オルキスタワーの名称で知られ、クロスベルの政治と経済を司る象徴として建造された地上四十階の庁舎。
行政機能以外にも、国際会議場や貿易センターなどが入る巨大建造物の屋上に複数の人影があった。
エマやアリサを中心とした〈暁の旅団〉のメンバーだ。
集まっているのは戦闘を得意とするメンバーではなく、後方支援――特にアリサの下で働く整備スタッフが多い。
なかにはジョルジュや、意外なことにロジーヌの姿も見受けられた。
「タワーのシステムは完全に掌握したわ。だけど、エマってやっぱり凄いわよね。そもそも事前に話を聞いてなかったら、こんな仕掛けがされていることに気付かなかったわよ」
「魔術で偽装がされていますから。でも、その魔術の知識もないのに仕組みを理解して、この短時間で準備を整えられるアリサさんの方が凄いと思います」
「まあ、魔術的なことはさっぱりだけど、これは装置に機械を使ってるしね。それにほらジョルジュ先輩やロジーヌさんも手伝ってくれたからであって、私一人なら難しかったと思うわよ?」
照れた様子で両手を左右に振って否定するアリサだったが、エマはそれを謙遜と受け取った。
魔術を習得するには幼い頃から研鑽を積むことも大切だが、生まれ持っての才能がなければ大成することは出来ない。
事実、クロイス家に生を受けていながらディーターにはその才がなく、魔術師としての側面はマリアベルが担っていた。
それを科学的なアプローチから理解し、この短時間で準備を終えた手腕は見事と言うしかない。さすがラインフォルトの後継者、グエンの孫だけのことはある。いや、そもそも騎神用の兵装についても、導力機関のエネルギーを霊力へと変換するなんて発想は、グエンにすら思いつかなかったことだった。
しかし霊力を自然に満ちたエネルギーの一種と考えれば、そのような発想に至った理由も分からなくはない。
導力もまた七耀石と呼ばれる天然資源から生み出されたエネルギーだからだ。
導力機関は七耀石から引き出されたエネルギーを様々な力に利用することで、人々の生活に役立てている。何より導力の特徴として、消費した力が時間経過と共に自然回復するという大きな利点があった。
現在では一部の国や地域を除いて、導力革命以前に使われていた化石燃料が余り使われなくなったのは、それが主な理由と言っていい。そして『霊力』も『導力』と同様の特徴が幾つか見られる。特に燃料を必要とせず、放って置けば自然回復すると言った点は、まさにその特徴の一つと言えるだろう。
このことから七耀石とは霊力――即ち、自然界のマナが長い歳月を掛けて結晶化したものだと推測が立つ。七耀石を霊力をためておくためのバッテリーとし、導力機関をエネルギーを取り出すための装置として見立てたのが、騎神専用のブレードライフル型兵装〈アロンダイト〉の仕組みと言う訳だ。
しかし理論と実践は異なる。リィンからの要望に応えただけとはいえ、それを実際にカタチにして見せたのはアリサ自身だ。
その点で言えば、既存技術の応用という分野において、アリサは既に祖父を超えるほどの才覚を見せていた。
オルキスタワーに隠された装置に関しても一目で仕組みを見抜けたのは、そうした技術と知識の蓄積によるところが大きい。仕組みに機械が使われているのなら、それはアリサの領分だ。理解できないはずもない。リィンの無茶な要求に応じているうちに、本人すら気付いていなかった才能を開花させつつあった。
「いや、誇って良いと思うよ。正直、驚かされた」
「はい。的確な指示と、見事な手際でした」
ジョルジュとロジーヌにも腕を褒められ、アリサははにかみながら頬を掻く。
アリサが魔術的な知識に疎いと言うことで、協力を申し出たロジーヌだったが、ほとんど助けは必要ないと思えるくらい作業は的確だった。
彼女が〈暁の旅団〉の関係者でなければ、勧誘が殺到しただろうとロジーヌは考える。この短時間でオルキスタワーのシステムを掌握して見せた腕もそうだが、騎神専用の武器の開発に成功した功績は大きい。ましてや外部から霊力を供給するシステムを開発することが出来たと言うことは、アーティファクトの仕組みを理解し、扱える程度の知識と技術は有していると言うことだ。
