していたのだった。
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