魔術をオカルトと考え、そこで思考を止めてしまう頭の固い科学者ではこうはいかない。アーティファクトを理解する上で、最も大切なことは常識を疑うことだ。
アリサは既存の技術の一つとして魔術を捉えているのだろう。そうした発想の出来る科学者というのは稀少だった。
教会と手を組み、アーティファクトの研究が盛んに行われているエプスタイン財団がこのことを知れば、間違いなくアリサの勧誘に動くと予想が出来る。ジョルジュも才能ではアリサに負けていないが、彼は科学者というより職人としての気質が強い。そう言う意味で、財団の求める人材とは異なっていた。
それだけにジョルジュも、アリサの秘めた実力に感心していた。
技師としての腕は自分の方が上だという自負はあるが、発想や理論に関しては彼女に及ばないだろうと、アリサの腕を認めてのことだった。
「出来ることはやったわ。エマ、後は任せたわよ」
「はい」
とはいえ、自分たちに出来るのはここまでだと、アリサは後のことをエマに託す。
神機に取り込まれたクローディアを救えるかどうかは、エマの手腕に掛かっていた。
しかし心配はしていなかった。エマがアリサの腕を認めているように、アリサもまたエマを信じているからだ。
「そろそろ時間です。皆さんは、ここから避難を――」
視界に目標の影を捉え、エマはアリサたちに避難の指示をだす。
昔のアリサなら自分も残ると言ったかもしれない。しかし自分に出来ることと出来ないことを、アリサはちゃんと理解していた。
静かに頷き、何も言わずに立ち去るアリサたちの背中を見送ると、エマは両手で杖を空に掲げる。
「起動術式、解放」
すると屋上の床の一部が展開され、エマの足下に巨大な魔法陣が現れる。
杖を伝って街中から集められた膨大な霊力が、魔法陣に注ぎ込まれていく。
これこそ、クロイス家が長い歳月を掛けて完成させた魔導科学の産物。
オルキスタワーの隠された機能だった。
◆
「チャンスは一度だけだ。エステル、覚悟は良い?」
「うん。いまは目の前のことに集中する。そう決めたから――」
ヨシュアは腰の剣を抜き、その柄を共にエステルに握らせる。黄金に輝くその剣は半ばから折れていた。
ケルンバイター。それは〈外の理〉で作られた魔剣。〈剣帝〉と呼ばれた若者が、嘗て盟主より与えられた剣だ。
そして自分たちの――エステルの命を守ってくれた家族の形見。ヨシュアにとっては深い思い入れのある武器だった。
「レグナートも、その……ありがとう」
『乗りかかった船だ。それに、お前たちには〈輝く環〉の件で借りもある。少しばかり手を貸したところで、女神も悪く言うまい』
感謝を口にするエステルに、レグナートは鷹揚に応える。
レグナートが言っている借り≠ニは、先の〈リベールの異変〉のことを言っているのだということはエステルにも理解できた。
たいしたことをしたつもりはないが、改めて言われると照れ臭くなる。困った顔で頬を掻くエステルの耳に通信を報せる音が響いた。
腰に下げた戦術オーブメントを手に取るエステル。すると、オーブメントからカシウスの声が聞こえてきた。
『エステル、ヨシュア。あちらの準備は整ったそうだ。お前たちの方はどうだ?』
「うん。父さん、さっきのことだけど……」
『……そのことか。何も言わなくともいい。ただ、そうだな……』
話し難そうにするエステルに、カシウスは敢えて言葉で語る必要はないと話す。
顔を見ずとも声を聞けば、エステルが覚悟を決めたことくらいは察することが出来る。
『この件が終わったら母さんの墓参りに行くか。一緒に謝ってくれると助かる』
だから敢えて尋ねることはせず、カシウスはエステルにそう言った。
その言葉の意味を察し、エステルはギュッと胸を押さえる。
『だから無事に帰って来い。お前たち二人ならやれるはずだ』
カシウスの激励に、表情を引き締めるエステルとヨシュア。
これからしようとしていることは、場合によっては命を落とすかもしれないほど危険な賭けだと言うことはわかっていた。
でも不思議と恐怖はなかった。いろいろなしがらみから解放され、少し吹っ切れたからかもしれないとエステルは考える。
あれこれと考えるのは、自分らしくない。大切なのは、いま自分が何をしたいかだ。
――クローゼを、大切な親友を助けたい。
それがエステルのだした答えであり、ヨシュアの願いでもあった。
だから――
「レグナート、お願い!」
エステルの声に頷き、レグナートは翼を羽ばたかせる。
彼等が向かう先、そこには神機と激戦を繰り広げる〈緋の騎神〉と〈アルター・エゴ〉の姿があった。
チャンスは一度だけ。それを逃せば、もうクローディアを救う術はない。
自分たちに与えられた役割を果たすため、エステルとヨシュアは意識を集中し、その瞬間を静かに待つ。
「アル! あなたのすべてをレンに見せて!」
エステルたちが動いたのを確認して、レンもまた仕上げに入ろうとしていた。
アルの漆黒の装甲が微かに開き、その隙間から金色の光が漏れ出す。
そして背中の羽根の一部が変形したかと思うと、腰に一対の巨大な砲が出現した。
「アル、薙ぎ払いなさい! ダブルグラビティカノン!」
砲身から放たれた重力波が神機を呑み込む。
本体に攻撃は届いていないが、周囲の空間がアルの発生させた重力波の影響で揺らいでいることが見て取れた。
パテル=マテルのバスターキャノンを進化させたアルが持つ最大級の攻撃だが、最初から一撃で結界を突破できるとはレンも思ってはいなかった。
だからレンは神機の動きを止めるために奥の手を披露したのだ。
事実、神機はアルの発生させた重力波に囚われ、大きく動きを鈍らせていた。
「いまよ! エステル、ヨシュア!」
レンの声が空に響く。そして――
「うおおおおおおッ!」
「はああああああッ!」
レグナートから飛び降りた二人は、ケルンバイターを神機の結界に叩き付けた。
外の理で作られた武器は、神の領域に足を踏み入れたリィンやアリアンロードにも通じる数少ない武器だ。
当然、至宝――女神の力にも対抗することが出来る。以前〈輝く環〉の絶対障壁を打ち破ったのも、この武器だった。
「効いてない!?」
「いや、まだだ……ッ!」
弾き飛ばされそうになるも、エステルとヨシュアは必死に柄を握る手に力を込める。
しかし〈外の理〉で作られた魔剣とはいえ、折れていては十全に力を発揮することは出来ない。ましてや優れた武器は持ち主を選ぶと言われている。元の持ち主の手にあるならいざ知らず、剣の担い手として認められていないエステルとヨシュアでは〈ケルンバイター〉の力を完全に引き出すことは出来ていなかった。
『ダメか……』
元々、確率の低い賭けだった。仮にカシウスが同じことをしたとしても、結果は変わらなかっただろう。
或いは魔剣の力を少しでも引き出すことが出来れば、結界を破壊することが出来たかもしれない。
その可能性はエステルとヨシュアが一番高いと考え、カシウスは二人に託すことにしたのだ。
だが、やはりダメだったか、とレグナートが諦めにも似た溜め息を漏らした、その時。
レグナートは目を瞠った。
その瞳には、エステルとヨシュアの傍らに立ち、ロングコートをなびかせる銀髪の男の姿が映っていた。
男の手がエステルとヨシュアが持つケルンバイターの柄に触れる。
恐らく二人には男の姿は疎か、声も聞こえてはいないのだろう。しかし彼≠ヘ確かにそこにいた。
剣帝レオンハルト。魔剣ケルンバイターの真の担い手。ハーメルの遺児にして、ヨシュアが兄のように慕っていた人物。
そして三年前の事件――〈リベールの異変〉で、同じ結社に所属するワイスマンに命を奪われ、この世を去ったはずの男だった。
(そうか……)
レグナートはすべてを悟る。
ただの奇跡≠ナはない。これが至宝の力によって、もたらされた軌跡≠ナあると。
人々の願いを叶えるという〈零の至宝〉の力。大樹が崩壊を始めたとはいえ、未だにクロスベルにはキーアの加護が満ちていた。
そしてエステルとヨシュアはキーアと面識がある。特務支援課のメンバーを除けば、最もキーアに近しい二人と言えるだろう。
そんな二人の想いと願いを聞き届けたキーアが、レオンハルトの魂をこの場に呼び寄せたのだ。
(これを見越していたのか?)
カシウスがどこまで先を読んでいたかは分からない。
しかし、何の根拠もなく子供たちを死地に向かわせる男でないことは、レグナートも理解していた。
「「砕けろおおおおおッ!」」
エステルとヨシュアの絶叫に応えるように、ケルンバイターが嘗ての輝きを取り戻す。
折れた先から黄金の光が立ち上る。
光輝く剣。それはケルンバイターの持つ本来の姿だった。
剣が触れた場所から亀裂が広がり、粉々に砕け散る神機の結界。そして――
「捕まえた」
その瞬間を待っていたとばかりに〈緋の騎神〉が割って入った。
反動で弾き飛ばされ、地上に落下する二人を一瞥することなく、シャーリィは神機の顔を鷲掴みにする。
そして背からマナの粒子を放ち、光の軌跡を描きながら、オルキスタワーの屋上へと神機を叩き付けた。
もうもうと広がる白煙の中で、巨大な魔法陣が眩い光を放つ。
それはエマの魔術によって起動したオルキスタワーの機能の一つ、霊子変換装置の光だった。
レンのように強い感応力を持つ者でなければ、ゴルディアス級を自在に動かすと言ったことは出来ない。適性のない人間に出来ることと言えば、簡単な命令を与えることくらいだ。そのため、クローディアの身体は霊子に変換され、神機と完全に融合していた。これならば優れた感応力を持たない者でも、神機の力を十全に発揮することが出来る。そう博士は考えたのだ。
しかし霊子へと身体を変換することが可能なら、逆もまた可能なはずだ。そうエリィは考えた。
事実、オルキスタワーの攻略作戦に参加した際に、同じく神機と融合したディーターと戦い、エリィたちは一度勝利している。
その後、ギリアスの介入によって作戦そのものは失敗に終わったが、ディーターが神機との融合から解放されるところをエリィは目にしていた。
だから、この作戦を思いついたのだ。
オルキスタワーに備えられた霊子変換装置を使うことで、クローディアと神機の融合を解除する。それがエリィの立てた作戦だった。
「エマ――まだなの!?」
激しく暴れる神機を魔法陣の上に押さえ込みながら、少し焦った様子でシャーリィはエマの名前を叫ぶ。
魔法陣は確かに機能している。ならば、何故クローディアは戻って来ないのか?
その原因にエマは気付き、表情を曇らせる。
(適格者を手放す気はない。そういうことですか……)
神機がクローディアを手放すことを拒んでいるのだ。
このことを博士が知れば驚くだろう。何せ、そのような命令を与えていないのだから――
知能を持つとはいえ、所詮は機械だ。与えられた命令を実行することは出来ても、自分から何かをすると言ったことはない。
ただ一つの例外を除いて――その例外とも言える行動を見せたのが〈パテル=マテル〉だった。
だから博士はレンと〈パテル=マテル〉に、強い興味と拘りを見せたのだ。事実、レンが結社を抜けたと聞いた時、一番残念そうにしたのは博士だった。
クローディアと神機が、ここまでの結果を見せてくれるとは博士も思ってはいなかったはずだ。
それだけに、この結果には博士も満足するだろう。しかしエマにとっては最悪な状況だった。
このままではクローディアは戻って来ない。せめて本人に意識があれば――そうエマが諦めかけた、その時。
「クローゼ!」
それはクローディアの名を呼ぶヨシュアの声だった。
エマが顔を上げると、オルキスタワーの上空をレグナートが旋回していた。
背にはヨシュアとエステルの姿が見える。弾き飛ばされた二人を、レグナートが回収したのだろう。
「皆、アンタの帰りを待ってるのよ! さっさと目を覚ましなさいよ!」
クローディアの帰りを待つエステルの心からの叫びが、クロスベルの空に響いた。
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